転移


「ふんふふん♪」

 おっと、ほぼ無意識に最近はまっている曲を口ずさんでしまった。

 しかし、テンションがあがってしまうのも仕方のないことだ。これから徹夜でゲームをする為にコンビニに買い物をしにいくのだから。何を買おうか…スナック菓子とエナジードリンクは当然として、後はビーフジャーキーと……


「生ハムは欠かせねえよな。なんていう堕落! ばんざ――――あ?」

 瞬間、目に映る景色が歪んでいく。地面、コンクリートの建物、信号…全てに靄がかかるようにして、消えていく。


 「なんだよこれ」、と声に出そうとして気づいた。感覚がおかしい。何も聞こえないし、声を出している感覚もない。いや、全身の感覚が今にも消えようとしている。


(なんなんだこれ、どうなってんだ? この状況は、一体どうしたらいい? 救助。無理。感覚がない。俺の手はあるのか。思考があるってことは、脳は無事。立ちくらみ。貧血? そんなんじゃない。助からない。人はいないか。分からない。何も分からない)


 思考の連続。

 頭の中に単語が浮かんでは消えていく。そして、そんな思考すらも消えかけていることに気づき、慌てる。しかし、慌ててもどうしようもないことを同時に悟り、やがて諦めた。


 そんな、諦めるということすら諦観している自分の存在だけを強く感じ取りながら……手を伸ばすことすらも止めて。



 意識が消えた。



 ______



「………………っ!?」

 頭が重い。何も考えられない。苦しい。そうだ、呼吸。


「っはあ! はあ……俺、生きてる?」

 眩暈から立ち直る。呼吸を整えて、血液を回って脳に酸素が行き届いたのか、思考する余裕が生まれる。


 さっきまで、死ぬほど苦しかった。原因が全く分からない。心当たりもない。急に感覚が無くなっていって……最後には、思考が止まった。あれは、『死』だったんじゃ。俺は、死んだんじゃ。


 そこまで考えて、若干息がしづらいことに気づく。そして、なんだか薄ら寒い感覚が全身を襲っている。鳥肌が立っているようだ。徐々に、脳が覚醒していっている。


「…………」

 不意に顔を上げると、思わず絶句した。

 目の前に広がっているのは、森。自分を見下ろすかのように、雄雄しく立ち並ぶ木々。それ以外何も見えないように、見せないかのように、それらは立っていた。


「……へ?」

 辺りを見渡す。木。木。木しか見えない。いや、背の方向、一本分だけ木が無く、そこだけ通り道のようになっていた。とはいっても、植物が生い茂っているので道とは言い難い。


 そこに向かって歩を進める。半ば思考停止していた。何も考えず、考えたくもないので丁度いいが、とにかく体だけは動いてくれていた。


 やがて、俺は切り立った崖の上に立っていた。


「寒……」

 その先端で、辺りを見渡す。下を見下ろすと、どこまでも続く斜面、森。奥は霧がかかっていて、平地も見えない。そして、後ろを振り返って上を見上げると、また斜面、森。上のほうには雲がかかっていて、そこより先は見えない。


 つまり、ここは山だ。それもとてつもない大きさの山。加えていうなら、奥の方にも同じような山が何個もあるのを見ると、どうやらここは山脈のようで。


「……………ここどこ?」

 俺は、それを呟くのが精一杯だ。

 

 おかしい。さっきまでコンビニにのほほんと向かっていただけなのに。急に体の自由がきかなくなって、死ぬような思いをして、そして気づいたら山脈の中? なにが起きているんだ。理解不能…というより不可解だろう。


