08:聖子というイモリ(アダム視点)

 私は今、大変困惑している。

 

 ハーナという数百年生き延びた飛竜に百五十年は生きているという事実を告げられ、イモリである聖子さんに大したことでは無いから気にするなと言われたことに。


 そしてそれがとてつもなく嬉しくあり、この白い小さなイモリに、うっかりときめいてしまっていると言うことに。



 *   *   *



 小さな小さな白イモリが孵化した、とグラハムが嬉々として報告してきた。


 祈りの泉の岩に一つだけピンク色の卵がくっついていたのを発見したグラハムは、その卵の生態を調べるために研究所に丁寧に持って帰っていった。


 なんの卵なのか判らないが、怪鳥の卵よりは小さく、鳶羽魚トビハネウオの卵より大きく、水トカゲの卵のしては丸いし、大きさもそれより大きかった。ちょうど赤子の握り拳くらいの大きさだろうか。何より泉の中にあったのだから、聖水の影響を受けているかもしれないと、グラハムはいった。西洋には人魚の卵なるものも存在するという。大海ならいざ知らず、まさかこんな小さな泉に人魚はいないだろうが、グラハムはこの泉の底がどこで繋がっているのか判らないのだから、可能性はなきにしもあらずだというのだ。


 グラハムは、薬剤研究士だが、ともすれば魔法薬や精霊についても研究心旺盛に調べていたから己の仕事を疎かにしない限りは好きにやらせていた。


 どこからか連れてこられた小さな聖女たちが少女になり、祈りの泉に聖女の力を込めるも、薬草にはそれほど影響がないのはもう何十年も見てきてわかっていた。この地位についてもう何年経つのだろう。


 私の外見は数十年前から変わることはなく、それに気がついた教皇の指示で、私が誰に見咎められることもないよう、聖堂の総入れ替えを数年に一度行われている。全て私のためだった。


 私が教皇にこの森で拾われてからもう数十年経つ。教皇がまだしがない神官だった頃、私は森で倒れていたのだという。記憶がなく、まだ幼い見た目だった私を不憫に思い、神官としてここで育てられた。だが、いつの間にか私の見た目は変わらなくなっていた。20台半ばの年頃に見える。最初のうちは、美しい聖女たちに心がさざめいた時もあった。だが彼女らはどんどん歳を取り、私だけが取り残された。


 神官から出世して教皇になった育ての親でもある彼もかなりお年を召され、私の行く末を心配して、天に召される前に私がこの神殿から出ないよう配慮した。もし私が不老不死ならば、国を超え、私をめぐって争いになることを杞憂したのだ。この世は常に争いに溢れ、もうすでに三百年以上、大小様々な戦争を起こしている。燻った炎はいつ大火になるか判らず、私は目立たず、逆らわず、国から与えられる要求を飲み、傘下に入っているように見せかけて息を潜めていたのだが、最近になって戦火は中央寄りになり、この神殿もいつ巻き込まれるか判らない状態だった。


 数年前から薬草の研究にと配置されたグラハムは、研究バカで私の見た目にも聖女にも関心はないため、この神殿で受け入れた。


 そんなグラハムが孵化させた白イモリは体調3センチほどで卵の見た目に反してかなり小さく、生き延びるかどうか心配をしていたのだが、何やらフォーミュラを作り上げ、投与していたとみえる。この春、冬眠から覚めてみたら人の言葉を話したというのだ。しかも神の使いだという。


 興味津々で見に行ってみると、孵化した当時とあまり変わらない外見だったが、ちょこまかと動き、キョロリとした体の割に大きなオニキスのような瞳には知性が宿っていた。見た目にそぐわずハスキーボイスだが、話し言葉からイモリは女の子だったようだ。


 グラハムは異常に興奮して、フォーミュラの計算式やら術式を再度確認し、次々色々な卵に投与を開始し始めた。どうやら意思疎通のできる生物を作り出そうとしているようだった。


「奇跡はそう何度も起こらないと思うが」


 グラハムが「イモリの体液採取をしたい」と願ったので、私は慌てて聖子さんを回収した。神の使いで人の言葉を話すイモリを研究材料にするなんて天罰が下るぞ、と脅すと渋々諦めていたが、あれはまだ完全に諦めていないだろう。神殿にいながら神を信じていないことが見え見えだ。しっかり管理しておかないと、いつ何時腹を開かれるかわかったものではない。


「黒焼きにされたりしないよね?」


 そう言って小首を傾げて心配する聖子さんに、そんなことはしないと言い切れなかった自分が悲しい。


 聖子さんは、私の生活に新しい風を運んできた。


 イモリである彼女は、もともと人間だったという。どうりで理路整然とした話をするし、どうやら違う世界の経験者で、時折理解のできないことをいう。だが、常に微笑みを称え何事にも動じない聖子さんに、私は徐々に心を開いていった。


 彼女が人間だった時は、どういう容姿をしていたのだろうか。聖女のような美しい人だったのだろうか、それとも女騎士のようなキリリとした容姿だったのだろうか。毎朝、目を覚ましたら人型になっているのではないかと期待したが、聖子さんは聖子さんのまま、体が少しずつ成長してもやっぱり小さなイモリのままだった。


