教会と騎士と
体が沈んでいく。
これは、意識の底。不思議な力を持った、何かの海。体に流れるどの液体とも違う、意識が作り出した妄想のようなもの。現実と空想の境目にのみ存在するような、白昼夢のようなもの。あるいは、四次元的物質。
それは、赤ん坊を守る羊水のように、俺を包んでいる。確かに、守られていると感じる。
今まで、感じたことのないこそばゆい感覚だ。夜の街に飛び出しても、どこか安心してしまう、そんな感覚。
以前は、蚕食されていくような、そんな感覚だった。
俺は、それと相対する。いや、立ち並ぶ。
『――――魅てる?』
何かを言っている。その意思の意味は、よく分からないものだ。けれど、好意的な言葉だと、どこか納得できてしまう。
以前は触れ合えなかった。感じられなかった。今は、何よりも近い存在となっている。
伝えたい、感情がある。
「魅てる」
『――――』
それは、少しだけ海の流れを変える。その様子が、なぜだか少し照れているように見えて、少し笑う。
少し、笑う。
______
「――大丈夫だ、悪いようにはしない……」
「約束してくださいよ! 彼は依頼を全うしたんですから!」
「……誰が見ても、火を見るより明らかだが、規則でな」
見える天井。陽光が透き通るガラス。体を包む柔らかい布団。
その部屋から見える扉の向こう側から、話し声が聞こえる。一つは、毎日のように聞いている、ギルド員の彼女の声。
もう一つは、低くて渋い、厳格な雰囲気を持った声。
それらを体に刻み込み、意識を覚醒させる。瞬きをして、現状を再確認しようとした。
その時、視界いっぱいに金色の何かが現れる。サラサラと絹糸のように組み合わさり、小さな音で曲を奏でるそれは…………髪の毛。思考がぶっ飛ぶ。
認識するまで時間をかけていると、中央、白色の瞳が俺の瞳を見ていた。
「うぇ」
「君、大丈夫?」
まるで気にしていない様子で、彼女はそう言った。
…………先ほどから、鼻がむず痒い。匂いもそうだし……ていうかめっちゃいい匂いだ。え、すごいいい匂い!
これは……とてつもない美人が、俺に被さるようにして、こちらを見ているということだろうか? そういうことでよろしいのだろうか。
きめ細やかな肌、純白の宝石のような瞳。淡いピンクの唇は、どことなく煽情的でありながらも、天真爛漫かつ清い側面もあり、神秘的な趣を保っている。
…………俺は一体、何を感じているのだろう。
「えっと…………」
しかし、この状況が永遠に続くのは、俺の精神衛生上よろしくない。早急に立ち退いてもらわねば。
「誰……はい、大丈夫ですけど」
「ふふっ。元気になって良かったね」
というと、視界から金色の髪が消えていく。
俺の首筋をサラサラと這うように動く、垂れてきた彼女の髪の毛が、離れていく――――
「――――ぁ」
「ん? どうしたんだい、少年」
「い、いえ…………その、少しくすぐったくて…………」
彼女は「はてなマーク」を頭の上に浮かべる。無自覚なのか、なんなのか……まあ、俺には関係のないことだ。
……起き上がらねば。
まだ少し痛む体を起こして、状況確認をする。
彼女はそんな様子の俺を見て、「お~」と声を上げた。
「やっぱり、若者だね。元気いっぱい」
「若者って……あなたもでしょう」
「! 君…お姉さんを口説くにはまだはやいんだからね」
口説くもなにも事実だろう。あんた見た目20ぐらいだけど。
赤面の照れ隠しに俺を使うそのお姉さんは、もじもじと体を揺らしている。やがて、その動きを止め、扉の方に向かって歩く。
そのお姉さんは、そのままの勢いで扉を開けると、誰かを手招きした。扉の奥からがしゃがしゃと音を立てながら、その男は入ってきた。
全身を銀色に輝く鎧で包んだ、見るからに騎士なダンディー。男のロマンがそこにある。
「かっけえ」
茶髪、茶色の髭。水色の瞳が俺を射止める。その男の頬は、少しだけこけていた。
厳格な騎士という雰囲気を持つのに、顔だけはなんだか中間管理職の苦労人といったところだ。
その男は俺の言葉を聞き、「ふっ」と少しだけ苦笑すると、話しかけてくる。それは、少しだけ労わるように聞こえた。
「君が、あの亜人族の……彼女を救ったのか?」
その問いで、どこか現実逃避していた自分が、一気に現実へと引き戻される。
