森の悪餓鬼
液体に包まれている。それは、液状化された魔力だと今は認識できる。
確かに、力を感じる。そして、それが俺の一部として、ここらを漂っているのだと、分かる。
『――――――』
触れ合っている。俺と、彼女は触れ合っている。
胸に芽生えた疑問。臆すことなく口にする。彼女と、俺は、繋がっているのだから。怖がる必要はないのだから。摂理なのだから。
「君、名前は?」
『――――』
照れているのか、液体に体を揺さぶられる。聞きたいことは、聞けなかったけれど。
それでも、彼女とは、仲良くなれた気がした。
そんな、気がした。
______
「……朝か」
陽光差し込む窓を見て、呟いた。
先ほどの、不思議体験は、夢なのだろうか。それとも、現実なのだろうか。
体から仄かに感じる温かい感触はきっと、寒くなった外気に比例してそう感じるだけだろう。
ベッドから降りて、サンダルを履く。
(うーん、少し裸足じゃ寒くなってきたな。室内用の靴下とか買わなきゃかもな。ていうか、今までサンダルとはいえ裸足で過ごしてたのって、この宿だと俺だけだしな。もしかして俺ってマイノリティ? 全く、異世界人への気遣いが足りないよ。俺はジャパニーズだぜ……)
気づいていて履かないのは自分の責任だろう……と、どこからか聞こえてくるような雑音を捨て置いて、部屋の扉を開ける。
そして、階段を降りる。
視界に自分がつけているネックレスが映る。前の世界ではアクセサリーなんてしなかったな……と思考に耽りながら、一歩一歩階段を踏みしめる。微かに鳴るギシギシという効果音がどこか気持ちいい。その音を聞きつけたのか、顔をこちらに向けている少女がいた。赤色の自己主張と、白色の清純さ。両方を人柄に表したような少女だ。
彼女の首には、俺と同じ、赤色の宝石がはめ込まれたネックレスがかかっていた。
「おはよ、オリちゃん」
「おはよう! お兄ちゃん」
さて、一日が始まる。
______
「ラードさん、ご無事で何よりです」
「……」
宿を出て、ギルドに着いたのだが。
ヤ〇ーに質問! 目の前にいるのは、青筋を浮かべた担当者です。笑顔がお似合いの素敵な女性ですが、なぜだか自分の背中からは嫌な汗が出続けています。どうしたらいいですか? アンサー、「その人の顔写真はありますか」。
くそ、出会い厨め、こんなところにまで出てくるんじゃない。ヤ〇ー知恵袋で実際に役に立つ回答が来る確率を統計学で調べろ。
さて、彼女が怒る理由は色々ありそうだが。ふむ……どれだろう。悩むなぁ多すぎて。もしかして全部だったりするのかな。ははは。
しかし、冷静に考えて俺が謝罪する必要があるのだろうか。依頼を全うした、それだけのことだ。そうだな、そうじゃん。俺何も悪くねえや。むしろそういう態度を取っていることをギルドマスターに報告してやろうか。
「ラードさん、何か言うことはないんですか?」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした以後このようなことが起こらぬよう精進していきたいと思いますのでどうかお許しください」
ダメだった。大人の女性に逆らえるわけないだろ! いい加減にしろ!
