霊峰地帯
「……静かだな。長閑って言うならそうだけど」
「なんか、遠目に見られてるね」
「……」
「クルゥ」
この集落を横断するように作られた中央道を歩きながら、言う。
澄んだ空気が流れ、自然豊かな山間の村。しかし、生活の様子は至るところに見れど、わざわざ旅人に話しかけるような人は少ないのだろう。
まあ、俺も同じ立場なら、間違いなく話しかけねえわな……。
今、並んで歩いている。特に、この集落は通り過ぎるだけで用向きもないので、中央道を真っ直ぐと突っ切る。
シロも、獣としては成長期なので、今は歩かせている。俺が永遠に抱っこしようとしたら、ターニャさんに止められたのだ。悲しい。
「カゥァ?」
「……お前の足が、機敏に小刻みに動いているのを見ると、俺はゆっくり歩きたくなって仕方がないぜ」
「カゥ!」
そうやって歩いていると、一つの牧場が目の前に迫ってきた。
中にいる放牧されている牛たちも、自由気ままに草を食っている。
潜牛とは違う種だな……当たり前だが。中央大陸で家畜の牛っつったら主要なのは潜牛だ。地面を潜るように、体を這わせて進む牛。皮が滑らかなので、地面がデコボコになることもなく、田畑を耕す際にも重宝される。
だが、こちらの牛はなにやら、脂が多そうだ。腹のところが出っ張っており、地面に着くのではというほど。
この牛としては、耐寒性を獲得するために肉や脂をつけたのだろうが、家畜として利用する側としても、冷帯での脂の用途は多いだろうから、助かっているだろうな。例えるならば、雪や雹の対策に、建物の屋根に脂を塗ることも考えられる。なんとも皮肉な進化である。
そして、その牛たちを管理しているであろう人が住む、牧場小屋が目の前に迫ってきている。
何の気もなく、目の前を通り過ぎようとする俺たち。そのとき、扉が開く音がした。
そして、呼びかける声が聞こえてくる。
「――おや、ターニャじゃないかい。山を降りるなんて珍しいね。それに、お連れさんも」
振り返ると、バケツを持ったおばさんがいた。
おばさんと言っても、獣人だ。推測に過ぎないが……。見た目、熊……だろうか。全身の毛が茶色で、至るところに生えている。どちらかというと、獣の方が血が濃そうだ。
話しかけられたので、挨拶をする。
「こんにちは」
「こんにちは!」
「……」
「カゥカゥ!」
「まさか、この辺で人間を見ることになるとはね」
その人はそう言うと、バケツをその場で置いて、扉の中から次々と藁を外に出す作業を始めた。
……これはもう行ってもいいのだろうか。とりあえず、話を続けてみるか。
「この辺っていうと、やっぱ外大陸の奥まで来る人間は珍しいんですかね?」
「まあね。外大陸に住んでる亜人の中には、人間を嫌ってる人も少なくないしね。そんな地に来る物好きなんて、いないもんさ。あんたたち、何でこんなところにいるんだい?」
その人は、一旦作業を止めて、自身の顔の毛を撫でるように手を動かしながら、こちらを見た。
なんか、仕事やら学業やらで疲れた人が、自分の髪の毛を弄るあれみたいだ。
「……まあ、色々事情がありまして。なるほど、この村の人たちが遠巻きに俺らを警戒するように見てるのは、そういうわけですか」
「あら、そんなことも知らずに来たのかい? よっぽどの事情があったんだね……」
「まあ、はい。ところで、なんで人間を嫌ってる人が多いんですか? 失礼かもですけど……すいません。俺も人間なんですけど、この世界の新参者で。歴史とか詳しくないんですよ」
「ブアハハッ! なんだい、それ! 中々面白いじゃないかい!」
彼女は、その場で高らかに吼えるように、笑った。
びっくりした。獣人って、笑うときの声がその獣の血特有の声になるな。ちょっと悪いが、心臓が跳ねたし、冷静に考えると結構面白いな。
「まあ、いいよ。おばちゃんも暇だからね」
すると、藁を運ぶ作業を止めて、玄関前の柵に重心を預けて、語り始める。