彼はなんでもない風に言った。彼女を救ったのか? と。きっと彼は、真にその疑問を口にしているだけだろう。俺が彼女を救った、その事実の再確認の為だけに。
彼女を救った。その一点のみに絞れば、その所業は敬意を表され、賞賛されて然るべきものだろう。
例え、裏でどんなことが起こっていようと。
誘拐。人身売買。犯罪組織……殺人。
俺は、加害者となった者に慈悲など必要ないと考えていた。人道を違えるような奴は、その場で死刑にでもすればいいと。
しかし、どうだろう。確かにあいつらはクソ野郎だった。擁護のしようがない、最底辺の最底辺。
だけど、この手に染み付いている、彼らの肉を切り裂く感覚は、鼻の奥にこびりついた血の臭いは、耳に残るこの世を厭うような、悲鳴は、この下せない溜飲は。
俺は納得しているのだろうか。
この感覚を、あの空気を、共有させてしまった彼女のことを、救えたというのか。
彼女の目には、俺がどう映っていたのだろう。
もし仮に、あの屑にも守るべき家族がいたとしたら。
日本に居たときの倫理観が、狂っていく。きっと、この世界に順応できたら楽なのだろう。冒険者は、危険に向かって進み、死ぬ。貧困に苦しむ人々は、食料に飢えて死ぬ。騎士は、守るべき民の盾となって、死ぬ。
この世界の死は、身近に存在する。今でも、ゴブリンの首を斬るときに、どこか躊躇している自分が、この世界に居ていいのだろうか。
元々この世界の住民でもない俺が、何の権利を持って人殺しを――――
「――――誇りなさい」
顔を見上げると、彼女が……お姉さんが、こちらを見守るような、諭すような、躾けるような厳しい顔をしていた。
「あなたのやったことは間違いじゃないわ。ならせめて、残った者として、後悔だけはしてはいけない」
内心を見透かすようなお姉さんの言葉に驚く。
「……お姉さん、心が読めるんですか?」
「ふふっ、少しね。人身掌握が得意なの。今私に惚れかけたでしょ?」
「むしろもう惚れてますね」
「後悔だけはしてはいけない」……か。
それはきっと、先に旅立った者にはもうできないこと。ただ、救われてほしいとだけの願いを受け、安らかに眠る者たちの……。
その言葉に、幾分か救われた気がした。気持ちが軽い。
「――――そうです。俺が彼女を救いました」
騎士の男を見て、そう言えた。
「……そうか。まあ、そうだろうな」
「はい。彼女は、ミーちゃんは無事なんですよね」
「もちろんだ。お前が守ったんだからな。全く、何を気難しいことを考えてるか知らんがな、お前さんは一人の娘を救った、これだけのことだ。俺はお前を尊敬している」
こういう、気恥ずかしいことを言うのも、ファンタジー感溢れる騎士とのやり取りなら全く恥ずかしくない。いや、嘘。少し恥ずかしいかもしれない。
騎士の彼は……この世界の住民はもう、顔パスのように自己嫌悪を乗り越えてきている。
今、少しだけ、この世界に近づけた気がする。
「さて……お前さんには色々と聞かなければならないことがある」
「はあ……なんでしょう」
なんだろう。ああ、この事件のあらましか。
すると彼は、手にしたこの事件の資料らしきものを近くの机に放り、喉を整えた。
……何か妙だな。今回の事件とは関係ないことか? しかし、何も心当たりはないが……
「――この街に入った記録がないんだが……関門での入街税支払いの記録等にも、お前さんの名前がなくてな。俺はこういった報告を一切受けてないんだが」
「すみません全部説明します許してくださいお願いします」
心当たりしかなかった。どのあたりに自分の身の潔白を感じていたのだろう。
彼に事情を説明しなければ。入街税とか今なら払えると思うが。もしかして利子とか発生してる? とんでもない金額に膨れ上がってるんじゃないか? 上の人は犯罪者にはこんぐらいでええやろ~とかそんな気持ちで決めてそうだし。
内心覚悟を決めていると、突然目の前の男がふっと息を吐いた。
「……ふっ。素直だな」
「え?」
「『ガイナ・アルヴェスタ』がお前さんを匿っているんだろう。お前さん、名前はなんという」
「……ラードでう」
ジジイと知り合いか。てか噛んだ。
「『ラード・アルヴェスタ』、だな? 全く、あの爺さんには困ったもんだ……お前さん、これは偽名なんだろう?