 こんなもの、理屈や理論が通じることとはとても思えない。そんなものに巻き込まれてしまった己の不幸を恨むぐらいしかできることはない。


 しかし、この現象自体には心当たりはある。

 異世界転移。最近のライトノベルとかでよく見かける設定。現実世界で日々をのうのうと生きる平凡な人間が異世界の姫様に召喚されて異世界で無双する……みたいなやつ。


 しかし、どうだ? 辺りを見渡しても、姫様どころか人っ子一人いない。あるのは自然だけ。それもとびきりの大自然。こんなところで現代っ子が生きていけるわけねえだろ。

 そうだ、おかしいんだ。俺が仮にその異世界転移されたとして、召喚者に庇護されるのが展開としては当然の帰結だろう。


 そう考えて、先ほどの木に囲まれた広場のような場所に戻る。しかし、何もない。魔法陣のような、人工物と呼べるものはなにもない。あるのは、こちらを見下ろすように立っている木々だけ。


「おいおい……異国のめっちゃ可愛い姫さん? この世の全てを知った賢者さん? 一世一代の究極召喚魔法を使う大魔道士さん? 出てくるなら今なんだが?」


 しかし、誰も返事はしない。むなしく自分の声が響くのみ。


 さて、どうしよう。このまま待っていたところで、急に誰かが「ごっめー遅れちゃった☆」なんて言って出てくるとは思えない。なら、生きるために行動に移らないと。流石に、誰もいない山奥で一人孤独死とか、侘しい最後を遂げるには自分は若すぎる。


「つってもな……」

 考えられる選択肢は二つ。ここで生活するか、誰かに助けを求めるか。


 そう考えながら、さっきの崖のところまで戻る。もしかしたら、霧が晴れて山の麓が見れるかもしれない。この世界に人がいるなら、資源潤沢な山の麓に街や村があるだろう。もしここが未開拓地なら……ここで暮らすしかない。


 その時、森が揺れた。葉っぱ同士が擦れて、ざわざわと音を立てる。


「なんだ? って、うあっ!?」

 瞬間、森の中から巨大な“何か”が飛び出した。そのあまりの速さに、激しい風が辺りに吹き荒れ、森を揺らす。その余波が、俺の顔に浴びせられた。


「うおっぷ……なんだ、すげえ風が……一体なにが」と空を見た。


 金色の羽。鋭い眼光に嘴。太陽を覆うかのような……。


 そこには、とてつもない大きさの『鳥』がいた。


 例えるなら、飛行機。日本にいた時には考えられないほどの大きさの生き物が、そこにはリアルとして存在していた。


 その巨大な怪鳥は翼をはためかせ、体を丸めて力を溜めたかと思うと、次の瞬間、翼を大きく広げて叫んだ。


「――――キュアアアアアアアア!!!」

「――――ッ!!」

 また、豪風。思わず耳を押さえて、その場で伏せる。


 見つかったら、殺される。その確信だけがあった。肌が、全身が圧を感じている。


 伏せながら怪鳥を観察する。


 体長は予想もつかない。さっきは飛行機に例えたが、それよりも大きいかもしれない。あまりの大きさに、遠近感が狂っている。ここから見える山の景色のほとんどが、その怪鳥の影になって暗くなってる。なんだ、あいつ、その場で羽ばたいているが、山に関心はないみたいだ。何処か遠くを見ている……?


「キュアアアアアアアア!!!」

 先ほどの咆哮をもう一度し、急に力強く羽ばたいて……大空へと飛び出して行った。


「……な」

 羽ばたいたときに抜け落ちたのか、人の大きさほどありそうな羽が、森に数枚落ちていった。


「なんだってんだよ……」


 俺は、そんな光景を呆然と眺めていた。



______



(俺は、本当に異世界に来てしまったんだな……)


 ……ここに住むのは無理だ。そもそもサバイバルの知識なんてないのに、加えてあんな化け物がいる森に定住できるわけない。さっきのは明らかに規格外だが、それでもこの森にも危険生物はうじゃうじゃいるんだろう。


 そのうち、殺される。多分、呆気なく。


 その後、俺は人がいる可能性にかけて、下山することに決めた。先の怪鳥が羽ばたいた時に、下の方にあった霧が少しだけ払われたが、それでも奥は見えなかった。多分、麓まで相当長い。そもそも人がいるか分からないし…まあ、言うだけ無駄だけど。どの道、降りるしかないんだから。


