剣を持ち続けた老人


 木刀がぶつかり合う。衝撃が木を伝って、手に、腕に響く。ひじの関節に痺れが生じ、一瞬力が抜ける。


「――右ッ!」


 怒声を聞いて、瞬時に隙を自覚する。

 右腕、動かない。相手の動きが早すぎる。木刀をかち合ったのが間違いだった。


 すぐに、次の行動を思考する。右から、相手の木刀が迫ってきている。狙いは、ひじより上、上腕だ。食らうと、そのまま木刀を落とすことになる。

 回避、無理。軸足の右足が、踏み込んでしまっている。今から、大きく動くことは出来ない。


「――っ!」


 ならば。踏み込んだ右足に力を更に入れ、体の重心を前から後ろにずらす。そして、動かない右腕の代わりに、右肩を後ろに振るう。


 右腕が強制的に後ろに動いて、上腕の皮を、相手の木刀が掠めた。

 初めて、相手の表情が驚きに染まる。


 しかし、重心を後ろにずらしたせいで、後は後退することしかできない。反撃の機を逃した。だが、そもそも最初にかち合ったのが間違いだった。それをリターンできた。


 後ろに飛び退って、体勢を立て直す。左手で、右腕を伸ばす。すると、痺れが抜けていく。


「……ラード殿。今の動きは良かったですぞ!」

「……そりゃどうも……」


 汗が額から流れ、睫毛を濡らす。邪魔にならないように、腕で拭って、相手を見据える。


「では、もう一度!」

「お願いします!」


 相手が全力で踏み込んでくる。以前は捉え切れなかった初動も、今では相手の剣筋まで見えるようになった。

 左、上から。素直に袈裟切りをしてきたか。しかし、一番振りやすい技だからか、速度が尋常じゃない。


 腰を落として、踏ん張る。そして、右下から左上へ、全力で剣を振るう。

 これほど振りに時間を使えるならば、力は十分。かち合える。


 ――――ゴギャ


「……あっ!?」


 剣先が衝突しあい、お互いが弾かれると思いきや、俺の木刀の剣先が折れた。

 相手の剣は、弾かれることもなく、そのまま俺へと向かってくる。


(やられる)


