夜営


 夜。雲が空を覆い、いつもの星空は見えない。


 平原で続く、草が剥げた道。その道を辿った先、少し逸れたところに、広場があった。俺たちはそこで、夜営をすることにした。


 テントを展開する。地面に金具を打ちつけ、固定していく。

 やがて、布を被せてテントは完成した。


 そのテントから派生して、手短な木に布を伸ばして、天井のようにしていく。次いで、その布の天井の中央に、里で貰ったカンテラのような魔道具を引っさげる。中にある魔法を維持し続けてくれるものだ。


ライト


 光が灯り、周辺が照らされる。

 すっかり、キャンプみたいな雰囲気になったな。


 振り返ると、誰も居ない。ことりとターニャさん、それにシロ。彼らは、現地で賄える食糧がないか探しに出て行ってしまった。


「……あ、雨……」

 額に落ちた雫。それは、ぽつぽつと空から降り始めた。

 近くに置いた荷物から、蝋を取り出す。動物や植物の油脂から作られたもので、水を弾く。つまり、布に撥水加工を施せる。


 その蝋と、塗るための、木を加工して作った簡素なただの棒を持ち、テントの前に立つ。

 そして、無心に蝋を塗っていく。


 ……テント、ひとつなんだよなぁ……。


 無心でもなんでもなかった。まあ、俺はチキンだし、女性陣に手出しをすることはないので、後は向こうの許可が下りればいいのだが。さすがに、雨の下、野原で寝るのだけは勘弁願いたい。


