10:進化しました
「わ、私がハーナのミルクと万能薬を混ぜ合わせたものを飲んだら、何かわかるのでしょうか」
そう言ったアダムの顔には、既に覚悟が現れていた。神殿に来てから百年以上の間、同じことを繰り返し続けてきたアダムにとって、現状はもうすでに耐え難く、何かが変わるのであれば何でもしてやろうと半ば自棄にもなっていたのだ。
聖子が新しい風となって入ったことで、自分の中でも何かが変わりそうな気がする。いや、変えてみたい。急いた気持ちがアダムを襲った。
自分はなぜ神殿の森に倒れていたのか、なぜ記憶がないのか、自分が誰なのか。
そんなことは、最早どうでも良かった。とにかくこの神殿を飛び出して、自由に生きてみたい。神殿に降りかかる問題など、アダムがどうこう策を練ったところで、どうせ結果は変わらないのだから。世界は争いに溢れ、今日勝利しても明日は負けるかもしれない。正体がバレるのを気にして息を潜めていても、いずれ分かってしまうだろう。そして浅ましい人間の欲はアダムを貪り尽くしてしまうだろう。ならば自分から姿を消しても、少しくらい足掻いてもいいじゃないか。
「ハーナの足枷は、どうすれば外れるのかしら」
『これ、契約の足枷なのよね。契約を破棄するか、成就されれば外れると思うんだけど』
「契約の成就?何の契約を結んだの?」
『何の契約かなんて覚えてないわよぉ。プレゼントって渡されたものだから。騙されたって言ったでしょ』
聖子がアダムにそのことを伝えると、アダムはちょっと考えた後で、大神官の残した書物を探してみるといった。勇者についてもきっとどこかに綴られているに違いない。
「足枷を外す約束はできませんが、大神官の名にかけてその方法を探す事に尽力しましょう。その上でハーナのミルクを分けてくださいませんか」
アダムは恭しく頭をさげると、袖口から万能薬の入ったボトルを取り出した。大神官の名にかけてと謳った言葉には力がある。
大神官が嘘をついたり、騙したりすれば神罰が落ちる。神罰の大きさには差があるが、下手をすれば死霊になって永遠にさまようことになるかもしれないし、魂の流砂に落とされるかもしれない。そうなればアダムの魂は二度と甦ることはなく、真の死をつまりは無を味わうことになるのだ。
アダムが真摯にハーナとの交渉を受け入れたことで、ハーナは少し考えたようだったが、満足してほんの一滴のミルクをボトルに落とした。
ごくりと喉がなる。
「では、いきます」
覚悟を決めたアダムがボトルに両手を添えて、ぐいっと男飲みをした。
* * *
「だから、ほら、あれよ。即効性のものじゃなくて、こう、じわじわと効き目が出てくる漢方薬のようなものなのよ、きっと」
もしかして続けて飲まないと効果がないのでは、とふと思ったが、口には出さない。
「………あんなクソ不味いものを一気に飲んだというのに」
万能薬とハーナのミルクのカクテルはどうやらお気に召さない味だったらしい。万能薬自体は少し青臭いが、不味いわけではない。野菜ジュースに少し蜂蜜を落としたような、どこか懐かしい味がする。が、ハーナのミルクの味を聖子は知らないが、魔力と言っても、見たところよだれだ。あまり味わいたいものではないだろう。
アダムはよほど期待していたのであろう。効果が全く感じられなかったことでかなり消沈し、言葉遣いまでが荒んでいた。大神官の立場はすっかり投げ捨ててしまったらしい。こんなところで聖女達にでも会おうものならきっと幻滅されるに違いない。聖子は思わず当たりを見渡した。
「精霊はなぜ、あれを私に飲ませるよう言ったのでしょうか」
「あの時、精霊が見えないのはチャンネルがどうとか言ってたじゃない?もしかしたらそれと関係があるのかもよ?」
「ああ、なるほど…。そういえば、今晩も来いと言っていましたね」
今晩精霊に会いに行けば、変化が判るのかも知れないね、とアダムを元気付けて図書室へと向かった。過去の大神官の書き記した資料や文献、歴史書などが収められているからだ。ハーナにかけられた契約についても手がかりが見つかるかも知れない。
少しひんやりとする書庫でアダムは『暴竜事変』と記された本を取り出した。
国を滅ぼしたハーナ達飛竜の行いは自慢できるものではなかったが、当時のその国の有り様に、聖子だけでなくアダムですら眉をしかめた。暴君だった国王は、竜国のもつ財宝だけでなく、竜そのものを貪欲に欲したようだった。鱗だけではなくその血肉、骨、眼球や体液に至るまで、捕獲した竜達を切り刻み、拷問にかけ実験材料にした。
奴隷を使い竜の血を混ぜ竜人を作ろうと躍起になった。挙げ句の果て、竜の血に混じる毒にやられて狂った奴隷が反乱を起こし、その時代の国々を巻き込んで滅亡へと追いやった。そこで反旗を翻した勇者を含む人間が、その混沌にようやく終止符を打ったのだ。
