現状
踏みしめた木の橋が、ギシっと音を鳴らす。
少し怖くなって、慎重に歩いていると、前方が大きく揺れる。見ると、子供たちが駆けてきていた。
「あははは! まてまてーっ!」
「捕まえてみー! あ、ちょっと兄ちゃん邪魔だよ!」
「お、おお……すまん」
横にどいて、道を作る。すげえ。子供たち、この隙間のある橋を全力で走ってるぜ……俺、今めちゃくちゃ情けない。悲しい。
「子供たちが迷惑をかけましたな」
「いや、子供が騒がしいのは元気がある証拠だよ。いちいち俺のこと気にしなくていいんだぜ、ヨバさん」
「そういうわけにもいきませんな」
わははと笑いながら、道を先導してくれる。俺の軽い感じの様子を見て少しは元気になったかな。
やがて、一つの小屋についた。木の幹が分かれている部分に、バランスが取れるように設置されたその小屋の中から、微かに存在を感じる。
その存在を感じた瞬間、俺は駆け出した。
「ここで――っと、ラード様!?」
扉に体当たりをするようにして、開ける。次いで、中の様子を見る。すると、部屋の中心部に、静かに存在していた。ここからでも寝息が聞こえるようだ。
「――ことり!!」
妹の存在を確かめるように、布団へと近づいて、膝を突き、額を撫でる。
しっかりと呼吸している。生きている。その事実が、心を安堵させる。
「……よかった……」
「ラード様……」
後ろから、ヨバさんの声が聞こえてきた。
やばい。ことりがいるって分かって、思わず飛び出しちゃったけど……。俺やっちまったな。
「す、すみません。急に取り乱して。もしかして、突き飛ばしちゃったりしましたかね……?」
「いえ、大丈夫です。こちらこそ申し訳ない。ラード様が内心、不安であったというのに」
「……」
ああ、俺、不安だったのか……。色々なことが、一気にあって……自分のことも把握できなくなってたな。やけにずっとイライラすると思ってた。
考えてみりゃ、当然か。悪魔と戦ってたら、気づいたら雪山に飛ばされて、そこで突然襲われたと思ったら、今度は捧げものになってて……龍と里の誤解を解いて……ことりを確認できなくて。
やべえな。言葉を羅列させると余計に意味分からん。ただ、今俺がするべきことは分かった。
「ヨバさん、俺、色々聞かなきゃいけないことがあって」
「ラード様の満足できる回答ができるかは分かりませんが……」
「……様って呼ぶのやめてくださいよ。恥ずかしいじゃないですか」
「そ、そうですかな?」
「普通にラードでいいですよ」
「では、ラード殿と……」
……まあ、いいか。
「宴を開くって言ってましたよね」
「ラード殿の歓迎の宴です。もう既に手配は済んでおります。今宵に」
え? いつの間に……そんなことしてた様子はなかったけど……。
「なんかそれも申し訳ないな……」
「いえいえ。里の者も楽しめますから」
「……そのとき、色々聞いていいですか。それまでは、俺はここにいます」
「ふむ。しかし、ここは納屋です。客座敷を用意しましょうか?」
「まあ、どっちでも……とりあえず、妹といたくて」
「そうですか……では、年寄りがいつまでもここにいるのも無粋ですな」
「返事に困るようなこと言うのやめてくださいよ……」
「……ラード殿は本当に変わってらっしゃる。もちろん、良い意味でですよ。では、婆は下がらせてもらいます」
そう言うと、ヨバさんは振り返って、扉に向かう。もう一度こちらを向くと、一礼してきたので、俺も返す。
そして、扉を閉めて出て行ってしまった。
「……」
隣で寝静まる妹を見る。
本当に良かったのか。過去の世界で、自殺して死んでしまった妹をこの異世界で、生き返らせるなど……許されるのだろうか。
……誰かに許してもらうとか、そういう話じゃないか。きっと、それをするのは、ことり自身だ。覚悟を決めて、ビルから飛び降りたこの子の、その覚悟を踏みにじって、俺の我がままでここまで連れてきてしまったのだから。
でも、俺はもっとことりに何かしてやりたかったから……同じ学校に通ったのに、別々に帰り……それは、人間関係とか色々事情があったけれど。きっと、一緒に帰るだとか、休日にどっか出かけるだとか、そんな些細なことをしてやってたら……なんていう後悔を何度もした。勝手なことだ。
