03:祈りの泉で泳いでみました


「ところで、聖子様。ここであなたが言葉を話せるのは、私とグラハム殿だけの秘密ということにしていただきたいのです」


 アダムが少し言いにくそうに聖子に告げた。


 まあ、わからないでもない。人間と会話をするイモリなど、聖子が聞いたら腰を抜かすだろう。普通に叫ばれて、下手をすればスリッパやハエ叩きでペチッとやられるかもしれない。


「ああ、話すイモリって普通に引きますよね」

「いえ、それより大勢に知られると聖子様に危険が及ぶかもしれませんから。何せ神の使いですからね、悪用されかねません。それこそ黒焼きにされては困りますから」


 そうか。話すイモリに対する驚愕より聖子の命の危険を危惧するアダムが、ますますイケメンに見えてくる聖子であった。


 たかがイモリ、されどイモリ。


「そ、そうですね。黒焼きはエンリョします。でも神殿内でそんな危険があるんですか」


 私がそう聞くと、アダムはちょっと悲しそうな顔をして微笑んだ。


「ええ。お恥ずかしい話ですが…。闘争がありましてね。過激派がどこで聞き耳を立てているかわかりません。聖子様は私の部屋で預かりますので、部屋の中では大丈夫ですが、神殿の中では言葉を発しないほうがいいでしょう」


(派閥か。神殿があるということは、聖女とか巫女とかいるんだよね。過激派となれば、宗教戦争になってるとか政治的な反発があるとかかな。)


「わかりました。じゃこれは内緒で」


 こんなところで闘争に巻き込まれて死んでも嫌だし、何せ自分はイモリの体で何ができるのかすらわからない。黙ってアダムを助けていた方が気が楽というものだ。


 運ばれるがままに景色を楽しんでいると、目の前に綺麗に手入れをされた庭が現れた。


(うわあ…素敵)


 バラ園、ガゼボ、噴水。ここで妖精が踊りまくり、天使がラッパを吹き鳴らし王子様とお姫様が手を取り合って愛を囁きあっていても不思議はないような風景。聖子の頭の中にはどこかの有名な宗教画がぼんやりと描かれる。水槽に張り付いてキョロキョロしているとくすり、と笑い声が聞こえた。


「綺麗でしょう」


 私がこくこくと頷くと、アダムは迷路のようなバラ園をゆっくり横切って、行き止まりまで歩き、そこで水槽を地面に下ろした。石に縁取られた泉は大きめの井戸のようで、周りには薬草らしい菜園があった。


「この泉が、聖女が祈りを捧げる泉です。毎朝、朝日が昇る前に祈りを捧げて、朝一番の光を浴びると効果の高い聖水ができるのです。朝の聖水を収穫した後で、薬草に水をやるのもこの泉からです。この区域に入れるのは私と選ばれた聖女たち、グラハム殿の部署の薬剤師だけです」


(おお、聖女って何人もいたんだ。一人だと思ってたわ。)


「聖子様にはこの泉で日中を過ごしていただこうと思います。イモリのお姿でしたら、おそらくこの泉の方が落ち着かれるのではないかと思いますし、朝の祈りの時に私がお連れします。また夕方の祈りの時間に迎えに参りますので、それまではお気軽に過ごされるとよろしいでしょう」

「え、でも。私はここであなたのお手伝いをしろと言われているんですが」

「そうですね。ですが、聖子様のお力がまだ判りませんので、まずはお好きなことをしていただきたいのです。私といたしましては…」


 アダムは聖子を水槽から取り出し、泉の周りにある石の上へそっと下ろした。


「聖子様に泉に入っていただいた後で、水の分析をしたいと思うのです。もしも聖子様の体が聖女の祈りのようなものを分泌しているのだとすれば、泉に変化があるでしょうし、薬草にもここの水を使うので、何かしらの変化があるかもしれない」


 つまり聖子の体から神聖な何かが垂れ流れて水に変化を及ぼすと。


(垢?いやいや。風呂じゃないから。………トイレをちゃんと済ませてからこの泉には入るようにしよう。うん。衛生、大事。今は別にもよおしてないから、ダイジョウブ、ダイジョウブ)