真名? 偽名なのは確かだが。
「真名ってなんですか」
「……そのままだ。本当の名のことをいう。名前には……言葉には力が宿るものだ。お前さんの名前には、ガイナの爺さんの力が宿っている……まさか、親があの爺さんってことはあるまい。爺さんは生涯独身だからな」
「……」
「まあ、答えたくなければいい。単純な興味だからな。名を隠す理由など、それは個人の領域だからな」
「そんなんじゃない……じゃないかもしれない」
「どっちなんだ」
わははと笑いながら、彼はお姉さんに、肩をはだけさせるポーズをした。
なんだこいつ、ふざけてんのか? と思ってたら、俺の着ている病人服のようなものの上半身を、お姉さんが脱がしてきた。
なにか意図を感じたので、抵抗しないでいると、上裸になってしまった。
胸を見ると、何もない、正常な体になっていた。いや、少しだけ痕が残っている。何かをしたと分かるぐらいの、小さな痕。
「お前さんの怪我はすぐに治療しないと命を落とすぐらい深いものでな。すぐにこの教会に運ばせてもらった」
「教会……? ここ、教会なんですか?」
「そうだよ~私、聖職者なんだけど、そう見えない?」
お姉さんが代わりに答えた。聖職者というから、修道服みたいなものを期待していたが、そんなものは存在していないらしい。
横目に、お姉さんを見る。
白と黒を基調としたフリルが少し多い、けれど丈が長くゆったりとしていて奥ゆかしい趣のスイングドレスに、桃色の、少しの羽衣を腕に掛けて垂らしている。スカートの部分が短くて、外気に晒されている艶かしい生足をカバーするように、大きめの茶色のブーツ。
どっちかというとアイドルとか天女みたいな服装だけど……これが正装なのか? 素晴らしい宗教だな。是非とも入らせてもらおう。
そんな俺の様子を読み取ったのか、騎士の男が割り込んでくる。
「おい、勘違いさせるな。そんな派手な格好をしてるのはそいつだけだ。エリメル教の正装は違う」
エリメル教……か。
「え、ていうかなんで教会……病院とかじゃないんですか」
大怪我をしたら教会……? よく分からない。
すると、今度はお姉さんが説明をしてくれた。
「君、冒険者だよね? 説明、受けなかったのかな。命を落とすような大怪我をした時は、教会に運ばれる。それで、修道士の回復魔法で、治す……病気とかは治らないけどね。もちろん有料だけど、この街ではギルドと教会が提携してるから、冒険者は格安で治療を受けられるんだよ」
ああ、冒険者登録の時にラロさんが言っていたような……気がする。全然聞いてなかったから、今後こういうことが発生しかねないな。一度、ちゃんと確認しておくべきかもしれない。
治療の魔法か……胸を剣で貫かれてたんだよな。治ってしまうのか。とんでもないな魔法ってやつは。
「まあ、そんな話はいい。とりあえず、教会に運んだってことを理解してくれたらそれでいい。俺もあんまり時間がなくてな、さっさと事件の時のお前さんの行動が聞きたい」
若干脱線しつつある会話の軌道を彼は戻した。焦点の誘拐事件。その時の俺の行動……。
全部話そう。
______
俺は、スラムの情報屋のことは伏せて、事件の顛末を語った。
「なるほどな……運よく奴らの居場所に辿り着いて、交戦。不意打ちでもう一人の仲間に背中から刺され、その状況で反撃して……凄まじいな。剣で貫かれながら反撃するなど、とんでもない気力だ。騎士の中でも、そんなことができる奴は限られているぞ」
「ていっても、半分無意識だったんで……」
「……無意識でアレをやったのか?」
「え?」
アレってなんだろう。がむしゃらに後ろに剣を振るって反撃したのは覚えているが。
「……お前さんが最後に倒した奴だがな、胴体が右肩から腰にかけて真っ二つだ。加えて、後ろにあった壁には、幅3mほどの斬撃の跡が残っている。お前さん、Fランクの冒険者だったな。ギルドの担当者には、実力はFランク平均と聞いているが」
「え」
絶句とはまさにこのこと。人間の胴体を真っ二つ? 俺が? ないない。ゴブリンすら胴体を両断できる自信がない。そもそも、あの時……何があったんだっけ。あんまり覚えていない。とにかく、ミーちゃんを助けたい、そう思っていた。
