響く愛を夜曲に乗せて③ 『真なる獣と悪魔の権威』


「――――真の獣って奴を見せてあげる」

 ゾデュは自身の右腕に噛み付き、血の匂いを脳に届ける。そして、内なる獣を眠りから覚ます。

 ドクンと、心臓が大きく高鳴り、体が揺れたかと思うと、その変化は始まった。


「おおおぉぉぉ……」


 目が血走り、牙は口よりも大きく。爪はより鋭利かつ強靭に。体の至るところからざらつく黄色の体毛が急速に生え始める。


「ガァァァアアア……」


 身体は加速的に大きくなっていく。やがて、二足歩行をやめ、獣本来の四速歩行へと切り替わった。服や鎧は、内側から大きくなる存在に耐え切れず、間接部分の革を破いて辺りに舞う。尻尾が生え、体毛に斑点ができる。



『……獣が』

「――グガアアアァァァアアアアッ!!」


 砂漠豹ゾルード。東大陸の面積半分以上を占める砂漠に住まう、体長4mほどの巨大な豹。その肉体の端々に、獲物を狩るように特化された武器を備え、四肢の筋肉は目に見えて隆起しており、その運動性能の高さを表していた。


 ざらつく体毛を揺らして、獣は前へと躍り出る。


「……これが、真の獣……」

 シャリョウが見惚れたように呟いた。


 そして、二匹の獣は相対した。


「……グルルァ」

「……」


 お互いを見据える。ジャオジャは本能をむき出しにし、加えて、憎悪するようにゾデュを見上げていた。

 対照的に、ゾデュは哀れむような、慈しむような目でジャオジャを見下ろしていた。その様はまるで、自身の子供を谷から突き落とす獅子のようで。


 お互い、緊張が高まっていく。戦闘態勢を整え、地面に窪みを作っていく。


 戦いが、始まる。


「――――ガァッ!!」

「……」


 ジャオジャが右前方へと飛び出し、そのまま兎が跳ねるようにして、ゾデュの左前足へと飛び掛った。爪を前方へと突き出して、貫こうとしている。


 が、しかし。ゾデュはそれを冷静に見定め、迷いなく右の爪をジャオジャへと振り下ろした。


「ガァアッ!」

 ジャオジャはその場で体を無理やり回転させて、ゾデュの攻撃を弾いた。そして、自由が利かなくなった手での攻撃は捨て、噛み付きを選んだ。口を大きく開け、ゾデュに迫る。



「……ガァ」

 ゾデュは頭を大きく振りかぶり、今にも噛みつかんとするジャオジャの背中に牙を突き立てた。凄まじい勢いのその攻撃は、ジャオジャの背骨を砕き、そして、力のまま下に叩きつけた。


「――ガフッ」


 生き物が叩きつけられたときに起こる、空気が漏れ出た音を立てて、ジャオジャは地に伏した。


 ジャオジャはなおも屈していないように、顔を動かしてゾデュを見上げた。


 ――精悍。真の獣が、敗者を見下ろしていた。そこに、負の感情はなく。ただただ透き通るような目で、ジャオジャを見ていた。


 戦いにすらならない。身体能力がずば抜けている獣人の先祖、真なる獣。血の濃さは、獣としての本能の強さを分けた。


 ジャオジャはそれを感じ取った。そして、気を張っていたのか、なんなのか。その場で意識を失い、完全に倒れた。


 それを見て、矯正を上げる者が一人。


『あああッ! 敗北に身を窶した姿も愛らしいわぁ……!! ああ……よくも私の愛する人を……っ!』

 セレナードは喜びと怒りを同時に顔に滲ませる。破綻した内面が外側に出てきているようで、不気味。


「戯言……操り人形と愛を騙るなど。一人の世界で孤独に遊ぶといい」

「ガァァァッ!!」

 シャリョウとゾデュが並び、相対する。


 シャリョウは左手の筆を、自身の周囲に浮かぶ全ての文字に走らせた。文字が更に輝き始め、シャリョウの内在魔力が極限まで高まっていく。やがて、文字が上空に消えた。

 空から、雲を裂きそれは現れた。隕石と見まがう、炎の塊。圧倒的な熱量を持つ、シャリョウ最大の炎魔法。


 ゾデュが、疾駆する。脚力で地面を爆発させ、空気すらも置き去りにした。風が吹き荒れ、辺りの木々がざわめく。一陣の風を纏わせ、鋭い槍と化したゾデュが、セレナードに爪を振り下ろす。


