響く愛を夜曲に乗せて② 『響愛と渦外』


 障壁に阻まれる。爪は貫かない。弾き飛ばされる。左足で衝撃を吸収し、右足で速力を爆発させる。跳びかかる。障壁に阻まれる。

 幾度も同じプロセスを繰り返し、速度は増していく。風塵が舞い、衝撃波が生まれ、風が押し出され、木々が揺れる。


「ガァッ!!」

 何度も何度も。同じところを集中して狙う。徐々に、弾かれる力が弱まってきている。

 来る。敵の攻撃。上体を反らして左に回転する。耳を、闇の力の流動が掠める。跳ぶ。


『あの子、帰っちゃったのよねぇ……同胞として迎えたかったのに……きっと、素晴らしい愛を奏でられたでしょう。ああッ! 私はなんてことを……!』


 障壁に守られたセレナードは、周囲の喧騒を意に介さず。宙で身をくねらせ、昂る。


「――あたいたちが相手してやるんだ。感謝しなッ!!」

 悪魔に振り下ろされる大剣。装飾の牙が揺らめく。ごうっと凄まじい風圧を出しながら、迫る。


 ――――ギィン


 障壁に阻まれる。しかし、亀裂が入った。

 獣たちは、ニヤッと笑う。


「ジャオジャ!」

「オウッ!!」


 ゾデュは、大剣を更に押し込み、体を前のめりにさせる。そして、障壁が大剣を弾いた。しかし、その勢いを利用して、その場で縦に回転する。遠心力が生まれ、力が増幅し続ける、ひとつの回転する刃と化した。

 ジャオジャが、その回転がもう一度障壁に当たる瞬間に合わせて、全力で跳んだ。本能を全開にむき出し、風すらも置き去りにして、その身体はひとつの矢となった。


『あらあら……』


 獣たちは、同時に亀裂が入った障壁を叩く。

 その亀裂は徐々に広がっていく。ぴしぴしと、崩壊の音が鳴る。


「「オラァッ!!」」


 爪と剣を、それぞれ左右に切り裂き、障壁を割った。悪魔が曝け出される。目前。獣たちは獲物を、仕留めたと確信する。顔が、愉悦に染まる。



『――もう、いいわ』

 セレナードは、冷たい微笑を浮かべた。


 瞬間だ。獣たちは宙に浮き、それぞれの牙を悪魔へと突き出している、その瞬間。割れた障壁が魔力へと変わり、そして闇へと代わった。


 形状、槍。矛先は――――獣。


闇の槍ダークピアス

『――――聖苞せいほう


 闇の槍が、獣を貫こうと動き始める。その瞬間、獣たちは、聖なる膜に包まれた。

 闇の槍の先端が、膜に触れる。そして、爆ぜた。


「――――ガァァッ!!」

「――――くっ!」

 真正面から爆発の衝撃を食らい、ジャオジャとゾデュは吹き飛ばされた。吹き飛ばされてる最中、驚異的な体のうねりで、体勢を立て直す。地面に着地するころには、二本足を下に向けていた。


 砂埃と共に、地面に線を書く。


「――助かったゼッ!! さすが俺様の相棒ダァ!!」

「ああ、ほんとにね」

「無用。備えろ……雰囲気が一変した」


『――本当、不愉快だわ。人間に、獣に。痴れ者共が。私に触れようとするなんて。私に触れていいのは、私の愛が響いた者だけよ。私の愛を邪魔するなんて、愛を知らないなんて、本当に、可愛そうに……』


