06:精霊に詫びを入れました


 その夜。


 月明かりだけを頼りに、祈りの泉に向かって歩く影が2つと肩に乗ったイモリの姿。


「ほら、あそこ。見えますか?」

「いや…ぼんやり輝いているように見えないでもないが…」


 アダムとグラハムは聖子を肩に乗せたまま、泉に向かって歩いていた。アダムの肩にしがみついて、目線がいつもよりかなり上にある聖子はちょっとハイテンションだ。


 日本人だった聖子の身長は155センチで、現代社会の女性平均身長としては低かったが、聖子の年齢層では普通よりちょっと低いくらいの高さだった。せめてあと5センチ高ければ、わざわざ踏み台などいらなかっただろうが、家庭では息子たちも180センチプラスの高さでまあ、よく掃除も手伝ってくれていた。

 だがアダムの背はその息子たちを軽く越す高さに見えた。とはいえ、イモリの目線は地面からせいぜい顔を上げても3センチ。気をつけなければ踏みつけられてしまう高さなので、実際アダムの背の高さがどのくらいなのかはわからなかったが。アダムの横を歩くグラハムは、肩に乗った聖子と目線がちょうど合う位なのでやはりアダムは背が高いのだろう。


 イモリになって気がついたこと。それは五感が人間だった時よりもはっきりしていることだ。アダムからはいつも爽やかな森林の香りがするし、グラハムからは蜂蜜のような甘い香りがする。アダムが時折ふっと鼻から息を吐く音もしっかり聞こえるし、グラハムが爪を噛むコリコリという音も耳に入ってくる。その度に思わず小首を傾けて音の発信点を探ってしまう。


 白イモリの体になった聖子の瞳はキョロキョロした黒目のみ。パチパチと瞼を閉じると濡れた黒目がきょろんと光る。小首を傾げて正面から見る顔は、いつも笑顔が張り付いているように見える。小さな吸盤付きの指を目一杯広げて、聖結晶を泉から拾ってくるところは、めっちゃ可愛いと薬師たちをのたうち回らせ、もちろん毎日面倒を見るアダムの胸も撃ち抜いていた。


 アダムがよく聖子の喉を人差し指で撫でるのは愛情表現の一つで、聖子が目を細めて首を差し出すのが常で、薬師達が後ろで羨ましそうにして、アダムがふふんと優越感に浸っているのを見かけるのだが、もちろん聖子は気がついていない。


 最近体調が15センチを超えた聖子は、羽虫もとい精霊を食べ続けていたせいか、少し青みがかっているものの背は白く、腹は濃いピンク色だ。驚くとひっくり返り死んだふりをするのは野生の本能のなせる技で、それが見たくて薬師達はわざと驚かせる事を偶にする。もちろん、アダムに泣きついてそういうことは命を短くするので止めて欲しいと訴えたが。


 ともかく、聖子はアダムの肩に乗って泉を目指した。


 聖子の目にははっきりと羽虫が見える。というか、羽虫にしか見えない。どう見ても人型に羽が付いている妖精風ではないのだ。5メートルほど近づいたところで聖子はアダムの肩を降りて泉に近づいた。


「精霊さん?」


 聖子が声をかけると、羽虫の動きが一瞬ピタリと止まったが、すぐ何事もなかったかのようにプーンと飛び回る。だがその一瞬の動きを見逃す聖子ではない。やはり、あれは精霊なのだ。


「あの……仲間を食べてしまってごめんなさい。知らなかった……では済まされないけれど。これからは食べないように我慢します」


 頭を下げると、飛んでいた羽虫が全て泉の中にポトポトと落ちた。


「ヒィッ?」


 聖子は大慌てて泉に飛び込むと、落ちた羽虫を助けようと口にくわえて陸に上がった。恐る恐る口を開けてペット吐き出すと、そこには羽のようなものが4つ付いた、ボール状の光の塊があった。だがそれもしばらくするとシュウッと消えてしまった。