彼女は顔に貼り付けたままの笑顔を剥がし、溜め息を吐いた。うん、笑顔の方が怖いってのは恐ろしいことだな。
「はあー……本当に心配したんですよ。ギルドを出るときにはらしくないセリフを言うし、初の討伐以外の依頼だし、比較的楽な依頼なのに、それだってのに犯罪に巻き込まれてるし、しかも死にかけてるし……」
「……」
心が痛い。
「――――ほんと、無事でよかったですよ」
ふと見上げると、彼女は、こちらを向いて笑っていた。
……冒険者が死ぬのは、珍しくない。呆気なく、死ぬ。俺がこの世界に来てから、そういう話を何回か聞いている。実際に、森の中で赤く染まった冒険者の装備が転がってるのを見たこともある。ギルドで酒を飲んでいる冒険者は、口々にこう言う。
「がはははははっ! 今日は死ぬかと思ったぜ!!」、と。
実際、冗談じゃない。彼らは、冒険者というのは、毎日死に掛けている。そりゃ、街の手伝いの依頼とか、そういうのを受けてれば死ぬ確率は相当低いだろう。だが、冒険者ってのは、冒険をしたがるもんだ。そこには、チキンレースのような、心の天秤を揺さぶられる何かがある。冒険のロマンと、安全。
そんなことだから、どうしても、彼女の言葉が重く聞こえてしまう。
「その……すまない」
「……反省しているなら、いいです。所詮、私は担当者ですから。危険に立ち向かうのは冒険者であるあなたたち。あなたたちが、冒険の主役なんですから」
彼女は宣言した。目を伏せながら。あくまで、支援。しかし、それは、彼女自身が自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「そ~んなこと~言わないの~」
「きゃあっ! ちょ、マール!?」
後ろから、毛の塊がラロさんに圧し掛かった。白い毛と、巻かれた黒い角が、ぴょこぴょこと揺れている。吃驚した。
ひとしきりじゃれあうと、そのマールと呼ばれた羊獣人の女性と目が合う。あ、やべ。フードが少し浅かった。
フードを被りなおす俺を品定めする目がピンク色に輝いている。そして、「ふ~~」と言っている。なんだそれは、鳴き声かなんかか。
髪の毛……? がモフモフしてる。体のほうは普通に肌が見えているので、一見で獣人と判断できるのは角だけだ。
視線を、全体に動かす。
グレーを基調としたフレアスカートに、ゆったりとした薄い桃色のブラウス。
一瞬だけ、光よりも速く胸をチラ見したら、かなりでかかった。ていうか、その胸がラロさんを押し潰していた。
彼女は俺を観察していたが、ふっと息を漏らすと笑みを浮かべ、口を開く。
「ふふ~~ラードさん、ラロはね~~」
あ、名前知ってるんですね。そりゃそうか。ていうか喋り方までゆったりとしていて思考を挟む隙がある。
「ラードさんが~~心配で~~色んなところに~~掛け合ったんですよ~~」
「ちょ! マール!! 口を閉じて!!」
「うふふ~~ラロは可愛いねぇ~~」
そうか。ラロさんが……。
なんか色々おかしいと思ってたんだよな。あれほどの重傷を負った俺が、助かった点。偶然近くに衛兵が通りかかったとは思えないし、ロノーさんとかが連絡してくれてたのかな、とか考えてたけど、ラロさんだったのか。
教会にもいたっぽいし、色々やってくれたのかな。担当はあくまで支援とか言ってるけど……本当に助かったな。
「あー……ラロさん、ありがとう」
「うぇっ!? ちょっと、やめてくださいよ……」
「ふふふ~~」
胸に潰された状態で恥ずかしがって机に顔を伏せるラロさん。多分、その状況のほうが恥ずかしいと思うんですが、それは。
うーん。役得。こういうのは見る側が一番得してるんだぜ。まあ、あんまり凝視されてると思われたくなくてそっぽ向いてるから全然見えないんだけど。
「マール……いい加減にして! 私はラードさんに話しがあるの!」
「はいはい~~怒られちゃいました~~」
ラロさんに怒られ、なおさら嬉しそうにしながら、嵐のような彼女は去っていった。いや、雰囲気はぽわぽわしてるけど、やることはえげつない。
