青空教室
「おや、先を越されるとは」
一本に結ってある髪が、風で横になびいている。
昨日会ったときのゴーグルはしていない。恐らく、研究の際の目の保護用なのだろう。
「俺の故郷は10分前行動が基本でして」
「いい風習じゃないか」
元宮廷魔術師は笑う。彼の居た王宮では1時間前行動とかになってそうだけど、そういうので張り合わないところに人柄の良さを感じる。
「今日はいい風だねぇ」
「……そうですね」
彼のコートと、俺の外套がはためいている。草原の、一抹。
「はじめようか」
「お願いします」
青空教室、開幕。
______
「君は、魔力についてどの程度理解しているのかな」
「魔力について……ですか。目に見えないもの、何か圧を感じるようなもの、そんな感じです」
「ふんふん。認識できているなら話は早いね。どれ、今魔力を練ってみるから、どう感じるか言ってみなさい」
スーバさんがそういうと、彼の纏う空気が一変する。魔力だ。
感じるままに、言葉を紡ぐ。
「スーバさんの周りの空気が重く感じます。圧力があって、鳥肌が立つ感じです。なんか、空気がそこを避けているようにも」
「なるほどね……君は魔力感知はほぼできているよ。しかし不思議だね。魔力の扱い方は分からないのに、そこまで感覚が鋭くなっているのは」
「まあ、色々事情があって……」
魔性体らしいっすよ、俺。研究材料として解剖されそうだから言わないけど。
「ふーむ、ちょっと座ろうか。話が長くなってしまうからね。お、ちょうどあそこにいい感じの岩があるじゃないか」
一緒にそこまで行く。どっこいしょーと言いながら腰を降ろすスーバさんに苦笑しながら、聞く。
「魔力ってのはなんなんですか?」
その質問に、顎に手を添えて考えるスーバさん。まあ、範囲が広いとは自分でも思うが、マジで何も知らないからな。
やがて、話す内容がまとまったのか、口を開いた。
「魔力……それは全ての生命、物質が生まれながらにして持つ、力の源のことだ。我々人類を基準にして話すけど、例えば、生後一日の赤ん坊でも、老衰で死に掛けている人でも、魔力を持っている。そう、生命が維持される限り永続的に生み出される……魔力が生み出される場所のことを、私たち人間は
「想源……」
「そう。想源。場所と表現したのは、便宜上だね。想源は、体のどこにも存在していないんだ」
存在していない? どういうことだ。
そう思っていることが伝わったのか、彼は説明を続ける。
「想源は、私たちが考え行動する……この、自意識の中にある」
「自意識の……中?」
「ああ。意識の狭間……とでも言うべきかな。現実と、空想の間。私たちの意思がぎりぎり介入できるような、そんな場所に魔力を生み出す概念がある」
「……ちょっとよく分からないんですが」
「まあ、今は魔力は頭から作られていると思ってくれていいから」
自意識の中……か。なら、俺が魔力と触れ合っていたあの場所、あそこは俺の自意識ということだろうか。
区切りをつけるように、スーバさんが喉を整える。
「つまり、魔力っていうのは無のようでありながら有である……いわば、半物質とも呼べる存在なんだ。そこに存在しているし、していない。けれど、想えばそこには、確かに存在するようになる」
「はあ……」
「まあ、例えばね……」
すると、スーバさんはその場で片手を宙へ浮かべる。その先には、まだ小さい若木。
『姿を現して』
スーバさんがそう言うと、彼の手の周りに魔力が集まり始める。それは、彼の体から集まっているのはもちろん、周囲の空気や自然からも集まっている。
そして、人差し指で魔力を弾くように、手を動かした。
勢いよく射出された魔力の塊は、そのまま若木へと向かって――
――――バン
そんな音を立てて、若木は両断された。
スーバさんの方を振り返ると、話し始めた。
「今のを見て分かるとおり、魔力というのは想えばそれに答えてくれる。そこに身を現してくれるものなんだ。ちなみに今のも、かなり簡略化した魔法だ」
「え、魔法だったんですか」
どうみても魔力を集めて弾いただけにしか見えないけど。