 セレナードが、自分の身を撫で付ける。胡乱な瞳で、下等な生き物を見下げる。髪を舞わせ、体に纏わせるように揺れ動く。魔力が、蠢く。双眸の光が、怪しく輝く。


『――――曲をはじめましょう』


 悪魔の魔力が、膨れ上がる。暗黒の力を司るその者の権能が、顕れる。


『可哀想なあなたの、私のための愛を――――輪唱カノン


 セレナードから零れるように、黒い液体が出る。それは、本質を見ることすら難しい、名状しがたい物。中から、怨念の叫びが聞こえるようで。


 それは、地面に落ちた。そして、地面が渦巻いたかと思うと、急流となって痴れ者たちへと流れ出す。


「オオッ!?」「なんだい、あれ!」


 それを見たシャリョウが、初めて焦るような表情を見せ、二人に叫ぶ。


「回避ッ!!!」


 ジャオジャとゾデュがその場で跳び、避ける。シャリョウは自身の周囲を回転する文字を選び取る。文字列。


『悪戯な風!』


 風を操り、自身の体を上昇させる。黒い液体の波を避ける。


 だが、一人、悲鳴を上げる。


「がッ!?」


 ジャオジャの足に、黒い液体の飛沫が付いた。それは、すぐに染みて、体内へと消えた。


 黒い波が地面へと溶け込んでいく。安全となった地面に、着地する面々。


「ジャオジャ! 平気かいッ!?」

「オオ……ああ、なんともないみたいだゼ」

「……」


『ああ……王よ……愛することをご所望ですか』

 セレナードは、ジャオジャを見て、微笑んだ。そして、右手を上げて、人差し指をジャオジャへと向ける。


 それを、シャリョウが見る。瞬間、脳裏に厭な予感。


「……ッ!! ジャオジャ! 今すぐ此処から離脱だ! 即刻!」

「アアッ? あいつを仕留めなきゃだめだロガ!」


『――――沈潜』

 セレナードの人差し指が輝き、一つの光の線となった。それは一直線にジャオジャへと向かう。そして、反応の余地もなく、胸を貫いた。


「ガッ……」

「ジャオジャ!?」

「……」


 悲鳴を上げるジャオジャ。しかし、倒れはしない。様子が、変わる。



「……ォォォオオオ!? や、やめロッ! 俺の中に、入ってくるナァ!! ガアアアアアアッ!!」

「な、なにが……」

「――今、殺す。お前を。」

 シャリョウが、左手の筆を閃かせる。文字列を、浮かび上がらせる。そして、展開した魔方陣をジャオジャに向けて、発動させた。


「ちょ――――」

 ゾデュの止める声も聞き終えず、迷いなく火炎を顕現させる。



『燃え尽きる運命』

昏森の蜘蛛メアの糸


 火炎はジャオジャを焼き尽くさんと迫るが、そこに立ちふさがるように、闇の糸が出現した。空間を接着点とし、宙に浮いたそれは、炎を真正面から受け止め、周囲に流し、霧散させた。


『愛の営みを邪魔するだなんて、無粋だわ。悲哀に満ちた者たち……大丈夫。私と共になりましょう』

 セレナードは、微笑む。その表情は、悪魔の者ではなく、愛を知るもの。母のような、善性を感じるもの。


『愛に無知なる者たちよ。罪悪に濡れた者たちよ。愛と妄執を求めよ。愛なしに、世界を見つめることは叶わぬ。私が此処に来りて、浄化の救済は施される。ああ……美しさも、儚さも、愚かしさも、醜さも、その全てを愛せ。愛せ。愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せあいあいあいあいあいあいあははははははははははははははは!!!!』


