アズゴーンの名を心に
「うわあぁぁああぁあぁ~~!?」
「うっ……揺れる。揺れてますぞぉ……」
「……」
「カゥクゥキャゥゥゥ」
上下に大きく揺れる体の上で、踊る狂う仲間たちを見ながら、俺はうつらうつらとしながら後ろに見える霊峰を見上げていた。
こんな長い道のりを、一瞬で降りてきてしまった。霧の奥まで続くような森、雪原。急斜面も多くあり、これを下山するということの危険性や難易度が今、目に見える。
(空を飛べるってのは便利なもんだな)
この甘さを享受してからの無責任な感想を抱く瞬間が、たまらなく気持ちいいぜ。
……澄ました顔をしていたのだが、どうやら胃が逆流しかけているようだ。
「……うぷ。吐きそう」
『やめてね』
「少しぐらい、いいじゃねえか。先っぽだけ。先っぽだけだから」
『先っぽってなんのことなんだろう……』
俺が知るか。
しかし、かなり長い間こうして、上下に羽ばたきながらゆっくりと降下している。そろそろ地面が恋しい。
『着地するよ』
「お、やっとか。皆~! そろそろ着くってよ! 衝撃に備えろー!」
「うぇぷ。そ、それどころじゃないよ~!」
「ぐぉぉおおお……男たるもの、これしきのこと……うぷっ」
「……」
「キャウ」
各々自由すぎる。
まあ、一応伝えたしな。大丈夫だろ。
そして、響く振動。地面が揺れる音と同時に、体が一瞬浮く。
浮遊感を味わった後、硬い鱗の上にしりもちをつく。
「……到着、か」
『頭からどうぞ』
「丁寧なことで……」
その後、頭を降ろした龍から、続々と地面に降り立った。
______
「……は~……こりゃすげえ」
「アルプスの村って感じだね。う~ん! 伸びが気持ちいいや!」
「…………うぷっ」
「……」
「カゥ」
隣に立つことりが、体全体を伸ばしながら、新鮮な空気を取り入れている。
その奥で、なおも気分が悪そうに体育座りをしているレイブさんを、介抱するように見守るターニャさん。そのターニャさんに抱えられたシロが、元気付けるようにレイブさんに鳴いている。
そして、正面に広がる景色を再度、見た。
目の前に広がる、平原。小さな木々が至るところに立ち並び、それと寄り添うように、石造りの家々が建っている。
牧場のようなものもあるようで、遠目だが、動いている牛のような動物も見える。
麓の村。名前もない集落だが、ここには獣人を主とした亜人族の人々がたくさん暮らしている。
村全体がなだらかな斜面になっており、俺たちはその上に立っていた。
『さてと。帰る前に、贈り物をしないとね』
麓の村の人に見られたくない、と森の影に隠れたスリューエルが、頭だけを出しながらそう言った。
……絵面が、面白い。圧倒的な強さを持つ格上の存在が、人の視線を気にして隠れている。
「……最古の龍が、なんかそんなちんけなことしてると、正直笑えるわ」
『失礼な! そんなこと言ってると、贈り物をあげないよ!』
「贈り物ってなんだ。俺的には、麓まで送ってもらっただけで大満足なんだが……むしろ、これ以上何か貰うと申し訳なくってな」
「そうそう。私も、スーちゃんにはお世話になったしね!」
「……ずっと気になってたが、スーちゃんて。お前、メスなのか?」
『僕に性別の概念はないよ……贈り物というのは、少し意味合いが違うような気もするけど……お守りのようなものだと思ってさ。受け取って欲しい』
すると、龍は額に魔力を集中させていく。
とてつもない魔力が集まっている。だが、それは恐ろしいものではない。どこか善性を感じさせる、神秘的なもの。
やがて、その魔力は光へと変わっていった。
その光の粒が、二つ。俺とことりに向かって、飛んでくる。
「わわっ!」
「……」
特に抵抗しないでいると、光の粒は体の中へ消えていってしまった。
それを見届けて、龍を見上げると、彼はこちらを見据えて、口をゆっくりと開いた。
『――――スリューエル・アズゴーン。我は、新たな盟友の誕生を誇る。度重なる苦難が待ち受けるその旅路、せめてもの力添えとして、貴殿らに……アズゴーンの名を授けよう』
どこからか、天使の声が聞こえた。
世界に、祝福されていると感じるほどに、今、何かを得ている。
それに、感謝する。
「……ラード・アズゴーン。洗礼を享受する」