『輪廻する炎塵が舞い降りし災厄の祭』

「ガァアアアアアアッ!!」


 その時だ。


『――――』


 誰かの声が響く。それは、子供の声だ。しかし、どこか、呪詛のように聞こえて。


 ――――ブン


「なっ……」


 空間が、揺らめいた。そして、炎の塊は消失していた。魔力の痕跡すら残さず、まるで、力そのものがどこかへ飛んでいってしまったように。


 驚いているシャリョウの隣で、爆音。ついで、砂煙が巻き起こる。


「――ガァッ!!」


 つい先ほどまで、目の前で悪魔に迫っていたゾデュが隣にいる。地面に斬爪の跡を残し、忌々しげに前方を見据えていた。


 二人が前方を見据える。

 そこには、子供のような背格好の者が、翼を携えて浮いていた。


「新手……」


 シャリョウが呟き、ゾデュは顔を険しくさせる。


(悪魔が一体、それで悪戦苦闘。ジャオジャはもう戦えん。いくら真なる獣といえども……これほどの悪辣かつ、強大な魔力を持つ魔性体が二体。加えて……)


『だ、だめだめじゃないか、"響愛"。もうもうすぐ、会議が始まってしましまうよ』

『"渦外"のシュトローマ……邪魔しないでくださる? 私は今すぐ夫の仇を討たなきゃならないの』


「新手のほうが強い……」

「ガウ……」


 B級上位と真なる獣を前にして、見向きもせずに会話をする悪魔。つまり、シャリョウたちを警戒する必要がないのだ。


 悪魔たちが会話していると、シュトローマと呼ばれた悪魔の雰囲気が、突如変わる。

 どこを見つめているのかわからない瞳はより一層深みを増し、冷徹へと。

 それを見て、セレナードが慌てる。


『ま、待ちなさ――『僕には、関係ないことだ』


 ――――ブン


 また、空間が揺れた。そして、セレナードは消えていた。


「な……瞬間移動……!?」

『……せ、セレナードはきみきみたちと遊んでいたのかのか。こ、こんなとこところにいるなんて、人間も、ひまなんだねだね。でもでも、僕はもう、行かないと』


 子供のような悪魔が、こちらに振り返って言う。そして、笑顔で手を振りながら言った。


『また会おうね』

「ガァッ!!」


 ――――ブン


 ゾデュが高速で、悪魔に飛び掛る。そして、覆いかぶさった。が、そこにはもう何もいなかった。魔力の痕跡もなく。ただただ、無があった。


 森の黒い瘴気は消え、普段通りの夜の森へと戻る。戦いの跡を色濃く残した、自然の森へ。

 ジャオジャが倒れて。何も情報を得られず、敵に暴れられて終わった。


 その場に、一人と一匹は立ち尽くしていた。


「……」

「ガァッ!!」


 獣が夜空に吼えた。それは、激情の表れだった。



______



「……ここ、どこだよ」


 雪。一面、銀世界。肌に突き刺さるような凍てつく空気が、充満している。そして、太陽。雪に反射する太陽光が眩しい。空気も薄い。山、か?

 あの悪魔に攻撃されて……俺は死んだのか? なら、この景色は一体なんだ。ていうか、あの時は夜だったはずだ。なぜ太陽……


「……っ!! ことり!!」

 少し離れたところに、雪に埋もれた人がいた。覗かせる顔が、妹のもので、急いで駆け寄る。

 その場で膝をつくと、雪がことりの顔に降りかかってしまった。手でそれらを払って、鼻に指を当てる。空気の流れを確認した。


「……無事か。呼吸もしてる……いっつつ……走ったせいであばらが……」

 胸の痛みは健在。痛覚が存在しているということは、これは幻覚とか空想とかそういうのでもない。これは、現実だ。


 ことりを背負う。少し肌寒そうだ。ことりは生前の制服姿で、ブレザーを着ていない。白いワイシャツと、スカートのみ。これじゃあ凍え死んでしまう。


「停滞しろ、『着火イグナイト』」


 後ろの宙に、炎を浮かせる。これで少しは暖かくなるだろう。その過程で気づいたが、魔力が少し回復している。そして、もう一つ。


「……リーフ!」

 その場で呼びかけたが、反応は返ってこない。あるのは、辺りに響く俺の声と、雪が吹く音のみ。

 リーフが、いない。存在を感じ取れない。いや、体の奥底、繋がりがあるのは分かる。だが、どこにいるのか。


 辺りを見渡すが、どうやらここは山のようだ。標高が高いのか、空気が薄い。雲は上に広がっているので、それよりは下のようだが……いや、異世界は雲の高さが違うとかだったら分からんな。

