18:過去の記憶(アダム視点)

 グラハムが聖子を入れた水槽を抱えながら、必死でハーナの鳥居から逃げて帰っている最中、アダムは祈りの泉で一瞬不乱になって聖子を探していた。


 いつものように聖女たちを迎えに向かった先で、アダムは魔獣に襲われている騎士たちと遭遇した。安全地帯だと聞いていた中継地点にまで魔獣が出たことに驚き、聖女たちを守りながら騎士と共に戦い、なんとか倒すことができたのだが、怯える聖女たちを宥めすかしながら騎士たちの傷を治し、万能薬を渡してようやく帰路につき、報告書を書き王宮へと送ったのがつい今しがた。聖子を泉に残してきたことを悔やみながらも、大慌てで作業をして大慌てで帰ってきたのだが、いつもの時間よりもずいぶん遅くなってしまった。


「聖子さん、遅くなってすみません。どこにいますか?隠れてないで出て来て下さい」


 だが、聖子の姿はどこにもない。拗ねているのかと思い、猫撫で声で話しかけるがあたりは虫の鳴き声がするばかりで聖子の愛らしい声は聞こえなかった。散々探したが、姿を見せない聖子にアダムは次第に焦り始めていた。


 薬草畑に入り、どこかで眠りこけているのかと探したが、体調30センチ余りのイモリの姿はどこにも見当たらない。もしかしたら部屋に戻っているのだろうか、と思い慌てて部屋に戻って探したがやはりどこにもいなかった。


 ーー裏切り者には気をつけて。


 ふと精霊の言った言葉を思い出し、アダムは青ざめた。


「裏切り者……まさか。聖子さん!」


 アダムは踵を返し、慌ててハーナの鳥居に向かって走った。まさか、まさか。ハーナが。


「ハーナ!」

『あら、アダムじゃないの。遅いわよ』


 アダムの声に反応したハーナは返事を返すがアダムには聞こえていない。


「聖子さん!聖子さんはここにきませんでしたか!」

『きたわよ、変なメガネの男と一緒に』


 アダムはハーナの顔を真剣に見つめているが、ハーナのテレパシーはアダムには伝わらない。落ち着きのないアダムを見て、ハーナはアダムと聖子がまだ落ち合っていないことを知る。


 あれこれ喚くアダムだが、こちらの声が聞こえないのであれば何を言っても無駄だ。仕方がなくハーナは長い引っ掻き爪のついた足でアダムを掴んだ。


「何を!やはりお前が聖子さんを!?」

『馬鹿なこと言ってんじゃないわよう。お前が聖子さんを、ってアタシが何したと思ってんのよ、この男は!全く何年経っても熱いまんまなんだから』


 聞こえていないことは分かっていてもぶつくさと文句を言い、アダムと視線を合わせた。ハーナの瞳が怪しく光り、アダムの視線を捉え、アダムははっと気がついた。


 竜の視線には魅了がある。その瞳に魅入られたものは我を忘れ、竜の思い通りに動く傀儡となる。昔の文献にそう書いてあったことを思い出す。


「う……っ……ハーナッ!聖子さんを」

『お黙り!』


 アダムの体がびくりと震えた。


『アタシのいうことがわかるかしら?』

「っ!?ハーナ?あなたが私に話しかけているのか?」

『ああ、よかったわ。これで通じなかったら強制的に目覚めさせるとこだったもの。この一ヶ月の魔力の影響があってよかったわ』

「何を……?そうだ!ハーナ!聖子さんがいなくなった!」

『知ってるわ。眼鏡をかけた白服の男がここに連れてきたもの』

「眼鏡をかけた、白服……?」


 逡巡して思い立つのはただ一人、グラハムだ。


「あいつか…!!やっぱり聖子さんも連れていけばよかった!ああ、でもあんな魔獣との混乱では守れたかどうかもわからなかった……」

『ねえ、アタシのことまだ思い出さないの?』

「思い出すって……が……」

『それ以前の記憶よ。もう時間がないんだから、ちゃっちゃと思い出しちゃいなさいよ』

「な、何を言って……」


 困惑してハーナを見返すと、唐突に頭の中に閃光が走った。目の裏が焼けるような感覚に思わずぎゅっと目を閉じる。


「あっ……!?」





 記憶の中のアダムは、今と同じ姿をしていて、だが血塗れた鎧と剣を手にしていた。長い黒髪と紫水晶のような瞳。その瞳には憎しみと悲しみが同居して真っ赤に染まった血の海の丘を見下ろしていた。おびただしい数の人間の骸と竜の遺体の中で、己ともう一人立っている姿がある。


「アダム…これで地上にいる竜族はあなたと私だけになったわ。満足かしら?」

「俺が竜族だったことは一度としてない」


 記憶の中のアダムは冷たく言い放った。


「……残念ね。でも血ばかりはどうしようもないわよ。あなたは、竜族の長である私と人族の王であるフローレンスとの間に生まれた間の子あいのこなんだから」

「お前を母だなどと、思ったことはない。ハーナ」

「……どうでもいいけど」


 ハーナは人の姿をしていた。赤い巻毛が風に揺れ、まるで炎のようにも見える。その顔は美しくも金の瞳は冷たく、飛び散った血飛沫が浮かべた微笑と溶け合ってこの世のものとは思えない風貌を醸し出していた。


