07:ハーナに会いました
次の日になって、アダムは万能薬になった泉の水を小瓶に入れて、聖子を肩に乗せた。聖女たちは朝の祈りを未だボイコットしているようだが、アダムにとってもグラハムにとっても、それはすでに大したことではなかった。聖女の祈り効果が泉にはあまりにも微々たるものだったとわかったからだ。
今まで聖女様、聖女様と担ぎ上げられて生活してきた聖女たちにとってかなりショックな気もするが、他のところで効果を上げてもらうことになったらしい。アダムは神官長として聖女たちを調教…ゲフンゲフン、誘導しなければならず、朝から忙しく立ち回らなければならないと愚痴をこぼしていたが、朝の祈りの時間ほど早起きをしなくても済んだ聖女たちは案外すんなりと変化を受け入れていたようだ。
朝の祈りの時間の代わりに、騎士団の演習場へ向かい怪我を治したり加護を与える祈りをしたりするらしい。アダムや薬師ぐらいしか男性と関わることのなかった仕事場から一気に婚活ができる場所へ招かれたのだから、今朝の妙齢の聖女たちはそれはそれは嬉しそうにキラキラしながら仕事へ向かっていったらしい。
「ハーナのミルクが必要なんですよね…会いに行きましょう」
「ハーナってなんなんですか?牛か何か?」
「ハーナは精霊の加護を受けた飛竜なんです。」
「飛竜!」
アダムはげんなりとした表情で頷いた。飛竜のミルク。ちょっと待てよ、と聖子は考える。
「竜って卵で子供を生むでしょう?ミルクなんて出るんですか」
竜は記憶では爬虫類だと思っていた聖子は首をかしげた。母乳を出すのは哺乳類だけだろう。ここの竜は哺乳類なのだろうか。
「
「……え」
「でしょう。私はそれを飲まなきゃいけないんですよ、ええ。ハーナの母乳と万能薬を混ぜたものをね」
ふふふ、とやけになって笑顔を貼り付けるアダムの目は据わっていた。
まるであのギリシャ神話の妖鳥ハーピーのようだ。あれは下半身と腕が竜ではなく鳥だが。
(それはそれで何か背徳的な状況な気もするんですが見たいような見たくないような…)
聖子はプルプルと震えた。頭の中で翼の腕に赤ちゃん抱っこをされたアダムがおっぱいに吸い付く図が浮かんで、慌てて両手で振り払った。
(やべやべ!おかしな扉を開けるところだった!!)
そんな聖子の想像を知ってか知らずかアダムは続ける。
「ハーナのミルクは体性感覚を向上させる効能があるのです。誰も好き好んであんなもの口に入れませんがね。そもそもハーナに近づくことすら難しいですから、命がけです。尤も神の御使いである聖子さんなら簡単かもしれませんが」
「私、餌と間違えられて食べられちゃったりしませんかね?」
(竜っていわゆるトカゲのでっかいのですよね?爬虫類って肉食ですよね?)
イモリの身である聖子としては「できればお近づきになりたくナイと思うのですが」とチョッピリ控えめに伝えてみたのだが、アダムが「私だけで行かせるつもりですか」と視線を投げかけたので尻つぼみになってしまう。
「体性感覚を向上させるとアレですか、アダムの詰まったチャンネルを開くことができるわけですか」
「何が詰まっているのかわかりませんが、精霊がそういうのですからそうなのでしょう」
「えっと、あの精霊の言っていた何か隠してることとか、後ろめたいことというのは…」
ピクリとアダムの肩が強張るのを感じ、聞いてはいけないことだったかと口を閉じる聖子に、アダムはふうっとため息をついた。
「……聖子さんには、隠しても仕方ないですね……何れ判る事ですし」
「あの、言いたくなければ別にいいんですよ」
「……いいんですか」
「ええ。人間生きていれば、言いたくない事や秘密の一つや二つありますからね。聞いたところで私は何もできないでしょうし、何かする気もありませんから」
「そう、ですか。私は聖職者ですから、やましい事や後ろ暗い事はないのです。ですが…」
アダムは遠い目をして言葉を濁した。
しばらく歩くと、そこには朱色に塗られた大きな鳥居が見えてきた。そして、そこには鎖に足を繋がれた飛竜ハーナが。
ぽかんと聖子は口を開けた。まず鳥居があるというのに違和感を覚えたが、それ以上に。
遠近感がおかしい。鳥居は結構な大きさでおそらく100メートルほどある。もっと歩かなくては近づけない距離にあるように見えるのに、ハーナの顔が聖子たちのほぼ目の前にある。
ろくろ首を思い出した聖子は思わずアダムの髪の中に隠れてしまった。ハーナは飛竜なのに首長竜だったのだ。
(これ、飛ぶのにバランス悪いんじゃないだろうか)
日向ぼっこをしていたように目を細めていた飛竜のハーナがうっすらと目を開けた。その瞳は爬虫類のそれと同じで上下の瞼がひらくと細い縦長の瞳孔がより一層糸のようになった。それがひどく冷酷な印象を与える。
だがそれよりも何よりも。
ハーナは巨体だった。
SF映画で有名なジャバ様のような体躯。10メートルはあるのではないか。これに小さなコウモリのような翼が生えている。いや、翼自体は大きいのだが、体格に合わせると小さく見えるというやつだ。聖子の頭から想像していたハーピー像がガラガラと崩れ落ちた。
これは飛竜と呼べるのか。飛べるのか。いや、足枷をしているからそのせいで運動不足になってしまったのか。というか女体はどこだ。半女の部分はどこにある?