 ふと、なんとなくポケットに手を入れて携帯を探るも、家に置いてきたことを思い出す。あるのは、財布だけ。中身は紙幣と貨幣のみ。カード類は自室に保管済み。つまるところ、この状況で役に立ちそうな持ち物は何一つなかった。


 救われたのは、運動靴でコンビニに向かったことだろうか。後、それなりに動きやすい紺色ズボンに黒パーカー。


 ……麓までどれぐらいかかるだろう。ここから見下ろした所だけで一日以上はかかりそうだ。食料も水もない。それは道中でどうにかするしかない。道中でどうにかするってなんだよ。明らかに生物学的に俺より上位の野生動物しか生息してなさそうなこの森で食料って……。水は小川ぐらい途中で流れてるかもしれないけど。


 はあ。正直もう詰んでるよな、これ。ものぐさしててもしょうがないけど。なんでこんなことになっちゃったんだろう。誰か助けてくれよ。


 ……行くか。



 ______



「はぁ……はぁ……」

 リズムよく息をしながら山を下る。


 腹が減った。幸い、小川を発見して水分補給は出来た。今はそれに沿って下ってる。


 あれから一晩、この山で過ごした。最初は、本当に怖かった。森、森。木々のせいで前が見えなくて、いつ何が茂みから飛び出してくるか分かったもんじゃない。でも、この木々のおかげで野生動物に発見されずに済んでいるのかもしれない。


 寝るときは、木の上で寝た。地面で寝たら、寝てる最中に食われるじゃないかと思った。まあ、今の苦しみを考えれば、寝てる最中に安らかに死ねる方が、楽だったかもだけど。


 全然寝付けなかったし、体が休まった気がしない。腹は減ったし、思考に靄がかかってる。道中に木の実っぽいのが落ちてたけど、噛んでみたらめちゃくちゃ硬かった。多分、腐ってたんだと思う。いや、熟しすぎたって言う方が正しいのかな、知らんけど。


 この生い茂ってる植物の中のどれか、食えるのかな。爽やかな香りがする植物があったけど、殺菌作用でも持ってる食えるやつかな…って考えて、その殺菌作用が強すぎて逆に毒になるみたいなパターンだったら救えない、って食うのを思いとどまっていた。


 無知ってのは損だ。しかし、異世界に飛ばされた奴なんざ、その世界にとっては全員無知だよな……どうしようもないじゃん。


 皮肉気に笑って、そして、後ろから音が聞こえて笑みが止まる。そして、振り返る。


 昨日から、野生動物が怖くて、周囲を警戒しながら降りている。だが、今、思考に耽っていたせいで、警戒が出来ていなかった。気が緩んでいた。



 そしてその隙を突いたのか、はたまた偶然か……その音の主は茂みを割って姿を現した。


「……グブゥ」


 それは、『熊』。

 異様に手が発達していて、筋肉が隆起し、血管が迸っている。おおよそ、これまでの常識では熊とも思えないその生物は、二本足で立ち、涎を垂らしながらこちらを見下ろしていた。


 逃げる。どうやって? 下だ。熊の手は斜面を下りるのに適していない。


 その一瞬で思考し、山を駆け下りようと、振り返ろうとしたその視界の端で、


 瞬間、ヒュンっという風切り音が聞こえた。


「いっ────」

 激痛。


 一気に右足の自由がきかなくなり、バランスを崩して、倒れる。


 そのまま、山を転がるように落ちる。


「――――」

 転がっていることを理解して、両手で頭を守る。

 

 空のように見える地面。地面のように見える空。

 木々が荒れ狂い、感覚がくるっていく。そのまま、何時までも続くような、全身の殴打を耐えた。


 やがて、回転が止まった。安心と同時に、全身が痛みを訴える。



「――――――痛い痛い痛い痛い痛い!!!」


 両手、頭、胴体、肩、下半身、そして特に──右足。


「右足?」

 伏せの体勢から地面に座り直し、右足を見る。


 右足は、何かで斬られたかのように、深い傷を負っていた。ふくらはぎの部分が、服を貫通して肉を抉り、骨まで見えそうなほどだった。当然、今も出血し続けている。


「……」

 目から涙をこぼしながら、思考する。

 応急処置の方法を考える。どうすればいい。そうだ、服を破ってその布を当てれば……。


 と思いつき、手で服を破ろうとした。

 その時、手をよく確認すると、至る所の肉が抉れていて、痛々しかった。棘も刺さってる。見るともっと痛くなってきた気がする。気を取り直して破こうとするが、到底破けそうにない。刃物でもないと無理だ。


(他……他は?)