「まあ、別にどうってことないさ。人魔大戦後に生まれた、あたしら亜人族の祖先は、ほとんどが中央大陸出身なのさ。そして、そのときはまだ人間たちの間に、差別思想が残っていたんだ。過去には、奴隷制度やら、亜人族にのみ課せられる税金とか……まあ、色々あったんだってね。それで、冷遇されるのが嫌になった亜人族たちは、外大陸に逃げ出した……すると、外では獣たちが待っていた。だけど、人間とは違って、獣たちは力社会だからね。そういった体裁なんかは、気にしないもんさ。温かく迎えられることもなかったけど、冷遇されることもなかった。そういうわけで、外大陸に移動した者と、中央大陸に残り続けた者、亜人族の中で、この両者に分かれたのさ。そして、外大陸の奥部に住まう亜人族は、そういう過去があって、人間にはいい印象を持っていないのさ」
「……なるほど。ありがとうございます。それで言うと、えーっと……お姉さんは、あんまりそういう、偏見でもないけど……人間に対する苦手意識はないんですね」
「お兄ちゃん……」
「カゥ……」
お姉さんと言ったあたりで、なぜかことりに冷たい目で見られた。ついで、シロもなぜか呆れるような表情をしている。意味が分からない。お前は獣らしく純粋でいろ。なんだその人間臭さは。
そして、俺の言葉を聴き終えて、彼女は笑い出す。
「あははははっ! わざわざお姉さんなんて呼ばなくっても、普通におばさんでいいさ。まあ、それで言うと、ターニャたちダークエルフもそういう偏見は薄いだろう?」
「……」
ターニャさんを見ると、なぜか誇らしげに頷いていた。
……そうか? 一回、生贄にされかけたが。
まあしかし、命が軽いこの世界だ。加えて、文化圏からは隔絶された山奥に住む部族。むしろ、今命があることを感謝するほうがまともな思考だとは思うが。
それに、誤解を解いた後は、家族のように接してくれたしな……。偏見はなかったかもしれない。
「まあ、確かに」
「それに、ダークエルフの里を霊峰ノーエルに作ったのは、人間なんだよ」
「……え?」
「ま、そういうわけだから。ダークエルフであるターニャとは知り合いだからね。私は、別に人間に対しては特になんとも思わないのさ」
「……」
なんともないところから、どんどん情報が出てくるな。
ダークエルフの里を作ったのは人間だと? 何故、そんなことを……。
そもそも、あの里はかなり特殊だ。人魔大戦を経験し、世界最古の龍と謳われる存在の一柱、スリューエルが加護を与え守っている。
……スリューエルから『アズゴーン』の名を貰い受けるときに言っていた、とある少女との約束。もしかしたら、あの里を作ったのは、『アズゴーン』という名の人間の少女だったのだろうか。
今になってはもう分からないことだ。ああ、クソ。なんか気になるじゃねえか。せっかく『アズゴーン』の名を貰い受けたんだ。そこらへんの事情を、もっとスリューエルに聞けばよかった。
……いや、先行き不安の旅を目前にした俺に、いらぬ不安を与えないように、旅に集中させるために語らなかった……とか考えられる。あの龍なら、それぐらいのことはしそうだ。
しかし……なんとも特殊な場所にいたんだな。それも長いこと。
「……教えてくれてありがとうございます」
「別に、いいさ。おばさんも暇だったからね。あんたたちは、どこまで行くんだい? ターニャが山を降りるってことは、ターニャのお墓参りも兼ねてるんだろうけど」
当然という風に言う。ターニャさんは、何度もお墓参りをしているんだな。
「俺たちは、中央大陸まで。ターニャさんはギャルート街までです」
「へぇ……そいつは大変だね。よし! おばさんが美味しい牛肉の焼肉弁当を作ってあげるかね! ちょいとそこで20分待ってな!」
そういい終えると同時に、小屋の中に消えていってしまった。
「……牛肉、か」
俺たちに好奇心をもったのか、一匹の牛が柵に近づいて、俺たちを見つめていた。
なんとなく、その牛と目が合う。
「わあ、牛肉だって! 美味しそうだね」
「……」
「カゥ」