「それじゃ、お言葉に甘えて…というべきなのかな?」

「どうぞ、お入りください」


 そういうとアダムは一歩後ろに下がり、じっと聖子の動向を見守った。


 前世では泳げず溺れてしまったけれど、イモリは水中の生き物だ。


 聖子が思い切って泉に飛び込み、スイスイと泳いでぷかーっと浮かぶと、アダムはホッとして胸をなでおろし、笑顔を見せた。本当にイモリかどうか心配したのだろう。


 泉の水は透明度が高く、井戸水のように冷たい。だが、それが不快ではなく体に染み入る様で生気が湧いてきそうだ。もしかすると聖水というのもあながち間違いではないのだろうか。


 ぷっと顔を水面下につけると底が見える。相当綺麗な水のようだ。水底に水草がふよふよと揺れて、聖子はその下にキラリと光るものを見つけた。何だろうと潜って見るとそれは真珠だった。


(おお!淡水真珠?それとも宝石?)

 

 抱え込むとサイズもそうだが、結構な重さでイモリの体には結構大きい。指の吸盤が球体にぴたりと吸い付くので、落とす心配はなさそうだ。腹筋、背筋には自信があった。看護婦で鍛えた腕力を思い知れ、とばかりによいしょと胸に抱えてなんとか地上目指して浮かび上がった。


 普通に考えれば、聖子の体はイモリであって人間ではないのだから、腹筋も背筋も腕力も前世でどう鍛えていたとしても意味がないのだが、人の思い込みというか、意識というのは時として思いもよらない力を発揮するのだ。


 今の聖子も思い込みと行き当たりばったりの性格で腕力に物を言わせていた。


 水面から顔を出すと、アダムが水面に鼻先がくっつく程かがみ込んでいた。聖子の姿を見ると大急ぎで両手をカップにしてすくい上げ、真っ赤になって怒鳴った。


「急に沈むから溺れたのかと思いましたよ!」

「え?ごめん。でも、私イモリだよ。両生類だから溺れないでしょ?」


 聖子にそう言われて気が付いたのか、アダムはヘニョと眉を下げ、言葉尻も尻つぼみになった。


「そ、それはそうですが…」

「アダムさん、水底でこれ見つけたの」


 聖子は抱え込んでいた真珠をおずおずとアダムに差し出した。イモリの顔で上目遣いで見上げ、にへらと笑う。アダムはその表情を読み取ったのかわからないが、差し出されたものには興味を持ったようだった。


「これは…聖結晶?」


「底の方にいっぱいあったよ。もっといる?」

「泉の底に?鑑定をかけてみます」


 アダムはじっと聖結晶と呼んだ真珠を見つめると、ほうっと息を吐いた。


「これは…エリクサーの結晶石…」


 驚きに青ざめるアダムを見て、聖子はコテンと頭をかしげた。


(エリクサーってなんだっけ。漢方でそんなのがあったような…。ああ、薬用酒が西洋でそんな風に呼ばれてた気がする。てエリクシールとかなんとか。ええっと、霊薬とか万能薬とか秘薬だったかな。マムシ酒と同じか……ん?イモリの黒焼きも似たようなものじゃない?)


「聖子様…この泉の底にまだあると言いました?」

「はい」

「……と、取って来れますか?」

「一個ずつなら」

「お、お願いします…!!」


 ここで聖子が人間だったなら、アダムは両手を握って聖子を見つめキラキラとイケメン度をアップしていただろうが、なにぶん聖子は体長10センチにも満たないイモリだ。アダムの両手にちょこんと乗っかり小首を傾げている。


 アダムから見ると、可愛い白イモリが自分を見上げているようなもので、イケメン度をどうあげたところで通用しない。内心、泉の水の所為か、ひんやりと冷たくしっとりしたイモリに、ペットを持つ飼い主のような感情が生まれたことは否めないのだが、そんなアダムの感情を聖子は気付くはずもない。


 イケメンに頭を下げられて、お願いされたとあれば、例えイモリの身とはいえ、ちょっとドキマギ心拍数を高めた聖子に断るすべもなく。ふんすと鼻の穴を膨らまし、任せといて!と胸を張る聖子。



(神様。神殿に来て最初のお仕事、ゲットしました!)



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