新転地
暗闇。そのまどろんだ世界の中で、一人埋もれている。全身が気だるく、何もかも無気力に手放したくなるような、意識の底。
けれど、自分の意思が、そこから自分を引っ張り上げる。やがて、何かの境を通る――――
「――っは!?」
暗い。意識が覚醒しているのは分かる。目を閉じているのか?
そう思い、何度も瞬きしても、暗闇は変わらない。そして、定期的に自分の居る空間が揺れる。
両手を後ろに回されて、何かで縛られている。肩がちょっと痛い。
「……何かに包まれて……それで、運ばれているのか?」
体を伸ばすこともできないほど、小さな正方形の箱のようなものに、自分は入れられているようだ。ずっと、一定感覚で揺れている。加えて、足音のようなものまで聞こえてくるあたり、人力で運ばれているようだ。
「おい! ここから出してくれ!!」
声を荒げてみるが、返事はない。帰ってくるのは、やはりどこかへ運ばれているという証拠の振動のみ。
あたりを弄ってみるが、ことりらしき存在は確かめられない。というか、一体何が……確か、何者かに襲われて、足を矢で射られて……そんで毒が回って気を失って……それで運ばれている?
足の痛みはない。視覚がないので、単純に毒で感覚が麻痺しているのか、それとも治療されたのかは今のところ、見えなくて分からない。
というか、おいおい、意味わからねえぞ。そもそも、襲ってきた理由も分からないし。あ、カニバリズム的な……食人文化的な? でもそしたら、なぜ俺は運ばれている……しかもなんか、大人数で運んでるっぽい。厳重だ。というか、ことりはどこだ。
魔力を薄く張り巡らせる。10人以上……いるっぽいな。ことりの存在は確認できない。どうやら、坂道を上がっているようだ。俺の体が斜めになった。
この魔力……どこかおかしい。まるで、森の中にいるような……そういえば、襲ってきたあいつ、褐色肌で、紫紺の瞳、長い耳……所謂、ダークエルフ的な相貌だったな。ダークエルフと言えば、森に住まうエルフとは近縁種で、エルフの差別思想から敵対関係で、人間とも馴れ合わないみたいな設定が多いが……そう考えると、俺は今から何をされてしまうんだ……斬首刑か? そんな楽に死なせてくれるのか……。
これからの行く末を、ネガティブな方向でひたすら思考し続ける。暗闇の空間というのもあって、どんどん精神が磨耗していき、そろそろワンワン泣き出そうかと思ったとき、俺の入っている箱のようなものが地面に下ろされたと感じた。
「……なんだ……っ!」
上部が開き、日差しが入ってくる。急に暗いところが明るくなって、余計に眩しい。慌てて手で目を覆うとしたら、手を動かせなくて肩を痛めた。そういや縛られてるんだった。バカか俺は。
やがて、完全に光に包まれた。
「ぅぅ……あ?」
目が慣れて、あたりの景色が徐々に見えてくる。
エルフ。運んでいたのは、この人たち。しかし、彼らは俺を見るでもなく、何かに対して跪いていた。
その方向を、見る。
――――白い龍。荘厳な森と、滝。美しい自然に囲まれた中央に位置する、巨大な龍。
全体が、白い。鱗から、腹の肉まで、全て。翼も白く、唯一、頭部は違った。
頭から生えた体毛は、透き通るような水の色。風に靡くそれは非常に美しい。また、瞳も碧く、その悟ったような清々しいほどの瞳で、俺たちを見下ろしていた。
「――――スリューエル様。捧げものでございます」
ダークエルフの老婆が、代表するように言う。ちょっとまて。勝手に生贄にするな。
その龍は、巨大な体躯を動かして、俺を見つめた。巨大な瞳が、俺を射抜いている。体が思わず、強張る。この龍、どうやらダークエルフたちと友好的な関係を築いているみたいで、すぐに襲い掛かってくることはないだろうが、あまりにも大きい。まるで、都会の巨大なビルを見上げるような気持ちだ。
そんな巨大な存在に、見られている状況、恐怖しない方がどうかしている。何見てんだ。俺は美味しくねえぞ。いや、自分を食ったことなんかないから知らんが。
やがて、龍は静かに口を開けた。
『いや……そんな人間とか要らないけど……』
聞こえてきた声を脳で判断し、言葉にする。
「……あの、要らないとか言われてるんだけど……」