ラロさんは肩に付いた毛などを払っている。赤面……珍しい表情をしてらっしゃる。
眼鏡をしっかりと付け直すと、こちらを向いて話し始めた。
「ラードさん、いいですか。あなたは貢献度がランク昇格の値に達したので、Eランクに昇格することができます」
「……左肩に付いてるぞ」
「……」
俺が自分の左肩の鎖骨のところを指差すと、彼女は若干こっちを睨みながら、毛を払った。
「あ、こっちも」
「………………………………なんですかみんなして。なんなんですかあぁぁぁぁ!」
「え」
泣いてしまった。机に顔を突っ伏して、大の女性が泣いている。えぐえぐ言ってる。んんんん。周囲の目がこちらを見ている。なぜだろう。俺に対して、責めるような視線が多いような気がする。
俺は彼女を気遣っただけなのに、なぜこんなことになるんだ。
えー……どうすればいいんだろう。小さい子のあやし方は分かるけど、大人の女性が泣いている場合って、ええ……こんな場面想定できない。ググレカスという言葉があるが、今の俺にはかの偉大な検索エンジン先生はついてねえんだよな……。
……帰っていいかな。取り返しのつかないことになりそうだが、ひとまずは楽になれる。うーん、一声かけて帰るか。俺の能力不足を恨んでくれ。
「あー……ラロさん、俺」
「……すみません、取り乱しました」
あ、直った。危ない危ない。最低の男になってしまうところだったよ。ていうか目が赤い。嘘じゃなくてマジだったんですね。
「なんかすまん」
「大丈夫です。もうやめてください。私を気遣わないでください。惨めな気分になります」
「はい」
心の中でもう一回謝っておこう。ごめんなさい。
「えーと、なんだったっけ……もうっ。そうだ、ラードさんは昇級できるんですよ。おめでとうございます。E級になりますか?」
E級か。昇級自体は悪いことじゃなさそうだけど……一応聞いておくか。
「E級になると何が変わる?」
「えーと、E級になると、依頼の受注条件が一段階緩くなります。つまり、D級の依頼も受けることが可能になります。まあ、これは私が許可しないので別にいいとして……」
あ、そう……。
「E級に上がることで、普通の冒険者として正式に認められます。これは、自他共に、という意味です。パーティのお誘いも来るようになるでしょう。また、普段はラードさんが依頼を選ぶような形ですが、ギルドから依頼を推薦されることもありますね」
ギルドから推薦、か。まあ、ラロさんなら俺に適正の依頼を持ってきそうだし、ちょうどいいか。
「あと……あ、忘れていました。昇格には実技試験があります」
「え」
一番大事じゃねえか。まあ、てんぱってたしな。
「先輩冒険者がテストを行います。内容は……基本的には、木刀を使った立会い。そうですね……ラードさんはお知り合いがいないので……うーんと……」
なぜナチュラルに傷つけられるのだろう。仕返しだろうか。そんな気はないだろうけどさ。ていうか知り合いがいない俺が悪いんだけど。
ラロさんはしばらく書類とにらみ合いっこしていると、何かを見つけたようで、それを確認した後に顔を見上げて聞いてきた。
「あ、今から申し込みますか? そしたら明日は試験官をしてくださる冒険者の方がいますよ」
「ああ、それで頼む」
えー知らない人に指導してもらうとかマジ無理なんですけどー、と現役女子高生のような生意気な返事をしてもよかったが、知り合いがいないのでその場合だと指導してくれる人がいなくなってしまうのでやめた。
「分かりました。明日のお昼前です。ギルドの修練場を使って試験が行われますので、集合場所はここです。まあ、試験といっても通過儀礼のようなものですから」
「……」
そうは言っても、試験という単語を聞いて緊張しないわけないんだが。
木刀の立会いか。全くもって自信がねえ! 剣の師匠もなし。鍛えた経験……毎日素振りのみ。絶望とはこのことか。
と物臭ってても仕方ない。最悪、落ちてもF級のままだしな。職を失うわけでもなし。気軽に行こう。
