月日は流れて
――ヒュイ
指笛で音を鳴らし、合図する。森に潜んだ者たちは互いに頷きあい、行動を開始した。
中央には、立派な角を生やし、発達した足を持つトナカイの群れ。数は三匹。
一人の男が、弓を構える。その間に、他の者は対象を囲うように、移動していく。やがて、一人一匹、対になるように三角形を描く。
そして、他の女と少年も、同じように弓を構えた。少年の腕には簡易的な弩が装備されているが、それを使う様子はない。それぞれ、正面の獲物を見据える。
やがて、矢は放たれた。雪と陽光に乱反射した輝きの一線は、真っ直ぐへとトナカイの胸へと吸い込まれる。
二匹、倒れる。残ったトナカイは……少年の正面にいた。矢は少しずれた地面に突き刺さっている。そのトナカイは、異常事態を察知し、その強靭な足で雪原を駆けていく。勢いを増し、山を登る。
「やっぱ弓は慣れねえ……」
少年の嘆きは、やがて呪文へと切り替わる。他の者たちはその様子を見て、逃げたトナカイに向かって弓を引くのをやめる。
詠唱は止まった。少年は弓を退けて、右手を今も逃げ続けているトナカイへと向ける。
『
少年の右手から、矢を象った風が生まれる。それは指向性を持った力を蓄える。きりきりと、何かが唸るような音が鳴る。そして、その風の矢は、少年の右腕を上へと弾くほど、強烈な力と反動を伴って、射出された。
射出から獲物を射抜くまで、一秒もかからなかった。それは何の影響も受けずに、遠くで駆けているトナカイの背中を、一直線で射抜いた。背中から胸まで貫通し、穴を開けるほどの力。
トナカイは力を失い、雪を舞わせながら倒れた。
「相変わらず見事なお手前! 流石です、ラード殿」
「いや……レイブさんとターニャさんは初弾で当てたじゃないですか。しかも急所に。俺は外した上に、最後は半分力技ですよ」
「ははは! ご謙遜を。あの距離を射抜くのは私でも少し苦戦しますよ」
「少しじゃん。ねえ。俺あれ当てたのまぐれですよ」
といいつつ、各々獲物へと向かっていく。血の処理など、今のうちにやっておきたいことは色々ある。
しかし、少年の獲物は数瞬の間に、50m以上離れていた。遠くで倒れる仕留めた獲物を見て、少年は溜め息を吐きながら、足を前に出した。雪原に、新たな足跡が増えていく。
少年がこの地に来てから、一ヶ月が経とうとしていた。
______
「おー! おかえりだな、お前ら! 坊主、今日はどうだった!?」
見張り台に立つおっさんダークエルフが言う。この人、大体見張り役にいる働き者だが、暇なのかやたら俺に絡んでくる。
しかし、おっさんと言ったが、実年齢は120ぐらいだというから、エルフ族は恐ろしい。
「この通りです!」
そう言って、背中に背負ったトナカイを見せる。木の板を間に挟んで、その上に縛って乗せているのだ。魔法で貫いた胴体の穴が彼の目には映っているだろう。
「はっはっは! 弓で仕留めるのは三日に一度がやっとか!」
「お恥ずかしながらね!! わざわざ言わなくていいんだよ!!」
これだ。狩りに出かけると、毎回俺の成果を見たがる。野次馬的存在で非常にうざいが、しかしこの人もいざ弓を持てば俺よりも圧倒的に巧いんだから……悔しい! でも感じちゃう!