『あれ? 僕の言葉が分かるの?」
「口を慎めッ!! 厳正なる儀式の途中だ!!」
体格のいい若者がそう叫び、俺の背中を鞭で打ってくる。まるで斬られたような鋭い痛みが背中に走る。
思わず、唸り声に似た悲鳴が出る。
「いってぇ……」
『うわぁ……かわいそうだよ。やめてあげなよ』
「左様でございますか。では、我々は下がらせていただきます……」
と老婆が言って、体格のいい男に目配せをした。やがて、俺の両手を縛った縄が切られ、自由になる。そして、彼らは後ろにある階段へと向かっていく。
最後、俺を鞭で叩いた体格のいい若者の頭が階段に消えた。
あいつら、龍の言葉を理解できていないのか。
その美しい自然に囲まれた広場に、俺と荘厳な龍だけが残った。
『えっと……大丈夫? そこの人間』
「あ、ああ……まあ、大丈夫なんだけどさ……って、龍が喋っとる!?」
『いまさら? 酷いなぁ……』
龍は少し落ち込むようにして、頭を下げてきた。
凄まじい風圧と共に、龍の頭が地面に着いた。つまり、目線の高さが一緒になる。
わざわざ俺と目線を合わせてくれたのか。ていうか、見た目は誇り高き龍って感じだが、話してる感じかなりフランクだ……意外。
ていうか、龍の言葉だが、なぜダークエルフの彼らは理解できなくて、俺が理解できるんだろう。あれか、リーフと繋がってるからかな。リーフも霊的な存在だから、この龍が発する言葉も、思念に近い霊的なものなのかもしれない。
「あ、えと……俺はラードって言います」
『僕はスリューエル。この土地の守護を誓った龍だよ』
「あ、よろしくお願いしますスリューエル様……」
『スリューエルでいいよ』
「……す、スリューエル。俺のことは食わないよな?」
『彼らもそう思ってるみたいだけど、僕ってそんなに人間を食べそう?』
「ま、まあ……それなりには」
『それなりって何さ!!』
ガアアッ! と吠える。龍の息吹が正面から吹く。凄まじい風だ。
「うぉぉぉおおお……」
思わず両手で顔を塞ぐ。
『あ、ごめん』
龍がガウガウいいながら謝ってくる。貴重な経験だ……龍に謝られたの、俺が世界初なんじゃね?
「あ、気にしてないから」
『本当? そういえば、背中の傷は大丈夫?』
「まだちょっと痛いけど、大丈夫かな……」
『治してあげる』
「え?」
龍は頭を上げていく。やがて、広場の中央で佇み、空へと声を上げた。
『――――』
それは、獣の唸り声ではない。何かを歌うような、願うような声。それに応えてか、周囲の自然が光りだす。
対照的に、その空間が暗くなる。
「うわぁ……すっげぇ……」
やがて、周囲の自然から光の粒が舞う。森、滝の水、そこに自生している珊瑚のようなものまで、全て。
美しい景色が、光り輝くことによって、更に美しくなっていく。それは、もはや神秘的なものとなった。
『――――』
龍が、より一段階高くなった高音域の音を発する。それに応えて、光の粒が動き始める。
それらは、俺の体に向かってくる。
「おぉ……?」
光の粒に包まれる。雪が降り積もるこの地帯は寒いのに、この光たちは暖かい。体が、癒されていく。
あばらの痛みも、背中の痛みも。足の感覚すらも戻り、あらゆる器官が活性化しているのを感じる。体力が、戻ってくる。
やがて、全ての光の粒が俺の中へ消えたと思うと、龍の歌は止まっていた。
体が、疼いて仕方ない。
『……元気になったかい?』
「ぉぉ……おお!? すっげええええ!! なんだよこれ!! 万全の状態よりもずっと体の調子がいいぞ!!」
装備の確認をする。武器やらプレートアーマーやらは没収されているらしい。インナーのみ。だが、逆に都合がいい。
立ち上がり、滝に向かって走り出す。
『あ、ちょっと……!』
「ひゃっほーーッ!!」
――――バシャ
耳に響く、心地よい水の音。ついで、ゴボゴボと空気の泡がはじける音がする。
冷たい。けれど、心地いい。
目を開けると、そこには美しい水の世界が広がっていた。
透き通る水。ずーっと下まで続く滝つぼ。壁には、珊瑚のようなものが自生していて、更に小さな魚たちが泳いでいた。
あれ? 珊瑚って動物だっけ? でも、今はそんなことどうでもいい!
