止まり木の宿

 


「……恨んでいるか、ねえ」

 ジジイの質問には答えず、片手で応えながら店を後にした。


 恨んでいるか、と改めて聞かれると分からない。自分がどんな理由でこの世界にやってきたのか、もしこれが必要なことだったら。逆に、必要じゃなかったとしても、恨まないだろうな……誰も悪くない。


 でも……もし仮に、この世界に無造作に召喚されただけなら、納得はできないな。

 自分が召喚されて、今生きていることの意味が無いなら、そもそも召喚なんてする必要なんてないんだし。



 市場を抜け、少し埃っぽい路地の前を横切る。


 路地は『飲み屋』や『娼館』の領域だ。目の前を素通りするだけでキャッチされることもあるし、飲んだくれのジジイがぶっ倒れているのも見かける。


 なるべく視線を向けないように、足早に立ち去る。

 フードを深く被っているので、話しかけられることもない。たまに物好きな人が話しかけてくることもあるが、わざわざ顔を隠してるやつに話しかけるやつはいない。


「……」


 ……俺がギルドや街中で顔を隠しているのは、この街に不法侵入し、冒険者ギルドで騒動を起こしたことで、目をつけられる可能性が高いからだ。


 俺は、この街に自分がどうやって入ったのか……とか、冒険者ギルドに行ったのとか、全く覚えていないが、ジジイが色々な所に手を回して確認したらしい。


 関門を通らず、知り合いもいない。格好は奇抜で、身元も確認できない。正体不明の俺の「異世界召喚」という荒唐無稽な話を聞いてくれたジジイには感謝しかねえな。


 そのジジイのアドバイスで、しばらくの間は人に顔を見られずに過ごした方がいいと言われ、そうしている。冒険者ギルドにも掛け合ってくれて、あのラロという職員が俺の担当になるようにしたらしい。俺の顔を知ってる職員だったからちょうどいいとかなんとか……。


 ギルドに口利きできるのも、鍛治師として力があるからだろうか。それこそ、権力と呼べるまでの力が。


 ……ジジイもぶっちゃけよく分からんな。

 最初はただの老人かと思いきや、ギルドに干渉し、不正を隠蔽できる力……ただの名の売れた鍛冶師ってわけでもなさそうだ。ギルドにある書物でも読めば書いてありそうだが……この世界の文字は読めないんだよな。人類の文化圏の言語……人語には法則性があるのは分かるが、いかんせん丸っこい文字が多くて一目見ただけじゃよく分からん。個別に認識するまでに時間がかかる。


 でも、文字は読めなくても、会話は出来るんだよな……不思議。もしかしたら、外大陸の者とも会話できるのかも。


 ……まあその辺も、この世界で生きてればそのうち分かることなのかな。



「……考えてたら着いたな」

 フードを取りながらその大きな建物を見上げる。


『止まり木の宿』


 俺が利用している宿屋。ジジイに勧められたので、ここで寝泊まりしている。というか他に宿屋を知らない。


 いつまでもジジイの家に世話になっているわけにもいかず、俺から「宿を教えてくれ」とジジイに問うた。幸い、交易都市であるここ『ラグラーガ』には、多くの旅人がやってくることもあり、多くの宿は長期滞在向けに安くなっていたりする。


 しかしそれでも、新米冒険者である俺にはキツイ払いとなるのだが……。


 入り口を開くと、目の前の受付に女将さんがいた。


「お、ラードじゃないか!! 今日はちょっと遅かったね?」

「ヤグさん……声でかいよ……」

「ハハハ! 男が何言ってんだい! アンタはもうちょっと威勢を張りな!」


 この宿屋の女将、『ヤグ』さん。

 健康的で若々しい容姿をしているが、既婚者だ。赤い髪を後ろで一本に束ね垂らしている。宿屋の女将としてなのか、服装自体は印象が良くなるお淑やかな感じだが、本人の気性は荒々しく男勝りだ。まあ、面倒見もいいので、何かと相談に乗ってくれる良い人だ。