その後、集落の者達は、旅人が牛と戯れる姿を見ていたという。
______
「……」
「……はあ……はあ……シロ、だいじょーぶ?」
「カゥ」
「あはは。すごいね、シロは。私は結構疲れてきちゃった」
「……荷物持つか?」
「いや、いいよ。……っほ……こんな最初のところで甘えてちゃ、だめだし。……ふぅ……あ~私も狩りに出てから、結構体力ついたと思ってたんだけどな~」
前を歩くことりが、岩から岩へと飛び移って、言った。
あの集落を抜けた後、森の中へと入った。山の麓に位置する森。川などが多く、木々も深い。
道行く先々は不安定な足場が多い。今は、小川を渡るために、岩から岩へと、足を伸ばしているところだ。
「シロ、行くぞ」
「カゥ」
シロは体が小さく、まだ発達しきっていないので、跳ばせるのは不安だ。俺が抱えて運ぶ。
「ほっ」
小さなジャンプをして、岩から岩へと渡る。跳ぶ途中、やけに川のせせたぎが耳に残る。
ここで濡れると、色々とまずいのだ。今は冬だし、そもそもこの辺は寒いし……服が濡れると、すぐに体が冷える。それに、荷物の中にも、濡らしたくないものは多い。濡れると、乾かすために焚き火をしなきゃいけないので、時間がとられる。
背中の荷物が揺れ、重心が揺れ動くが、危なげなく着地した。
顔を上げ見ると、ターニャさんは振り返って、俺たちが無事に渡りきるのを見届けていた。
道を知っているので、ターニャさんが先導してくれている。森に、自然に生きる彼女にとって、この道とも呼び辛い旅路は、子供の遊具に等しいのだろう。軽々と、先に進んでいく。
「お待たせしました」
「クゥァ」
シロを地面に降ろす。
「……」
ターニャさんは頷くと、振り返り森の中へ入っていく。
……獣道ですらないのだが、彼女は茂みの中を突き進んでいく。既に脳内に、道が出来上がっているのだ。
なにより、驚異的なのが、魔物を避けて進んでいることだろう。
俺は、油断しないように、魔力を薄く張り巡らせて、半径20mほど、魔力感知の範囲を伸ばしているが、一切反応がない。
つまり、彼女はそれ以上の範囲の情報を、何らかの手段で得ていて、意図して接敵を避けているのだろう。
魔物の匂いとか、そういうものだろうか。エルフは、何事も『風』に聞く種族という。彼ら独特の感覚があるのかもしれない。
「……」
「……すげえな」
「何が?」
「いや、ターニャさん」
「そりゃ、ターニャだし」
「カゥ!」
ターニャだし。まあ確かに、ターニャさんだし。
見ると、前方を歩く、白の外套に身を包んだターニャさんの耳が、微かに揺れ動いている。縦に。
(……あれって確か、喜んでるときとか、感情が噴き出したときの表れなんだよな……)
以前、レイブさんが説明してくれたことだ。随分可愛らしい特徴を、生まれつき持った種族だ、とそのとき思っていたが……これは可愛いな。
しかし、聞こえてたか。人間には聞き取れないぐらいの距離だったんだがな。
「……」
その可愛い反応をしているターニャさんを見ていると、彼女は急に立ち止まり、こちらを振り返った。
その顔は、真剣そのもの。
なんだ、からかわれたと思って、怒ったのか……土下座すればいいか。
そう思っていると、ターニャさんはことりに近づいて、何やら話し始めた。口は動いているが、俺には何も聞こえない。
すると、そのとき。張り巡らせた魔力、11時方向から徐々に迫り来る、魔力を持った生体。四つの集団。
「……」
「お兄ちゃん……避けられなかったって……」
「ああ、分かってる」
「クルルッ……」
シロも何かを感じ取ったのだろう。その方向をにらみつけ、唸り始めた。
しかし、安い。集団を形成しているということは、弱い魔物の可能性が高い。ソロならば危険だろうけど、こちらは、ことりとターニャさんが後衛としている。数的不利はない。
やがて、その影たちが、茂みから姿を現した。
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