 反射的に目を閉じると、衝撃は来なかった。


 恐る恐る目を開けると、剣先が真正面にあった。


「戦闘中、どのようなことがあっても、情報を遮断するのは悪手ですぞ」

「……はい。降参です」

「よろしい」


 目の先から剣先が消える。足音と共に、相手が修練場の向かい側に立つ。

 体の疲労が、溜め息となって零れる。深呼吸をして、見上げる。


 相手と目が合い、そして一礼。


 そして、修練場の中心で、相手と握手をする。


「「ありがとうございました」」



 そこで、集中を解く。ふっと安堵の息を吐いて、澄んだ空気を体内に取り込み、リフレッシュしていく。


「はあ……木刀、壊れたの初めてですよ」

「技、ですぞ。ラード殿にもすぐ出来るようになります」

「さいですか……」


 ジヴェルさんと会話をしながら、近くに置かれた布で汗を拭う。


 白い息を吐いて、その白い霧が消えた先、観戦していた者が立ち上がっていた。

 そして、こちらに小走りで近づいてきた。近くに来るまで、黙して待つ。ジヴェルさんも、それを見守っていた。


 やがて、俺たちの目の前で、止まった。太ももに手をあて、軽く肩で息をした後、呼吸を整えて顔を上げた。その口が、勢いよく開く。


「す、すごい! すごいすごい! まるで、映画みたいな戦いだったよ! お兄ちゃん、本当に剣士みたい!」

「おお……まあ、俺剣士なんだけど」

「ジヴェルさんも、すごかったです! なんか、全然目に見えなくて! 気づいたらお兄ちゃんに斬りかかってて、どんだけー! みたいな感じでした!!」

「ほほほ……いやはや、嬉しいですな。ことり殿、どうでしたかな、兄の勇姿は」

「すっっっごいかっこよかったよ!」

 目を輝かせながら言う。まあ、そこまで言われると、照れるな。実際は、ジヴェルさんに手も足も出ないんだが。むしろ、手も足も殺がれてる感じなんだが。


 すると、ことりが手を上げて、主張する。


「あ、はいはい! 質問あります!!」

「ほう……なんですかな。なんでもお答えしましょう」

「どうして、お兄ちゃんからは動かなかったの? 長く戦ってたけど、お兄ちゃんは守ることばっかりだったから」

「……中々、いい着眼点ですな。さすがはラード殿の妹君」

「よく気づいたな」

「そりゃ、観戦してましたから!」

 ふーんと胸を張る。まあ、胸はないんですけど、この子。

 そう思っているのが伝わったのか、若干冷たい目で見られる。汗を拭くふりをして、目をそらす。


 そうしていると、代わりにジヴェルさんが答えてくれた。


「うむ。お答えしましょう。ラード殿は、攻撃においてはもう既に高い次元の技を持っております。思考も、体の使い方も巧い。即興に強い。しかし、防御となると一転、何から対応すればよいのか、迷いが生じます。混乱するのですな。これは、対人戦を経験する者ならば、すぐに身につくもの。しかし、ラード殿は対人戦の経験が少ない……その経験を養うために、私が攻める役をしているわけですな」

「へえー……なるほど! そういうことだったんですか!」

「ありがたいことにな。ぼこぼこにされ続けて、ようやっと攻撃されてる時でも冷静になれるようになったよ」

「うむ。最初とは見違えるほどに成長しておりますぞ」

 自分でも分かるぐらい、成長している。


 しかし、本当にすごいのはジヴェルさんだ。この人は、相手の技量に合わせて、速度や攻め方を変えている。最初は速さに慣れさせるために、速く、そして単調な攻撃をし続ける。やがて、攻める方向に変化が加わり、最近はフェイントなどもしてくるようになった。

 相手の技量に合わせる……それがどれほど難しいことか。真の実力者でないと出来ない芸当。とんでもない量の経験を積み、そして豊富な技を飽くことなく吸収し続けて初めて出来ること。少なくとも、俺には無理だ。


 ジヴェルさんの動きから垣間見える、真の実力……底知れない。先を見通せないほど、そこには技がある。この老いた肉体のシワの数ほど、経験がある。


 そんな人に剣を見てもらえることが、本当にありがたい。


 ……にしても、何故最後、木刀が折れてしまったのか。俺の目測では、単純な力勝負だとほぼ互角のように見えた。速度も、振りによって発生した力も、同等。上から振っている分、若干ジヴェルさんに軍配が上がるのは分かるが、木刀が折れるほどではない。