 不気味。悪が浮かべる、迷いない笑顔。そこに、狂気を感じるようで。


「くっ……」


 シャリョウは、下唇を噛んで、悪感情を表した。


「ガアアアアアアッ!! グガァァァ……」


 ジャオジャの胸が黒く染まり、やがてそれは全身へと広がった。そして、ジャオジャの中へと消えていった。


「……」

「……文字の残量、頼りなし……」


 ジャオジャの雄たけびが止まる。



『さあ……懐かしいあの日の抱擁を……王に愛される、献上を……』

 セレナードが地面に立つ。足に触れた地面が黒く染まる。

 そして、両手を差し出した。それは、抱擁する相手を待つように。愛する人を心待ちにする女性のように。


 ジャオジャが、ゆっくりと歩き始める。段々と、セレナードへと近づいていく。


「おいおい……なんて冗談だい、これ」

「……」



 そして、ジャオジャはセレナードを抱きしめた。


『ああ……敬虔なる使徒よ。ついに目覚めたのですね』

「……」


 耳元で。


『――――愛してるわ』


 蠱惑的に、囁いた。セレナードの口から闇の魔力が漂い、そしてジャオジャの耳の中へ入り込んでいく。その度に、ジャオジャの目は虚ろになっていく。


『私のために、王のために……』

「……」


 ジャオジャは闇がこびり付いた地面に立ち、そしてシャリョウたちと、向かい合った。

 その顔は、獣。本能を全て出しつくし、獲物を狩る、ただそれだけを前面に出した、獣人本来の全力。


「――――ガアアアアアアッ!!」


 木々が揺れる。獣の咆哮が向かう先は、隣立っていた者たち。


「ははっ! ジャオジャ、あんた根性ある奴かと思ったら、どうやらそうでもないみたいだね」

「……あの悪魔、恐らくは変質的な能力に長けているのだろう。魔力量や存在感と、戦闘力が比例していない。厄介極まる」

「ふんっ! 関係ないね……あたいが全部、ぶっ壊すさ」

「……」


 ゾデュが、大剣を乱雑に投げ捨てる。そして、自身の右腕に噛み付いた。血が噴出し、あたりに臭いが充満する。そして、ゾデュは己の血の、鉄の味を存分に味わった。


「――――真の獣って奴を見せてあげる」



______



 広場に戻ると、先導しているリーフが奥の茂みを指差した。そこを見てみると、人影が飛び出してきた。


「……ゴーダさん」

「ら、ラードさんん……お、お待ちしておりやしたぁ……」

 声も体も震えっぱなし。どうやら一人でこの広場に待機してくれていたらしい。


「怖いなら逃げりゃあいいじゃないですか……」

「そ、そういうわけにはいきませんぜ! あ、あっしは皆さんの御者の任を預かった身。仕事は最後まで、責任を持ってやらせていただきやす!」

「……ありがとう。ちょっと手伝ってくれませんか。実は立ってるだけでも精一杯なんで……」

「は、はい! こちらの方をお持ちします!」

 と言いながら近づいてきて、シュードさんを持ってくれた。幾分か楽になった。

 シュードさんから貰った治癒ポーションの効き目が切れたのか、またあばらが痛み始めた。痛み止めしか効果ないのか……いや、そんなことはないだろうけど、骨は流石に完治は無理ってことか。


