少女の目覚め


「おーい! スリューエル! 来たぞ!」

「うむむ……スリューエル様を呼び捨てとは、やはり盟友なのですな!」

「あ、いや、あいつ結構軽いっていうか……」


 その時、俺たちが上っている階段が、影に落ちる。太陽光を遮るそれは、龍の頭。首が階段の到達点から延びている。龍が、口を開く。


「う、うわあああぁぁぁ!? す、す、スリューエル様ぁぁ!?」

『君たち、早かったね』

「……びっくりさせんなよ。レイブさんがまた気絶しちまうだろ……っ!?」


 そして、駕籠が揺れる。前を見ると、レイブさんが両手を放して顔に当てて驚いている。まずい、このままだと駕籠が地面に叩きつけられる。


 急いで右手を伸ばし、支えようと思ったら、駕籠が浮き始める。この辺りに漂う魔力が駕籠に集まって、それを支える力となったのだ。


 魔力は、それを行った大本の龍から流れている。清らかな水のような魔力だ。ついで、礼を言う。


「ぉ、おお……ありがとな、スリューエル」

『……まさか、僕が姿を現すだけで気絶する者がいるとは……ごめんね』

 そう言いつつ、スリューエルはその場で気絶してしまったレイブさんに顔を近づける。やめろ。目覚めたらまた気絶するぞ。


「……」

『どうしよう』

「お前がその魔力で運べばいいんじゃね……?」

『そうだね。名案だ。それじゃ、上っておいでよ』

 龍の頭が引っ込み、駕籠とレイブさんがその場で浮き上がり、それらは聖殿へと消えていった。


 その様子を見て、思わずターニャさんと顔を見合わせる。ターニャさんは相変わらず表情の変化に乏しいけれど、その時だけは、苦笑いしていると分かった。


「……行きますか」

 ターニャさんの首肯を見届けて、視線を前に戻す。


 まだ、階段は結構長く続いている。それなのに、スリューエルの頭はここまで届いた。今度、ちゃんと計ってみたいな……。


 どこか夢心地な思考をしながら、足を動かして階段を上った。



______



『それで……その駕籠に、君の妹が乗っているのかな』

「あ、ああ……」

 中央に置かれた駕籠と気絶したレイブさん。体を滝つぼに沈めながら、頭だけだしたスリューエル。なんとも言えないこの……名状しがたい状況に少し言葉が詰まりながら、返事をする。


 そして、駕籠に近づいて、布と毛布を捲る。中には、寝息を立てる少女。ずーっと仰向けで寝続けているのだ。


「これが俺の妹の……ことりだ。悪魔が作った精神世界から引っ張ってきた」

『……』


 スリューエルはその目を細くし、ことりを見つめる。その瞳は、万物を見通せるような、そんな、圧倒的に格上な存在なんだと再認識させる力強いものだ。

 こいつなら、世の森羅万象を見通せるんじゃないか。そう思ってしまうほどのもの。


 やがて、龍はゆっくりと口を開いた。


『――目覚める』

「え?」

『魔力が必要だね。僕がやろう』


 スリューエルは滝つぼの水から体を出す。その巨体の前足が、駕籠を囲うように立った。


「な、なんだ? どういうことだ?」

『――――』


 スリューエルは、俺の体を癒したときと同じように、天に向かって歌い始めた。天使の音のような高音が、辺りに響き渡り、木々から、植物から、その場にある全ての自然から淡い光が生み出される。

 太陽がここを照らしているはずなのに、空間は暗くなり、淡い光たちが強調される。


『――――』


 もう一段、高く鳴る。淡い光たちが動き始める。また、スリューエルの体から、一際大きな光の玉が生み出された。それら全てが、駕籠に眠ることりへと注がれていく。

 あまりにも多い光に、この空間が光で満ちて――――



『みんな、ありがとう。もういいよ』


 龍の声と共に、光は霧散していく。やがて、夜のように暗かった空間に、太陽光が差し込む。

 気づけば、滝の水が太陽光を反射させる、美しい場所。つまり、元の空間へと戻った。


「お、おい……まさか……嘘だろ?」

『……』

「――――ぅ……んん……?」


 鈴のような声。駕籠の中から、人の腕が出ていた。それを目視してすぐに、俺は傍に駆ける。龍の足がどく。


「――ことり!!」

「……ぇえ? あれ、何で? どうしてお兄ちゃんが見えるの? な、なんでぇ……」


 俺の声に応えるように、駕籠の少女はゆっくりと上半身を起こして、俺を見た。そして、声を震わせ、涙を浮かべ始める。


 俺の視界も、段々とボヤけていく。それでもお構い無しに、その体を抱き寄せる。確かに感じる、体温。鼓動すらも感じれるようで。生きている。


 背中に、遠慮がちに腕が伸びてくる。


「ことり……っ!!」

「ぁあぁ……? 意味分かんないよぉ……な、なんでお兄ちゃんがいるのぉ……おに、お兄ちゃん、し、死んじゃったの? も、ぜん、全然わか、分かんないよぉ……何、が起きた、の。な、涙が……うぅ……涙が止まらないよぉ」