さて、依頼を見せてもらうか。働かなきゃ食えねえ。いや、手元に金貨がいくつか残っているから、向こう数ヶ月は大丈夫そうだが。
「ところで、依頼は」
「はい。こちらです」
どれどれ……お、ミクラン森の依頼があるじゃないか。王都と繋がっている街道に面する森で、バラル王国の北側のほとんどを占有している。俺の狩場だ。村や街道に近いところなら危険度が少ない。
『薬草採取』。イラジク草を10本。ノーモス草5本。簡単だな。調合師が弟子に下級ポーションでも作らせるんだろう。
イラジク草は俺が森で巻いたやつ。図鑑で見たら、あの時の記憶もおぼろげながら思い出した。葉が細長いので判別しやすい。
まあ、この薬草採取は受ける。報酬も銅貨20枚とかなり多い。他は……
トド村は、王都と繋がっている街道から少し東南に行けば着く村だ。畑が目立つ農村。まあ、時間があれば、狩る程度だ。そんなに気にしなくていいだろう。
依頼書を5枚、ラロさんに手渡す。
「……こいつらを受けようと思う。どうだ?」
「……ふんふん、いいと思います。受注しておきますね」
「そうか」
なら、行くか。
装備を手早く確認する。剣、弩、靴や服、異常なし。袋にも傷なし。オリちゃんとお揃いのアクセサリーは置いてきた。冒険で失くしたり、最悪邪魔になる可能性がある。
問題、なし。
行くか。
「あ、ラードさん」
「……ん?」
呼ばれたので振り返る。ああ、そっか。まだ聞いてなかったな。
「行ってらっしゃい。頑張ってくださいね!」
「……ああ、行ってくる」
______
街道から、ミクラン森に入る。
森といっても人がよく訪れるので、道はある程度作られている。その道を利用するのは人間だけじゃないが。
森の中を歩く。こうやって歩いていると、ブラン山脈で起きたことを思い出す。
あの時も森を歩いていた。そして虚をつかれ、熊にやられた。あの時の経験が役に立つ。
できるだけ音を立てないように歩く。この集中には慣れたものだ。音を立てないことによって敵に気づかれにくくなるし、敵の物音も拾いやすくなる。
そういう状況だから、剣戟の音は聞こえやすかった。
(金属音……?)
そう疑問に思い、音の方向へと忍び足で向かう。
「近い……ぞ……?」
そこは広場だった。珍しくもない。森の中にいくつかある、木が開かれた場所。
その場所で争いが起きていた。
ゴブリンの集団が広場を囲い、その中心部に人が……4人が固まって背中を合わせて、四方を見ていた。
4人の近くには、3体ほどのゴブリンの死体があった。剣や棍棒が転がっている。
そこで気づいたが、ここにいるゴブリンは全員、武器を持っていた。
棍棒、金属製の剣、弓。
かつて、ラロさんに質問したことがある。
ラロさんはこう説明した。何ももっていないゴブリンは、相当に弱い。人間の子供とほとんど変わらない戦闘力だ。しかし、いざ武器を持って集団になれば、その社会性をもって軍団と化す。そのときの危険度は、
絶対に手を出すな、と忠告されたが、さて、笑い話にもできなくなってきた。
ここから見ただけで、ゴブリンは20体以上いるんだから。
(なんでこんな状況になっちまったんだよ……)
思わず、4人パーティを責める。こんな状況になる前に、どうにかできなかったのか。
全員が、戦闘態勢に入っているが、その表情はどれも絶望的だ。
「ん……? あ、あいつら……」
一回、俺のことをパーティに誘ってくれた奴らだ。過去に一度だけ、剣士♂と、魔法使い♀、弓使い♀の3人パーティが誘ってくれた。あの時を思い出す。フードを被って塩対応したんだった。4人パーティになれたのか。良かったな。うーん、俺は絶望的な状況で一体何を考えているのだろう。
俺がいる場所は、広場からそれなりに遠く、加えて木に身を隠しているので、気づかれていない。ゴブリン共は彼らに集中しているし、彼らもゴブリンを警戒している。
俺は逃げようと思えば逃げられるんだが……。
すると、魔法使いの女の子が杖を掲げた。魔法でも使う気か?