「ア、アダム…これが」
「……ええ。ハーナです」
「ハーナのミルクは一体どうやって採取するの…」
(胸の位置がわからないほど腹が出ているのだけれど。あの辺に二つあるのよね。)
「ハーナのミルクは…ヨダレなんです」
「…は?」
「……ええ。ヨダレです。あの口からダラダラ垂れているアレです」
(えええええ!!?ちょっと待てェェェ!)
「半女半竜って言ったじゃないですか!」
「半女半竜ですよ」
「じゃあどこから母乳が!?」
「半女であっても竜なんですから人間のように母乳は出ませんよ」
「それ、ちゃんと言ってくださいよー!なんでヨダレがミルクなんですかっ!」
「そこに魔力が凝縮されているからでしょう」
「魔力がミリュク…み、ミルクッ」
思わず噛んでしまった聖子だが、ハーナがフンと鼻を鳴らした。
『なんか小さいのがいると思ったら、あんた何?』
「え?」
『私、ハーナよ。あーた何?』
「ハーナ…さん。会話できるんですか…」
『あーたみたいなちっこいトカゲに会話ができて、古竜であるあたしができないとでも?精霊の加護付きと楽でいいのよ。テレパス使えるし』
「テレパス…。あ、私、聖子と申します」
聖子は律儀にも頭を下げた。散々文句を言っていたものの、まさか会話ができるとは思わず、本人を目の前にして悪口を聞かれてしまったような後ろめたさを感じる。だがハーナは特に気にしている風でもなくムフと大きな口をますます上に引っ張り笑顔になった。
『私と会話ができる生物なんて久しぶりに見たわ。仲良くしてね』
なんだかハーナは、まったりした有閑マダムのようでおおらかな飛竜だった。古竜というだけあって、ずいぶん長いことここで飼われているらしい。飛竜として大暴れをしていたのは竜的に言うほんの一昔前で、竜の血族が死に絶えて以来、ここで精霊に保護されているのだそうだ。
自分たち竜族は人間に狩られたか、長生きをして変化を覚え人間に混じったかして、急速に数を減らしていった。ハーナ自身も人間に変化をしてある王宮に入ったが、子供を生みすぎて竜だとバレて命からがら逃げ出したというのだ。
何人子供を産んだのかと聞いたら百人は越えていないと言った。竜族は長命だからずっと王座について人間の王様を取っ替え引っ替えしていたらしい。
「百人近く産むまで気がつかなかったというか、不思議に思わなかった人間も人間だよね?何百年も生きてる王妃様がいたらおかしいと思わない?普通」
竜の血を引いた子孫も長生きで五百年とか平然と生きるらしく、王座につくものは長命が多かったからよく判らなかったのだろうとハーナは笑った。
『ちょっと飼い慣らされた牛とか馬とか羊とか、もしかしたら他にもゴブリンとかオーガとか色々間違って食べちゃったかもしれないけど、人間は口に入れなかったわよ、さすがに自分の血筋かもしれないと思うとねえ。同族殺しは
「は、はあ」
『で、聖子はどういう経緯でここに、そんなちっちゃな生き物になってきたわけ?あーたの魂、人間よね?』
聖子はここまできた経緯を話し、ハーナのミルクが必要だということを告げた。ハーナはちらっとアダムを見ると「ふーん」とつまらなさそうに相槌を打った。
『あげてもいいけど、この子は本当にいいのかしら?』
「こ、この子?」
『あら、まあそうね。私からすれば若輩者だし…とはいえ、150歳くらい?』
「ひ、ひゃくごじゅう?」
ハーナとの会話が聞こえないアダムは、それまで不安げに聖子とハーナを交互にを眺めていたが、はっと硬直した。
「な、何の話をしているんですか、聖子さん?」
「え…えーと?アダムが150歳くらいかしらって、ハーナが…」
「………っ!」
「あ」
ああ、そうか。
わかってしまった。
それがアダムの秘密だったということを。アダムが青ざめて聖子を見た。狼狽えてじりっと後ろに下がるが、聖子はアダムの肩に乗っているため遠のくことはできない。
「アダム、大丈夫よ」
「え?」
「年齢のこと気にしてるのなら、私は全然構わないから」
「……ほ、本当に?」
聖子はペチペチとアダムの頬に手を置いた。だいたい自分自身、過去の記憶を持ったままイモリに転生して、魔法やドラゴンのいる世界にいるのだ。ハーナが百人近くの子供を産んだことや精霊のことなど驚くべきことは山ほどある。一人の人間が200歳だろうと500歳だろうと、仙人だろうとエルフだろうと今更なのだ。
「郷に入らば郷に従えと言うし。私も話すイモリだしね」
実は50歳過ぎてるのよ、これでも、と笑う。
それでもアダムは驚きを隠せない顔でワナワナと震え、うつむいた。
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