 それでいうと、この雨のせいで獣除けの効果が薄まっているかもな……。


 この周囲には、獣除けを置いてある。ミントの匂いが強い植物、スカスを磨り潰して、それを、穴が空いた小さな箱に詰める。それを、円で囲うように置いているのだ。

 あの香りは、魔物の鼻腔を刺激するようで、その周辺には寄ってこなくなるらしい。


 だが、雨のせいで、少しだけ匂いが滲んでしまうかもしれないな……。


 やがて、蝋を大方塗り終わったので、蝋の蓋を閉めて荷物にしまっておく。


「……焚き火だけ作っとくか」


 誰も居ない夜営地の中心で一人、呟いた。



______



「……」

「ん……」

「クゥ」

 シロの鼻に手を当てる。静かに、の合図。


 私たちは今、夜営地から少し離れたところにある森にいる。

 前を歩くターニャが立ち止まって、手を横に伸ばして私たちを止めたので、その場で屈む。


 正面の木の上。ターニャの魔力が、そう伝えてくる。


 どれだろう、と思って、目線を少しあげる。すると、すぐにそれは見えた。


 木の枝や何かの毛が密集してできた塊。それは、鳥の巣だった。そこに、一匹の鳥がいる。

 鶏冠が赤く、体毛は黒く。夜に紛れるような、不思議な鳥だ。ターニャに言われないと、気づかなかっただろうな。


 前、ターニャが何かを伝えようとしてる。意識を集中させると、やがて伝わってくる。


 やってみろ。


 ターニャは今、狩りに出かける格好。いつもの白い奴じゃないけど、茶色の外套を羽織ってて、弓矢も持ってる。

 なのに、私にそう言う。きっと、練習の場を用意してくれてるんだ。私の魔法の……。


「分かった」

 その場で静かに立ち上がる。

 それで、お兄ちゃんが教えてくれた呪文を、頭に浮かべる。その羅列の中から、今の状況に適したものを選択する。


 やっぱ、少し恥ずかしいんだよね。


 両手を突き出して、遠くにいる黒い鳥に向ける。

 あの鳥も夜に紛れているけど、私たちも紛れてる。気づいてないみたい。


『自然の恵みよ 破砕する礫よ……』

 口に出す。私の魔力たちが、やっと出番か、という風に、急激に集まっていく。

 最初は険悪だった二つの魔力。確か、聖と闇……だっけ。この子達は、私に協力するときだけは、混じり合うことを厭わない。


 なんだか、普段は喧嘩してるけど、ある物事に夢中になったときに、自然と相棒みたいな関係になる、小学生みたいな子達だ。素っ気無いけど、それだけに、なんだか可愛い。


 混ざって、周囲の魔力を吸収して。


 少し、大きいよ。

 そう願うと、彼らは躍動するのをやめる。


 ありがとう。そう伝えて、そして唱える。


土塊の一撃ランドストライク


 私の両手の先。魔方陣が妖しく光って、魔力が流れ……完成する。

 徐々に、土が生まれ石が生まれ……やがて、それは小さく、そして硬い礫になった。


 本当に小さい、石ころみたいな塊。だけど、魔力は濃縮に詰まってる。


 やがて、それは発射された。

 真っ直ぐ、真っ直ぐ。空気の抵抗も、雨の影響も、なにも受けず、真っ直ぐその鳥の頭へと。


 そのときだった。


「――カゥ!!」

 魔法に驚いたのか、シロが吠えてしまった。


『――――!』

 鳥がこちらを向いて、ついで羽ばたいてしまう。

 巣から離れ飛び立つ鳥。その元いた場所を、私の魔法が通過していく。


 やがて、土の塊は、遠くの森の中に消えていってしまった。


「あ~。シロ、だめじゃない」

「……」


 前にいるターニャが、弓を構えている。


「え……うそ。もう結構、離れちゃってるよ……?」

「……」

 飛び立った鳥は、今にも森から脱出しようとしている。

 とっても速い。ここから射抜くのは、かなり難しい。


 ――――。


 ターニャの魔力が、揺れ動いた。

 そして、矢が放たれる。それは、鳥が飛ぶ方向を予測して、少し先に放たれた。


 偏差射撃。一流の狩人は、目標が動いていても、急所を問題なく射抜くという。

 私の目測だと、このまま行けば、鳥の胸に突き刺さる……


 というとき、その鳥は予測していたかのように、左へと飛翔した。方向転換。これでは、矢は外れてしまう。


「……」

 視界の隅に映るターニャが、弓を握るその手で、何かをしたように見えた。


 そして、矢は……何かに弾かれるように、直角に曲がった。


 遠い、遠い光景。無音だった。直角に曲がった矢は、寸分の狂いもなく黒い影を射抜き、黒い影は森へと落下していった。


 行こう。そう、伝わってくる。


「……ターニャ、すっごぉ……」

「……」

「カゥ」

「シロは反省っ!」



 魔法が外れた原因の一端である幼獣に、少女は多少の憤りをぶつけながら、ダークエルフの後を追ったのだった。



______



「……お」

 遠目に、森の奥から茂みを掻き分けて現れた、少女たちの姿を見る。


「――だから、私が『シー』ってやったら、静かにするんだよ!」

「カゥ」

「よしっ!」

「……」

