雪原の一風景
「本当にいいのか? 頼んだ俺が言うのもなんだけど」
「ははは! 平気ですよラード殿。私たち以外にも、狩りに出かける者はたくさんいますから。なあ、ターニャ」
「……」
ツリーハウスの一端。用意された小屋の前で、俺たちは話していた。
この地に来てから、すっかりこの三人で行動することが多くなった。俺を襲ったターニャさんと、ターニャさんがスリューエルに無礼を働いたときに気絶したレイブさん。なぜか、二人に気に入られたようで……まあ、最初は俺への負い目からの行動だっただろうけど。レイブさんは里の案内をしてくれたし、里の皆との間を取り持ってくれたしな。あの時は本当に世話になった。
幸い、エルフ種特有の文化等はなく、俺も違和感なく過ごせている。まあ、彼らは自然を愛しているので、それを意識すれば問題ない。郷に入っては郷に従え的な。皆寛容だから、俺がちょっと無駄に木を使って火遊びをした時、ターニャさんは半殺しで許してくれた。本当に優しいんだよな、皆。人間を捧げものにする辺りとか、本当、ちょっと自然以外のものへの関心とか、自然を貶されたときの情緒とかは、頭のネジがぶっ飛んでる感じはするけど。優しいんだ。本当だぜ。
まあ、一つだけ、ターニャさんと飯食うときに同席するのはごめんだが……。酒が出てくると、一気に絶望の世界に変わるからな。
それはいいとして、スリューエルの聖殿までは結構距離がある。
「んーじゃあ、どうやって運ぶかだよな」
「ふむ。ラード殿が背負っていくのはダメなのですか」
ひげを確かめるように顎に触れながら、レイブさんは言う。背負っていく……悪くはないけど、悪くないだけだな。
「うーん……まあ、何も手段がないならそうしますけど、できれば安全に……担架みたいなのってありますかね」
「確か、納屋に駕籠が合ったような気がします。確認に行きましょうぞ!」
レイブさんがそう言ったときだ。ターニャさんが縁の柵に足をかけて、跳んだ。そして、白い外套をはためかせながら、姿を消した。
納屋は下にある。ここは結構な高さだが、ターニャさんは運動能力が高い。先に行ってる、ということなのだろう。
この里で狩りに出かけるものは、全員外套を装備している。俺は白い外套しか見てないが、山の景色に合わせた物を着るらしい。今は冬で、雪が積もっているので、白い外套ということだ。
「張り切ってますね」
「ターニャは若いからな。急ぐ気持ちは分かるが、少しは落ち着いて欲しいものだな」
「え、ターニャさんって若い部類なんですか? この里の皆、見た目が若いから分かり辛いんですよね」
そう。長老と呼ばれているダークエルフの老人たちは、見れば分かるほどに、容姿は老いている。だが、それ以外の里の者たちは、人間で例えるなら10代、20代にしか見えないのだ。てっきり、ターニャさんも若い容姿ながら、実年齢は60越えとか考えていたが。
「成の儀式をした者たちの中では、ターニャは一番若いです」
「いくつなんですか?」
「17になるはずです。しかし……まあ、実際の年齢とは違うかもしれませんが」
「……結構、近いのか……」
ターニャさんが喋れないのは、性格や体の器官に問題があるわけではなく、精神によるものだ。失声症なんて呼ばれている奴だ。強いストレスにより、喋れなくなる状態。
ターニャさんは、この霊峰ノーエルの麓近くで見つかった捨て子だったらしい。見つかったときから両親はおらず、一人森の木の根に穴を掘って眠っていたとジヴェルさんが言っていた。失声症の原因……だろうか。つまり、実際の年齢が不明というのはそういうことだろう。
まあそう考えても、年齢の誤差は一つぐらいだろうけれど。
「私たちは橋を渡って下りますか」
「そうですね」
______
川に沿って、足跡が三つ。しかし、その場には四人の人影があった。一人の少女が、駕籠の上で横たわり、寝ている。強い日差しからその少女を守るように、布を被せられていた。
「はぁ……はぁ……」
「ラード殿、もう少しです……ふぅ」
「……」
ターニャさんに周囲の警戒を任せて、俺たちは進む。
レイブさんが負担の大きい前側を自ら持ってくれたので、後ろを持っているが、毎晩この降り積もった雪が足を取る。駕籠を持つ手を安定させる為に腕に力が入るので、余計に体力を使う。