 どうやら、ここにいるのは俺とことりだけのようだ。ぱっと見、他に人はいない。というか、生命体が見えない。


 ……御者のゴーダさんはどうなったんだろう。というか、あの悪魔……シュトローマとかいうやつに攻撃された……ってことでいいんだよな? 別の場所に飛ばされたってことか。あいつは物質を転移させる能力でも持ってるのかもしれない。


「……しかし、懐かしいじゃねえか。山。しかも、また絶望感たっぷり……」

 ひとまず、辺りを探索して、同じように飛ばされた人がいないか探してみよう。そして、麓に向かう。


「……」

 背中の妹を見る。呼吸をして眠っているが、いつ起きるのか。確か、魂が定着していないとか……食い物とか、排泄とか、これからどうすればいいのだろうか。口に食い物押し当てたら食ってくれるだろうか。そもそも食事を今必要としているのかすらも分からない。というか、何も分からない。

 だが、たった一つ、やらなければならないことは分かっている。ことりを、守ること。これだけは、単純明快で。


「気合、入れてくか」


 俺は、雪を踏みしめた。



______



「はぁ……はぁ……」

 人は、いなかった。あの辺りは、一面平坦な銀世界で、見渡すことは容易だった。いや、もう少し離れたところに飛ばされている可能性もあるが、それを言い出すとキリがない。俺はある程度のところで見切りをつけて、下山を始めていた。


「はぁ……はぁ……」

 最初は、美しいこの銀世界に心躍ったが、今はそんな余裕はない。

 まず、雪が歩きづらい。一歩一歩進むのに体力を使う。加えて、もう既に足の感覚がない。雪が靴の中で溶け、水へと変わっている。足が冷えて、力も入れずらい。


 それに、雪に反射する日光が、目に優しくない。なるほど、登山家たちの装備の理由が、次々に明かされていく。


「きっついなこれ……」

 ずり落ちそうなことりを抱えなおして、歩き続ける。


「はぁ……はぁ……っ!?」


 そのときだ。突然、風切り音が背後から聞こえてきた。

 剣をすぐさま抜剣し、振り返りながら切り落とす。


 矢。足を狙ってる。なぜ? 矢先、何か液体が塗られている、毒か?


「――姿を現せ!」


 ことりを地面に優しく置きながら、声を荒げる。襲撃者。体力が減っているこの状況で、俺はどこまでやれるか……。


 やがて、雪が急に噴出した。そこから、人影が現れる。

 動物の毛皮を頭から被っている。防寒装備……ここに住む人。


 というか、もしかしてずっと雪に埋もれて潜んでいたのか? しかし、なるほど一面銀世界で隠れる場所などないと思っていたが、まさか雪を使うとは。


「……」

「何者だ!」


 その者は、答える代わりに弓を引いた。なるほど。対話はなしってか。こりゃダメそうだ。

 もう、結構限界が近い。


 そして、矢は放たれる。速度十分。狙いは右足か。

 しかし、その矢先が日光に反射して、視覚が一瞬奪われる。剣を無闇に振るうが、当たらなかった。


 膝に、強烈な痛みが襲う。


「グッ……」


 痛みを堪えて、敵を見るが、次の攻撃はこなかった。代わりに、視界が歪む。力が抜けて、倒れて、雪に顔を埋める。


 やっぱり、毒だ。一瞬で判断を下すが、対策が思いつかない。足を切る? だめだ、間に合わない。どうする? どうしようもない。


 その者が近づいてきた。なんとか顔を見上げ、その者を見る。


 褐色。紫の瞳、長い耳。エルフ、か? いや、今はそんなの、どうでもいい。


「……頼む。そこの妹だけは、見逃してくれ……」

「……」


 そこで、相手の返事を待たず、俺の意識は閉ざされた。

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