17:グラハム視点

 僕は王家からの要請でこの研究所に派遣された研究者だ。いや、正確には王家の者である。第三側室の子供で継承権の順位は高くない。そのため国に役立つ仕事を見つけようとしていたところで、生物学に興味を持った。


 ファンブール国は四方を森と山に囲まれた小さな国だ。自然が豊かで物資が豊富ということもあって、流通が盛んだったらしいが、数百年前の王がとった竜の乱獲をきっかけに『暴竜事変』が起こり、それ以来瘴気が森を覆った。そして魔性の生き物が生まれたのだという。


 時の大神官フローレンスが、それが竜族の激減によって起こったものだと人間に警告をし、竜族の王妃ハーナを捕獲した。ハーナを害さない限りこの国は結界に守られ、瘴気は結界に阻まれると記載されている。そしてそのハーナの監視をするのが王族の役目なのだと聞いた。


 ところが最近になってその結界に乱れが生じており、それまで安全に守られていた結界に綻びが見つかった。そこから魔獣が森に入り込み、今では綻びはいくつもあるという。終わりのない討伐に国は疲弊し始めた。今まで以上に聖女が神殿に集められ、たとえ小さな聖魔法だとしても教育を施され聖女へと仕立て上げられる。今では15人ほどの聖女が神殿で暮らしているが、僕から見れば全くと言っていいほど役に立っていない。


 ハーナは最後の古竜で文献にはどれだけ生きるのかまで書かれていない。暴竜事変ですでに成竜だったため、後どのくらい生きるのかわかっていなかった。というのも、ハーナと意思疎通のできるものがいなかったからだ。近寄ろうにも威嚇され、採血をするにも竜の血には毒があると聞き躊躇された。ただ時間だけが過ぎていく中で、不可思議な卵を見つけた。白い小さな卵は祈りの泉で見つかり、僕はその卵を調べに調べた。なんの卵かはわからなかったが青白く輝き、メスも通さなかった。石のように硬いのかと思って触れればそれは柔らかく、なぜメスが通らないのかわからない。尖った異物は弾き返されるのだ。不安と期待を胸に実験を繰り返すようになった。ポーションを垂らしてみても毒薬を垂らしてみても何も変わらずただそこで青白く輝くばかりで孵化する様子もなければ、死に絶えて変色するわけでもなかった。


 それがある日、卵がまるでフルーツの皮が剥けるようにぺろりと溶け、中から白いイモリが出てきた。驚いて聖水を数滴垂らしてみると、白目が黒目になり意識を取り戻したのか、いきなり人の言葉を話したのだ。


 それが聖子だった。


 聖子はあっという間に大神官に取り入り、ペットへと成り下がった。それをみて、僕がどれほどがっかりしたことか、大神官は知らないだろう。生まれて来たのだから何かしら実験を、と思ったが大神官は片時も手放さず、アレはどんどん大きくなっていった。背は白から青に変わり、腹のピンクは燃えるようなクリムゾンへと進化していく。あの腹の中には何が詰まっているのか。魔法は使えるのか、生殖はどうなっているのか、人の言葉を話す頭脳の構造はどうなっているのか、気になるところは底をつかなかった。


 だがとうとう聖子が万能薬を作り出し、聖結晶でさえいとも簡単に作ってみせた。金の卵を産むイモリだ。王家に差し出せば、有り余るほどの地位と名声と褒美が出されるに違いない。大神官は世に疎い人物だから、自身が聖子殿を差し出すことはあり得ない。そう思って様子を伺っていたが、なんとあのイモリが精霊や古竜と意思の疎通ができることを知った。うまくやれば、ハーナについても調べることができるし、精霊も捕まえることができるかもしれない。興奮を抑えて、アダムに詰め寄った。


 だがあの唐変木は、それがどれほどの研究になるかこれっぽっちもわからず、ますますイモリに固執していった。イモリはせいぜい生きても二十年ほど。あのイモリは特殊遺伝か突然変異で何年生きるのかわからないが、このままでは大いなる神秘が使い捨てで終わってしまう。