「……けど、それは今からでも、遅くないよな……」
妹が目覚めたとき、俺はどうすればいいか。あのセレナードとかいう悪魔の見せた悪夢の世界で、ことりが喋っていたことが真実なら……。
――――私は、優しくされたかった。ありがとう、お兄ちゃん。
あれが、本音なら。俺は、きっと……。
「……」
少年少女の安らかな静寂は、太陽が沈むまで続いた。
______
月明かりに照らされたその広場は、中心部に大きな焚き火を据えて、それを囲うようにたくさんの人々がいる。
焚き火に近づいて、手に持った飲み物を掲げ、音頭を取る。言葉が思いつかないので、適当に――
「――――それでは、乾杯!!」
「「かんぱーい!!」」
皆が声を出してくれたことに少し安堵しながら、下がっていく。
俺の座る場所は、ヨバさんの隣だ。俺の希望を通してくれたらしい。
段々と、周囲の人々が賑わっていく。その中から、数個の視線を感じるが、まあ……人間が珍しいとかそんな感じだろう、きっと。
「ヨバさん。音頭、適当にやりましたけど、平気ですかね」
「平気ですよ。皆、そのような細かいところは気にしませんから」
「それなら良かったです」
ヨバさんと俺の周囲には人がいない。なぜだろうか。総長老と人間の客人がセットだと近づいてこないんだな……当たり前か。
用意されていた杯の注がれた液体を飲む。不思議な味だ。ほんのり甘くて、何の引っ掛かりもなく喉を通っていく。美味しいな。何でできてるんだろうか、これは。
そんな俺の疑問が顔に出ていたのか、ヨバさんが答えてくれた。
「霊樹の樹液です。ラード殿がスリューエル様と共に舞い降りた広場の、天にも届かんとする大きな樹が、霊樹……このあたりの森は、かの霊樹の恩恵で存続できているのです」
「……へえ……あの樹が……え、ていうか、めっちゃ貴重なんじゃないですか? これ」
「いやいや。霊樹はその大きさからも分かるように、多大なる恩恵を、損害もなく生み出し続けてくださる。樹液は我々ダークエルフだけでなく、この森に住まう動物たちも享受しているのです。毎日生み出される樹液の量は、樽二個用意してやっと足りる程度ですな」
「……」
樽二個分、毎日採取できると聞いても高級感が拭えないのは俺の感性なんだろうか。
にしても…皆楽しんでるな。そこらかしこに集団ができて、わいわいと騒ぎながら飲み食いしている。どこも、食事の席の様子は変わらないな。
そうやって周囲を見渡していると、一人ポンッと集団から抜け出て、こちらを見つめる者がいた。
ターニャさんだ。両手を大きく振って、ずんずんと近づいてくる。
「え、え? ちょっと……」
「……」
止める間もなく、服を掴まれ顔を近づけられる。
目の前に、紫紺の瞳がある。その瞳は、真っ直ぐとこちらを見つめている。心なしか、ターニャさんの顔が赤いような気がする。その柔らかい唇が、今にも触れそうだ。
なんだこの雰囲気は。まずい。俺の誇り高き純潔の危機。人生で一番のピンチ。
「え、あの、まじでやばいんですけどおぉぉ……ヨバさんん……」
「……」
「ターニャ。お酒を控えろと言ったはずですよ」
ヨバさんが叱るように言うと、ターニャさんは手をパッと離して、近くの座布団を手に持ち、俺とヨバさんの席の近くへと置いた。そして、その上に座る。
「……えっと、これは……」
「……ターニャ。客人に失礼ですよ」
ヨバさんがそう言うと、ターニャさんはまるで子供のように首を振り、ふくれっ面になってヨバさんを見上げる。
「……ラード殿。ターニャはここにいてもよろしいですかな」
「あ、まあ……俺は構わないですけど……?」
「では……」
といい、ヨバさんも座るので、俺も流れで座る。しかし、なぜターニャさんはこの席に……あ、ダメだ。顔が呆けてる。多分お酒の飲みすぎで頭おかしくなってる。ていうか、ターニャさんって喋らないんだよな……なんか地雷踏みそうで一切触れないようにしてるが。邪推しすぎるのもあれだし考えないようにしてるけども。
まあ、ターニャさんは放置するとして、ヨバさんに聞けること全部聞いておくか。
「……突然なんですけど、ここってどこなんですか?」