……魔力。そんな言葉が脳裏によぎる。
あの時、ほぼ意識は飛んでいた。だけど、体には……あの時の感覚が残っている。
自分の右腕、そこに集中していると、既に霧散してしまった力の跡を、くっきりと認識できる。
「……騎士さん、名前、なんていうんでしたっけ」
「ああ、まだ名乗ってなかったな。すまない、非礼を詫びよう。俺の名はガデル。ガデル・ドルモンド。守護騎士団の副団長だ」
え、なんかの騎士団の副団長だったの。俺が不正に街に入ったせいでこんな事件に呼ばれたのかもしれない。まあ、いい。
「ガデルさん。俺に魔力を感じますか」
その言葉を聞いたガデルさんが少しだけ目を見開いた。そして、目を閉じ、何かに集中し始めた。俺から魔力を感じるかを試しているのだろう。
「感じるな……なんだこの魔力は。おい、ソラノ。お前がやってくれ」
「頼み方が分かってないね~騎士さん。ま、いいけどさ……君、少し首に手を当てさせてね」
ソラノと呼ばれたアイドルお姉さんが、首に手を当ててくる。少しひんやりとしていて、体がびくつく。その様子を見て、少し微笑むお姉さん。恥ずか死す。
そして、お姉さんも集中するように目を閉じる。やがて、独り言のように何かを呟き始める。
「……なにこれ…………ん~~、おお?」
「……」
なんだろう、この時間は。めっちゃ恥ずかしい。顔が熱い。
そうだ。なぜ首なんだろう。何かを思考してないと恥ずかしくてしょうがない。ちょうどいいし少し考えてみるか…………うーむ。魔力も、体内を循環する体液のようなものなのか? 首が一番そういった物が行き交う場所だし……。
「ちょっと奥を見て……ああ、ああ? うん、うん。なるほど」
納得したのか、手を離す。ひんやりとした感触が離れて、首に熱が灯っていく。もしかしたら、俺は今顔が真っ赤かもしれない。
「ソラノ、どうだ?」
「魔力、あるよ。ていうか君……言っていいのかな、これ。ちょっと私には判断できないな。君……ラードくんだっけ。ラードくんってもしかして特殊な生まれだったり……ん~踏み込むようで悪いけど、何か魔道師の研究材料として使われていたとか……そんな経験ある?」
なんだそれ。心当たりしかないが?
日本生まれ、異世界転移。曰くつき異世界人とは俺のこと! 異世界ヒーロー、参上! ……かっこ悪いな。
「まあ、心当たりはあります。俺の体どうなってるんですか?」
「知りたい? もしかしたら、君に危害が及ぶかもしれない。嫌なら、お姉さんと内緒の密会をしましょう。そこで教えてあげるから」
「それは勘弁してください。美女と二人きりは精神的疲労が」
「……私の誘いが断られたの、初めてなんだけど」
口をすぼめて遺憾の意を表明するお姉さん。しかし、そもそも対話が結構に苦手だ。この世界では会話しなければ生きていけないが、日本では口がなくてもいいんじゃないかってくらいだったからな……。
「えっと、知りたいです。危害が及ぶっていっても、ここにいるお二人はそんなことしないと信じているので……」
というと、二人とも驚いたような顔をし、お互いに顔を見合わせた後にわははと笑い始めた。なんだ、俺変なこといったか。
そんな俺の様子を感じ取ったのか、ガデルさんが喋りだす。
「本当に変わった奴だな。冒険者は基本的に騎士に対して反骨精神を持つからな。お前のような態度を取る奴は中々いないぞ」
「そうそう。君、本当に変わってるよ。もしかして、別の世界から来たんじゃないの?」
案外確信に迫ったお姉さんの言葉。図星だ。だんまりだとアレなので、さっきの会話の続きを促す。
「えっと、ソラノさん? 話してもらって構わないので」
「……ふーん? へへっ、まあいいや。じゃあ言うけど、君、『魔性体』だね」
ガタっという音と共に、ガデルさんが立ち上がる。驚きの表情と共に、その手には抜き身の剣が握られていた。え、いつのまに? 抜刀の瞬間が見えなかったぞ。
「ていうか、ちょちょちょ」
「ガデル、落ち着きなよ。彼は別に魔物ってわけじゃないんだから」
「……すまん」
剣を鞘にしまい、倒れた椅子を立て、かけなおす。一体、どうしたというのだろう。魔性体というのが、分からないが、ガデルさんが取り乱した原因だろうか?