「……ヤグさん。今日はちょっと土産」

「ん? なんだいそれ」

「ベルラビット」

 肩から下げた大きめの袋から、皮などが処理されたベルラビットの肉を取り出す。結局ギルドに買い取ってもらわず、普段お世話になってる宿屋に持ってくることにした。


「ベルラビットって……ラード! ベルラビットの肉は高級品だよ!?」

「いや……普段からお世話になってるし……」


 そう、ガイナさん……つまりジジイの紹介ってことで、宿の利用料金が一日銅貨3枚。多分、相場より明らかに安い。安すぎるくらいだと思う。しかも最初はジジイに一週間分工面してもらうっていう。人として恥ずかしい。もう一ヶ月近くその料金に甘えているので、今日みたいな身入りのいい日に恩返しがしたかった。


「ラード……」

 ああ、ヤグさんならきっと喜んでくれるに違いない。ベルラビットの肉は一頭分で銅貨50枚以上の価値がある。そんな高級品を貰ったら、感謝の言葉が一つや二つ出てくるものだろう――――


「――――大バカ者!! あんた、ソロだろう!? ベルラビットに手出すなんて、何やってんだい!!」


 違った。罵声だった。叱責だった。


「……ごめんなさい」

「はあ。もういいさ、反省しているみたいだし。あんたが無事で良かったよ……」

 と言い、全てを包み込むような母神の笑みを浮かべるヤグさん。


 なぜだろう、母親の暖かさというものだろうか……不思議と涙が出てくる。前の世界の母親は――――



 _____



「――いい加減にして!! もう、嫌!! なんで私がこんなことしなきゃいけないの!! なんでことりが死――」

「……母さん。やめなさい」

「うるさい!! あなたが、あなたがもう少しことりを見て――――」



 _____



 手の甲をつねる。


 痛みが、現実に戻してくれる。


 でも、心も痛い。


「…………痛い」

「ラード?」


 見上げると、心配そうな表情でこちらを見るヤグさんがいた。


「……えーと、その肉は宿の食事で使うなり、ヤグさん達で食うなりで使ってくれ」

「そうね……。そうだ、宿で出すには量が少ないから、うちらとあんたで食べようか」

「いや、俺はいらないぞ……」

「何言ってんだい。仕留めたのはあんただろ? あんたも食べなきゃ、獲物に失礼ってもんだ」


 ……そういうものなのか。


 うん。確かにこいつには苦しめられたからな。一口ぐらい食ってやるか。

 そう考えていると、食堂の方から、声が聞こえてきた。


「あ! お兄ちゃんだ!」


 溌剌とした声とともに、駆けてくる。そして、その勢いは止まらない。


「お兄ちゃ〜」

「ちょ、あの、俺汚れてるから……っ!」


 そのままの勢いで空中へ跳ねた少女。

 こうなってしまっては手遅れだ。手に頭をやって溜め息を吐くヤグさんを尻目に、飛び込んでくる少女を優しく体で――――


「ん!」

 受け止める。

 勢いで少し回った。そして動きは止まり、少女を支えながら声をかける。


「――っ! オリちゃん……今汗臭いから……」

「いいの〜! オリ、この匂い好きだもん」

 汗の匂いが好きとか、相当変わったフェチだよ、君。

 胸に埋めていた顔を上げ、目を合わせてくる少女を見ながら、申し訳なくなるような思考をする。


「……オリ、お客さんに対して礼儀がなってないよ」

「お母さん! ラードさんはいいの!」

「あ、俺って礼儀を払う必要すらないカスみたいな……」

「そ、そんなじゃないよ! 違うからね! お兄ちゃんは特別なのー!」


 謎理論を展開する少女の奔放さは、まあ、愛らしいな。


 改めて、俺の前に立つオリちゃん。ヤグさんと主人のソーダさんの一人娘である。看板娘……というには少し幼く、まだ10歳ぐらいだろうか。赤と白が入り混じったメッシュの髪に、大きく赤い瞳に長い睫毛。ピンク色の少し小さな唇が、その目まぐるしいほどによく変化する表情をより際立たせている。