「場所が分からないと……なるほど、では、北大陸の最西端に位置する、霊峰ノーエルの中腹、霊樹林帯……という回答でよろしいのですかな」
「ばっちりです。なるほど……ここは外大陸なのか……今は、何時ですか? 俺の予想だと、睡月の十四だと思うんですけど」
「じ、時間もですか。我々も外界との関係を絶っておりますからな……自信はありませんが、婆の考えとも合致しております」
「あの悪魔に飛ばされた時に半日経過したってことだな……」
「あ、悪魔!? 一体、ラード殿はどのような経緯でこのような辺境の地に……」
「ああ、まあまあ。その辺は後で話します。ここから中央大陸に戻るにはどうしたらいいですかね?」
すると、今までの質問とは違い、ヨバさんはしばらくその場で頭を捻った。その間、ターニャさんは膝を抱いて、潤んだ瞳で焚き火を見つめ続けていた。一体何を考えているのか。酒に酔うと更に読めないタイプだ……。
やがて、ヨバさんは口を開いた。
「……難しい質問ですな。中央大陸に行くには、この霊峰ノーエルを降り、南へ向かう……途中で獣人たちも暮らしている村や町がありますから、そこを経由して港町を目指す……そうすれば、中央大陸に向かう交易船などがありましょう。それを利用すれば戻れますが……うーむ」
「何か問題でもあるんですか?」
旅慣れしてるとも言わないが、そんなに難しいことではない。いや、ことりの意識がこのまま目覚めないなら、背負って行くことになるか……それだと厳しいか? 町にたどり着ければ、キャラバン等に入れてもらえば問題なさそうだが。
他に何か問題ごとだろうか。
「……今、ここ霊峰ノーエルは厳冬期を迎えようとしています。もう、目と鼻の先ですな。2日もすれば、この山は吹雪で荒れるでしょう。この辺りは、スリューエル様と、霊樹の加護によって守護されていますから、その影響は受けないのですが……この山を降りるには3日4日かかり……厳冬期は山を歩ける環境ではないですから、しばらくは行動できませんな」
「……」
なるほど、厳冬期……山の事情なんか知らないから、一切考えていなかったが、そうか……そういうこともあるのか。
これは、どうすれば解決できるだろうか。うーん……スリューエルに運んでもらうか? いや、そんなタクシー感覚で龍を使っていいのか……。
「ラード殿。よろしければ、厳冬期の間、この地に滞在してはいかがでしょうか」
「……」
それしかないか。しかし、あの悪魔がどうなったとか、仲間のこととか……ギルド員のラロさんが怖いとか、宿のオリちゃんもそうだし、色々と心配だし、心配されてそうだ。
心苦しい。しかし、どうしようもないのも事実。なら、せっかくの好意に甘えておくか。
「許していただけるなら、この地で滞在させてください。俺にできることがあったらなんでもやりますんで、お願いします」
頭を下げながら、お願いする。
「いやいや! そんな、ラード殿……やめてくださいな! 客人として歓迎致しますから」
ヨバさんの返事を聞いて、安心する。しかし、厳冬期がいつまで続くか分からないし、客人として甘えるのはよくない。俺にできることがあったら、積極的にやっていこう。
そう思っていると、頭に柔らかい感覚。むにゅんといったような。視界にこの集落の者たちの多くが着用している緑のズボンが目に入る。
「うぉ――――」
反射的に退けようとしたら、後頭部を手で押さえられた。顔全体が、柔らかいそれに包まれる。視覚が消える。それによって強調された嗅覚に、自然の青い匂いが、不快に感じない程度に漂ってくる。次いで、なんだか甘い匂いも。
「むーーー!?」
これは。これは絶対ターニャさんだ。酔っ払いの奇行だ。危険な行為だ。両方の貞操が損なわれていく、不健全です!! いやああああああああ。
「……」
俺が抵抗しているのに、なぜかどんどん後頭部に当てられた手の力が強まっていく。息ができない。
「んーーー!!」
「……これは、止めた方がよろしいのですかな……」
「……」
そして、俺は人生で初めて、女性の胸の中で意識を手放した。
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