 次第に飼い主とペットのような関係になっていることに気がついて、愕然とした。


「神の使いなのにペットだなんて……!」


 このままではいけないと気を引き締めたある日、聖子さんの体がほのかに青く光を帯びていることに気がついた。日中の行動は特に変わったところはなく、相変わらず聖結晶を水中から引き上げ、薬草畑で虫を追いかけている。泉の水が高濃度の盛衰に変わっていることを除けば、何も変わったところがなかった。


 そう、聖子さんがきて以来、泉の聖水が濃度を上げた。薬草の成長も早く、以前より葉の大きさも葉緑度も深みを増した。グラハムが急いで調べているが、原因はまだ判らない。


 その数日後、夜中に目を覚ましてみると聖子さんが水槽から姿を消した。


「誰に攫われたと言うのだ!私の部屋には結界が張り巡らされていると言うのに!」


 ふと見れば僅かに窓が開いている。


「いつの間に?まさか聖子さんが自分で開けたと言うのか?」


 私は慌てて神殿中を探し回った。もしやと思いグラハムの部屋のドアを叩いたが、なんのことやらと寝ぼけた顔で出てきた彼を見て少しだけ安心した。だが他を探せど、どこにも見つからなくて、朝方になって部屋に戻ってみると、水槽の中ですやすやと腹を見せて眠る姿が。


 心配して探していたのに、一体どこをほっつき歩いていたのだ!と腹を立てて揺り起してみれば、軽く嘘をつかれた。私の中の黒いモヤモヤがブワリと膨れ上がった。


 聖子さんは気がついていないが、彼女が嘘をつくと可愛らしい舌でぺろぺろと目を舐めるのだ。それはそれで愛らしくもあるが、それを見て、まさか夜な夜な人間に姿を変え、どこかに出かけているのではないかという邪な考えが頭をよぎった。


 まあ。


 それは私の妄想に過ぎず、聖子さんはどうやら恐ろしいことに精霊を食していたらしい。神の使いは、時折思いも寄らない残虐なことをすると聞いたことがある。聖子さんが薬草畑で蛾や小蝿、羽虫やミミズなどを追いかけて食べているのは日常茶飯事のことだ。本人が何故か隠したがっているので追及はしないが、食への欲求は本能なのだから仕方ない。我々人間も肉も野菜も食べるのだから、それがイモリになれば虫を食べるのも頷けた。


 私の中の黒いモヤモヤはあっさり姿を消した。しかし、精霊は。


 ほんの少し良心が痛む。何しろ精霊とは魔法の基礎、我らに力を与えてくれる高位なる存在なのだ。それを食べるというのは、考えたこともなかった。グラハムも青くなって「精霊とは食べれるものなのか」と唸っていた。もし彼が精霊を見ることができていたら、おそらく試していたのだろうなと思う。精霊を食べて魔力に変換する。ありえないことではない、と思った。


 結果として、聖子さんは精霊を食べてはいなかった。ちょっとだけホッとする。私は精霊を見ることはできないが、どうやら見ることができるのに、何かしらの理由で見えなくなっているのだと聖子さんが精霊から聞き出した。


「精霊があなたは精霊が見えるはずなのに、何か隠してたり後ろめたい事があってそれが見える事を妨害してるみたいって」


 心当たりがありすぎる。後ろめたいことは何もない。いや、不老不死かもしれないというのは後ろめたいのかもしれない。隠していると言えば確かにそれだ。あとは、過去の記憶がないということ。だが、この二つはグラハムの前で言う訳にはいかない。言い淀むと、聖子さんはあっさりと引き下がった。


 気にもならないのか、その後も話題をぶり返すこともなく、聖子さんは「めろん味のしゅうくりいむ」とやらの味がするという精霊の魔力をモリモリ食べていた。どんな味なのかとても気になったが、見えないものを欲しがっても仕方がないと諦めた。グラハムはひどく悔しがって、詳しく教えてくれと迫っていたが。どうやら砂糖菓子のようなものらしい。


 こうなると、毎夜私が聖子さんを連れて泉に行かなければ、それこそグラハムに攫われてしまうかもしれない。気をつけよう。


 その時までは、私は使命感から聖子さんを守ろうと思っていたはずなのだ。




 ハーナの鳥居まであとわずか、と言うところで、聖子さんはいきなりハーナと会話を始めたらしく、自己紹介をし始めた。距離的にはまだ遠い。ハーナは以心伝心ができる術があると聞いたことがある。私が見てきた中でそれをできる人間がいなかったため、実際のところはわからなかったが、これで確証した。ハーナは会話をするだけの頭脳があると言うことだ。


 私を置いてきぼりにして会話が進む。ハーナには子供が大勢いるらしく、百人には満たないが、何故人間は気が付かなかったのか云々、そして「この子」と「150」言う言葉とともに、聖子さんが私を見て困惑した顔を見せた。


 思わぬところから、私の秘密がバレてしまった。私は青ざめたが、聖子さんはけろりとして笑った。一人の人間が200歳だろうと500歳だろうと知ったこっちゃないわー、と言う。そして去年孵化したばかりの聖子さんが実はすでに50歳と言うことに驚愕してしまった。


 それでも私との歳の差が100歳越えで五十歩百歩な気がしないでもないが、1歳と150歳の歳の差より、マシなのではないかとふと心臓が高鳴る思いがした。




 これは、神の寄越した試練なのか、悪魔が寄越した甘美の罠なのか。

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