 見ているだけで癒されるその少女だが、なぜか懐かれている。まあ、この宿を利用するのがむさ苦しいおっさんばかりなので、多少は年が近い俺とは話しやすいのだろう。


 ……俺のことを兄と呼ぶ少女は、今はこの子だけだ。


「お兄ちゃん、後でお勉強する?」

「ああ、お願いするよ。いつもありがとう、オリちゃん」

「オリでいいって言ってるのに」

「ははは……」


 そう、この世界の言語を教えてくれる教師は、オリちゃんなのだ。彼女はヤグさんの教育で、宿屋の帳簿をいつでも任せられるように、と育てられている。当然、識字能力もあるわけだ。


 他人に教えるのは自分の勉強にもなる、ということで、ヤグさんと夫のソーダさんにも許可は貰っている。夜の余った時間で、食堂の隅っこで二人、毎日勉強会をしているのだ。


「ほら、オリ。そろそろ客が帰ってくる時間だからね。部屋の確認してきな」

「ぶ〜ぶ〜ちゃんと掃除したもん〜」

 と言いつつも俺から離れ、きちんと部屋の確認に行くオリちゃん。我儘を言わないいい子なのだ。


「あ、俺も部屋に行くから…ヤグさん、飯の前に風呂入る。ついでに装備も洗っちゃう」

「あいよ」

「お兄ちゃん、こっちこっちー」

 オリちゃんと一緒に階段を上り、二階の客室へ上がる。


 その途中、オリちゃんが振り返って話しかけてきた。


「お兄ちゃん、さっき変な顔してたよ?」

「ん……そっか、顔に出てたか。ごめんな」


 あの程度のことで顔色に表れるなんて。自分でも驚きだ。


「いやいや! 謝ることじゃないよ。それより、なにか悩みがあるならいつでも私が相談に乗るよ!!」

「はは……頼もしいな。いざってときはお願いするよ」


 そういうと、彼女はニコっと笑みを浮かべる。


「うん! じゃあ私こっち見てくるから、またあとでねー!」

「ああ。飯時に。」


 途中で別れて、利用している部屋に入る。



「ふー……やっと一息……」


 クローゼットにベッド。窓と簡素なゴミ箱。木製で温かみのある部屋だ。落ち着いた趣をしているので、ここにくると、心が安らぐ……。


 ここは宿とは名ばかりの、集合住宅みたいなもんだ。実際、俺以外の利用者……40は超えてるおっさん冒険者がほとんどだが、お互い見知った顔になって、たまに食堂で話す。おっさん達は同世代だからか、食堂で夜明けまで飲んでることもある。もちろん俺は参加しないが。宿で知り合った者同士でパーティを組んだやつもいる。


 この宿は居心地が良いし、見知った顔がいなくなったのは見たことがない。だから、独身で生を終えるつもりのおっさんばかりがここに集まっているわけだ。


 荷物を置き、装備を外す。

 長剣は新品だから、今日は冒険用の服と外套、靴に手袋……後は弩のメンテナンスぐらいだな。弩は部屋でやればいいし、他のものを持っていけばいいか。


 外套と部屋着、サンダルを持って一階に降りる。受付のヤグさんが気づいて、話しかけてくる。


「ラード、お湯はもう出るようにしてあるよ」

「ありがとう」

 そのまま階段を降りて右に曲がる。


 この先には、かなり大きい風呂場がある。『止まり木の宿』は宿としても、湯屋としても、食堂としても経営しているハイブリッドな宿なのだ。建物自体が巨大なので納得できるが、果たして経営陣が家族3人なのは、経営が成り立つのだろうか。まあ、この世界新参者の俺がいらん心配をする必要もないか。


 泊まっている者が風呂場を利用するなら無料らしい。

 男性の扉をくぐり、脱衣所に入る。既に何人かいるようで、風呂場の方から音が聞こえてくる。


 近くにあった籠に部屋着とサンダルだけ入れておいて、回れ右をする。


 脱衣所の横、外と繋がってる扉を通り、地面が石で舗装されている脱衣スペースに出る。ここは、冒険者稼業で汚れた人の装備の洗い場だ。


「さむ……」


 周りは柵で囲まれているので、人の目を気にする必要はない。ただ、天井がないので風は通る。少し肌寒い。


 桶を二つ手にとって、洗う場所に向かう。壁に設置されたボタンを押すと、すぐそばの穴からお湯が出てくる。ちょうど桶一個が満タンになるので、もう一度繰り返して二つともお湯を張る。