「ああっ!?」


 愕然として聖子が叫ぶと、アダムが慌ててひざまづいて聖子を手のひらに抱き上げた。


「どうしたんですか、聖子さん?」

「羽虫…いや、精霊が!食べたことを謝ったらボトボト泉に落ちて‥っ」


 大きな瞳に涙が浮かんだが、次の瞬間ひゅっとそれも引っ込んでしまった。


『困るんだよねえ。食べてもらわないと〜』


 はっと声のする方を見ると、そこには青白い光を放って浮かんでいる人がいた。いや、正確にはトンボのような羽が背中に生えてそれがその人物を宙に漂わせていた。


「精霊…」

『はい、大当たり。あのさぁ、あんたバカでしょ』

「ば、馬鹿…」

『だってぇ、マジであたし達精霊がぁ、イモリごときに食べられるとでも思ってんの〜?そんなおとぼけの精霊がいたら、顔見てみたいもんだわあ』

「だ、だって……羽虫…」

『あれはアンタの気を引くための餌よ、餌。もー信じらんない。イモリのクセにベジタリアンにでもなるつもりだったの?あんたこの人助けるために来たんでしょ?』


 この人、と精霊はアダムを指差した。聖子はアダムを見るが、アダムには精霊が見えていないらしく、聖子を心配そうに見つめている。


「聖子さん?精霊がいるんですか?」

「見えないんですか?」

「私には…」


 アダムが困ったように苦笑した。


「精霊さん、なんでアダムには見えないんですか?」

『あたしに聞かれたって困るんだわ。見えない人には見えないんだもの。彼は見えてもおかしくないはずなのにチャンネルを閉じてるのよ。』

「チャンネル?」

『そうよ。何か後ろめたい事があったり隠してる事があってぇ、それが回路を詰まらせてるんだと思うわ』

「アダム、何か隠してる事ある?」

「えっ?」

「精霊があなたは精霊が見えるはずなのに、何か隠してたり後ろめたい事があってそれが見える事を妨害してるみたいって」

「……そ、それは」


 聖子はアダムの顔に思い当たる事があるのを見取って、顔を背けた。そりゃあ、生きていれば聖人ではいられないだろう。人に言いにくい事や隠している事があったっておかしくない。ましてやそれを自分やグラハムの前で言え何てことは言えない。


「まあ、いいわ。精霊さん。それじゃあ、あの羽虫は精霊じゃなくて何なの?エサってどういう事?」

『あれはあたしの魔力の塊よ〜。神様から頼まれたのアンタでしょ?あたし達は強力な助っ人が来るから準備をしてくれって言われただけなのよね。で、ひとまずアンタ、魔力がすっからかんだったから餌付けしたのよ』

「魔力!」

『受け皿はできてるんだけど、魔力が全然入ってないでしょ。そんなんじゃ、この人の助けなんてできっこないもの』

「わ、私がアダムを助けるのに魔力がいるのね?」

「聖子さん?魔力って…一体何の話を…」


 アダムが訳も分からないといった風に話に割入ってきた。見えていないし、聞こえてもいないから宙に向かって聖子が話をしているのは奇異に映るのだろう。


 聖子はここに精霊がいると指をさし、精霊から聞いた事をアダムとグラハムに説明しながら精霊に先を促した。アダムは宙に視線を走らせ、グラハムは呆然と立ちすくんでいる。


『とにかく、あんたの魔力を貯めることが先決ね。それからそのアダムと〜チャンネルを開くよう話し合ってちょうだい。アダムがあたしの姿を見ることができれば、あんたの役目も達成に近づくと思うわよ〜。で、この羽虫に見せかけた餌なんだけど』


 精霊はそういうと、ぼうっと両手に光を灯らせた。


『これがあんたの餌。作るの大変なんだから、ちゃんと食べてもらわないと』


 それは精霊の力でできた魔力だった。精霊は魔力を小分けして器用にも羽をつけ、羽虫のように見せかけたのだと言った。聖子がこの世界に生まれ変わったのを知って以来、ミジンコやボウフラに魔力を与えようとしたが、魔力は水に溶け出してしまい聖子が食べれる量はほんの少し。しかも聖子が水の中で祈るので、食べた分放出してしまうだけで、遅々として進まなかったと愚痴を言った。


 そこで、畑の虫に魔力を放ったが、太陽光が魔力の光を吸収して聖子はぼんやりとしか気がつかないため、この方法もイライラさせたらしい。仕方なくアダムの部屋付近まで近づいてーー通常精霊は人の住処まで近づかない。もし万が一見つかったら何をされるか分からないと危機感を持っているので、精霊のこの行動はかなり暴挙に出たと言っていいだろうーー窓を押し開けて、聖子が通り抜けれるよう手はずを整えた。そうして聖子をおびき出すことに成功し、羽虫に見せかけた魔力を食べさせていた、ということだった。


「なら、そんな面倒なことしないで、さっさと姿を現して私にそう言えばよかったのに」

『……え?』


 キョトンとする精霊。


 偉そうに聖子に向かって「あんたバカでしょ」と啖呵を切った割に、どうやらそこまで気が回らなかったらしい。


『そ、それは出来なかったのよ!あんたがあたしのこと感知してくれなかったんだから。今でこそちょっとずつ魔力がたまって、あたしのことがわかるようになったんだからね』

「あー、そうなの?」

『そうなのよ!』


 精霊はプンスカ怒って、『ともかくそういうことだからアダムに協力しなさいよね!』とそっぽを向いた。


『もう、こんな面倒くさいことしなくてもいいから、これ毎日一個食べなさい』


 そういうと、精霊は角砂糖のような魔力の塊を二つ三つ出した。メロン味、イチゴ味、チョコレート味のシュークリーム、あの羽虫と同じ味の魔力だった。殺生をしていたわけでは無いと知って、へへ〜と頭を下げ、ありがたくいただくことにした聖子だった。


『次の満月まで毎晩三つ、食べにきてちょうだい。あ、それから食べた後、毎晩この泉をエリクサーに変えて?朝になったらハーナのミルクと混ぜてアダムに飲ませてちょうだい』

「ハーナ?」

『アダムに聞けばわかるわ〜。じゃ、また明日の夜ここに来てねん』

「わ、わかったわ」

『それから、薬草や他の虫はほどほどにね。太るわよ〜』


 ぎくぎくっと体を硬らせた聖子は、カクカク頷いた。いくつになっても『太る』は乙女には禁句なのだ。


 精霊は言いたいことだけを言ってふっと消えてしまった。私は残った角砂糖、もとい魔力の塊を胸に抱いてぽかんと精霊が消えたあたりを見つめていたが、我に戻って、アダムに精霊が言ったことを伝えた。


「ハーナのミルクですか…」


 アダムは少し嫌そうな顔をした。どうやら嫌いなものらしい。


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