見ていると、あの時。夢で見たような、鳥肌が立つような力が杖に集まっていくのを感じる。
(魔力か)
少しだけ期待するように見入っていると、ゴブリンのうちの一匹が声を上げた。
「グギャ!! グギャギャ!!」
すると、弓を持ったゴブリンが矢を構え始めた。そのゴブリンの様子に、彼らは気づいていない。
おい、やばいぞ、と声を出す前に、矢は射出された。
その矢は、魔法使いの子の足に刺さった。
「――――きゃああ!!」
「グギャ! グギャ!」「グギャギャ!!」
悲鳴と共に、女の子がその場で崩れる。杖から、力が霧散する。彼らは、女の子を見て明らかに動揺した。戦闘態勢が崩れて、ゴブリンを警戒せず、ただただ女の子のほうを見ているのみだった。ゴブリンどもは、嘲笑っている。
――――致命的。この集団、指揮系統が存在している。なら、その油断は。
足を止めている場合ではない。このままだと、彼らは死ぬ。その油断をとって、リーダーが突進の合図を下す。
すぐに、リーダーと思われるゴブリンの方へ回り込む。音を立てているが、気づかれる様子はない。彼らは騒いでいる。
全力で茂みを突きぬけ、指揮を執っているゴブリンの後ろへ着いた。そいつはやっと物音に気づいた。手を振り上げる途中だった。
「もう遅い」
左手をそいつに向ける。そして、右手でもって、その運動エネルギーを解放する。
弩から放たれた矢は、空気の抵抗を受けて、なお真っ直ぐそのゴブリンの喉へと突き刺さった。
「グ――――」
そいつは声を上げる間もなく倒れた。
「グギャギャ?」「グギャ! グギャ!」
周りのゴブリンが、慌て始める。指揮系統がやられた集団の様相そのままだ。
腰にある予備の矢を、弩にセットする。奴らはまだ気づいていない。予備の矢はこれと後1本。全部使えば、この陣形の一部が崩れる。
めいっぱい、弦を引く。そして、矢をセットして、発射する。
「グッ!!」「グギャ!? グギャギャギャ!!」
リーダーの隣に居た奴の胸へと突き刺さり、倒れる。流石に周りを警戒し始めたようだが、まだ俺には気づいていない。
もう一体だ。もう一体倒せば、そこに道はできる。
弦を引く。そして、撃つ。
今度は頭へと突き刺さったが、十分に威力があったのだろう。そのまま倒れて、紫色の液体を出している。即死だ。
もう矢は尽きた。これ以上、遠距離から間引くのは無理だ。
俺は剣を抜いて、身を低く保ちながら、駆ける。広場にどんどん近づき、そして最後の茂みを勢いよく突き抜けた。
______
(クソ。どうしてこんなことになったんだ。最初はゴブリンを追っていただけなのに)
セイル・ノクトーは、後悔していた。このパーティのリーダーでありながら、冷静さを欠いていた自分に。
最初は、ゴブリンを追っていただけだった。ゴブリンは、基本的に冒険者を見かけたら、考え無しに突っ込んでくる。なのに、そのゴブリンはセイルらを見ると、森をかき分けて走って逃げたのだ。
その時に、多少の違和感はあった。だが、気のせいだと割り切って、後を追うことにした。パーティメンバーにも意見は聞いたが、全員同意していた。
だが、彼らを責めることはできない。パーティの決断を下すのはリーダー、つまり俺なのだから。
そのゴブリンは、開けた場所にいた。こちらに背中を向けて、無防備を晒していた。
それが始まったのは、ゴブリンに近づいて、広場に入った瞬間だった。
「グーギャギャギャギャギャギャギャ!!!!」
ゴブリンの大きな声が辺りに響いた。それは、追っていたゴブリンが出したものではない。周りの森の中から聞こえてきたもの。
そして、それは現れた。
「え……」「ちょ、ちょっと……」「おい、嘘だろ……」
