別れ
三人が、丸いテーブルを囲ってお茶を飲む。
黙せば静寂。けれど、彼らにとっては、その静寂すらも心地の良いものだ。
静寂を共有する。それは、お互いを信頼し、親しいと感じているからこそできること。
彼らは、こうして卓を囲うことを、日常としているのだ。
茶を啜る音が響く。やがて、少しだけしわがれた声が聞こえてくる。
「私がお教えしたこと。それは、剣を握るということが、どういうことを意味するのか」
「……」
兄妹は、老人の言葉を聞き届ける。
「剣は、武器です。容易に他者を傷つけることができる、凶悪な武器。生まれながらに、その役目を与えられた哀れな存在」
「……」
「命とは、尊いものです。そこにあるだけで、輝きを持つ。意味を持つ。しかし、そんな命を簡単に消し去ってしまう。それが、剣」
武器。きっと、他にも命を刈り取る物など、数多に存在する。けれど、それぞれには、他にも意味のある用途が存在するだろう。
例えば、魔法。それは、田畑を実らせ、寒さに凍えるものに暖かみを。渇きに苦しむものに恵みを。使い方によっては、暮らしを豊かにするものだ。
しかし、武器はどうだろう。創られる段階から、もう既に一つの役割しか与えられていない。それは、他者を傷つけること。その為だけに創られた道具。
老人が握り続けた、一つの武器。それが、剣。
「剣を握った時点で、必ず命のやり取りが起こる。中には、仲間を守るために、家族を守るために剣を握る者がいます。例えば……どこまでも愚かな、赤黒い鬼のような剣士が」
「……」
老人は、どこか寂しげに語る。
兄妹には、何故だか、老人が自分自身を責めているように思えた。
老人は、なおも語る。
「その赤黒い鬼は、千を超える屍の上に立ち、血に濡れてようやく気づくのです。剣とは、どこまでいっても傷つける為にしか存在しないのだと。何かを守るため……そんなものは、自分の正気を保つための、詭弁だと。この自分が立っている屍たち。彼らに、そういう存在がいないとでも思っていたのか、です」
「……」
少年は、幻視した。数多の屍の上で、全てを受け入れる一人の剣士の姿を。
それは、とても哀しい光景だった。
老人は、言葉を紡ぐ。
「剣とは、寂しい運命の道具。私は、それを握るとき、生きる覚悟をしなければならないと。たとえ、それが他者を殺すことになったとしても。殺されそうになったとしても。剣を握ったのならば、生きねばならない。生き抜かなければならない。そう、教えたかったのです」
「……はい」
老人は、少年を見た。
「ラード殿。最後に、生きる覚悟を見せてくれたこと。私は……感謝します」
「……いえ。俺は感謝されるようなことは何もしてないですよ。全部、ジヴェルさんに教わったことですから」
少年は、微笑を浮かべながら言う。
それとは対照的に、老人は顔を下に向けている。
気のせいか、光を反射する一粒が、老人から落ちた。
「……それでも、私は救われたのですから」
「……?」
「いえ……失礼。とにかく、私はラード殿と出会えて、良かった」
「俺もです。たくさん、学ばせてもらいました」
二人は立ち上がり、卓越しに握手をする。それを見て、少女が声を張り上げる。
「ちょっとちょっと! 何二人でいいお別れの雰囲気出してんの! 私もジヴェルさんにはたくさんお世話になったもん!」
「ほほほ。ことり殿、ティスベリーのジャムを和えたお茶菓子がありますぞ。いかがですか」
「やったー! 食べる食べる!」
少女は喜びを露にし、それを老人が温かく見守った後、襖に向かった。
その後、兄妹と老人のお別れ会は、夜更けまで続いた。
______
「ほら、さっさと皆にお別れを言いな!」
「カゥカゥ」
ホリョウさんに加えて、なぜか幼獣までもが俺たちに言う。
「いや、ホリョウさん……俺、そんな人前に出るの好きじゃないんですけど」
「私も……でも、お世話になった人いっぱいいるし、やっぱり挨拶しないと」
「くそ、こんなんだったら昨日の夜に逃げとくんだった」