 このお湯は、壁の奥に設置された水と炎の魔石を使った魔道具から出ている。魔力を供給すれば半永久的に使えるらしい。女将のヤグさんは元冒険者らしく、魔力を扱えるので毎日供給しているそう。


(魔力ねぇ……)


 近くに置いてある小さなブロック状の石鹸……? を桶に放り込んで、手でかき混ぜる。すぐに溶けて、お湯が泡立ち始めるので、そこに外套を放り込んで手揉みする。

 洗い終えたら、普通のお湯の桶に外套を入れておいて、今度は上着を脱いで同じことを繰り返す。


 そして、最終的に裸になって、全部の装備を洗い終える。

 こういうのはヤグさんに頼めばやってもらえるらしいが、普段からお世話になってる上に、彼らは常に忙しそうだし、これぐらいは自分でやっておきたい。



「にしても……う〜肌寒い……」

 体が震えた。

 段々と冬が近づいているらしい。この世界も四季の概念が存在するようで、冬には冒険者の仕事が増えるらしい。冬ごもりに失敗した魔物たちが凶暴化するとか、いろいろ。


 砂や泥が入ったお湯を流して、軽くお湯で桶も洗う。

 その時、どこからか視線を感じた。


「……?」

 周りに柵があるし、人の視線はないはず……。

 上を見上げると、客室の窓が目に映る。覗かれてるならあそこしかないけど、窓は閉まってるし多分気のせいだな。


 なんか森であの熊に襲われた時から、他者の視線を感じれるようになった気がしてたんだけど、勘違いだったか。


 ……風呂入るか。



 少年がその場を後にすると同時に、客室の窓に映る少女の顔。赤面し、だらけきったその顔は、洗い場を後にする少年に釘付けだった。


「う~……み、見ちゃった、見てしまった~! き、気付かれてないよね……? う、うへへ。すごかったなぁ」


「……オリ、なにしてんだい」

「うひぃ!? お、お母さん!?」

「なに一人で盛り上がってるか知らないけど、早く飯の準備を手伝いな」

「う、うん!! 分かった!!」


 母親に促され、客室を後にする少女、オリ。部屋を出るときも慌てていたのか、足の指を扉にぶつけて、悲鳴を上げていた。


「……」

 ヤグが客室の窓から下を覗くと、誰もいない洗い場。しかし、ヤグは先ほど、ラードが風呂に向かったことを知っている。


「うちの娘が、変態になっちまった。思春期かねぇ……」



 _____



「ソーダさん」

 風呂に入り終え、食堂に来た俺は調理場にいる人に声をかけた。


「ん……? ラードか。今日は土猪ランドボアのシチューだ」

「へ~……美味そうだな。楽しみにしてる」

 顔だけこちらに振り返り、すぐに調理に戻る。


 彼がヤグさんの夫、ソーダさん。髪は白く、肩幅は平均的だが身長はかなり高い。口数が少ないけど、良い人だ。


 食堂から見る彼の姿は、後ろ姿。テキパキと体を動かし、料理を作る。顔を見せない料理人にプロっぽい印象を受けるのはなぜだろう。


 実際、彼の作る料理はどれも美味しいものばかりなので、この世界の楽しみの一つとなっている。


 さて、風呂上がりに食堂に行ってソーダさんに話しかけるルーティーンをこなしたので、部屋に戻る。弩のメンテナンスだ。


 腕に装着し、そのまま使えるほどに小型化された弩。

 戦闘中には一回きりしか使えないが、これまでの冒険の様々な場面で役に立ってきた。小型ながらも、凝った装飾などは一切なし。そのサイズで出力できる最大限の運動エネルギーを生み出す。『ジジイ』の一級品……らしい。

 製作コストは安いが、そもそも『腕に装着する小型の弩』という発想自体が浸透していないらしく、確かに他の冒険者では見たことがなかった。そういった意味では特別な品だという。