パーティのメンバーが口々に言う。しかし、それもこの光景をみれば、納得できる。
茂みから、こちらを囲むようにゴブリンの集団が現れた。
「グギャギャギャ!」「グギャ!」「ギャーギャギャギャ!!」
1、2、3……数えるのも億劫になる。完全に、囲まれていた。
ふと来た道を振り返ると、やはりそこにもゴブリンはいた。即座に状況を判断して、指示を下す。
「全員背中を合わせろ! 飛び出してきた奴から攻撃だ!」
「うん……」「分かったわ!」
「おう! セイル、お前はナーサを守れ。 俺はアルフィーを守る」
心強い返事をしてくれる仲間が居ることに少しの安心感を覚えるが、しかし絶望的な状況には変わりない。
「――グギャ」
一匹のゴブリンが、声を発した。
「グギャギャ! グギャ!!」
ゴブリンが、3体飛び出してきた。ナーサの正面だ。ナーサは構えた弓をそのゴブリンに向け、真ん中のゴブリンを射る。その矢は、頭を捉えていた。
すかさず前に出て、右側の少し前に飛び出しているゴブリンを力任せに斬る。斬った後の様子を見ている暇はない。
左の遅れているゴブリンが剣を振るってきていた。剣を横に構えて、受け止める。けたたましい音が辺りに響く。
そのゴブリンは、受け止められたことで体制を崩した。再度体制を整える前に、首を斬る。首が飛んで、紫色の体液が噴出された。
「ふう…」
この調子でゴブリンどもが飛び出し続けるなら、かなり厳しい。
だが、こっちには遠距離攻撃がある。大丈夫、凌げるはずだ。
セイルは自分に言い聞かせていた。確かに、この陣形は正しい。どの方向からゴブリンが突っ込んできても対処できるし、後衛職を守るのに効率的だ。
ただ、それは敵が遠距離攻撃を持っていない前提の話しだ。
「アルフィー、炎魔法、使えるか?」
「……分かったわ。魔力を練る」
すると、アルフィーは杖を両手で持って、集中し始める。
魔法は威力が絶大だが、その準備に魔力を練る必要があり、加えて詠唱もしなければならない。時間がかかる。
だが、幸い、ゴブリンどもはすぐに動き出す素振りはない。大丈夫だ。アルフィーの魔法が決まれば、かなりのゴブリンを減らせる。そうしたら、ナーサを守りながら、敵を全滅させる。
彼ら全員が、アルフィーの魔法を待っていた。しかし、それはパーティのメンバーのみ。
ゴブリンは、魔法の発動など、待たない。
瞬間、どこからか風切り音が聞こえてきた。そして、気づいたらアルフィーの足に、矢が刺さっていた。
「――――きゃああ!!」
「――え」
「グギャギャ!」「グギャグギャ!」
矢。なんで。ゴブリン? ゴブリンが矢を? アルフィー、今すぐ治療しないと。
彼らは、静まっていた。ゴブリンの嘲笑と、魔法使いであるアルフィーのうめき声だけが、パーティメンバーの耳に突き刺さる。
誰も、動けない。誰も、動こうとしていない。みな、この状況を、受け入れようとしている。
一匹のゴブリンが腕を上げようとした。それを、リーダーのセイルはただただ、呆然と眺めていた。
「グ――――」
そのときだ。そのゴブリンが急に森のほうを振り返ったかと思うと、何かの衝撃を受けて、倒れた。
「グギャギャ?」「グギャ! グギャ!」
周りのゴブリンが騒ぐ。今までセイルたちを見ていたゴブリンたちは、各々視線を彷徨わせる。
しかし、セイルは見た。森の奥から飛んできた矢を。その矢が、寸分の狂いもなく、ゴブリンの喉へと突き刺さったのだ。
そして、呆然としている間に次の矢が飛んでくる。それは近くのゴブリンの胸へと突き刺さり、倒れた。
「救援、か?」
ドイルが呟く。彼の目には、少しだが希望が灯り始めていた。
