ダークエルフの里


 俺は今、空を飛んでいる。

 凍えた風が容赦なく顔を叩くが、それよりも上から見下ろす山々、銀世界。広がる森など、美しい景色に目を奪われる。


 しかし、今は景色を楽しんでいる場合ではない。


「集落までは!?」

『もう少しだよ。僕が行くと皆びっくりしちゃうんだけど……仕方ないよね』

 掴んでいる角の下から、声が聞こえてくる。

 だよな。意思疎通ができない上に、信仰している対象がいきなり村に現れたら、まあ、そりゃそうなるだろうが……。


「こんなこと頼んで悪いな!!」

『いや、元々は僕が悪いっていうか……僕と彼らとの行き違いが原因だからね。むしろ、僕の意思を代弁してくれる君が現れてくれたことに感謝しているよ。長年の誤解が解けそうだ』

「まあ、ついでだ!! 妹が無事ならそれでいい!!」

『大丈夫だよ。彼らは……その、勘違いしやすいけど、根はいい人たちだから』


 今、俺たちはダークエルフの集落に向かっている。あの広場にて、色々相談した結果、俺は急いで妹の安否を確認したい。スリューエルは誤解を解くために意思を代弁してほしい……というお互いの希望があったので、一緒に集落に向かうことにしたのだ。

 俺が……生贄が一人集落に向かっても、彼らは何も聞いてくれなさそうということがネックだったので、ならいっそのこと、彼らの信仰する龍であるスリューエルと一緒に向かえば、話が早いだろう、ということだ。


『見えたよ。彼らの集落だ』

「……あの森の開けた場所か!!」

『うん。僕の降りる場所がないや……あ、あそこでいいかな。ちょっと集落からは離れてるけど』

 スリューエルはそういうと、翼をより強く羽ばたき、方向転換をした。集落から少し右にそれた場所、そこの中心部にはとても大きな樹が生えており、そこを中心に森が開けていた。なるほど、スリューエルが降りるスペースはありそうだ。


『今から縦に激しく揺れるから、しっかり掴まっててね』

「……やたら自分に乗る人の事情が分かってるな。過去にもこうやって乗せていたのか?」

『僕もそれなりに長く生きているから……といっても、僕を友と呼ぶ人は200年ぶりぐらいかな』

「……悪いこと聞いたか。すまん」

『気にしないで良いよ。運命の理だからね。さ、揺れるよ』

 スリューエルは勢いを落として、徐々に地面へと向かう。やがて、翼を大きく振って風を操り、その場で停止した。翼で体を縦に振りながら、少しずつ降下していく。


「うぉおうぉうおうお……」

『揺れるでしょ?』

「な、内臓に、ダメージがぁああ……」

『着地するよ』

 ズシンという地響きに近い音が響いて、大きく揺れた後、ひげの毛の中に俺は埋まった。

 地面、か。しかし、スリューエルの体からどうやって降りるかな……と思っていると、頭の位置が下がっていく。地面が近づいてきて、やがて龍の頭は接地した。


 ありがたい。青い毛の中から飛び出して、地面に着地する。


「……」

『彼らが来るね』

「あ、まじか……そりゃそうか。お前無駄にでかいから、飛んでたらすぐ分かるもんな」

『ちょっと失礼じゃないかい?』

 龍との雑談を楽しんでいると、森から人影が現れた。一人……二人……三人。哨戒班だろうか。身軽そうな三人……若い男のダークエルフが二人。そして、一人、女……あの時俺を襲った女だ。そいつらが現れた。


「す、スリューエル様……」「ほ、本物だ。一体、どうしてここへ……それに、捧げものの人間も一緒だと……?」「……」


 どうやら、彼らも戸惑っているようだ。まあ、この異常事態の確認のための先遣隊……ってところか。


「スリューエル……どう説明したらいいんだろうな、これ」

『僕は喋れないからね。ラード、君が頑張るんだよ』

「な、なんだ……人間が、スリューエル様と会話しているように見えるんだが」「あ、ああ……俺にも、そう見えるぞ……」

 む。どうやら対外的にも俺とスリューエルが会話しているように見えてるみたいだ。なら、話し合いに持ち込むのも容易いか?