 ターニャさんを先頭に、次いでことりとシロ。なにやら、可愛らしいやり取りが行われている。それを背中で受けているターニャさんの無表情っぷりが、なんだかシュールだ。

 ターニャさんが、何かを持っている。黒い塊……鳥か。あれは陰影鳥だな。


「おかえり」

「ただいま! 見てみて、こんなに大きい鳥! すごくない!?」

「おう」

「反応うっす!」

 俺の対応に嘆くように、もしくはただ単純に疲れたように、テントの中に身を投げることり。

 少しはなれたところで、早速と言わんばかりに、陰影鳥の羽を毟っていくターニャさん。


 実際、この陰影鳥はでかいのだが……成長しきった鶏よりも一回り大きい。だが、この世界の生き物のサイズ感で言うと、これが普通ぐらい、という気がしないでもない。


 ていうか、獲物の処理ぐらい、俺がやるのに……あ、だめだ。あれは仕事人モードのターニャさんだ。割り込むと逆に怒られる。


 そして俺は、火の管理をしながら、遠くで無心に、短剣を片手に血を抜き、羽を毟り、内臓を引き出すターニャさんの仕事っぷりを、微妙な気持ちで眺めていた。



______



 鳥肉と、塩辛いマングの実を磨り潰したものを一緒の木箱に入れる。

 そして蓋をして、振る。この木箱は、内側がぼこぼこした加工をされており、肉と実がよく揉まれるだろう。


 やがて、蓋を開ける。ほのかに香る……甘いマングの匂い。十分付いただろう。


 次いで、里で取れた野菜を適当に放る。氷解草、雪茸、ズンブ……たまねぎに似たもの。トラプ、これはガーリックだったっけ……香りつけ程度に、少しだけ……半分に裂いて入れておく。


 そして、同じように蓋を閉じて、振る。


 ……このまま丸焼きでいいか……いや、せっかく狩猟してきてくれたんだから、ちょっとだけ凝るか。


 振りながら、焚き火をどける。その熱い地面を、適当に足で掘っていく。

 やがて、十分なスペースが出来た。そして、木箱の中に、追加のマングの実と、ほんの少しの水を魔法で足していく。


 そして、近くの雨に濡れた細長い葉を手に取る。

 その掘った穴の中に、少しだけ蓋を開けた木箱を置き、それを囲うように、葉を適当に置いていく。


 土が入らないように……。


「ん……お兄ちゃん、何してるの」

 テントに寝転がって、シロとじゃれていたことりが起き上がり、言う。

 まあ、傍目、地面掘ってるだけだしな……。


「天然のオーブン的な奴。俺の予想だと、これでローストチキンが出来上がる」

「ほんと!? やったね! この世界に来てから、体に悪そうな物、あんまり食べれてないんだよね」

「ローストチキンは体に悪いのか……? まあ、里の食事は質素なものが多かったしな。胃に優しいから俺は好きだったけど」

 そして、ある程度、葉で埋めたので、土を戻し、焚き火をその上に戻す。


「これで後二、三時間待てばいいと思う。まあ、焦げることはないはず」

「そんなに待つの~? うわー……シロ~お腹空いたよね~」

「カゥ~」

 またテントの中に体を倒し、シロと戯れ始めることり。

 ……テントの中、もう既にシロの体毛で溢れていそうだ。


 寝る前に、風魔法で一度、毛を外に飛ばさないとな……。


 そう思って正面に振り向くと、対角線上、ヨダレを垂らしながら焚き火を見つめるターニャさんがいた。


「……」

「……昼に食った焼肉弁当より上等なものじゃないですよ」

「……」

 知るか、早く食わせろ。そう言っている気がする。というか視線が訴えてくる。潤んだ瞳で見上げられている。涙目なのにヨダレを止めないのは欲望に溢れすぎじゃないか、ターニャさんや。


 その後も、ずーっと焚き火を、膝を抱えて見守るターニャさん。火に輝くピアスや瞳、そして口から出る液体。それを俺は、火と一緒にずっと見守っていたのだった。



______



「……すぅ……すぅ……」

「……クゥァァ……」

「……寝ちまったよ。そろそろ出来るんだが……起こすか」

「……」

 しかし、蝋を塗っておいてよかったな……。

 外に降る、どしゃぶりの雨を見ながら、そう思う。


 夜営地には天井として、布を張った。なので、ここならある程度の範囲は、濡れずに行動できる。


「おーい。そろそろ飯だぞー」

「……すぅ……むぐ。ぁあ~鼻がむずがゆい~」

「……カゥゥゥ~」

 痒さの正体はその白い幼獣ですよ、お嬢さん。


 伸びをしながら起き上がる両名。どうやら、ことりはもう髪を下ろしているようだ。少しだけ、髪に癖が残っている。


 まあ、起きた彼女らは適当に放置するとして……。

 目の前の焚き火を、適当に手で持った木の棒でどかしていく。


 その様すらも、じーっと見守るターニャさん。なんだかやり辛いんだが……。

 現れた地面を、足で適当に掘る。空気が熱いが、防寒具が厚いので平気だ。


 やがて、葉が現れる。雨に濡れ水分量が多かったからか、焦げることもなく。ただ、水蒸気はとてつもない量だった。今が冬で冷えているのもあり、目視できる白い煙は凄まじい。