 あれは、まるで金属のように硬い何かにぶち当たったかのような折れ方だった。


「ジヴェルさん、最後の……あれも技なんですよね? 何したんですか?」

「ふむ……この技は、ラード殿と相性が良いでしょうな……よろしい。お教えしましょう」

「おお? なになに!? 新技?」


 ジヴェルさんは、修練場の端に置いてある籠から、木刀を一本抜いて持ってくる。そして、それを俺に手渡した。


「私がしたことは、単純ですぞ。剣に魔力を纏わせるのです。あるいは、気を纏わせるのでも良い。しかし、これが単純ながら、難しいのですな」

「……やってみます」

「お~」


 早速、木刀に魔力を纏わせる。以前、リーフにやってもらったことのようだ。

 自身の魔力を、少しずつ木刀に移していく。やがて、魔力を刀身全体に纏わせることが出来た。


「これでいいんですか?」

「……試しに、振ってみなさい」


 言われたとおり、その場で修練場の中心に向かって、木刀を振るう。ちゃんとした、右足で踏み込み、全身の力を使った振り方だ。


 ――――ブォン


 風切り音が鳴る。同時に、木刀が纏った魔力が、振った勢いのままに宙へ霧散していった。

 ……恐らく、失敗だろう。


「……なるほど。これは難しい」

「分かりますかな? では、研鑽あるのみ。これは己で身に着けなければならない技ですからな」

「……なんか、消えちゃったね。力が」

「ああ。どうやら、振っても魔力が消えないように定着させないとダメみたいだ……って、え?」


 ことりを見る。今の発言……。


「今、なんて言った?」

「え? 力が消えちゃったって……」

「……ほう」

 ジヴェルさんが感嘆の息を漏らす。


「……試すか」


 魔力を操作して、左腕に纏わせる。俺の全身の魔力が今、左腕に移った。まあ、すぐに魔力は湧き出てくるが、一時的に、魔力の場所を一つに絞れた。


「その力、今どうやって見える?」

「どうやって? うーん……お兄ちゃんの左腕に集まっているように見えるけど」

「……」


 魔力を操作して、左手から宙に伸ばす。そこで、数字の4を象る。


「これは?」

「4って見える。すごいね、これ。面白い」

「おおふ……マジか。これが半霊の力か?」


 すると、ことりが手を伸ばして、俺の魔力に触れようとする。まあ、魔力は実体のない概念だ。触ることは出来ないけどな……。


 と思っていると、魔力がことりの手によって。4を象った魔力が、粘土のようにこねくり回されて、7を象る。


「へー……なんか、触れないけど、動かせるね。見える空気みたいな感じ?」

「……」

「――これはこれは。私にも見えるほど、魔力を動かしていますな!」


 いやいや。これ、俺の魔力だぞ? 魔性体の俺ですら、他者の魔力を操作するのは無理だ。一度、持ち主の手を離れ、魔法となった魔力ならばある程度操作することは出来るけれど、他者の純粋な魔力に干渉できるのか?


「ことり、その力、切り離せるか?」

「切り離す? こう?」

 と言い、7を象った俺の魔力の中心部を、手で横から切ろうとする。

 すると、手によって魔力は分断され、やがて7の上の部分が宙に浮いた。


「おお、切れるよ! なにこれ、面白い! シャボン玉みたい!」

 そして、切り離された魔力を摘んだ。

 すると、魔力はことりの手に消え、体へと吸い込まれた。


「わわっ!」

「一部になった……?」

 ことりの体を纏っている魔力に、俺の魔力が混じった。そして、その総量を増した。


「おお~なんか、お兄ちゃんの力、不思議な感じ。なんだろう……ここじゃない森の雰囲気があるね」

「あ、ああ。俺の魔力は、ブラン山脈っていうここじゃない場所から生まれたもの……だと思う。だから、そこの雰囲気を感じたんじゃないか?」

「へえ。魔法って、この力を使って撃つんだよね? 明日、教えてくれるんだよね? あ~明日が待ち遠しいよぉ」

「……」

「兄妹共に、素晴らしい才気をお持ちですな……」


 他者の魔力に干渉できる。それが、どれほど異質な特性なのか、俺でも分かる。

 魔力というのは、生き物の意識にある想源という場所から生まれるものだ。生み出された魔力は、どうしてもその者のになる。色が付いた魔力というのは、その者の専属になり、他者からの干渉は一切受けない。


 もし影響を受けるとするならば、例えば精霊の悪戯によってだとか。

 精霊は、他者の魔力を使って事象を起こす。それは、突然水を生み出してその者にかけたりだとか、可愛らしいものだ。もはや、自然の天災のようなもので、精霊とは、自然の産物だと割り切るべきものなのだ。


 だが、その精霊と同じことを、意志を持って行える。今は、魔力に触れたことで動かしたようだが、もし仮に、想うだけで、願うだけで他者の魔力に干渉できるならば――――



「すごいですぞ、ことり殿」

「本当ですか? 魔法使えるかな」



 ――――ことりは、何者をも寄せ付けない、最強の魔法使いになる。



「こりゃ、とんでもないな……」

「ん? どうしたの、お兄ちゃん」

「……いや、なんでもないよ」

 中央大陸に戻れたら、ことりを魔法の学校に通わせることも考えないとな。

 どうしても、俺じゃあ教師役としては不足だしな……。


 ――――ゴーン


 考え事をしていると、里の方から鐘が鳴った。


「鐘の音? なんなの?」

「食事の合図ですな」

「そういうこと。里に戻るか」

「へえ! そういう決まりもあるんだ! やった! 異世界初めての食事だ!」


 嬉しそうにして、小走りで修練場から離れ、里のほうに向かう少しの坂を上る。

 振り向いて、大きな声で言う。


「はやく行こーよー!」


 元気な妹の暴れっぷりに、思わずジヴェルさんと目を合わせる。


「傍若無人って感じですね」

「いえ、天真爛漫といったところですな」

「ああ、そっちのほうがそれっぽいですね」

「我々も行きましょう」

「はい」


 木刀を修練場の端に設置された籠に戻して、ゆっくりと歩く。


「はーやーく!」

「へいへい」


 適当に返事をして、地面を踏みしめながら、ことりの居る場所へ向かった。


 その兄妹のやり取りを、老人は優しい目で見守っていた。

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