「そんな不義理をしたら、ターニャがあんたのことを一生追いかけるよ」
何故そこでターニャさんの名前が出てくるんだ。
しかし、ターニャさんならどこまでも獲物を追いかけそうなきらいはあるよな……。
さて、今は調理場の裏にいるんだが、広場のほうからたくさんの人の声がする、
がやがやとした声の中に、ラード、だとか、ことり、だとか。俺たちの名前が飛び交っている。
朝、適当に挨拶をして出て行こうと思ったら、もう既に下には里の皆が集まっており、急遽調理場の裏に避難したのだが……。
「やっぱ、行かないとダメだよなぁ……」
そもそも、大衆に注目されるのは苦手だってのに。
今の気分は、大量に人がいる会議場で、自社の商品を紹介する手番が回ってきたセールスマンのそれに近い。いや、そんな状況になったことなどないが。
しかし、経験上、こうして悩んで待っているほど、場に出にくくなるものだ。さっさと終わらせるに限る。
それに、あまり時間もないしな……。ここ霊峰ノーエルを下山するのに、約三時間かかると言われたが……俺たちは山に慣れてないからな。もっとかかるだろう。
夕暮れまでに、麓から少し離れたところにある町に行きたい。
「行くか……」
「やばっ、足震えてきちゃったよ」
「ははは! 何緊張してんだい。大丈夫さ、ちゃちゃっと一言だけ、言うだけさね」
「本当にそうならいいけどな……」
「ほら、あんたも行きな」
「カゥ!」
幼獣が勢いよくことりに向かって飛ぶ。
「――あはっ! シロ、元気だね」
「クゥカ」
両手でそれを受け止めて、抱きしめたことりが言う。
名前に反応して、シロが声を上げる。
結局、幼獣はシロという名前になった。
この美しい白の大地に生まれ育った、幼獣。だから、シロ。
抱かれるということが様になっているシロは、ことりの腕の中から、交互に俺たちの顔を見る。こいつの癖だ。なぜか、ことりの腕に抱かれると、俺たちを交互に見続ける。
「行こう」
「うん」
「カゥ!」
調理場の裏から、広場に向かって歩く。ことりが、俺を楯にするように背中に張り付いている。
そして、広場に出た。
「あ、ラード殿ー!」「ことりちゃん! 本当に行っちゃうの!?」
「うおおおおーッ! 悲しい! 悲しいぞぉおお!!」
大勢の人が、現れた俺たちを囲うようにして近づいてきながら、口々に言う。
しかし、こんなにも別れを惜しまれるとも思っていなかったので、びっくりだ。
そのとき、一人の背の小さな老婆が前に出てきた。
それでもなお、皆が騒いでいると、しわがれた声が、辺りに響いた。
「――静粛に!!」
ヨバさんだ。普段はこの里の中心にある大きな木の上で、風を感じているのに、彼女はその場に現れた。
ヨバさんの声が響くと、皆静まった。
そ、そんな風に静かにされると、逆に緊張するじゃねえかああぁぁ……ヨバさ~ん……。
皆の視線が集まる。隣に立つことりが、笑顔のまま固まっている。ちょっと顔が引きつってるぞ。
ヨバさんは、俺たちを見て言う。厳粛な空気が流れる。
「――――空から現れし盟友たちよ。貴殿らは、正しく霊樹の加護を受け、我らと共にある家族となった。悠久の歴史にすれば、蜻蛉のように短い期間だったかもしれませぬ。しかし、我らは確かに友人であった。なればこそ、旅立つ貴殿らに、多くの幸が訪れることを、我ら一同、心からお祈りします」
「「お祈りします」」
そう言うと、ヨバさんが頭を下げた。次いで、周囲の皆も、頭を下げる。
やばい。この空気に耐えられない。これ、邪魔しちゃダメなのか? いや、ちょっとやめてよみんな~頭上げてくださいよ~とか言ったら、ダメな雰囲気漂ってるんだが。
助けを求めるようにことりを見ると、ことりも同じようにこちらを振り向いたところだった。
同じ考えだ。そして、そのときだった。
「――カゥァ~~」
この空気に似合わない、間の抜けたシロのあくびが、俺たちだけに聞こえた
「……ぷっ」
「ぁはっ」