 そもそも、冒険者の中には『弓使い』がいる。大型の弩を扱う人や、独自の技術を持ったよく分からない弓っぽいものを持つ人も。それらを総称して、『弓使い』なのだ。パーティに一人はいる。絶対にだ。魔法使いと双璧をなす後衛火力。追跡者トラッカーがいなければ、斥候の役割をこなすのも彼らだ。


 そんな彼らがいて、小型の弩なんて持つ奴はいない。弓使いの彼らは、己の技術に絶対的な自信がある。パーティの前衛が小型の弩なんて持ち始めたら、プライドが傷つくんじゃないだろうか。不和の始まり、って奴だ。


 だから、仮に認知が広まったとして、コレを扱うのは『変わり者』と称されるソロの冒険者ぐらいじゃないだろうか。つまり俺。あまり自身の存在を知られたくないからソロでやっている。ギルドでパーティに誘われたことは一回だけあった。フードを深く被って、他人と交流しようとしない奴をパーティに誘うというなんとも豪胆な奴だった。


 同世代で、その前衛の男と、後衛に魔法使いっぽいのと、弓使いの女が一人ずつ。

 わざわざ誘ってくれたのに断らざるを得なかった。その頃は冒険者なりたてで余裕もなくて、かなり冷たい対応をしてしまった。名を名乗ってくれたのに、覚えてすらいない。その時の俺は最低な人間だった。


「なんか悲しくなってきたぁ……」

 弩を見る。異常なし。摩擦による劣化はあるだろうけど、まあ俺にはどうしようもないな。そもそも大きな破損ならジジイのところに持ってくしかないしな。俺のできることはせいぜい油を差すぐらいだ。


 その作業も終え、弩を床に置いた。


「……暇だ」

 今までは、慣れない冒険者稼業に疲れ果てて、こういう少しの時間で仮眠を取っていた。だが、最近は慣れてきたおかげか、体に余裕ができている。


 オリちゃんとの勉強会は飯食った後の寝る前だし、風呂に入った後だから剣の素振りもしたくない。汗をかく。


 なら…アレを試すか。教導してくれる人がいないと絶対に才能は開花しないと言われたので、冒険者として稼げるようになり、時間に余裕が出来てから誰かに教わろうと思っていたが……自分で試す分にはタダだしな。



「魔力……魔法の詠唱」


 魔力操作。延いては、魔法。

 魔力ってのは先天的にも、後天的にも身につくものらしい。その魔力が、俺にも備わっている……とジジイは言う(これを聞いた俺はその場で狂喜乱舞した)。


 明らかに後天的に身についたものだが……いかんせんどれがきっかけで魔力に目覚めたのか分からない。『熊』のあのかまいたちのような魔法を食らったからだろうか……な訳ねえか。


 基本的に、先天的に魔力を持ったものはそれを扱う才気に溢れ、そして精霊に愛されるという。精霊とは、この世界に存在しているが、魔力を通してしか認識できない霊的存在……二次元のヒロインみたいなものだろうか。画面越しでしか認識できないし。


 魔力を持ってること自体が一つの才能なのだ。まあ、後天的に身につけた者の多くは、努力によってらしいが……それで魔法使いの道を選ぶ人も多いとか。


 さて、その魔力を扱うための魔力操作のやり方だが……全く分からない。ジジイとか、ヤグさんに聞いたら分かるかもしれんが、魔力操作を覚えること自体が難しく、かなり時間がかかるらしい。人によっては、二年かかることもあるとか。そんなのに付き合わせたら悪い。


 かつて名を残した偉大な魔法使いアークメイジ等は、生まれて自我を持ったその時から、魔法を扱い遊んでいたらしいが……まあそんなのは伝説だろう。


「魔力……魔力……分からないな。外的要因で知覚できるようになるケースがほとんどらしいが……」

 うーんうーんと唸っていると、ふとあの場面を思い出す。


 熊の魔法に足をやられたあの時のことだ。何故だか分からないが、俺はあの時足を切断されたかと思っていたが、実際には骨の手前ぐらいで止まっていた…ていうか思い出したら痛くなってきた。


「あの時……なんか分からないけど、何かを感じたような……あのかまいたちの威力が、直前で急に弱まったような」

 思えば、あの飛行機のようにでかい怪鳥を目の当たりにした時も、何か得体の知れない重圧を肌に感じていたような気がする。あれは、怪鳥が放っていた魔力なんじゃないか?