「え、え? ああっ! えっと……ことり・アズゴーン? 洗礼を享受します!」
『――ははっ。やっぱり、格式ばったものはあまり好きじゃないな』
「お前、家名なんてあったのか。しかし、いいのか? 俺たちを傘下に加えてしまって」
『……別に、この名は、僕の眷属であることを示すものでもなんでもないよ。これは、僕だけの名じゃない。かつて、僕に世界を教えてくれた、一人の少女との約束の果てに生まれた名さ。何者にも縛られない、自由な名……それに、きっと彼女なら、君たちを歓迎してくれるさ』
「……そっか。まあ、友好的に、有効的に使わせてもらうぜ」
『そうするといい。ことりも、この名に縛られる必要はないからね。自由に扱うといい』
「うん……うん? ま、まあ、私はよく分かってないんだけどね!」
そのようなやり取りを終えて、ふとレイブさんを見た。
彼は、信じられないものを見た、という風にこちらを指差して、震えていた。
「あ、ああ、ああああ!? す、す、すす、スリューエル様の!? お、お名前、ご、ごぼぼぼぼ」
「あ、泡吹いた……」
「わあ。私、泡吹いて倒れる人初めて見た!」
すると、近くに立つターニャさんが、気絶してしまったレイブさんの肩を持って、少しだけ起き上がらせる。
――――バシン
そして、頬に全力でビンタをした。
『ひっ! い、痛そうだね……?』
それを見たスリューエルが、目を閉じそうなほどに細めて、まるで自分がやられたような、怯えた顔をした。
「カゥカゥア!」
「龍の悲鳴とか初めて聞いたぞ……」
『暴力は怖いじゃないか』
「お前、史上最大級の戦争だった、人魔大戦の当事者だったんじゃないのか……?」
『僕は根本的に、争いは嫌いだよ』
「……む。むむ……ここは?」
「あ、起きたね。ターニャ、すごい」
「……」
誇らしげにサムズアップをするターニャさん。
起き上がったレイブさんは、特に驚く様子もなく、状況確認に努めている。多分、さっきのことは忘れているだろう。
あえて思い出させる必要もない。世の中、知らないままのほうが良いことはたくさんあるのさ……。
よし。改めて、これからの指針を確認するか。
「さて……確か、ドルドルとかいう町を目指すんだよな……」
『ここから南に存在する町だね。獣たちと、亜人族が入り乱れる開放的な町。君たち人間でも、普通の対応をしてくれるだろうね』
「ふむ。道のりは……長いな。やっぱり、野営せざるを得ないか……」
「私、キャンプとか好きだから、平気だよ!」
「……まあ、そういう心持ちで居てくれたら、俺も助かる」
実際は、厳しい旅路になるだろう。
里の人たちが、ある程度路銀の足しになりそうな特産物を持たせてくれた。氷解草や、雪茸など、食料としても使えるし、売っても金になりそうなもの。
食料事情は、ある程度は道中で買えるし、なんなら狩ればいいし……大丈夫ではあるが。
北大陸の特徴として、獣たちが住まう大陸だということが挙げられる。
彼らは力社会という特色が強く、人間的に言ってしまえば、都市や町が少なく、インフラも整備されていないことが多い。
それに、彼らの中には自然に生きるのを是とする者も多い。開墾が進んでいないところも多く、道中で寄れる文化的な町は少ない。
加えて、街道なども少ないので、道中、魔物に襲われることも多いだろう。
夜営のとき、俺が番をやるとして……休憩を取らないと、俺がことりより先に限界を迎えそうだな。
せめて……あと一人、頼りなる仲間がいれば、夜の番を交代制にできるし、道中の警戒の信頼性も高くなるんだが……。
「欲を言えば、旅仲間はもう一人欲しいよな……」
思わず悩みが口に出てしまい、すぐに後悔する。
先行き不安の旅路で、更に不安になるような言動を、俺がしてどうするんだか。
すると、そのときだった。
「ふむ。ターニャ、お前が行ったらどうだ?」
レイブさんが、ターニャさんを見て言った。それも、軽く。なんともない風に。
そして、ターニャさんも首肯してしまった。
「え!? ほんと!? やったー! ターニャがいてくれたら心強いよ!」
「え……いやいや、ちょちょ、ちょっと待て。ターニャさん、里のことはどうするのさ」
「ははは! なに、ターニャが一人抜けたところで、どうにかなってしまうということはありませんぞ!」
「……」