やり取りしていると、外套の袖を引っ張られる。見ると、ターニャさんが腕を伸ばしてきていた。奥に控えたレイブさんが、口を開く。
「行きましょう、ラード殿」
「へい了解。またなーおっさん!」
「俺はギヲルだって言ってんだろ!!」
嫌だ。「を」が発音しづらいからな。おっさんって呼んでるのはこの人しかいないから大丈夫だろ。
そして、歩を進めて、居住空間に入る。すると、横から声がかかる。そこは調理場。関係者以外立ち入り禁止の、里の食料事情を任された者の仕事の場だ。
その前に立つ、包容力のある主婦的な雰囲気を纏った女性。ホリョウさんだ。彼女は手を叩きながら、口を開く。
「はいはい、あんたたちお疲れさん。ささ、その荷物をとっととこっちに下ろしな」
「ホリョウではないか! なら、頼もう!」
「ホリョウさん。今日も任せちゃっていいんですか」
「いいんだよ。どうせ皮の剥ぎ方とかもまともに知らないんだろう? 私にまかしゃあいいのさ」
うーん反論の余地無し。ていうか反論の必要がない。
その場で、背負ったトナカイをホリョウさんに渡していく。この光景も、いつも通りになりつつある。
「じゃあ、俺は」
「了解です! ターニャ、我々は武具の手入れでもするか!」
「……」
ターニャさんが頷く。それなら、と彼らに弓を預けて、俺は木の橋を少しずつ上がっていく。やがて、目的の場所へ着く。
俺に用意された小屋……元々空き小屋だったようで、ここを利用させてもらっている。
扉を開けて、中を見る。
「……すっかり眠り姫、だな」
部屋の中央で寝息を立てる少女。妹の『ことり』だ。
毎日、狩りに出かけたりと留守にする俺の代わりにホリョウさんが世話をしてくれているので、身奇麗だ。装いも、この里仕様の物へと変わっている。隅に畳まれた制服が、その少女の存在証明だ。
一ヶ月経ってもその眠りから覚めることはなく……しかし確かな生命活動を行っていることだけが、唯一安心できる。
魂の定着に時間がかかる、とリーフは言った。今、その精霊はいないけれど。この里に滞在してから毎日、月明かりにリーフを呼んでいるが、繋がりがまだある、ということしか感じられなかった。
誰か、この眠り姫状態の妹の現状が分かる人がいればいいけれど……この里にも祈祷師と呼ばれる、霊的存在に干渉できそう……というような胡散臭い女性のダークエルフがいたが、「この子の魂はなぜか読み取れぬ……」と言われてしまった。そのとき、なるほど彼女は本物だと思った。原因は恐らく、生まれた世界が違うからだろう。魂の質が違うのかもな……。
あの時のリーフの言葉を信じるなら、このまま時間が経てばその内目覚めるようだが……それでも、やっぱり不安なんだよな。
「……明日、会いに行ってみるか」
幸い、自分より明らかに上位者の奴なら、近くにいるしな。とびきりでかい奴が。
______
「左! 脇が甘いッ!」
「くっ……!」
太刀筋が読めない。だが、なるほど。指摘通り、脇を守っていれば今のは防げたかもしれない。
「肩にも注意を向けろ! 相手の太刀筋を視線や腕、肩の動きから読み取れッ!」
「……っ!」
「違う! 軸足に力を入れすぎるな!」
上段から来ると思ったら、フェイント。右腹に衝撃。俺の横に構えた剣を回避して、蛇行するような剣筋で横腹を突いたんだ。軸足の右足に力を入れすぎて、咄嗟に回避できなかった。
全て、指摘通りのミス。だが、むしろありがたい。すぐに反省し、生かせる。いや、この打撃の痛みはありがたくないけど……!
「次ィ!」
「はい!」
______
「はっはっは。いやぁ、ラード殿は吸収が早いですな。日々、剣の腕が上達してらっしゃる」
「……一生かかっても、ジヴェルさんに勝てる気がしませんが」
ジヴェルさんは清々しい顔で汗を拭く。
長い年月を感じさせる風貌をしたその精悍な老人は、ここ一ヶ月、俺の剣を見てくれている。
老人……とは言っても、その体格や技のキレは全く老いを感じさせないが。
初日、一合も打ち合うことすらできず、足に強烈な打撃を食らって蹲っていた俺も、成長したもんだ……今なら、十秒は持つ。まあ、ジヴェルさんが手加減してくれているのもあるけど。なお、防戦一方。
この人、いい人なんだけど、剣を持つと性格変わるの怖いからやめてほしい。
「ふむ……ラード殿は剣の才があります。このまま日々、研鑽を怠らなければ、そう遠くない日に爺は抜かされてしまうでしょうな! はっはっは!」
「ダークエルフの時間間隔は信用ならんですよ……」
本当に。こいつらマジで時間にルーズだから。いや、日にち感覚……か? 見張りのおっさんが、「後でお前の家に飯食いに行くから」と言うので、飯を食わずに待ってたのに、その日結局来なかったからな。冷めた飯も美味かったぜ。それで後日来るという。後で、とは。「後の日付に」という意味の隠語かなんかか。
「確かに、我らエルフ族の系列は時間の概念を気にすることが少ないですな。純血で、神霊を纏った者は悠久の時を生きるとされていますから……西大陸、エルフの国の国王は千年の時を生きておりますからな!」
「……なんか、この里ではエルフ関連の話ってあんまりしちゃいけないかなって思ってたんですけど」