「圧……か。……思い出せ。あの時の出来事を。痛み、苦しみ、その全てを」


 思い出す、思い出す。

 あの殺されるという恐怖、重圧。痛み、苦しみ。それら以外の感覚が、確かにあそこにはあった。


 怪鳥の、熊の魔法の……そして、召喚された場所……。


「……っ!」

 召喚された場所。あそこには何か神秘的な雰囲気が漂っていた。おかしいんだ。あんなのは、自然にできるものじゃない。木々が開かれ、広場のようになり、そして木々がこちらを見下ろすかのように、荘厳として………普通の木に、そんな感情は抱かない。


 空気の流れが、空間の印象の移り変わりがおかしかった。何かがあそこに漂っていた。


 ……ん? 


 ……腕を見る。足を見る。体を見る。


 脈に手を当てながら、血液の流れを脳に思い描く。そして、目を閉じて、己の体全てに集中する。

 心音のリズムで、耳を指で叩く。体に流れる血液を、出どころから流れまで、その全てを理解しろ。


 そして、全身の感覚を掴め。


 やがて、意識の底に沈む。


 前の世界の俺となにが違う? なにが間違ってる? どこが変化している? 俺の感覚の全てを総動員して、そして認識しろ。


 …………体の中…………どこにもないどこか…………そのどこかに……あの森の雰囲気が………苦しい……


 何かが……あるような……



「……に……ちゃ……おに……ちゃん………おに〜ちゃ〜ん!!!!」

「…………っ!?」


 苦しい。酸素が足りない。呼吸…そうだ、呼吸をして…


「っはあ! はあ、はあ…」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「はあ……はあ……オリちゃんか……大丈夫……」

「見るからにだいじょばないよ!? え〜どうしちゃったのーさっきまで元気に裸で装備洗ってたし風邪でm……いやいやいやなんでもないよ!」


 オリちゃんが言ってることがいまいち理解できない。

 脳に酸素が行き渡ってないのか。もう一度深呼吸をしよう。


「……はー……ごめん、心配かけた。ちょっと集中してて」

「本当だよ〜心配したよお兄ちゃん。ご飯だから呼びにきたら、ノックしても返事なくて、部屋に入ってみたら部屋のど真ん中で倒れてるんだよ!? 心臓止まるかと思ったよ」

「ほんとごめん……その……まあ、色々あって。もう全然大丈夫」


 どうやらかなり心配をかけたようだ。本当に申し訳ない。

 しかし、集中のしすぎであんなことになるのだろうか。いや、そんなことはない。いくらなんでも呼吸を忘れるなんて……人間としての機能の欠陥じゃないか。普通じゃない。


 だが、その普通じゃないことが、俺は魔力へのとっかかりになるように感じた。


(でも、一人でやるのは危険かな……)



 ところで、オリちゃんがさっき、何か重要なことを言っていたような気がする。裸がどうとか……。


「オリちゃん。さっきなんか言おうとしてた? 具体的には、裸がどうとか――――」

「いや~~!!!!! 本当に良かったよ〜お兄ちゃん死んじゃうかと思った〜」


 と言いつつ、抱きついてくるオリちゃん。


 本当に心配をかけたらしい。そりゃそうだ。人がベッドでもなく部屋のど真ん中でぶっ倒れてたら、誰でも心配するな。


 しかし……なんかオリちゃんが抱きついてから、「フンフン」というあんまり少女に似つかわしくないオノマトペを出している。


「えっと……オリちゃん、離れてくれ……る?」

「やだ」

 フンフン、フンフンと尚も匂いを嗅がれている。なんだろう、オリちゃんって犬獣人だったっけ? 違うよな……人だよな……。


 この異様な光景と、的外れな思考は、どこがマッチしている気がした。

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