「魔力を行使して何かをすることを全て、魔法と呼ぶんだ。魔力は行使しないと実体化しないからね。私は今、魔力に対して『姿を現して』とお願いしたのさ。まあ、これは別に適当に考えたものだから、『姿を見せろ』とか、『その麗しいお姿をお見せください』でもいいんだ」
「……」
俺は右手を近くに転がっている小石に向けながら、こう呟いた。
『姿を現せ』
俺の体を纏っている魔力は、動く気配がない。
「……?」
スーバさんがなんとも言えない顔をしているが、まあ今は置いておこう。
少しすると、俺の体の魔力はやはり動く気配はないが、周囲の空気から魔力が集まっているのを感じる。それは、先ほどスーバさんが集めていた魔力と比べて遜色ない程度に集まった。周囲からの魔力のみで。
「おお、ええ? 君は一体……」
「……」
ピンピン。人差し指で弾こうとしても全く動く気配がない。というか干渉できない。
「……ああ、さっきは言わなかったけど、別に文言を言う必要はないんだ。心の中で、意識の中で思えばいいんだよ。何かを言ったり動作を入れるのは、イメージがしやすくなるからするものだ」
「あ、そっすか」
恥ずかしい思いをした。心の中か。
飛ばす。つまり、何か飛ぶものをイメージすればいいのだ。なら、俺の中で一番印象に残っているアレを、もう一度想起すればいい。
(えっと……飛べ)
すると、右手に集まった魔力が勢いよく射出され、小石を砕いてなお動き、地面を少し抉った。
「……君はすごいな。魔力の扱いは初めてだろう? 何を想像したんだ?」
何を想像したか……単純に物が飛ぶ姿を思い浮かべた時、この世界に来た時に見た……あの巨大な怪鳥が飛んでいく様を思い出したのだ。
「えっと、ブラン山脈で見たクソでかい鳥が飛び立つ感じのイメージですかね。でかすぎて山のほとんどが影で暗くなってました。あの時に感じた……恐怖と、リアルな……飛ぶという強烈なイメージが……」
「……それは、
「ああ……んー俺もなんとなくしか。でも、多分、そのうち解決できる問題なんで、先に進んでもらっていいですか?」
「そうかい? 君がそういうならいいけど、君自身の魔力の操作に困ったら、いつでも相談に乗るよ」
「はい」
多分、俺はまだ自分の魔力と向き合えていない。教会のとき、俺の魔力を見てくれた……ソラノさんは、魔力と仲良くなれると言っていた。意思の交換が可能だと。俺はまだ、俺自身の魔力の意思を感じ取れていない。
あの場所に、自分から行くのは無理だ。あれはきっと、呼び出しを食らっている感じだ。なら、気にしてもしょうがない。いや、あれだな、めっちゃ気にしよう。めっちゃ意識したろ。かつて女の子に優しくしすぎて、「もしかして〇〇君って私のこと好きなの? ごめんけど気持ち悪いわ」と言わしめた俺の意識っぷりはやべえぞ。
『――――』
「え?」
「ん、どうしたんだい、ラード君」
今、無意識になってもいないのに、魔力の意思を感じたような……。
「いや、今……なんでもないです」
今は、置いておこう。
「そうか。じゃあ、次は魔法属性の話だね」
すると、スーバさんは右手の手袋を取った。そして、手を開き、親指以外の指を強調した。
「魔法には、属性がある。大まかに、炎、水、風、土がある」
炎、と言うと人差し指から火が、水と言うと、中指の上に浮かぶ水が、風と言うと、薬指の上に風の塊が、土と言うと、小指の上に土が浮かんだ。
それは、何もない空間から生み出された。
これが、魔法。
スーバさんは右手を閉じると、それらは魔力を失って霧散する。水と土は、地面に落ちた。
そして、語る。
「属性といっても、大まかな区別ということだけだ。これから派生する魔法……例えば、氷魔法や雷魔法。回復魔法に、毒魔法まである。他にもたくさんね。もちろん、個人個人によって、得意な分野は違う。そして、魔法に属性という要素をつけるなら、確実に必要なことがある」
「それは?」
「それは、魔法に付加価値をつける工程だ。例えば、詠唱。例えば、魔方陣。やり方は色々あるけど、必ず必要なもの。属性魔法は、魔力を実体化させるだけの、ただの魔法とは違う。付加価値をつけることによって、その威力は増大する」
「なるほど……でも、それって前準備が必要じゃないですか?」
詠唱は時間がかかるし、魔方陣なんて描いてる暇はない。まあ、仮に、戦争とかで戦術的に魔法を使うなら別だろうけど……。