お互い、皆に聞こえないように小さく笑い合う。
そこで緊張が抜けた。そして、二人揃って、頭を下げながら言う。
「「――感謝します」」
______
お別れの時間だ。
門の前に立つと、背後からたくさんの声が聞こえてきた。
「うおおおおおおー!! お元気で!!」「ことりちゃーん! また会おうね~」「ラード殿! 健やかに!」「ことりー! また遊ぼうぜ~!」
振り返り、手を上げながら声を張り上げて、それに応える。
「おう! 皆も、元気でな!!」
「フレさーん! タイチくーん! ジグハさんもみんなみんなありがとー!!」
「カゥ、カゥカゥア~」
ことりも、手を振って大きな声を上げている。
シロが、皆の声が遠吠えか何かに聞こえたのか、歌を歌うように鳴いている。
さあ、行こう。
なおも背後から聞こえてくる声に、背中を押されるようにして、門を出る。
冷たい空気と、木々が放つ自然の香りが、一気に漂ってくる。背後の喧騒が、遠のいた。
すると、正面に待っている人がいた。
日差しに照らされて、褐色肌が見える。その者たちは、俺たちを見ると手を上げて近づいてきた。
「わはは! 皆、宴のときよりも騒いでおりましたな」
「……」
「レイブさん、ターニャさん」
「二人とも、よろしくね!」
見慣れた二人だ。俺たちも、手を上げて応える。
「カゥ」
「……」
ターニャさんは、無言でシロに近づくと、手を伸ばして抱きかかえた。
シロは、抵抗することなく、そのままターニャさんの胸へと吸い込まれていった。
ターニャさん、意外と可愛いもの好きだ……。
それをみて笑うレイブさんと、シロに夢中のターニャさん。
この山を降りるに当たって、案内役を買って出てくれた二人だ。
さすがに、何の知識もなしに二人で山を降りるのは無理だ。そう思っていると、レイブさんが提案してきたのだ。
この山を降りるときは、私たちが案内しましょう、と。
ダークエルフの彼らは、年に二、三度ほど、山を降りて町に向かうという。
山で取れた物を売り、弓などの里で欠けてしまった物を補充するのだとか。
つまり、山の道を知っている。確立された下山ルートがあるなら、それを利用したほうがよっぽど安全だ。そういった意味で、非常に有難い。
ていうか、まあ、単純に心強い。
「では、行きますか!」
「……」
「カゥカゥ」
そう言って、彼らは身を翻して歩き出した。
狩りの時も、ずっと彼らの背中を見ていた。最後のお別れの日ですらも、彼らはこうして先導してくれている。
本当に、助かる。
その背中を追って歩き出そうとしたとき、上から声が聞こえてきた。
「坊主、ことりちゃん」
「……おっさん」
「あ、ギヲルさん!」
いつも見張り台にいるおっさんだ。先の場にいなかったので、軽く探していたが、ここにいたのか。
このおっさんとも、なんだかんだ毎日会ってたな……。くだらない会話しかしてこなかったが、それでも、冗談が言い合えるいい仲だった。
そう思っていると、おっさんが喋る。
「お前ら、またな」
「おっさんよぉ。またなって、結構難しい話だろ」
「バカ野郎! 俺はずっとこの見張りの仕事してんだよ! いいか、ことりちゃんを連れてもう一回ここに来いよ!」
「へいへい」
「あははっ! またねー!」
「おう! ことりちゃん、またな!」
……思えば、このおっさんの名前、呼んだことなかったな。
「――――ギヲル、またな」
「……お、おま、坊主! てめえ、絶対会いに来いよ!! そん時は、酒飲めるようになっとけよ!!」
「っは。俺が酒飲んだら、誰が酔い潰れたお前を介抱すんだよ。バーカ」
おっさんに聞こえないように呟いて、右手を上げて返事をする。
そして、身を翻して、歩き出した。
背後に、暖かい空気を感じながら。別れだというのに、寂しい気持ちはない。何故だか、清々しい気分で歩き出せたのだった。
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