 アダムはチラリとハーナに目をやり、僅かに目を細めて視線を逸らした。宵闇が近づき、横たわった骸から瘴気が上り始める。


「俺はフローレンスと約束を交わした。人として生きて、この地に人の国を立て直す。それまでは俺の記憶をお前に預ける」

「私でいいの?信用されてるのかしら?」

「心配するな。こいつが証人になる」


 アダムが何かをつぶやくと、大地から精霊の姿が湧き上がった。小さな緑色の精霊でトンボのような羽を持つ。


「ああ~ん、もう。こんなに穢してくれちゃって!浄化するのに十年じゃ済ませれないよう、アダム!」

「悪いな。浄化を終えるまで俺の力を貸そう。それからハーナを見張りに立てる。これの罪はこの土地の結界と己に毒を収めることだ」

「なんですって!?ふざけないでよ!私にドブさらいをさせる気!?そもそも人間が私たちを襲ったからこんなことになったのよ!」

「人間も人間だが、竜族も同じくらい罪深い。特にお前は人間との間に子を孕み秩序を乱した。己の罪は己で償え。そのためにこれを」


 アダムがそこまでいうと、ハーナの足元から木の幹が伸び上がり、巨大なアーチを作り出した。一気に育った木々は生い茂りやがて枯れ、枝葉が落ち鳥居の形になった。


 落ちた枝葉が輪になりハーナの足首に巻きつき、足枷となった。


「な、何よこれ、ちょっと!あ、ああっ!」


 足首に巻きついた枝から魔力が吸い取られ、がくりと膝をついたハーナはあっという間に竜の姿に変わっていく。


「やめて、やめて!何をするの!」

「お前の魔力をこの足輪が吸い取り、結界へと流す。人間の姿を保てるほどの魔力はもうお前にはないだろう。この地が浄化されるまで、お前はここに留まり結界を張り続けるんだ」

「ぐ、ぐうっ!アダム、お前!母に対してこの仕打ち!許さないわよ!」

「ああ、お前からはそのかしましい言葉も奪おう。二度と人間を拐かさないように醜い姿になればいい」

「ひ、ひどいわ!息子のくせに!なんて非道な、ぐ、グギャアッ!」


みるみるうちに、ハーナの姿は竜の姿になり、騒ぐ言葉はギャアギャア、とカラスのような鳴き声に変わっていった。


「うわぁ〜、引くわぁ。せめて念話くらいはできるようにしてあげてもいいんじゃない?」

「そうだな…。人間とは無理でも、精霊と聖魔力を持った清らかな者とは念話ができるようにしてやろう」


首長竜の姿に戻ったハーナは、己の翼で持ってバサバサと飛び上がり、飛び立とうとしたが足輪がギリギリと食い込んで、鳥居から飛び立つことはできなかった。恨めしそうな顔をしてギャアギャアと騒ぐハーナの声はもうアダムには届かなかった。


「俺の記憶はハーナに預け、この地が浄化されるまで戻ることはない。セナ、お前にはこの結界内の土地精霊として契約を結んでもらう」

「アダムに言われなくても、神様からすでに任命されたわよ。私は小さいからとっても長い年月がかかるけど、本当にいいの?」

「もちろんだ。それで俺の罪とハーナの罪が償えるのなら、何年かかっても成し遂げよう」

「分かったわ。神様からは時期が来れば何らかの連絡が来るはずだからそれまで頑張って」

「ああ、すまないな」

「言っとくけど、気が遠くなるほどの年月がかかるんだからね?アダムはそれまで記憶も思い出せないし、ハーナもそうだけど、この土地から出ることもできないのよ?」

「分かってるさ」

「……それじゃあ、準備はいい?」

「いつでも」


 そうして精霊が力を込め、それぞれの骸から木々がグングン育ち、瘴気が消えていく。ハーナが最後の嘆きとばかりに一際大きな鳴き声をあげると、辺りはすっぽりと森に囲まれた。



 閃光が収まり、アダムが目を開ける。そこには、人の姿となったハーナが立ち、赤い腰ほどまである赤毛を風に揺らしている。だが、その姿は以前の傾国の美女といった容姿とは異なり、かなりふくよかになり、小型化した首長竜のハーナとそう変わりが無い。人型を保っているだけ、マシと言えばマシだが。それでも魔力を吸い取られ続けたハーナにとっては、ひとときの自由が有り難かった。


「あ〜、ようやく自由になったわぁ!馬鹿息子のおかげでひどい目にあったわよ!」

「……俺……、いや、私は」

「……思い出した、かしら?」

「ああ、」

「それで?自覚できたの、自分が竜族だってこと?」

「……いや、自覚というよりは記憶として、理解はした」

「ハァ〜もう、本当石頭よね!ま、いいわ、今はそれより!アダムの助っ人のあのイモリはどうするつもりなの?」


 言われてアダムははっとした。


「聖子さん!」




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