「ははは! それこそ、魔法使いの実力を決める決定的なポイントだよ」
すると、スーバさんが立ち上がる。そして、少し離れたところで立ち止まり、遠くにある大木に、右手を向けた。
「僕はこれでも元宮廷魔術師でね」
魔力が練られていく。今まで感じたことがないレベルの、とてつもない量の魔力だ。それは、周囲の魔力も根こそぎ奪い取り、自分の糧としていた。大地が揺れているような気がする。空気が、魔力に触れ震えている。
「何を――――」
『展開』
彼は言う。その瞬間、彼の周りを漂っていた魔力が、実体化する。
魔力が紫色の光を放ち、幾何学的模様、つまり魔方陣をかたどっていく。それは、スーバさんの右手を中心として、完成した。それは、1秒に満たないほどの、一瞬。
そして、彼は宣言した。
『
その瞬間、魔方陣がより一層強く輝いた。その中心部から、視認できるほどの濃い魔力を纏った暴風が顕現する。それは、元の世界で見た、台風やハリケーン。そういったものを極限まで圧縮した、全てを破壊する悪魔の権化。
恐怖すら覚えるほどの濃密な魔力は、指向性を持って、正面の大木へと射出された。
その暴風の塊が大木に触れたと思った瞬間。
――ボ
轟音。破裂音。その暴風の固まりは大木に触れて、その内包された力を爆発させた。大木は一瞬で弾け飛び、それでもその破壊は止まらない。周辺の木々の葉を全て飛ばす。凄まじい風が俺のところにまでふぶいて、外套がばたばたと音を立てる。目が急激に乾き、咄嗟に両手で顔を庇う。
「うぅおおお!?」
やがて、それは止まった。両手をどけてその破壊が行われた場所を見る。
破壊された木々、草が剥げた地面、その中心部にできた穴。周辺の木々の葉は全てどこかへ飛び去っていってしまった。
「――――とまあ、こんな風に魔力の扱いに工夫すれば、属性魔法の行使も簡略化できるんだよ。今みたいな、魔力で魔方陣を描くのはほんの一例さ」
「……それ説明するなら、こんなになるまでする必要ありました?」
「ははは! 第一印象は大事だからね。これ、人間関係を築くときの基本だよ」
外套を羽織りなおす。危うくどこかに飛んでいくところだった。
「……それで言うならスーバさんに若干恐怖を覚えつつあるんですが」
「ありゃ、それは失敗だなぁ。でも、あれは比較的簡素な風魔法だよ。あれでびっくりしてたら、上級魔法を見たときは心臓が口から飛び出ちゃうかもしれないね」
あはは、と笑うスーバさん。対照的に、全く笑えない俺。
E級昇格試験の魔法使いの子の魔法も見ててすごいと思ってたんだけど、これを見た後だと可愛らしく感じるぜ……。
というより、スーバさんがすごいんだろう。これを平均とするなら、今頃ミクラン森は禿げている。
これが、宮廷魔術師だった者の実力。
こんなのがうじゃうじゃいる王宮は安全だわな……。
と考えていると、スーバさんがまた岩に腰掛けた。そして、話し始める。
「魔法に付加価値をつけるのに一番簡単なのは詠唱だね。高度な属性魔法は、やはりそれ相応の高度な工程が存在する。魔方陣だとか、精霊を介すだとか、ね。下級の属性魔法なら、詠唱で問題ない」
「精霊?」
「ああ、説明してなかったね。精霊とは、魔力とほぼ同質な存在でありながら、自我を持ち魔力から独立した存在のことだ」
「……」
「濃い魔力は自我を持つというけど、それが更に強い濃度で、かつ長期的に維持されると、やがて精霊が生まれる。精霊は我々には見えないが、魔力を認識するのと同じように、感じることはできる。稀に、精霊と交信をできる才能を持った魔法使いが出てくる。彼らは、その才能をもって、精霊使いとも呼ばれることがあるね」
……精霊、か。
「まあ、精霊については置いておいて。ラードくんは魔力の扱いにもう慣れたみたいだから、僕が簡単な魔法の詠唱文を教えてあげよう」
「あ、そんなことまで……ありがとうございます」
「まあ、暇だからねぇ」
元宮廷魔術師がそんなんでいいのか。
俺とスーバさんの青空教室は、日が落ちるまで続いた。
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