 すると、女のダークエルフが背中に装備していた弓を持ち、構え始める。そこに矢を番えて、弦を引く。


「お、おい! ターニャ、やめるんだ! スリューエル様の御前だぞ!」

 片方の男が、その女を止めようと声を掛けるが、女はその声に耳を傾けず、弓を右へ向けて見当違いの方向へと矢を放った。

 なんだ……? とその矢の行く末を見守っていると、俺と平行になった瞬間に、何かに弾かれるようにして直角に曲がって、俺に向かってきた。スリューエルを軌道上に入れない射線。


「まじか……っ!」

 剣を抜こうとしたら、腰に何もなかった。そういえば、装備は全部没収されてるんだった。どうにかして矢を迎え撃とうと構えていると、俺の後ろにいたスリューエルの尻尾が閃いた。

 その尻尾が俺を守るようにして動き、矢を弾く。尻尾に纏っている羽衣が揺れ動く。


「す、スリューエル様……っ!」

 警告していた男が、スリューエルとターニャと呼ばれた女を交互に見て、顔を青ざめている。信仰している対象を仲間が攻撃したのだ。当然の反応だろう。


『ほら、早く誤解を解かないと、面倒になるだろう?』

「あ、ああ……ありがとな。なあ、適当に芝居うっていいか?」

『なんでもいいよ。僕は彼らとも、君とも敵対したいわけじゃないからね』

「分かったよ……」

 俺は息を大きく吸って、口を開けた。


「――我の名はラード! スリューエル様のご意思を伝えるために、この地に舞い降りた預言者だ! 望むのは、話し合いの場のみ! これは、スリューエル様もお望みであられるぞ!」

 適当に言葉を飾ってみたが、合ってただろうか。

 俺の言葉を聞いて、青ざめていた男の顔が更に青ざめていく。そして、口を開いて、震える声で言う。


「そ、そ、それは……本当か? す、スリューエル様が望んでおられるのか?」

「……スリューエル、適当に頭を縦に動かしてくれねえ?」

 俺が小声でそういうと、スリューエルは大きな頭を、できるだけ小さく縦に振った。それは、見れば分かる首肯そのもの。


 それを確認すると、男が顔に両手を当てて、ムンクの叫びみたいなポーズを取った後に、その場で倒れた。まさか、気絶したのか?


「た、大変だーッ!!」

 それを傍観していた男が、大声を上げて森へと消えていく。集落の方向に向かったので、報告に向かうのだろう。


 その場に、俺を襲撃したあの女だけが残る。彼女は無表情で、その紫紺の瞳を俺に向けていた。

 見ていると、彼女が近づいてきた。森の日陰から出て、日光に照らされる。外套のフードを取って、顔をさらけ出した。髪も、紫……透き通るようなさらさらとした、美しい髪だ。