「ソラノ、どういうことだ。彼が魔性体というのは」
彼はソラノさんに問い質すように聞く。まだ、少し落ち着きがない。さっきまでは落ち着き払った様子だったので、意外だ。
「そのままだよ。彼は魔力に魅入られている。いや、ひょっとしたら彼も魔力に魅入ってるのかもしれないけど」
まてまて、話が読めない。
「ちょっとまってください、魔力がどうとか、魅入られている? 俺にはさっぱりなんですけど……」
「……やっぱり無意識なんだね。ふふっ。本当に面白い」
笑ってる場合じゃないと思うんですが、ソラノさん。そもそも魔性体ってなんだ?
疑問に思っていると、若干俯いた姿勢のガデルさんが、少しずつ言葉を紡いでくれた。
「……魔性体ってのは、魔力に魅入られたもの。田魔貝や、ゴブリンメイジ……果てはフェニックスやらも該当する。説明すると長いんだが……」
さっきから魔物しか名前が挙がってないあたりに嫌な予感がするんだが。
うーんうーんとガデルさんが言葉を出せないでいると、代わるようにソラノさんが口を開いた。
「魔力っていうのは、濃度が高くなると、意思を持つようになる。そして、その魔力に魅入られたものが、魔性体になるんだよ。その魔力は、対象に命の強さを与える。生き物だったらより強い存在へとなり、魔力に目覚め、知性が増す。生き物じゃなくても、無機物……ただの物にすら、命が生まれる。そうだな~~…………例えば、港町から輸入してきて、捨てられた貝殻が魔力に魅入られると、田魔貝になるんだよ。凄いんだよ! 大きいカタツムリになっちゃうの」
若干興奮しながら語ってくれた。この人、宗教家じゃなくて研究職とかの方が向いてるんじゃないか。
しかし、それだけなら、別に俺が魔性体でも問題ないだろう。まあ、問題の理由はもう分かってるけども。それを、口に出す。
「……魔性体ってのは、魔物しか存在しないんですね?」
「……そうだ。先ほどの、その、すまなかった」
「いえ、全然気にしてません。そうか、俺が……」
右腕を見る。あの魔力。俺は、今まで何かの意思によって動いていたような気がしていた。森でも、ミーちゃんを助ける時も。もしかしたら、俺は魔力にずっと助けられていたのかもしれない。
ソラノさんが、興味深げに俺の右腕を見ている。俺が見返しているのに気づくと、両手を胸の前で振って、少しだけ言い訳のように話し始めた。
「いや、ごめんね。君の魔力って、ブラン山脈に漂っているものと同質なんだ。だからつい……君って、ブラン山脈で生まれ育ったの? にしては軟弱だけど」
「軟弱って……まあそうですけど。生まれも育ちも違いますよ。言えませんけど」
言っても信じられなさそうだし。ジジイが俺の言い分を聞いてくれたのも奇跡みたいなもんだ。ジジイが良い人すぎる……おっと、水臭いのはダメだった。
「なおさら不思議……その魔力、君に凄く馴染んでるよ。仲良くしなね」
「魔力と仲良く……?」
「さっきも言ったでしょ。濃い魔力には意思が生まれる。君は魔性体として、特別な存在になったんだから、できるさ。羨ましいなあ……普通、魔法使いは魔力を使役するものだから、一方的に意思をぶつけて使うだけ。だから、魔力の意思なんて感じられないんだよ。愛なんて感じない。はあ、私の魔力は一体何を考えて、何を思っているの……」
自分の身を抱いてくねらせている。若干トリップしつつある。なんか、残念美人臭が漂ってきたぞ。
しかし、そうか。俺の魔力の意思……ただの体の要素の一つじゃない、別の意思が俺の中に存在する。なんだか、くすぐったい。
「……そろそろいいか。お前さん、さっきはすまなかったな。本当に。騎士としての未熟さを再確認した」
「いや、俺は別に……」
「これは騎士の誇りに関わる問題だ。どうか、俺を許してくれ」
そういって、彼は剣を抜く。え、何。殺されるの? そしたら絶対許さないけど。