 辺りを見渡し、葉が細長い植物を発見する。

 無害なことを祈り、体を引きずるようにしてその植物の元へ移動し、葉を切って、右足の傷口を圧迫するように押さえる。かなり痛いが、これ以上出血するよりはましだ。雑な止血だけど、他に方法が無い。


 そこで、という言葉に取っ掛かりを覚えた。


 俺は、どこまで転がって降りてきた? 出血してたってことは、血の跡を辿ってあの熊がやってくる。それ以外でも、血の匂いを辿って他の動物も寄ってくる。これだけ匂いをばら撒いたんだ。もう風下とかそういうのは関係ない。


(早くここから離れないと……)


 立ち上がろうとする、が。


「うぁ……」

 右足に力が入らず、その場に倒れこんでしまう。


 情けない。なんだよ俺。惨めすぎんだろ。ていうか、あの熊なんだよ。あれこそチートだろ。あれ、かまいたちみたいなの飛ばしてきたってことだろ。魔法か? 魔法、初の実演が敵対生物とかおかしいじゃん。全然優しくねえよこの世界。俺死ぬのかな。


 嘆いていると、呼吸がしやすいことに気づく。そして、よく見ると辺りが霧に覆われていることも。


 上から見下ろしたときの、霧で覆われていた地帯に転がって入っていたみたいだ。呼吸がしやすいっていうのも、地上に近いってことかもしれない。


 その願望に近い希望が、少しの力となって、体を動かす。


 立ち上がり、片足を引きずるような形で、山降りを再開した。

 全然力は入らない。頭がずっとすっきりしない。さっきの転がりのときの打撲のせいか、意識が若干だけど、混濁してる。


 全身が痛いし、なんだかぬるま湯につかってるみたいだ。ふわふわしてる。


 それでも、歩かないと。



 ______



 それから歩き続けてどれぐらい経っただろうか。何時間? 何分? 下手したら、数十秒かもしれない。

 自分がどこを歩いているのかも分からなくなってきている。だんだんと、体勢が崩れてる。


 あと少し歩いたら、俺は倒れるだろうな。


 そう思って、自嘲の笑みを浮かべ、前を見ると、森が開けていた。


「─────」

 辺りは夜になっていて、全てが月明かりに照らされないと、暗闇になる世界。そんな中でも光り輝くのは、


 開けた森から、壁に囲まれた街が見えた。見下ろす形なので、中が少し見える。

 家々が見え、道が見え、そして所々に明かりが点いている。目が霞んでいるため、よく見えないが、人もいるんだろう。


「────ああ」


 救われた。気分が高揚して、体が少し軽くなった気がする。


 歩こう。歩いて、あそこにいって、助けてもらって、暖かい部屋、暖かい飯、暖かい布団で眠る。そんな、人として当たり前のことを享受しよう。


 ここから、関門は見えない。裏側だろうか。

 そこまで思考して、そしてそれは続かない。



「ぁ――――」


 近くの木に倒れるように寄りかかる。

 ああ、もう無理だ。何も考えられないんだ。


 痛い。気持ち悪い。苦しい。眠い。眠くない。気持ちいい。冷たい――――温かい。


 いろいろな単語だけが頭をよぎり、消えていく。自分が今どんな状態で、何をしていて、どこにいるのか。そんなことすらも考えられない。分からない。無理だ。何が無理なんだ? もう全部が分からないんだ。