「うぐっ! ターニャ、痛いぞ。急に殴るのはやめてくれ」
『……ぼ、暴力はよくないよ』
「いやいや、里の方が問題ないとして、どこまで? そのうち、里に戻るんだろ? さすがに、俺たちにつき合わせるには申し訳ないっていうか」
「ドルドルの次の町までです。だよな、ターニャ」
「……」
頷いている。
ドルドルの次……ってーと……ギュルートか。砂漠が近い場所だった気がするが……。
「なんかあるんですか」
「……」
「……ターニャの両親のお墓があります。まあ、ターニャ。いい機会じゃないか。久しぶりに両親を見に行けばいい」
「……そっかぁ……ターニャの両親が……」
「……」
言われなくても、という風にレイブさんを小突くターニャさん。
しかし……そうか。ターニャさんの両親はもう既に亡くなっている。それが、失声病の原因とも聞いたような。その両親のお墓が、ギュルートの町に……ってことは、ターニャさんは元々ギュルートの町に住んでいた、ということだろうか。
「それに……ラード殿も、頼れる者があと一人いれば……この旅路も、少しは楽になるでしょう」
「お〜? へへっ……これは私のだぞ。あげないもんね〜」
「カゥカゥ!!」
ことりが手に干し肉を持って、シロをからかっている。まるで、猫じゃらしとそれに釣られている猫のような光景。
レイブさんは、その光景を見てそう言った。そこには、ことりたちを馬鹿にするような意味合いはなく、ただ単純に……野営などが続くこの旅路に、少女や幼獣が耐えられるか、また、それを守る保護者役の俺の負担の大きさを案じてのことだろう。
まあ……ターニャさんがこの旅についてきてくれるということ自体が非常にありがたいので、俺としては全然、拒否する理由もないな。
「じゃあ、よろしくお願いします。ターニャさん」
「……」
「よろしくね! ターニャ!」
しかし、この白い外套を羽織った女性の背中を永遠に追いかける状況は、里にいたときからずっと変わらないのか……。
ターニャさんって、なんか自然の風の流れとか、そういう情報に敏感だから、どうしても先頭を任せてしまうんだよなぁ……。レイブさんも、ターニャさんのそういう能力を認めているから、狩りの時はずっとターニャさんが先導していた。
ふと、そのレイブさんを見ると……。
「……もしや、この流れは……わ、私は、一人で里へ戻りましょう!」
『ラード。この人に、霊樹林帯まで僕が送っていくって伝えてよ』
「……レイブさん。スリューエルが、里まで送っていくってさ」
「ヒィィィイイイ!!」
『なぜ優しくすると怯えられるのだろう……』
「……知らん。今まで、誤解を解く努力をしてこなかった自分の自業自得じゃね」
『そう言われると中々苦しいね』
「お許しをォォォオオオ!!」
『……えいっ』
スリューエルが、レイブさんの外套にパクつくと、ヒョイっと上の方向に投げた。
「う、うわあああぁぁぁ!?」
『じゃあ、僕たちはこれで。君たち、良い旅をしてね。道に迷ったら、ここに戻って来るんだよ』
「お前は親かなんかか。ま、またいつかな」
「スーちゃん、ばいばーい!」
「カゥカゥ!」
「……」
レイブさんが、ぼすっという音と共に背中に落ちた。
振り返り、飛び立とうとしたスリューエルが、もう一度こちらを振り向いた。その目は、やけに鋭くて、まるで俺を対等な生き物として扱っているような感覚がした。
『……夜終の悪魔たちには、くれぐれも注意するんだよ』
「……おう。分かってるさ……今度会うときは、なんか土産物持ってく」
『楽しみだな』
そう言うと、龍はその半透明の翼を大きく展開する。
――――ゴウ
凄まじい豪風が吹き荒れ、木々がざわめく。地面の土たちが、風に舞った。
やがて、龍の体が地上から離れていく。
「ぅぉぉぉおおお……す、スリューエル様あああぁぁぁご勘弁をぉぉぉ!!」
『では、また会おう。小さき盟友たちよ』
「じゃーねー!!」
「……」
男の野太い悲鳴と共に飛び立つ龍を、手を挙げて見送る。
やがて、影すらも無くなり……その場に、三人だけが残った。
「……行くか」
こうして、三人と一匹の長い長い旅が始まった。
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