それをみて、セイルも止まっていた脳を動かし始める。
またゴブリンが倒れた。今度は頭に刺さっていた。恐ろしい精度だ。どれも急所を捉えている。そして、同時にセイルは確信する。これは救援だ。俺たちに向けられた、救いだ。
「――ぁ」
パーティに指示を下そうと思ったら、声が掠れて出なかった。先ほどの恐怖が、まだ喉に張り付いていた。
剣を、握りなおす。ナーサも、呆然とするのをやめ、弓を構え始めた。ドイルも、剣を握りなおしている。
やがて、その人は現れた。
その人は、茂みから勢いよく飛び出し、そのまま目の前のゴブリンの首を斬り飛ばした。その体を踏みしめ、横へ回転し、隣のゴブリンの首も切り飛ばした。そのゴブリンは、反応すらできていなかった。
茶色の外套。薄緑のズボン。どこにでもいそうな、冒険者だ。なのに、とんでもない存在感だ。
その人は、こちらを見て、叫んだ。
「こっちだ!!!」
脳がその言葉を認識したとき、もう既に、恐怖は体を解放していた。
「――――全員! あの人に向かって走れ! アルフィーは俺が運ぶ!」
声を張り上げ、指示を下す。
俺の怒声が、パーティーメンバーの硬直を解く。
「俺が道を作るッ!」「私も……やれる!」
心強い仲間の声を聞きながら、行動を開始する。
傍で倒れているアルフィーに背を向ける。彼女は迷いなく、俺の肩に手を伸ばし、体重を預けてきた。
「――お願い」
「もう少しだけ、耐えてくれ」
きっと、足に刺さった矢が痛くて、今にも叫びだしたいだろうに。
強い人だ。リーダーの自分より、よっぽど。
「グギャギャ!!」「グギャ!グギャギャ!」
怒った様子のゴブリンたちが、一斉に近づいてくる。弓使いであるナーサが前方の邪魔になっているゴブリンを射って、横から近づいてくるゴブリンを、戦士のドイルが切り捨てる。
二人は両側を守る盾のように立ち回り、俺とアルフィーが通る道を作る。
だが、近接戦は不得手な弓使いのナーサは、物量に負けて、危険域までゴブリンに近づかれてしまった。
「ナーサ! 危ない!!」
「――っ!」
その場で跳ねたゴブリンの振り下ろす剣が、ナーサに向かって一直線に。その先の光景は、想像に易かった。
ナーサは目を瞑り、俺はナーサの未来を直感した。
だが、その未来は訪れなかった。
いつの間にか、すぐ傍まで近づいていたあの冒険者が、微かに視認できる速度の剣でもって、そのゴブリンの腕を切り飛ばした。
彼は振り返り、言う。
「殿は任せろ」
「――助かる!!」
その人はナーサを庇うようにして体を割り込ませる。
次々に来るゴブリンの攻撃を剣でいなしている。
頼もしい人だ。
先に行く。アルフィーを背負っていては、剣を振るえないし、ここにいては足手まといだ。
ナーサと一緒に、森の中へ入る。ナーサはそこで立ち止まって振り返り、弓を構えた。
ドイルとその人が退いてくる。ナーサはそれを追う最前線のゴブリンの頭を射った。
ドイルとその人と合流する。ゴブリンは足が短いので、走るのが遅い。とはいえ、立ち止まっていてはすぐに追いつかれる。
(どうすれば……!)
俺が思考を巡らせていると、その冒険者がフードを取った。
黒髪。深淵を思わせるような……何物をも飲み込むような闇の黒。
その存在感に、全員が思わず注目する。
「こっちだ」
その人は俺たちを先導するように、森の中を走り出す。
一瞬のためらいもなくついて行く。後ろから、ゴブリンどものけたたましい叫び声が聞こえる。
それは、嘲笑しか聞こえなかったゴブリンたちの、敗北の怒りの声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます