孤児院の依頼 ②


 人身売買。前の世界にいた時には、聞いたことすらなかったそんな言葉が脳裏に浮かぶ。


「ふっ……はあ、はあ…………」


 息が切れる。討伐依頼でミクラン森に入るときは、常に隠密行動を心掛けているからこうやって走ることは少ない。この世界に来てから多少は体力がついたとはいえ、元々運動をする人間じゃなかったからキツイ。


 流れていく石造りの建物を横目に、路地を駆ける。


 ミーちゃんは幼いながらも聡明だ。聞き分けの良い子だったし、自ら孤児院を離れて迷子になるとは考えにくい。


 そして、あの炊き出しの場にいた男たちがいなくなっていた。三人。隅で何やら話していて、その時は仲間内で盛り上がっているだけだと思っていた。しかし、今考えれば奴らはミーちゃんの誘拐の計画でも練っていたのかもしれない。


 最悪だ。最低だ。子供達の安全だって、依頼の内容に含まれているはずだ。浮かれていた。悔やみ切れない。今更悔いても遅い。今はミーちゃんを助けることだけに集中しろ。


 走り続けていると、路地から出て広場へ出た。


「ふぅ……ロノーさんが言ってた広場か」


 スラム街に似つかわしくない噴水と、破壊されたベンチがあるこの広場に、ミーちゃんはよく来ていたらしい。


 どこに行ったか分からないから、先ずは誘拐の可能性を排除してミーちゃんが単独で動いた前提でここに来たが、やっぱりミーちゃんは見当たらない。一応、広場から続いている路地を全て流し見するが、人影はない。


「クソッ! 手がかりなしか…?」

 考えろ。考えろ。もし仮に誘拐だったとして、犯人はどのルートで運んでいるか。炊き出しにはかなりの人がいた。それらの人に一切見られずに運び出すには……裏門だ。孤児院の裏門から正面の路地を抜けると……東門の方に向かう。仮に人身売買だとしたら、即座にこの街から運び出されるか? 俺が犯人だったら……考えたくもない思考だ。だが、必要なことだ……騒ぎになる前にサッサと運んだ方が危険は少ない。しかし、門の監視者は欺けない。となると、馬車に積んで……それなりに時間がかかるはずだ。


 東門を張り込みつつ、その周辺を探すしかない。クソ、こういう時に頼れる知り合いがいないのが歯がゆい。


「でも、やるしかない」


 東門へ走る。全力で。来たこともない場所で、加えて入り組んでいるのもあって、中々思うように進まない。


 ちょうど、行き止まりの路地に当たって、外れか、と思いつつ振り返った時……


「……うおっ! ……ハァ……ハァ……なんだ? ……俺は……今急いでいるんだが……」

「……」


 目の前に、灰色のローブにフードを深く被った人物がいた。

 顔を確認できない。どこからともなく現れた。足音もない。あまりにも怪しい、突然の対面に焦る。


 すると、その人物はくぐもった声で話し始める。


「……取引です。私はスラムの情報屋。亜人族の娘が拐われたこと、そしてその犯人の居所を知っています。情報量は銀貨2枚……」

 声質が曇っていて、男性か女性かも分からない。だが、言っていることを理解した瞬間に、俺の口が開いていた。


「払う! 絶対に払う! だけど、今は金は持ち歩いていない! どうすれば教えてくれる!?」

 すると、その人物は少しフードをめくり、こちらを眺めているような気がした。なんせ、フードの中が暗くて顔が見えないからそう感じるだけだ。


 やがて、何かを見定め終えたのか、語り始める。


「……貴方の目は真剣ですね。いいでしょう……後払いで構いません……後ほど、取り立てに向かいますよ……」

 取り立て。一体どうやって? だが、今はそんなことはどうでもいいんだ。


「全然いい! 早く教えろ!」

「……犯人はこのスラムに存在する、犯罪組織の末端……手下達です。彼らはここから少し南に行ったところにある廃墟を拠点としていますから、そちらで計画の打ち合わせでもしているのでしょう。恐らく、その亜人族の娘を隣国のグレム王国に奴隷として売りつけに行くのでしょうねぇ。グレム王国は裏市で亜人族の人身売買が盛んですから……貴族に人気だそうですよ」

「そんなのはどうでもいい! 南だな? 南に拠点があるんだな!?」

「わあ、そんな力強く肩を掴まないでください。そうです。よければ魔法で道案内しますよ……巻き込まれるのはごめんですからね……案内だけです」

 気づいたら、無意識にそいつの肩を掴んでいた。


「す、すまん!」

「いえ……」


 慌てて手放すと、そいつは両手を合わせて何かを呟いた。


『────』


 何かを唱え始める。それは、歌うように、語るように、紡ぐように。


 その両手が開かれると、そこには光があった。それは、たゆたうように浮き上がり、そして俺の周りで回り始める。やがて、南の方向で光は止まった。


「その光が、導いてくれるはずです」


 ハッとして、振り返るとその人物はいなくなっていた。


「……」


 俺は、その光を辿って走り始めた。



 ______



「ぎひゃひゃっ! 亜人族、しかもカメレオンなんざ、貴族のオモチャとして最高級だぜェ!?」

「金貨何枚で売れるんだろうな? しっかしいい商売だぜ! 亜人族なんざここらにゴロゴロ転がってるってのによぉ!」

 男達は汚らしい笑みを浮かべ、話し合う。

 その様子を見て、涙を流している幼女。両手足と口を縛られていて、身動きが取れず、床に横たわっていた。


 男達は廃墟で酒を飲みながら仲間の馬車を待っていた。手下の一人を知り合いの商人の所に向かわせ、残ったものは幼女の様子を肴に酒を飲む。


 関門では、商売と言い張り少しのチップを握らせれば何の問題もない。

 後は、街道を出て南へ向かい、港でこいつを受け渡す。そうすりゃ、報酬で金がボロボロ手に入る。


「何のために俺らがスラムにいるかってよぉ〜なあ?」

「お前らが儲かるに決まってっからだよなぁ!? ぎゃはははははは!!」

「──!」

 男達は嘲笑う。幼女はその様子を見て、更に大粒の涙を流す。


 そんな時だ。廃墟の中に、光の物体が入ってきた。


「お? なんだこりゃ――」

 片方の男が疑問を口にした次の瞬間。


 夕焼けの光を反射した銀色の物体が閃き、その男の首を斬り飛ばした。



 ______



「な、なんだてめぇ!」


 なんだ、喋るゴミが、まだいたのか。


 振り払った剣を両手で右側に思いっきり引く。そのまま右足で踏み込んで、その男に向かって剣を突き刺す。


 その男は、俺の突きを跳ねるように後退する事で避け、そのまま抜剣した。


「テメェ……なにもんだ! よくも俺の仲間を殺しやがったな……楽には死なせねぇ」


 クソ以下の分際で、仲間意識があるのか。


「こっちのセリフだ。お前はこの世のあらゆる苦しみを与えて、死なせてくれと懇願するまで苦しめた後で、餓死させてやる」

「ほざけッ!」

 その男は勢いよく踏み込んできた。

 右足を前に出し、剣を上げて振りかぶっている。


 馬鹿が。俺がそんなのに付き合うわけないだろ。


 左手にセットしてある弩の矢をその男の右足に向かって射出する。

 その矢は寸分の狂いもなく男の太ももに突き刺さった。


「ぐぁっ!」

 男は剣を落とし、その場で倒れ込んだ。

 すかさず近づいて、男の顔面に蹴りを入れる。


 一発、二発、三発、四発。

 鈍い音がリズム良く、その空間に響く。


「がっ! ああぅ! ま、待て、待て! お前、剣士で弩とか! 恥ずか――「喋るな」


 剣を持ち、男の右腕を力任せに斬りつける。そこから血が勢いよく流れ始め、辺りに血糊を作る。


「があああああああああッ!! いぃ、痛い! 痛い痛い痛いやめ、やめてくれ! こう、こうさ、降参する!」

「は? 何言ってんの? ていうか、人に物を頼む態度じゃねえな」

「ゔぅ……ぉ、お、お願い、しまず! 許して……っくだ、ぐださい! もう、ごんなことしませんがら……っ!」

 仰向けで涙を流しながら懇願する男。歯が欠けていて、顔中血まみれだ。そんな男の顔面を……全力で踏みつける。