 なんとかして、隙を見てあのイモリを手に入れなければ。


 そう思っていた矢先、大神官が瘴気の被害にあったと報告が入ってきた。どうやら聖女を迎えにいった先で魔獣に出くわしたらしい。僕は返事もそこそこにして、またと無いチャンスに大急ぎでイモリを探した。


 いた。


 聖子は、なんの苦労も知らないような顔で泉にぷっかり浮かんでいた。それにしてもまたデカくなった気がする。いったい何を食べたらあんな大きさになるのだ。解剖をしてみたくてウズウズするが、それは最後だ。まずはハーナについて聞き出し、それから精霊だ。


 それからアレにもハーナのミルクとやらの実験台になってもらおう。イモリが古竜の血を飲んだらどうなるか。大神官は古竜のミルクを万能薬と合わせて飲んで、魔力が爆上がりした。瞳の色もそうだが、最近の大神官の行動力は以前とは比べ物にもならないほど活発だ。魔力がそうさせるのか。精霊も見えるようになったらしい。直接飲めば毒になるミルクも万能薬と混ぜ合わせることで毒が消えるのかもしれない。大神官が飲めるのならば、僕でもいけるはずだ。僕の魔力が上がれば、あのハーナですら従わせることができるかもしれないのだ。


 もう一つ試したいのはあの古竜に万能薬を飲ませた場合、どう変化するのかということだ。もしもなんらかの理由でハーナが状態異常になり、結界が揺らいでいるのであれば、結界は安定するのではないか。歳のせいで結界が揺らいでいるのであれば、万能薬で若返るかもしれない。そうなればまた結界を継続することができ、この国は安定する。うまくいけば王座すら僕のものになるかもしれない。あるいは、毒を与えたら?毒を持って毒を制し、古竜から毒は完全に抜けるかもしれない。水がなければ生きていけないイモリと、毒のない繋がれた竜など、奴隷と変わらないじゃないか。僕に従わずにはいられないのだ。


 どのみち、ハーナとイモリが手に入ればもっと画期的な研究ができるだろう。それに精霊も手に入るかもしれない。そうなれば、王座だって容易く手に入る。だって、誰も僕には逆らえない。


 ああ、非常に良い案だ。


 そう思ったのに。


 まさか、あの古竜に毒が効かないなど、考えてもみなかった。逆に毒を飲んだ舌で思いっきり舐められ、果ては食われる寸前までいってしまった。まとわりつかれた滑りのある舌は死ぬかと思うほど臭かったし、唾液が顔中の穴という穴から入り込んできた。驚き過ぎて口が開いたままだったのが最悪な事態をよんで、思わず飲み込んでしまった。思い出しただけでも吐き気がする。


 慌てて逃げ出して神殿に戻り泉の水を浴びたが、匂いがこびりついて落ちない。


 痒い。


 熱い。


 ああ!あの涎がついた皮膚が爛れて水疱ができ始めた。やはり毒があったのか。なんて迂闊だったんだ。そもそも大神官は昔から不気味な存在だった。何かしら自身にだけ結界や強化魔法を使っていたのかもしれない。もっと詳しく話を聞いてから行動を起こすべきだった。


「せ、聖子殿、助けてくれ。皮膚が、体が燃えるように熱い。痒いんだ」

「その前にここから出して!そうすれば、万能薬を作るから!」


 そうか。その手があった。僕は急いで水槽を地面に叩きつけて割り、聖子を解放した。


「早く、早くしてくれ!」

「イタタタ。もう少し優しく出してくれてもいいでしょ!」


 痒みにもがきながら聖子を見ると、割れた水槽のかけらで怪我をしたのか、赤い血が傍から溢れていた。頭の隅でぼんやりと、イモリのくせに血は人間のように赤いんだなと考えたが、次の瞬間その血の匂いが鼻についた。


 花のような甘い香りに吐き気と眩暈が僕を襲った。


 どくりと心臓が脈を打つ。


 興奮と狂気。体に漲る力は魔力。冴え渡る五感に換気して体の震えが止まらない。


 怒りなのか、情熱なのか、激しい感情が一気に沸き上がり知らずと笑みが溢れた。


 苛立たせるのは花の匂いか、血の匂いか。


 ぷつりと、何かが途切れた。


 


 




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