戦後、疲れ果てたハーナを竜穴で見つけたのがレジスタンスの将であり、勇者と名乗るものであり、初代の大神官フローレンスで、ハーナのために鳥居を建立したらしい。そしてハーナにブレスレットを送ったのも彼だった。彼に精霊の加護がついていたかどうかは定かではなく、また、それが何のために贈られたものだったのかについても文献には載っていなかった。後世の注訳でハーナが人間を二度と襲わないようにするためだとか、最後の飛竜として保護するためだったとか様々な意見が書かれていたが、課せられた制約についてまではわからなかった。
人間は、そんなことをしなくても良かったのだ。何故ならハーナが人に
最後の一人になったハーナは、これからずっと寂しく一人で生きていかなければならないのだろうか。ハーナの産んだ子供たちに竜種の能力は遺伝子なかったのだろうか。聖子はしばし、枷に繋がれたハーナと神殿に繋がれたアダムに憐憫の情を抱いた。
* * *
アダムに変化が現れたのはその日の夜だった。
「こんなことが…本当に」
『ま〜、効果抜群ねえ。よかったじゃない、アダム』
ワナワナと口を震わせて、アダムが呟くように唸った。目の前にふよふよと浮かぶ精霊の姿がはっきりと目に見える。そしてその小さな口から溢れる言葉もしっかりアダムの耳に届いた。
精霊は、全身から青白い光を湛えながらトンボの羽が振動するように震え、一定の位置で浮かんでいる小さな人型だった。白とも金ともいえる長い髪、花びらのような白いドレスから伸びる細い足と腕。きょろっとした大きなガラスのような瞳はいたずらっぽさを含んでいるものの、人間が持つ温情はその瞳に映していない。こちらの心情を見抜くような鋭さが、長く視線を合わせることを拒んでいる。
その精霊の周囲にも、ふわふわと魔力なのか光の塊が浮遊しているのがしっかり見えた。昨夜、聖子とともに来た泉はただ暗く月を映し出す泉だけが、かろうじて青く光を反射しているだけだったのに、今アダムの目の前に広がるのは、魔力そのものと薬草から香り立つかのようにあふれるキラキラした幻想的な光だ。かすかに甘い花のような香りも、その幻想的な光景に輪をかける。
聖子は、精霊からもらった魔力の塊を口に入れ、モギュモギュと噛み砕きながら泉にプカリと浮かんだ。ピンク色だった腹は今や紅色にまで濃くなっている。
『こんなに早くハーナが協力するとは思わなかったけど、上手くいって良かったわねぇ』
「ええ?確実じゃなかったの?」
『ハーナの意志まであたしが操れるわけないじゃない。あれでも古竜よ、古竜』
「あ、そうだ。ハーナの足枷を外す方法を探しているんだけど、知ってる?」
『えっ!?約束したの?』
「いえ。約束はできなかったので、尽力して方法を探すと伝えました」
聖子と精霊の会話も今回はアダムにも理解でき、感動から立ち直ったアダムが精霊に告げた。
『ああ、それならよかったわ。古竜はあざといから簡単に信じて約束なんかしちゃダメよ』
「えっそうなの?」
『当たり前じゃない。長く生きてる分、そういう悪知恵は働くのよ。竜は嘘つきで残忍だってことぐらい知ってるでしょ』
「知らないわよ、そんな事!私の世界に竜なんていなかったし。心優しい竜の物語は読んだことあるけど!」
危うく約束するところだったわよ!と聖子は声を荒げたが、精霊はカラカラと笑って『まあ、約束しなかったんだからいいじゃない』と流した。
「ハーナは私が来る以前からあそこで繋がれたままですが…本当に残忍なのでしょうか」
「有閑マダムっぽかったわよね」
『ハーナの制約が成就するのはもう少し先。まずは聖子がアダムを助けなくちゃね』
(ん?アダムを助けることとハーナの足枷の制約は何か関係があるのかな?)
「ねえ、神様の言うところのアダムを助けろってこれで終わりじゃないの?」
「えっ?そんな、聖子さん!?」
アダムが焦ったように聖子に縋り付く。いや、別に今すぐ終わりってわけではないから焦んないでもいいわよ、と聖子は苦笑した。
『何言ってんのよ。ようやく一歩進んだだけじゃないの』
「ええ〜。だって私回復薬やらエリクサーやら作って助けてるじゃん」
『それは準備段階でしょーが』
そんな会話を聞いて、ハッと顔を上げたアダム。
「……聖子さんが神からの使命を完結させるために、私は何をすればいいのでしょうか」
『アンタがしなくちゃいけない事は沢山あるのよ。それに、あたしは神様じゃないからアンタの仕事までは関与できないわ。でも……そうね。今日の効果から見て、まずは次の満月まで毎日ハーナのミルクと万能薬を混ぜたカクテルを飲んでちょうだい』
精霊からの爆弾発言に、アダムはゲエッと吐き出すように唸り、やっぱり漢方薬と同じだったわ、と聖子は思うのだった。
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