「ふーむ。私はともかく……若い衆に話すのは避けたほうがよいですな。後、長老たちも……ヨバ様は大丈夫でしょう」
「……まあ、俺からする話でもないって感じがしますけどね」
実際、何か言いにくい出来事があったんだろうが、所詮俺は部外者だ。変に首を突っ込んでも、不快にさせるだけだろう。
すると、ジヴェルさんは鋭い目つきでこちらを見た。
「――ふふっ。ラード殿は、臆病なのですな。剣筋もそうですが、自分のことも、相手のことすらも、必要以上に思いやっている」
「……」
そして、裁くように言う。
「それは、優しさとも言えましょう。しかし、私はあえて、臆病と言います。何、この場には、若き者と老骨のみ。怯むことなどないのですよ」
そう言って、優しい目をする。そして、俺の隣の切り株の椅子に腰掛けた。
「……なるほど、これが真の優しさって奴ですかね。なんだか、人生経験の差を感じてしまうなあ……」
「まだまだお若いのですから。勢いのまま飛び込み、経験に揉まれましょうぞ」
「じゃあ、色々聞かせてもらいますよ」
「わはは! 何でもお聞きください!」
______
「まず、『エルフの国カムアムロス』のお話からでしょう」
木刀を置き、お互い、肩の力を抜いて楽になる。
「エルフの国……」
なんだか、壁に囲まれた、ほとんど自然がない街にエルフが溢れている光景は、想像できないな。森に囲まれていそうだ。
続けて、ジヴェルさんは語る。
「ラード殿は、五世神の神話を聞いたことがありますかな?」
「五世神……? いえ、浅学なもので」
「ふむ。この世界は、大まかに5つの大陸に分かれております。この北大陸に並んで、東、南、西大陸があり、そして中央、海を隔てて中央大陸がありますな」
「そうですね」
「そして、それぞれ住まう者たちが違ったのですよ」
住まう者たちが違った? そりゃそうだろうけど……どういうことだ?
「この北大陸は、獣が。東大陸には、竜が。南大陸には、悪魔が。西大陸には、エルフが。そして、中央大陸には人が。この世界に生まれた初めての生命たちですな。それぞれ、大陸を別にして、繁栄していったというわけです」
「……なるほど」
最初から分かれていたのか。しかし、竜か。東大陸は一体どんな場所なんだろう……それも気になるが、今は置いておこう。
「そして、その生命たちを生み出した神々のことを、五世神と呼ぶのです。獣を生み出したのは、獣神ルリュ。竜を生んだのが、龍神ドラゴエル。悪魔を生んだのが、魔神アトラデスカ。人を生んだのが、人神ライヒューマ」
「……」
「そして……エルフを生んだのが、妖神カムアムロス。エルフの国は、その神の名を継いで誕生した……つまり、神話時代から存続し続けている、この世界最古の国というわけです」
「……長寿っぽいことしますね」
「ははは! 確かにそうですな! しかし、長年、変化のないエルフの国の思想は、鋼よりも硬く凝り固まったものとなっていったのです」
「展開が読めた」
「自然を愛する種であり、何よりも高潔で、純潔であることを誇りにする。外界との関わりを極力避けて、ただただ、生きることを全うする。しかし、中にはそうではないものも生まれる。やはり、生きている限り、変化は避けられないのです。とある一人のエルフが、大陸を渡っていったわけですな。冒険したのです。そして、その先で新たな生命が生まれた……」
「それが、ダークエルフ」
「さすがに分かりやすすぎましたか。その通りです。ダークエルフは、先祖の故郷であるエルフの国に戻ろうとしましたが、彼らは受け入れられなかった……それから、長い年月が経ち、世界の種族たちは交じり合い始めましてな。獣人が生まれ、竜人が生まれ……ですが、エルフの国は外界との繋がりを極力絶っていますから。そういうわけで、別にダークエルフは差別され、迫害されて追い出された……というわけではなく、元々エルフの国の外で生まれた、全く新しい種族……という言い方が正しいわけです」
「は~なるほどなるほど……」
そう考えると、亜人族を生み出した先人たちは中々業が深いな。獣人も中々だが、竜人て。最初のカップル、どうやって子供作ったんだよ。あ、この先は考えちゃいけない気がする。きっと俺にはまだ早い世界だ。いや、一生届かない世界か。まあ、愛は種族の差を容易に越えるってことだな。俺は愛というものはよく知らないが。
「しかし、やはりエルフに冷遇された過去は事実ですからな。ダークエルフの中にも、悪感情を持ってる者がいるということで。話題に出さない方が賢明ですな!」
「すげえ勉強になりました。ありがとうございます、ジヴェルさん」
「老骨の話が退屈じゃなければいいですがな! はっはっは!」
そして、木刀を持ち、立ち上がって修練場に向かうジヴェルさん。まさか。
「さ、ラード殿。続きですぞ!」
「う、嘘ですよね? 俺、結構限界近くて。ていうか、今いい感じだったじゃないですか! このまま解散でもいいじゃないですか!!」
「口を動かすと身体を動かしたくなりましてな! ラード殿、語りに付き合ったならば、最後まで!」
「うそおおぉぉぉ……」
夕暮れ。修練場に、肉を打つ音と、少年の悲鳴が鳴り響いた。
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