 そして、彼女はその髪を揺らしながら、俺に向かって頭を下げた。


「えぇ……ああっと……」

『彼女は謝罪しているんだよ』

 戸惑っていると、スリューエルが話してくる。


「いや分かってんだけど……ええっと、大丈夫だ。頭を上げてくれ。スリューエル様もお許し下さるだろう」


 すると彼女は頭を上げて、俺を指差した。どういうことだろうか。


『君に謝っているんだろう?』

「え? 俺?」

 スリューエルと目を合わせて、間の抜けた声が出た。

 彼女を見ると、首を一生懸命縦に振っていた。む、無表情なのに、なんか真剣だ……。耳の白色のピアスが揺れている。


「ああ、全然気にしてないから……」

 というと、彼女は両手を顔の前で合わせて、少しだけ顔を落とすと、その手を前に倒した。

 ……部族の文化なんか知らんが、恐らく、感謝的な意味合いを含んでいそうだ。傍目、お祈りされてるようにしか見えんが。


『気にしてない、か。君は攻撃されたんだけどね』

「いや、こんな美人に攻撃されるのとか、むしろ本望なのでは? まあ、真面目な話、こうやって謝罪されると逆に居た堪れないっていうか……」

『心が広いかと思いきや、ただの恥ずかしがり屋さんなんだね』

「うるせぇ!」

 からかってきたスリューエルの腹を殴る。ぽよんというような弾力しか感じない。

 気になって指でツンツンする。蛇の腹もこんな感じなのかな……。


『ちょっとくすぐったいんだけど……』

「俺をからかった罰だ。甘んじて受け入れろ……おお、これは気持ちいいな。いつかお前の体を背にして寝たいな。ひげと腹な。俺が予約しておこう」

『予約って、そんな人間は君しかいないけどね……」

 ツンツンしていると、後ろから視線を感じた。振り返ると、そのダークエルフの女性が始めて無表情を崩して、何か物欲しそうな目で俺らのやり取りを見ていた。


「……えと、ターニャさんだっけ? 触る?」

 俺が聞くと、ターニャさんが上を見上げる。その視線の先には、スリューエル。


『構わないよ』

「触っていいって言ってるぞ」

 スリューエルが首肯して、俺が代弁する。それを聞いて、ターニャさんは俺の隣に来て、スリューエルの腹を興味深そうにツンツンし始めた。


『……やっぱり、くすぐったいや』



 龍の苦笑交じりの声を聞きながら、俺たちはやたら平和な時間を過ごした。



______



「……」

 こういうのは、ツリーハウスと言えばいいのだろうか。


 木漏れ日差し込むその空間は、見事に自然と調和した建造物が至るところに建てられており、木の縄梯子を橋代わりとして、家々が繋がっている。

 その橋を駆け抜ける、褐色肌の子供たち。わいわいと騒ぎながら、追いかけっこをしている。地面にも、木造の建造物がある。そこには俵のようなものが積まれていた。倉庫……だろうか。他にも、煙を煙突から噴出させた鍛冶屋など、この空間一つで人々が暮らしているという様子が見て取れる。


「こ、こちらです!!」

 前を案内する若い男が、一際大きい家の前で立ち止まり、敬礼をした。

 そんなに畏まられても困るんだが……そういや、俺が名乗りを上げたとき、我とか尊大な一人称使ってたのを思い出した。なるほど、そういう端々から偉そうな雰囲気が出るのか。


「ありがとう」

「い、いえ! 中で総長老がお待ちです!」

 目を閉じて精一杯の受け応えをしている。ちょっと可愛いなこいつ。もうちょっとからかいたい……。

 まあ、それはまた今度にするとして……。


 扉の前に立ち、適当に二度ノックをして、中に入る。

 すると、木の独特な匂いが鼻を掠める。見ると、中には誰もいなかった。というより、何もない。あるのは、床に描かれた魔法陣のみ。


「え?」

 振り返って、先の若い男に聞く。


「誰もいないけど……」

「は、はい! その魔法陣の上に立ってください! そうしたら、少し後、転移魔法が起動しますので!」

「あ、そう。ありがとう」

 なるほど。転移魔法ね……。


 扉を閉じて、部屋に入る。何もないといったが、隅に座布団が積まれていたり、襖がある。この部屋自体も何かしらで使うのかもしれないな。


「よし……」

 少し怖いが、魔法陣に乗る。

 すると、外側の円が紫色の光を放ち、それは徐々に線を描きながら内側へと向かう。やがて、魔法陣全体が光り輝いた。

 魔力が地中から迸り、魔法陣を満たしていく。


 ――来る。そう思い、目を閉じた。



「――預言者様。お待ちしておりました」

 目の前から聞こえてきた声を合図に、目を開ける。


 木の上。心地よい風が吹くその場は、どうやらこの集落を支える大きな木の一番上のところを平坦に整地した場所らしい。木の切り株に似た地面に、円で囲うようにして置かれた座布団の真正面に、ただ一人、スリューエルの聖殿で受け応えをしていた老婆が座っていた。


 ……風で座布団とか飛ばないのかな? ていうかちょっと肌寒いんですけど。まあ、いいか。


 ちょっとした雑念を振り払って、その老婆と正面で向かい合うような位置に設置された座布団に座る。


「……ここは?」

「ここは、このダークエルフの里の全てを決定する長老たちの会議の場です……私が、総長老のヨバでございます。預言者ラード様、スリューエル様のご意思を伝えるためにこの地に舞い降りたとのことで……これまでの数々の無礼、どのように償えばよろしいか……」

