偉大なる暇な者


 暗闇に沈んでいる。ここには、何も届かないし、何も響かない。


『――――』


 空間の中央に、眠るようにして横たわるもの。寸とも動かないそれは、眠りから目覚めようとしている。身体を動かさずとも、意思を持つ。


『――――』


 叫ぶ。しかし、響かない。それでも、そのものは叫び続ける。存在の証明を、ここに。響かない、聞こえない。けれど、何故だか。


 それが、世界に対する恨みだと確信できるのだ。



______




 太陽昇るその雪山に、二つの足跡。雪解けの川に沿うようにして、刻まれている。その足跡は、少しだけ離れており、その人たちの関係性がそこから見て取れるようで。


 足跡を辿っていくと、やがて、整備された道に出る。白い岩で造られたその階段の先に、二つの人影が、佇んでいた。少年と、ダークエルフの女性。


 その視線の先は、滝で囲われた美しい自然が溢れる聖殿。その中央に鎮座する、龍。龍もまた、彼らを見ていた。


 ――彼らは、口を開く。


『また会ったね』

「ちこっと久しぶりだな」

『僕にとっては昨日のようだけどね』

「はあ、これだ。ここの連中はどいつもこいつも、時間に疎いんだから」


 龍の尻尾が動き、滝に触れる。水の落下が二又に分かれ、静かに音を立てる。やがて、その尻尾は閃き、上へと水を弾いた。太陽と雪を映した水滴は空中に浮き、そして留まった。落下運動は行われず、上空が明るい星空のように輝く。


『……』

「……?」


 龍は宙に浮かした水滴を見つめる。その透き通るような清い目からは、何かを読み取ることはできない。けれど、何故だか何かを懐かしむような、悲しんでいるような。


『綺麗だよね。まるで宝石のよう』

「……ああ、まあ」


 やがて、龍が目を閉じると、水滴は何かの力を失ったかのように地に振る。岩に水玉の染みを作った。


『何か、用があって来たんだろう?』

「おいおい、なんだその言い方は。友達がいるところに行くには用がないといけないのか?」

『全く、僕以外の龍にはそういう振る舞いをしてはいけないよ』

「分かってるって」


 少年は近くの岩に腰掛けた。ダークエルフの女性も、その近くに腰掛けた。日差しを遮るように、フードを深く被る。暗闇から、紫紺の瞳が浮き立ち、少年と龍を見守る。


「ま、用があって来たんだけどさ。どうせ暇だろ?」


 少年の軽口が、スタートの合図となった。



______



「……という経緯で、妹が戻ってきたんだが……魂の定着? ってやつが本当に行われているのか心配になってさ」

『いやいや、ちょっと待ってよ。君が別の世界からやってきた人間で、それで“響愛”の名を語る悪魔が現れて戦い、その悪魔の能力を利用して妹の魂を現実世界に引っ張り、更に別の悪魔の強襲を受けてこの地に飛ばされてきたって?』

「うん」

 大まかにまとめてくれてありがとう。


「……」

 隣のターニャさんを見ると、無表情で口をポカーンと開けていた。ある意味器用だな……しかし、酒を飲まなければ常時ポーカーフェイスだなこの人。


 俺の今までの経緯を知ってたのは、里の中では総長老ヨバさんと、剣の師匠的存在のジヴェルさんだけだしな。聞かれなきゃ答えないし、そもそも異世界転移の話を簡単に信用してもらえるとも思ってないしな。


 彼らの思考がまとまるまで、何で暇を潰そうかと思い、足をぷらぷらさせていると、スリューエルがこちらを見つめているのに気づいた。


「なんだ?」

『……偽りではないようだね』

「嘘言う意味ないしな。ていうか、何。嘘とか見破れるの? そうか……スリューエル、心からお前を愛してるぜ」

『魂を見る必要もないくらいに嘘だねそれは』

「魂を見る、か。お前に頼ってよさそうだな」

『……響愛……まさか……』

「……どうした」

『……古い知り合いを思い出してね。しかし、生きているとは思えないけど……夜終の名を語るということは、またこの世界に不届きものが現れたということかな』

 スリューエルは、空を見上げて何かをにらみつけるように目を細める。

 それは、遠い昔に思いを馳せているようにも見える。あの悪魔たちがなんなのか、知ってるのだろうか。


「お前の古い知り合いとか、マジで古そう。年季の入り方が違いそう。全身カビだらけで腐り落ちてそう」

『その通りだよ。皆、そういう風にして死んでいったさ。いや、僕が……僕たちが、彼らの生を終わらしたんだけどね』

「……へぇ? 俺を襲った奴らのこと知ってるのか?」

『人間の中でもそれなりに有名な話だけど……君を襲ったのは、かつての人魔大戦で、魔王に仕えていた十二人の師団長たち……『夜終十二夢』と呼ばれる悪魔だ……と思うんだけど』