レイブさん、全然息乱れてないな。異世界人と俺との違い、決定的なのは体力だ。彼らは日々身体を資本にして生きているわけだから、扱いに慣れていたりと、非常に効率的な身体の使い方をする。それに、基礎体力も遥かに高い。
一度、止まり木の宿で仕事を手伝ったことがあるが、一日で筋肉痛になった。オリちゃんが毎日やっている仕事をやったら、だ。あの時は笑われたなぁ……。
そう思っていると、横で周囲を警戒していたターニャさんが手を上げた。伝えたいことがある、という合図だ。レイブさんが視線を向けてくる。一端、駕籠を置こうということだろう。
その場に駕籠を置く。雪がクッションのような扱いになっているので、心配はいらない。
「ターニャ、何があった?」
「……」
ターニャさんが目を細めて遠くを指差す。その方向を見るが、雪原が広がっているようにしか見えないが……魔力をその方向へと薄く広げて飛ばす。
すると、かなり遠くに魔力の揺らぎが六つ。形状は……狼。
「……雪狼ですね。六匹」
「ふむ。様子はどうですか?」
「……これ、俺たちロックオンされてますよね、ターニャさん」
ターニャさんの方を向いて聞くと、首肯した。だよな……少しずつ近づいてきている。普通、魔物は人を確認すると、積極的には襲わない。この距離で、向こうが認識できていないわけがない。つまり、狙われているということだ。
「どうします?」
「迎え撃つしかないですね。ラードさん、魔法お願いします」
「……まずいな。奴ら、走って近づいてきましたね。一匹だけ仕留めます」
そう言って、右手をその方向へと突き出す。その先、雪を舞わせながら高速で近づいてくる雪狼たち。体毛も白いので、注視しなければ分からないだろう。
だが、俺には見える。感じ取れる。
『万物に吹く風よ 敵を射抜き貫く矢よ 我が力を糧に 顕現せよ』
詠唱。魔力が風の力へと変わり、右手へと収束していく。地面の雪を舞わせ、それすらも巻き込んで一つの矢となった。
その力は十分。次に、射出段階。このまま飛ばしても、勢いが足りずに避けられるか、当たっても瞬時には仕留められない。
属性魔法は、そのまま詠唱をするだけでは、構築した人が作り出した理論通りにしか動かない。しかし、俺は魔性体。理論などの知識がなくても、魔力をある程度操作できる。
この詠唱通りだと、『
それはつまり、風の矢をより速く飛ばせれば、魔力を保持したままその威力は減衰することなく目標へと届くということ。ただ、矢が飛ぶ速度は、射出する工程に依存している。つまり……ここに使う魔力を、より多いものにする。そうすれば……
『
風の矢の速度は、神速の領域に達する。
イメージしたものは、銃。風の矢を動かす、その理論の動きの部分に大量の魔力を注ぐ。普通の時よりも多く魔力が注がれたそれは、文字通り爆発するような魔力の動きでもって、風の矢を銃弾へと変える。
その風の矢は、目で追うことすら難しい。なので、魔力感知で状況を確認する。俺の放った魔力は、高速で狼の群れ……その先頭の個体にぶつかり、その力を破裂させた。先頭の雪狼の魔力が、その爆発に巻き込まれて霧散した。周囲の個体は一瞬足を止めたが、それでも走ることを継続した。
状況を、一応レイブさんたちに伝える。レイブさんとターニャさんは……というより、ダークエルフの者たちは全員、視力に長けているのでいらぬ世話のような気がするが。
「一匹仕留めました。怯むことなく近づいてきます」
「そのようだな。ラード殿、前衛を頼む」
「了解」
腰の剣を抜く。毎日手入れは欠かさないが、この地に来てからめっきり出番が減ってしまった相棒。その剣は、今も悪魔の闇の力を少し刀身に残し、黒く染まっている。この雪と太陽の下では、異常に目立つ。
「ターニャ!」
「……」
二人は弓を構える。一糸乱れぬその流麗な動きは、さすが狩りを担う者の動き。俺もこの一ヶ月弓を握ったが、やはり扱いが巧い者は構える動作から射出まで、最小限の動きで、なおかつ全力で行う。それは短い期間では身につかない、経験による技だ。
「俺は右だ。ターニャは左を」
「……」