 と言い、ヨバさんはただでさえその小さい背を、より小さく縮こませながら、所謂土下座をしてきた。


「ああ、別に気にしてないですよ。ていうか預言者とか嘘なんで」

「え……?」

「ああ、でも、スリューエル……様の言葉が分かるっていうのは本当です。俺は精霊と繋がりがあって……その影響で、スリューエル様の思念を理解できるんです」

「え……いや、しかし……」

 ヨバさんが戸惑うような様子を見せたが、再度、頭を下げてきた。


「我々が危害を加えたのは事実です。全面的に、こちらに非があります。如何様な罰でも……いや、里の者たちは許してやってくれませんか。どうか、お願いします。この老婆の首を捧げますので……どうか、お許し下さい、ラード様」

「いや、別に婆さんの首とか貰ってもなんも嬉しくねえから……そんな趣味ねえから」

「では、どのような形で……」

「別にいいですそんなの」

「いや、それでは誠意が示されない」

「違いますよ」


 俺は、前に乗り出して言う。いい加減、むかついてきた。俺はもう、とっくに許してる。なんせ、美人のターニャさんと一緒に遊ぶという貴重な時間を過ごしたからな。

 だから、ヨバさんに言うのだ。


「――許されようなんていうのは、加害者の傲慢です。俺は俺で、もう気持ちに整理がついてます。貴方たちにされたことも、全て忘れます。それでいいんですよ。後は、貴方たちが己を許す、ただそれだけなんです。それだけの些細なことなんですよ」

「……些細なこと、ですか……」

「まあ、偉そうに講釈たれましたけど、人生経験が浅い若造の言うことですから、お気になさらず」

「……ラード様は、寛大という言葉すらも足りないほどに、心が広いのですね」


 ヨバさんは、自責の念に駆られたように、一人俯いている。まあ、反省やらなんやらは自分でやってもらうとして、俺の目的を言う。


「そんなことより、俺の願いは一つだけなんですよ」

「どのようなことでも」

 バッと顔を上げて、ヨバさんは言う。


「俺と一緒に倒れていた少女、妹なんです。無事というのは先に聞いているんですけど、どこにいますか? 顔を見たくて……」

「……かの少女は、今は納屋にいます。眠りから覚めないようでしたので、布団を敷いて……」

「ふーん。まあ、それは後で案内してもらうとして……スリューエル……もう様つけなくていいかな。スリューエルから伝言預かってますよ」

「お聞きします」


 スリューエルは、この集落に体が収まりきらないので、俺を見送ると聖殿に戻っていった。どうやら、この集落に流れ着く川の源流部分が聖殿らしい。

 龍から預かった伝言を伝える。


「えーと……『誓いを守ってくれるのはありがたいけど、僕は捧げ物とかいらないからね。お気持ちは受け取っておくよ。それじゃあ、リューフの血よ、ご壮健に』……って言ってましたよ」

 リューフの血ってなんぞや、とスリューエルに聞いたが、また今度と言われてしまった。まあ、あいつがそう言うなら、それでいいか。


「そうですか……我々は、とんだお節介を焼いていたということですな……」

「まあ、その気持ちは嬉しいとか言ってたんで……って、そんな落ち込まないでくださいよ……」

 最初に見たときよりも頭二個分ぐらい縮こまってる。なんかもう、終生の老人って感じだ。悲壮感漂う。

 んー……こう、お年寄りには優しく精神が疼く。


「まあ、ほら。スリューエルとの間は俺が取り持ちますから。これから交流を深めていけばいいじゃないですか」

「……ラード様。本当にありがとうございます。よろしければ、しばらくこの里に滞在なさってください。里の総力を挙げて全力でおもてなしさせていただきます」

「俺、そこまで歓迎されるのも恥ずかしいんで嫌なんですけど……」

「何をおっしゃいます! ささ、妹君のところへご案内致しましょう。今宵は宴を開きますから……」



 こうして、二人は大樹の上から消えた。後に残った空間には、風が吹くのみだった。

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