「大丈夫。大丈夫だ……生きてる。俺たち、生きてるから……」

「な、なんでぇ……うぐっ、なんでぇ……ほ、ほんと、に、ほんといみ、分かんないよ」


 ああ。懐かしい声だ。懐かしい嗚咽だ。懐かしい、存在だ。

 もう既に、思い出になった存在。一生戻らないと思っていた存在。過去の記憶に沈んでしまうはずだったもの。後悔してもしきれない。後悔することすらも傲慢だと思い、ただただ想うことを忘れようと努力してきた。


 しかし、今、ここにいる。ことりはここにいるんだ。


「うあぁぁ……」

「もう大丈夫。絶対に大丈夫だ。お兄ちゃん、ここにいるから……ずっと傍に居るから……」

「すんっ……うん……うん……ごめん、お兄ちゃん。わた、私、悲しませて。あん、あんなことしちゃって。ほんと、本当に、ごめん。私、私、最低だった! も、もう、嫌いに、なっちゃった……?」

「バカが……俺がお前のこと嫌いになるはずないだろうが……もう、絶対に死ぬなよ。二度とあんなことはするな。絶対に、それだけは許さない。俺は、お前が生きていれば、それで……もう二度と、悲しませないから」

「ぅぅ……ごめん、お兄ちゃん。ごめん、ごめん。私、ごめんねぇぇ……」


 この胸に包まれる小さな少女に、一体どれだけの悲しみがあったのか。自殺してしまうような悲しい思いを、この小さな体のどこに秘めていたのか。一度、手放してしまったもの。もう二度と手放さない。


 その思いを、手にこめた。確かな温もりが、そこにはあった。



______



「うわぁ……すっごい大きいね! 龍さん、なんていうの!?」

『僕はスリューエルって言うんだ。よろしく、ことり』

「わああ! 喋った! すごいすごい! すごいよお兄ちゃん! 龍が喋ってる! ていうか龍がいるよ!! え!? 龍じゃん!! やっばぁ……」


 エスキモーのような防寒具を着た可愛らしい黒髪の少女が、縦横無尽に駆け回る。


「あはは! 白い息が止まらなーい!」

『……君とは違って、妹は元気だね』

「ああ……無理してないといいが……」

「はあ!? お兄ちゃん、無理って何!? てか、この龍を見て驚かないわけ!? まじですっごいんだけど!! ていうか、わああ! ここすごい綺麗な場所……何これ! サンゴみたい! あ!」


 はしゃぐことりの視線が、隅で水の生き物と遊んでいる人影へと向いた。ターニャさんだ。そして、恐れることなく近づいていく。


「こんにちは!」

「!!」


 振り向いた顔は、フードによって影を落とし、その暗闇から紫紺の双眸が光っていた。それは、戸惑うように左右に揺れている。


「何してるの? わっ! お魚……何これ、見たことなーい! 触っても平気なの?」

「……」

 ターニャさんが戸惑いながらも、首を縦に動かした。

 それを見て、ことりが水面に手を突っ込んだ。ここからは見えないが、恐らく魚の腹を触っているところだろう。


「……なあ、スリューエル。お前、人の心の状態とか分かるか? あれが無理してなければいいんだが」

『君も見れば分かるだろう? 大丈夫だよ。彼女は純粋に楽しんでいるさ』

「……なら良かった。というか、お前とことりは会話が通じるんだな」

『彼女は半霊だよ』

「半霊?」


 ことりが何かにびっくりしたように仰け反る。見ると、魚が急に水面から飛び出してきたらしい。背中が地面に着く前に、ターニャさんが素早い動きでことりの背中を支える。その際、白い外套のフードが脱げて、ダークエルフの相貌が明らかになる。