 そして――――


 ふと、


 次に、無意識に、言葉を紡いでいた。


 もう、思考は停止していた。



 歩く。歩く。宙を歩く。

 森のその地面から足が離れ、何も無い、その空気を踏み台にして歩く。宙を踏みしめる。


 歩く。歩く。壁まで歩く。

 空中で血を撒き散らしながら、歩く。歩く。やがて、壁の上に立ち――――倒れるようにして身を宙に投げ出す。



『───受け止めて』

 地面に激突する寸前で、止まる。

 そして、空中で体勢を立て直して、着地する。自分の周りに、淡い光が舞っているように見える。


 周囲には、誰もいなかった。近くに、人家がある。そこで、事情を話して、助けてもらおう。


 俺は、人家の扉の前に立ち、扉をノックした。


「はい……なんでしょう」

 やがて、女性が出てきた。


「助けてください」

 そう言うと、彼女は俺を見て、戸惑い、恐怖、そして迷いの表情を浮かべた。


 やがて、申し訳なさそうにこう言った。


「あんた、その服、貴族かなんかだろう。面倒ごとに巻き込まれたくないんだ。すまないね」


 そういって、彼女は扉を閉めた。


 俺には理解できなかった。しかし、理解する必要は無い。助けてくれる人を探そう。もう、思考することも難しい。


 隣の家を訪ねる。

 すると、動物のような特徴を持った姿形をした若そうな女性が出てきた。


「は~い」

「助けてくださ―─」

 そう言っている途中で、体の力が抜け、そのまま家の方に倒れ込みそうになる。


「――ってちょ! ふざけんニャ!」

 そういって、その女性に道路側に突き飛ばされた。もう、無理だ。何も考えられない。受け身を取ることもできない。


 そのまま蹲っていると、彼女はこう言った。


「なんか知らにゃいけど、貴族かなんかの面倒ごとなんかごめんニャ! どうしても助かりたいなら、あそこにある冒険者ギルドにでも駆けこむニャ!」


 勢いよく閉められる扉を、呆然と眺めていた。


 ……冒険者ギルドなら、助けてくれるのか。

 俺は、彼女が示した建物に向かって歩き出した。



「すんすん……なんか血の匂いがするニャ。もしかしてあいつ、結構やばい状態だったニャ? ニャニャニャ、き、気のせいニャ~」



 _____



「おい!! 酒追加だ!! はやくしろってんだ!! あ、これチップね」

「お前! なんだそれ調子いいな! ガハハハハハハ!!」

 酒、汗、騒がしい声。しかし、ギルドが運営する酒場は小規模だから、そこまででもないけど……。


 ラロ・ドルナーガは溜め息を吐く。ギルド員として働き始めて3年ほど経過するが、いまだにこの空気には慣れそうにない。

 そんなラロの様子を見てか、羊獣人のギルド員が彼女に近づく。


「溜め息は幸せを逃しますよ~」

「マール…」

 声が聞こえてきた方を振り返ると、マールがいた。

 このギルドにも獣人は多いけど、『羊獣人』はマール・ネストピア、彼女だけだ。


 私と同期の彼女とは親しい。というより、向こうが親しくしてくれている、だろうか。私は少し無愛想なので、ギルド内でも孤立しないように話しかけてくれてるのかもしれない。


「彼らが元気なのは~いいことですよ~」

「まあ、そうなんだけど……」

「金づるですし」

「マール!?」

 友人は、たまに毒舌だ。

 今日も平和だったな……特に死人も出てないし、こんな平和がずっと続けばいいのにな。


「うお、なんだありゃあ……」


 誰かが呟くと同時に、ギルドの常に開かれている出入り口、そこから倒れ込むようにして少年が入ってきた。


 その少年の様子を見て、周囲の酒臭い冒険者が騒ぎ立てる。


「おいおい! 酔いつぶれるには少し早いんじゃねえの坊ちゃん!!」

「ガハハハハハハ!」

 そんな笑い声すら聞こえていないのか、その少年は体を引きずるようにして前に進んでいる。


 なにか厄介ごとかな…そう思いながら、受付から離れ少年に近づく。すると、周囲の笑い声が消えていた。


(ん……?)