水を蹴るようにして、下へと潜っていく。途中で、振り替えって上を見た。陽光が差し込む水面に浮かぶ、白い地面。
スリューエルや俺がいた地面は、水に浮いていたのか。
あたりを見渡すと、目の前をちょうど、小魚が横切った。
なんとなく手を伸ばすと、驚いたことに、その小魚は逃げることなく俺の手に体を押し付けてきた。
撫でてやると、その場で停滞して、俺になされるがままになっている。そして、体を微調整して、色んなところを俺に撫でさせている。不思議だ。
体が痒いとかあるのか? なるほど、他者の利用が上手いな。かわいらしい奴だ。
ずっと撫でていると、気がついたら魚の群れに囲まれていた。すごい数だ。全員、俺の手が目的か? ぐふふ。撫でまくってやるぜ!
……あ、息が苦しい……。
息継ぎの為に水面を目指そうと見上げると、ちょうど巨大な龍が水面から飛び込んできていた。
凄まじい水の揺れる衝撃波と、大量の気泡と共に、水の世界に龍は降臨した。
「ガボガボボ……っ!!」
スリューエル、と呼ぼうとしたら、水に声は消えた。そりゃそうだ。
息がきつい。早く息継ぎしないと……。
『――ここの者たちと戯れるのはいいけど、自分のことを大事にね』
水中なのに、スリューエルの声が聞こえる。念話のような能力だろうか……。
そして、スリューエルはその大きい体をその場で横に回転させ始める。まるで、空中を飛ぶようにして、水中で体を動かす。
やがて、渦のような流れができると思っていたら、違った。その回転の中心部に、回転によって発生した気泡が集まっていき、大きなひとつの泡になる。やがて、その中に光が満ちていく。
なんだ……? と思っていると、その光が泡から抜けて、俺に急速に落下してきた。そして、あの光の粒と同じように、俺の体の中へ消えていく。
『呼吸をしてごらん』
回転をやめて、こちらに泳いで迫りくるスリューエルが言う。
ちょっと怖いが、この龍は信用できるし、明らかに俺より上位者だ。素直に従って、その場で呼吸をしてみる。
「――ぉ……呼吸ができる……それに、暖かい」
『よかった。全く、急に飛び込んでしまうんだから。あんまりびっくりさせないでよ』
「いやいや! そんなことより、すげえなこの空間は!! めっちゃ綺麗だ!!」
本当に美しい。以前、前の世界で沖縄の海に行ったことがあるが、それよりも美しい。透き通る世界で、自由に珊瑚礁を泳ぐ魚たち。あり得ないぐらい深い滝つぼだが、底が見通せるほどだ。壁一面に、きらきらと輝く植物が輝いている。一部には、せり出した輝く鉱石のようなものまで見える。
『ははは……人間にも、こんなに純粋に自然に見惚れる者ものがいたんだね』
「そりゃそうだろ! こんなん、誰だって見惚れちまうぜ! なあ、もっと下の方行こうぜ!」
『つかまりなよ』
「え?」
『僕のひげ、頑丈なんだ』
「なるほどな……失礼するぜ、友よ」
『と、友? は、ははは! そう呼ばれたのはいつぶりかなぁ!』
スリューエルのひげに掴まる。さらさらとした美しい水色の毛だ。ここで眠れそうなぐらい、毛量がある。龍のひげベッド。いいじゃん。
『行くよ。しっかり掴まってね』
「おおー!」
水の楽園で、一人の男と龍は、奇妙な友情を育んでいった。
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