「思う?」

 というか、こいつの話しぶりはどこかおかしい。まて、さっきの行動を鑑みるに……。


『さっきも言ったけれど、僕たちは』

「いやいや、待て待て。スリューエル、お前の話を聞いてると、まるでお前がその悪魔たちと戦っていたという風に聞こえるんだが……まさか、人魔大戦時代にいたのか?」

『……ああ、なるほど。ラード、君はまだこの世界に来て早いんだった。それなら、今までの僕に対する態度とか……色々分かるね』

「……」

 もうその返答で大体分かったが。一応答えを待つ。


『なら、僕のことを話したほうが良いかな? 僕はかつて、人の勇者と共に戦った最古の五龍の一匹、水龍スリューエル。悠久の時を生きてきた、この世界の残り物だよ』

 翼を開いて、太陽を遮るかのように、自分を誇るようにするスリューエル。それを見て、思わず溜め息が出る。


「――はあぁぁぁ……」

『ええ……なんだよぉ、その反応は。なんでそんな残念そうな溜め息を吐くんだい? 僕を見て、そんな反応をした奴は君以外いないよ』

「いや……なんか今までの俺の態度とか……これから改めるかとか……関わってしまった奴らのヤバさというか……俺、ただの人間なんだけど」

『まあ、僕のことは気にしないで良いよ。過去に、僕を見ただけで襲い掛かってくる人間とかもいたから……君はそうではないし。それと、悪魔とは関わらないようにしたほうが良いだろう。彼らと関わるということは、闇と対面するということ。自身だけでなく、周囲の者にも危害が及ぶからね』


 周囲の者。仲間たちは大丈夫だろうか。もうこの地で一ヶ月経っているが、毎日思うことだ。状況の確認もできないし、急に飛ばされたからなぁ……あの悪魔たちがどうなったとか、キャラバンとか、王女とか……やべえな。今思えば、投げ出したこと多すぎるだろ。もうこの地に永住するか、いっそ。冗談だが。


 ふとターニャさんを見る。そういや放置してたけど、何してんだろうと思ったら、滝つぼに指先を浸していた。魚が見える。ここの生き物は何でこうも警戒心が薄いんだ。


「……まあ、その話はいいか。俺も、あいつらとは関わりたくないし」

『賢明だね。昔は、彼らに興味本位で近づいて、ただただ無残に死ぬ者も珍しくなかったよ。中には崇拝していた者もいたぐらいだから……』

「頭おかしいんじゃねえか……」

『それで、妹の魂の状態を見て欲しいってことでいいんだっけ』

「お、おう。見れるのか?」

『伊達に長生きしてないよ。ただし、僕はこの場所からあまり離れられないんだ。この聖殿に連れて来ることはできるかい?』

 ここに、か。レイブさんとかに頼んだら難しくはないか。


「ああ、できる。なら、頼むぜ。後日ここに連れてくればいいんだろ?」

『うん。しかし、最近は君が来てから激動の日々だなぁ。こんなのは本当に久しぶりだよ』

「ゆーてそんな動いてねえだろうが……」

 長寿の奴特有のゆったり世界観は一生理解できそうにねえ……。

 あ、そういえば、こいつに聞けば早いことがあったな。


「あ、そうだ。この山の厳冬期ってのはいつ終わるんだ? 今はお前が守ってくれてるからこの辺りは平気って話なんだろ?」

『うーん……雪の精霊の子が悲しんでるみたいだし、後二月は続くかな』

「ふーむ。二ヶ月か……」

 ここの暮らしも悪くないが、できるだけ早めに中央大陸に戻りたい。まあ、二ヶ月なら……二ヶ月? 俺がこの世界に来てから今二ヶ月ぐらい過ごしているぞ。これまでと同じ時間ここで過ごすのか。ていうか、俺って二ヶ月の間にそれだけの経験をしてんだ……。

 前の世界にいてはできない経験を数多こなしている。楽しいものもあれば辛いもの……いやどっちかというと辛い経験のほうが多いわ。


 ……今、実力を上げる時がやってきたな。この二ヶ月を生かそう。剣は毎日ジヴェルの爺さんに見てもらってるし、魔法だな。一人修行して、オリジナルの風の狙撃魔法……『調風・突ガストスナイプ』を作り上げたが、あれは単純に『ウィンドアロー』の出力を一点に絞っただけの小手先の技。ちゃんと学べる教師が欲しいが……。


 ふと、龍を見る。こいつ、さっき水滴を浮かしてたよな。あの力、魔法だった。長く生きている。戦いの経験あり……。豊富な知識と経験、加えて性格、良好。そして、この場から動けない、つまり、時間が有り余っているニートと変わらない。暇を持て余した奴。


「……なあ、スリューエル。お前、暇か?」

『なんだいその言い方。僕はこの地にいることで加護をもたらしているんだよ。決して暇というわけでは……』

「いるだけ、だろ? この場から動かないなら、暇なんだよな」

『まあ、うん。長く生きているから、暇という概念はもう既にないけどね』

 思わず、顔がにやける。言質は取った。こりゃ良い奴を捕まえたぜ。


「――なら、いい。しばらく俺と付き合えよ」

『……本当、君といると、日々の変化が凄まじいな』



 少年と龍は、お互い見合って笑い合う。その間も、隅で魚をつつく者は、水の生き物に一喜一憂していた。

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