 疑問に思いながら、少年に話しかける。


「大丈夫ですか……って貴方! すごい怪我してるじゃない!」


 少年が体を引きずった地面に、かなりの量の血がこびりついていた。体を動かしているその足には、血に塗れたイラジクの葉が巻かれていた。


「──冒険、がはっ! ……冒険者登録、したいんですけど」


 血を吐きながら、少年は全く状況にそぐわない発言をした。


 なにを言っているんだろう、この人は。この怪我、今すぐ治療しないと、出血だけで死んでしまう。今は、イラジクの葉のおかげで、多少の生命力を保ってるけど……!


 そこまで考えて、服装を見る。

 それは、市井の物ではなかった。革も使っていない、皮もだ。通気性の良い布や何かの生地で出来てるように見える。特に、靴は土や血で汚れているが、何で出来ているか分からない。様々な素材を使って作られている、特別製の何か…オーダーメイドで作られたものだろう。


(この人は……)


 要するに、この人は貴族なのではないか。しかし、貴族が冒険者登録をする場合、多くは騎士、武家の子供が名を上げるために、護衛付きで登録することが多い。まあ、最近の国の情勢では、軍も縮小されていってるから、そんなことも減ったけど。


 この人は、その護衛もいないし、というかこんなにボロボロで……名を追われる貴族ですらこんな扱いは受けないと思う。

 この野生の汚れはなんだろう。全身に付いている土、肌に刺さっている木の棘。これらが貴族に繋がるとは思えない。説明が付かない……。


 冒険者ギルドとして介入しようか悩んでいると、酒場の中から一人、立ち上がりこちらに近づいてくる人がいた。


「おい、こいつ預かるぞ」

「が、ガイナさん」

 そう言って、ガイナさんは小さな体でその少年を肩に担いだ。

 少年はどうやら、私が逡巡している間に気絶してしまったらしい。そして、持ち上げる勢いそのままに、声をかける間もなく出て行ってしまった。


 妙な雰囲気だけが、ギルドに漂っていた。



 _____



「────?」


 ここ、どこだ? 俺は確か、山を転がって、そっから……思い出せない。


 視界には人工的な天井が見えてる。俺は助かったのか? あの森の中からどうやって助かったんだろう。

 とりあえず、体がまともに動かない。ていうか痛い。全身何かで包まれてるな。包帯かな。その上に柔らかい感触。ベッドで寝ているようだ。


「起きたか」

 しわがれた声が聞こえた。男性の声、おじいさんだ。でも、ここからじゃ顔が確認できない。というより、体が動かない。頭もなんだか働かない。


 とりあえず、返事をする。


「……はい。ここはどこですかね」

「ここは俺の家だ。そんで職場でもあるがな」

「はあ。えっと……よいしょ、ってうわ……」


 起き上がろうとするが、全く力が入らなかった。それに、痛い。傷口が全身にあるようで、今の動作だけで全身が悲鳴を上げた。


「バカか。お前さんは重傷だぞ。体を無理に動かそうとするな」

「でも……」

「まあ待て。お前さんには聞かなきゃならんことがいくつかある。そのままでいいから」

「……何でも答えます。けど、最初に聞いておきたくて」

「……なんじゃい」

「俺のこと助けてくれたのは、あなたですか」

「……まあ、そうかもな」


 その声を聞いて、安心した。あんな、絶望しかない状況から、俺を救い出してくれた。本当に死ぬかと思った。死ぬより酷い目に遭ってるとずっと思ってた。


「……ああ。良かった……俺、本当に生きて……」

 今、心から安心した。その安堵が、涙になってこぼれてきた。視界が涙で埋まるが、手で拭こうとしても手がまともに動かない。けど、涙は止まらなかった。


「ありがっ、あり、ありがとう、俺、本当に、死ぬかと思って……っ!」

「………男が人前で泣くもんじゃねえな」

「うっ、うぐ、す、すみ、みませっ、すみません……」


 俺がそう言うと、彼は部屋から出て行った。


 しばらく呆然としていたが、やがて気づいた。

 人前じゃなくなった。彼の優しさから、また涙が出てきた。


 その日、俺は今までの人生で一番泣いた。

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