そう思っていると、彼は俺に剣を差し出してきた。なんとなく右手で取ると、アホみたいに重かった。剣先をふらふらしていると、彼は剣刃に手をあて、己の首へと押し当てた。
「え、ま、なにしてんすか」
『お赦し願います。我ら、幾度の間違い犯せど、騎士の道外すことなし。恥の上、赦されるのならば、我が力、再度、民のために使う事を誓います』
「ええ? こ、これってなにすればいいんすか……」
困っていると、ソラノさんが耳に手をあてめちゃくちゃ近い距離で話してきた。
「赦すか赦さないか、選択をラードくんに委ねてるんだよ。もし赦すなら、その剣を下げて、赦しますって言うんだ。赦せないなら、剣を当てたまま、赦しませんと言うんだ。そしたら彼は剣を捨てるから。ラードくんの好きなほうにしなよ」
くつくつと笑いながら言葉を締めくくる彼女。
そんな恐ろしい決断を今迫られてるわけ? この人が今まで何年剣を握ってきたか。なんのために生きてきたか。こんなちょっとしたことで辞められるなんて、逆に寝覚めが悪いわ。ていうか耳がくすぐってえわ。
えーと……。
「赦す。めっちゃ赦します」
「……感謝」
「はあ……やめてくださいよ。あんな事件の後に再度肝を冷やすようなこと。人が悪いですよ」
本当に。あれぐらいで職を失うなんて、あり得ない。それとも、この世界の人はああいう場面で普通に赦さないほうを選択するのか? 別に俺何かされたわけじゃないからなぁ。
「……ふっ。すまない。謝罪の気持ちは本当だ」
「全然気にしてないですから」
「ありがたい。……これが、今回の報酬だ。奴らの根城から押収された金貨の5割。残りは国に返上となる。文句があるなら今言え。俺が口を利いてやる」
「無理無理絶対やめてください言わないで絶対無理迷惑かけたくない~!」
「そうか……」
なんで残念そうなんだ。あんた、人のために動くことに快感を覚えるタイプだろ。究極的に変態だぞ、それ。ストレスで頬がこけてるぐらいなのに、まだやる気かよ。
「それとな……奴らと繋がってた商会だが、かなり大きな商会でな。ザルボー商会っていうんだが、服飾やアクセサリー、魔道具を扱ってたところでな……まさか裏で亜人を誘拐していたとは。どうやら、今回のような取引は代表のザルボーと、港町シューブルの支店で秘密裏に、常習的にやっていたらしい。もちろん、本人の承諾なしに、人身売買を行うことは禁止されているからな。ザルボー商会全体を経営権ごと取り押さえたんだが、代表者が大陸から逃亡してな……」
ほうほう。奴隷制度自体は存在しているんだな……そりゃそうか。この世界では不慮な事故で親が亡くなることも多そうだ。日本に住んでいた者としては違和感しかないが……この制度で救われている人もいるんだろうな。
ていうか、大陸から逃亡? ここは大陸の中心地だぞ?
「あの……事件から何日経ってます?」
「4日経ったな」
「……俺、帰ります」
「そうか、なら俺も行こう」
「あ、その前に、治療費……」
ガデルさんから受け取った袋を手に取る。想像以上に重い袋の中を覗いてみると、更に想像の斜め上を行く量の金貨銀貨銅貨が入っていた。だが、これなら治療費ぐらいは払えそうだ。
「あ、もう受け取ってるよ~」
「え?」
「国への返上金からだ……まあ、経費みたいなもんだ」
「ありがたいんですけど、絶対に俺の名前出さないでくださいね」
「自腹で当てといたから平気だ」
それ結局ガデルさんの懐からお金出てるじゃないか。ごまかしたつもりかこの人。
傍にあった綺麗になっている冒険装備一式に着替えながら、ガデルさんにいくらだったか聞くと、首を振りながら扉の外へ出て行った。
「……ソラノさん、いくらだったんですか」
「さあ? ガデルに聞けば~」
この人たち、仲良すぎないか。
この後に待っている色々な処理のことを重く受け止めながら、現実逃避気味に俺はそう思った。
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