「煙いな……」

「……」

「うわ、すご。ギア2じゃん」

「カゥ……」

 シロは、初めて見る光景に驚き固まっている。

 この幼獣は、この旅路で色んな新しい物を目にしている。これがいい経験になればいいが。


 手に持った棒で、適当に葉を剥がしていく。そして、中から木箱が出てきた。水蒸気に包まれ、全体がてらてらとしている。


「よっ……」

 手袋をはめて、木箱を取り出す。


 そして、元々この場にあった、台として使える岩に、その木箱を置く。

 ……背後から圧を感じる。早く開けろ、という。


 そして、木箱を開ける。

 水蒸気がぼわっと広がり、中からそれは出てきた。


「……まあ、いいんじゃないか?」

「おお~……美味しそう!」

「……」

「カゥ、カゥ!」

 足元で、俺にも見せろ! と言わんばかりに、シロが小突いてくる。

 シロの腹に手を伸ばして、そいつを見せる。


 白い煙を出しながら、てかてかと光る鳥肉。下には、油のような果汁が薄く張られており、その上に浮く野菜たち。


 匂いも良い。焦げてるところとかもないし……成功だな。どちらかというと、蒸したような感じになってしまっているが……しっかり火は通っていそうだ。


「カゥ~~!」

 シロは、食い物を目の前にすると、喉の奥をごろごろと鳴らすのと同時に、鳴き声を上げ、更にモスキート音のようなものも出す。


 声帯、どうなってるんだろうか。


「さ、食うか。ちょうど、岩が椅子みたいになってるし……」

 天然の台と椅子。ここを夜営地にした理由の一つだ。


「わあ~楽しみ。欲を言えばご飯が欲しいけど!」

「……」

「カゥ!」

 席に着く二人。シロは受け皿があるから、少し待ってて欲しい。

 荷物を置いているところに向かう。食器を出し忘れていたからだ。


 しかし、米か。中央大陸では日常的に食ってたが……ここらだと、見かけないな。そもそも、米やパンと言ったような主食になるものがない。


 それも含めて、早く文化的な町に行きたいものだ。米は知らんが、パン……麦なら世界的に流通してるだろう。

 まあ、麦を貰ったところでパンの作り方は知らんが。


 大きな袋の中から、木の食器を取り出す。そういや、ダークエルフの里では、普通に箸だったな。

 どことなく和風チックな場所だったし……なんだか、日本との縁を感じないでもないが。


 テーブルに戻って、食器を配る。


「ありがとー!」

「……」

 すごい。ターニャさんの目はもう、肉しか見えていない。


「シロ、お前はこれな」

「カゥ!」

 シロの前に小皿を置く。


 そして、俺も椅子に座って、言う。


「いただきます」

「いただきますー!」

「……」

「カゥカゥ!」

「はいはい。シロの分は……」


 腰から短剣を取り出す。木箱の中の肉を切って、一端自分の皿に乗せる。

 そして、体をひねって、足元のシロの皿に、それを移す。


「ほい」

「カゥ!」

 噛み付くシロを見届けて、机に目を戻す。

 すると、手持ち無沙汰な二人が、助けを求めるようにこちらを見ていた。


「……ねえ、どうやって食べよう」

「……」

「……先に切っとけばよかったな」


 俺は体を伸ばして、鳥肉を短剣で薄く切っていく。

 切ったそばから箸が伸びてきて、回収されていく。


「ん~おいし! ちょっぴり効いてる辛さが良い味してるよ! お兄ちゃん!」

「――――!」


 ……俺がこの肉を食うのは、最後になりそうだな。



 切る、切る。俺が食事にありつけるようになったのは、他の者の腹が満たされてからだった。

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