 硬いものを砕く音と、男の悲鳴がこだまする。


「があああああああああああああッッッ!!」

「ああ、お望み通りもう二度とこんなことできないようにしてやるよ」


 右手、左手、右足、左足。四肢の全てを斬りつけていく。そして、男の股間を全力で蹴り上げる。


「ぎゃあああ、あっ!!! ぁ…………」


 男の、強張っていた体の力が抜けていく。どうやら気絶したようだ。最悪、痛みでショック死しているかもしれない。


 死なれると困る。こんなもんじゃない。こいつを罰するには、償わせるには、代償を払わせるには、もっと、もっと、地獄よりも辛いものを。このクソにも劣る害虫に……


「──ゔぅっ!」

「──────ミーちゃん」


 ミーちゃんが大粒の涙を流しながらこちらを見ていた。それは、恐怖や絶望が混じった、負の表情だった。


 俺は、何を。


 ふと、周りを見る。

 床は血に塗れ、その血の濃い臭いが充満している。

 血の海に浮かぶ男の首が、こちらを見ていた。

 自分の体は、返り血で赤く染まっている。

 人を、初めて殺した。それは、今までに殺した生き物たちとは、明らかに違う、異質な何かだった。


 ミーちゃんが何かを訴えるような声を上げている。


「──────ミーちゃん、俺──」



 その時、自分の胸から、剣が生えてきた。



「──ンンン!!ンンンン!!!」

「──え」

「て、て、てめぇ!! このクソガキ! あり得ねえ、これ、全部お前がやったんだな!! く、くそ、くそがぁ!!」

 後ろから、泣くような男の声がした。


 三人目。この廃墟には、二人しかいなかった。あと一人、いた。

 そうか、そうだよな。油断した。考えられるはずだった、想定できたことが、脳みそがパニックになって、クソ。


「く、くそ! くそが!! 全部、全部台無しだ!! お前のせいだ!! お前のせいだ!!」


 熱い。体が熱い。何故だろう。死ぬと分かってるからだろうか。前にも経験しているからだろうか。体が動こうとしてくれない。剣が、手からこぼれそうになる。


 そんな中でも、思考だけはある。


(このままだと、色々と、まずいんだけどな……でも……少し……疲れたし…………ずっと、頑張ったよ、俺……だから…………少しくらい……休んでも…………)


 鮮明に輝く赤い液体。ボヤけていく、崩れゆく視界。その隅で、泣いている幼女が目に映る。こちらを見ている。何かを必死に叫ぼうとしている。



 ──彼女を置いていくのか?



 その時、全ての感覚が薄れていく、その自分の体。その体の、内側。血流とは違う何かが、体から溢れ出ている。それは、薄い膜となって、体を覆っている。


 確かに感じるその力。



 ──この力を使えば。



 その力を、右腕に集めていく。右腕の感覚が強くなっていく。取りこぼしそうな剣を、握れる。



 思考が、戻る。



「死ね! 死ね!! 死んじまえ!!」

「────」


 体は、振り向けない。剣が刺さっていて、動かせない。けど、右腕が動けば、剣は振るえるさ。



 後ろを振り向かないまま、右腕を振るった。



 凄まじい轟音が、響いた。



 胸に刺さった剣が抜けていく。そして、俺の力も、抜けていった。


 血の海に倒れる。もう、音すら聞こえない。けど、まだ、やらなくちゃ。


 剣を持った右手で這いずって、ミーちゃんに近づく。そして、右手の剣を使って、縄を切っていく。


 口の縄を切ると、口を目一杯に開けて何かを叫んでいる。でも、悪い、ミーちゃん。俺今、何も聞こえないや。


 腕の縄を切ると、抱きついてきた。でも、ごめん。抱き返せない。


 足の縄を切ると、俺の力が抜けた。


 思考が、止まった。

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