 ゴーダさんが走って一つの馬車の荷台に、シュードさんを優しく寝かせた。俺も付いて行き、ことりとアルフィーを寝かせる。


『みんな、起きるよ。でも、ことりは魂の定着に時間がかかるみたい』

「魂の定着、か……」

『色々な要素が絡み合って、奇跡的に生命の基盤が生まれたの。闇と、聖。両方の性質を持ってる。体に慣れるまで、今は眠るんだね』

 ことりに手を伸ばす。額に触れると、確かな感触。サラサラの黒髪も、柔い唇も、本当に妹のものだ。

 まさか、異世界で再会できるなんて。本当にとんでもないところだ、ここは。死人が蘇るなんて。


 なんとなく、ことりの頭を撫でて、郷愁に浸る。


「二人して、故郷を離れちまったな……」

「……すぅ……ぅ……」

「親不孝者だな、俺たち」


 返事はない。けれど、確かに命の力を感じるこの光景が、嬉しい。今度は、きっと後悔しない。後悔させない。苦しい思いをさせない。もう、自殺なんて二度と。


 すると、正面の布がめくれて、ゴーダさんが顔を出してきた。中の様子を確認したかったらしい。


「運転は任していいんですよね……?」

「も、もちろんでさぁ! サモミールに向かおうと思いやすが、どうですかい?」

「俺もそれでいいと思います。確か、王都よりはちかいんですよね」

「あい!」

「なら、ゴーダさんの判断を信じます……ちょっと、俺も寝かせてもらいます。結構限界で」

「ゆっくりなさっててくだせぇ! そいじゃ、出発しやすぜ!」


 壮馬たちの腰を叩くと、タイミングを合わせて駆け出した。荷台が引っ張られ、動き始める。がらがらと音を立てながら揺れ、周囲の景色を置き去りにしていく。


「……」

 森を見る。今でも、あの悪魔の魔力を感じる。来た時からほとんど変わっていない。思えば、シュードさんと、アルフィーと俺で、一撃食らわすのがやっとだった。恐ろしい強さ。個としての存在感は圧倒的だった。

 シャリョウさんたちは大丈夫だろうか……。


 そうして思考しながら、しばらく馬車に揺られる。そろそろ、水上都市サモミールが見えてくるころかもしれないな……。


 後部に出て、周囲を見渡そうとした時。


「う、うわぁ!!」

「どうした!?」

 ゴーダさんの悲鳴を聞いて、すかさず前に向かい、正面の布をめくって外に出る。

 ゴーダさんは、指をさした。


「み、見てくだせぇ……」

「え……?」


 そちらを見た。



「────」


 街道に、一箇所に積まれた肉塊。遠目からでも分かるほどに大きく、赤黒く。そして、近くには金属の剣やら鎧やら。


 誰のものかは明白。問題は、その大きさ。

 何人だ? 何十人だ? これは、冒険者たちのものだ。一体何があった。誰かに襲われたのか? あの悪魔? いや、しかしあの森から離れていないだろう。


 この異常事態の原因が、まるで分からない。


「……」

「な、何があったんでさぁ……こ、こんなの初めて見やすぜ……」

「……サモミールは?」

「あ、アレですぜ。もうすぐ着きやす」


 指差した方向を見ると、壁に囲われた都市が見えてきた。壁から水が流れ出ている。水上都市というだけあって、水を扱う機会が多いのだろう。

 しかし、今はそんなものどうでもいい。魔力感知。己の残った魔力を、薄く伸ばしていく。やがて、都市の内部に魔力を巡らせる。


 そして、感じるのだ。都市の内部で、激しい魔力の揺らぎ。誰かが、大人数で戦っている。そして、その相手は……禍々しい、蠢く闇の魔力。


 まさか。森からも感じるぞ。いや、まてよ……。


「────まさか、悪魔が二体?」

「え、え? な、なんですかい?」

「サモミールにも悪魔が襲撃しているようです。このままサモミールに向かうのも危険かもしれません」

「えぇ!? そ、そんな……なんですかい。悪魔がこんなに、急に……どうなってんでさぁ……」

「進路を変更して、王都に向かいましょう。恐らく、サモミールの悪魔は撃退されるでしょうが、戦いの余波に巻き込まれかねない。今行くのは危険だ」


「そ、そうですぁね。賛成でやす。今すぐ馬を方向転換────『あれあれぇ? まだ生きてる人間がいるじゃないないかぁ』



 上から、声。突如現れた、暗い魔力。一瞬にして、上空が闇に覆われたような感覚。


 世界が、音を止めた。


「────悪魔」


 そう言われたものは、微笑みを浮かべ見下す。


『そうそうなんだ。僕は悪魔さ。名前はしゅ、シュトローマって言うんだけどけど』

「ひぇぇ!?」


 まるで、子供が悪魔ごっこでもしているような容姿だった。そいつは、そこにいた。

 魔力を張り巡らせていたのに。感知に反応はなかった。まるで、瞬間移動してきたという風に、その災厄は突然現れた。


『まあまあ、今から君たちは死ぬことになるからから。覚える必要は、ないけどけどね』


 悪魔の魔力が蠢く。とてつもない、嫌な予感。


「ゴーダさん! 今すぐ馬車を──」



『────僕には、関係ないことだ』


 ────ブン


 何か、空間が揺らめく音と共に、視覚、聴覚、嗅覚、その全てが闇に消えた。

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