二人が弓を射るまで、前には出ない。二人は、確実に敵を仕留められる距離で矢を放つ。それの邪魔にならないようにする。矢を放った後に、前に出る準備をすればいい。
……二人は凄まじい集中力を発揮している。その目がどんどんと鋭いものへと変わり、何かを見極めている。それは、距離や風向き、矢の描く放物線など、様々なものを含めたものだろう。
やがて、そのときが来た。
俺の目に映る、白い体毛の狼たち。雪の上でも失速することなく走れる彼らは、真っ直ぐとこちらに向かって来ている。彼らもまた、俺たちを狩りの獲物として認識していた。
俺の視覚に彼らが入ったそのとき、二人の弓から、矢が放たれる。風の抵抗を受けながらも、その矢は真っ直ぐと雪狼たちへと降り注ぐ。
レイブさんの矢は、右端の雪狼の額へと吸い込まれた。白い絨毯を少しだけ赤く染めながら、雪狼は倒れた。
しかし、左端の雪狼は、二人の弓を構えた動作をみて何かを感じ取ったのか、予見したかのようにその場を跳ねた。
その元いた場所を射抜くようにターニャさんの矢は向かっている。このままなら外れるだろう……しかし、その矢は何かに弾かれるようにして、宙に浮く雪狼へと矢先を変えた。
「キャィィィン!?」
矢は、その雪狼の腹へと突き刺さった。同時に、悲鳴を上げながら、矢の勢いで少し左にそれて倒れていく雪狼。
残り、三匹。すぐさま前へと躍り出て、雪狼たちの注意を引く。こいつらは、仲間がすぐそばでやられたというのに、足を止めることなく向かってきた。これが、命のやり取り。一瞬の判断が、勝敗を決する。
俺は、迷うことなく真正面の雪狼に剣を向けた。その剣先に、近づいてくる。
「グルルッ!」
「……」
真正面、飛び込んでくる。狙われているのは、肩。肩に噛み付いて押し倒した後に、喉笛を噛み潰すつもりだ。
ジヴェルさんに剣を見てもらってから、こういう瞬時の場面でも、冷静に状況を分析することができるようになった。右と左の雪狼は少し遅れている。今はこいつの対処に専念すればいい。
口を大きく開けたそいつに、剣を突き刺す。肉を裂き、身体を貫いた感触。
すぐさま剣を右に振るい、その雪狼の身体から剣を引き出す。次いで、右と左。同時に来ている。それを確認してすぐ、右方向へ体をずらし、雪狼二匹を左にまとめる。そのまま、右足を踏ん張って、全力で剣を左へ振るう。
「キャ――」
一匹目、首を両断。二匹目、剣が途中で止まる。だが、それでもお構い無しに、剣を雪狼二匹ごと地面に叩きつける。同時に、二匹目の首の骨を断った感触。
雪と血が舞い、顔に少しついた。すぐにその場を離れる。
「うぇ……生温かいや」
顔についた血を拭う。剣を適当に雪に突っ込んで、血を洗っておく。
振り返ると、二人はどうやら新しく矢を撃とうとしていたようで、構えた弓を引っ込めようとしていたところだった。
「終わりましたね」
「ラード殿の剣技は凄まじいですな。若かりし頃のジヴェル殿を幻視しましたよ」
「いやいや。若かりし頃って……俺、ジヴェルさんに毎日ぼこぼこにされてますよ」
「……技やその速度を見ると、昔のジヴェル殿と比類する……いや、もしかしたらそれ以上かもしれませんな!」
「お世辞はいいんですよ。恥ずかしいなもう……どうします? この雪狼たち」
「ターニャ、やるぞ」
レイブさんがターニャさんの方を向いて言う。それに首肯で応じながら、彼らは死体に近づいていく。
「あ、俺も……」
「ラード殿は、妹君の所で待っててください。なに、すぐに戻ります!」
「……お言葉に甘えて。ありがとうございます」
「ははは! お気になさらず」
雪原の出来事。これは、毎日行われている自然の摂理の一つ。俺はこの地に来て、それをずっと経験できていることが、どこかありがたく思えた。
駕籠に近づいて、しゃがみこんで布を捲る。強すぎない程度に毛布で固定された少女。……この妹は、今何を思っているだろうか。果たして、目が覚めたそのとき、彼女はこの世界を見て、俺を見て、現実を見て、何を思うのか。
見上げれば、整備された道が見える。もうすぐ、聖殿だ。その景色を見て、少しの憂いが胸に去来していた。
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