 それを見て、もう一度喜びの嬌声を上げる妹。抱きつくような体勢なのに、ターニャさんの顔をぺたぺたと触っている。支えているターニャさんが明らかに動揺しているのが見て取れる。


 仲良くなれそうで良かった。視線をスリューエルに戻す。


「半霊って何だ?」

『言葉通りさ。彼女は人間でありながら、精霊でもある。恐らく、君が彼女の魂を無理やり現世に連れてきたことによって、彼女はそういう存在になったんだ。この僕も半霊は中々見ないから、よく分からないけどね』

「……それって、まずいことなのか?」

『いや。人でありながら、精霊でもあるというのは、両者に愛される稀有な存在ということなんだよ。もちろん、見てはいけないものまで見えてしまうというような弊害はあるだろうけど。でも、君も似たような存在だろう?』

「ああ、知ってたのか。魔性体のこと」

『ふふ。僕は、この目があれば大体のことが分かるからね』

 子供のように誇る龍を見て、溜め息を吐く。実際その通りなのだから、褒めることしかできない。

 なら、皮肉めいて言うか。


「わーすごいでちゅねースリューエルちゃまー」

『ふふっ。そうでしょ?』

「おい、嘘が分かるんじゃなかったか」

『いやいや、まさか君のような良い人が見え透いたお世辞なんて言うわけないでしょ』

「くっ……」


 こいつ、俺の尊厳を天秤にかけるつもりか。この状態になった時点で、俺は負けてらぁ……。


「負けました」

『ふふん。これが経験の差というものさ』

「――んん? ここは……」


 その時、俺とスリューエルの近くで寝ていたレイブさんが起き上がった。

 俺は素早く近寄って、レイブさんの目を両手で塞いだ。また気絶されたら、帰り道が困る。


 急に視界を閉ざされたレイブさんが、驚きの声を上げる。


「ん!? ラード殿ですか? 一体何を……」

「レイブさん。落ち着いて聞いてください。絶対に取り乱さないで」


 ていうか、何者かに背後から目を隠されるほうが、びっくりしないか? スリューエルもめちゃくちゃでかくてびっくりするが、レイブさん、今まで何回か見てるよな。


「は、はぁ……」

「ここは聖殿です。そして、今、隣にスリューエルがいます」

「す、すす、スリューエル様が!?」

「そうです。まずは、見えない状態で、スリューエルが隣にいることを認識してください。そして、深呼吸をしましょう。この状況に、慣れることが大事です」

「は、はい……すぅ……はぁ……だ、大丈夫です。私はやれます!」

「その意気です! では、手を外しますね……」


 手を離して、後ろに下がる。スリューエルと同じラインまで下がり、レイブさんを見守る。

 彼は、深呼吸を何回もしたあと、ゆっくりとこちらを振り向いた。


『やあ』

「す、すす、すすすすすすすす」

「あ、壊れた」


 音声を出す機械が、壊れてしまって同じ言葉を発し続けるようになったのを思い出した。塗装が剥げて、目がひん剥かれた状態で、「ああああああ」と叫び続ける玩具の怖さ。半端ないよね。


「すすすすすす、す、スリューエル様! た、大変お見苦しいところを見せてしまって……も、申し訳ありません!」

「おお、直った……」

『気にしないでいいよ』


 ふむ。訳してあげるか。


「気に入った。皆殺しだ。ただし、お前を殺すのは最後にしてやるって言ってます」

「ヒィィィイイイ!! お許しをぉぉお!! さ、里の皆、すまない! 私のせいで、私のせいでぇぇ!!」

『ラード。あんまり悪ふざけすると、自分に帰ってくるよ』

「そうだな……つい反応が面白くってな」

『中々鬼だね』

「レイブさん。安心してください、冗談です。スリューエル様は全てをお許しになられますよ」

「あ、ありがたや! スリューエル様!」

『うん。僕は優しいからね。許すも何もないって感じだけど』

「よし、俺が嘘吐いたのも許してもらえてよかったぁ……」

『あ! 君、汚いぞ!」


 龍と人とダークエルフ。三つの種族間に、暖かい空気が流れ始めていた。


「ねえ、お姉さん、お名前は?」

「……」

「地面……? あ、なんか書いてある……ごめん、なんて読むか分からない!」

「……ぁぁ、ぅぅぅ」

「うん……? 何か聞こえる……声、じゃない? なになに……ターニャ、っていうの? そう! よろしくね、ターニャさん! 私、名々めめいことり」


 そして、声を失った者と、半霊の少女にもまた、友情が芽生え始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る