02:最初のバイトはイモリでした

 ピチョン。


(ん?顔に何か当たった。なんか、冷たい、水?ここは…砂場?どこかしら、ここ?)


 ペタペタペタ。


(あれ?なにこの……手?プニプニした指が4本。え?尻尾?あれ?)


 自分が四つん這いになっているのに気がついた聖子は、手を見て、くるんと体の動きに沿って動いた尻尾を見て全身を見た。


(え?とかげ!?なに、私トカゲなの?)


「ちょっと、何これ?なんのバイト…?」

「ひっ!?」


 息を飲む声がしたので上を見上げると、科学者っぽい人と目があった。


「あ、こんにちは。すみませんが、ここは…」

「ウワアアあぁぁぁ!イモリがしゃべったあぁぁ!?」


「えっイモリ?」 

 

(はい井守ですが、ってそうじゃなくてイモリ!?私、イモリなの!?)


「人間じゃないって、どういうこと!? 神サマーーー!?」

「ひいぃぃぃっ!すみませんーー!」


 科学者(仮)が腰抜かした。あわあわして後ずさる様をじっと見る。どうやら、自分が脅かしてしまったらしいことに気がついた聖子は慌てて付け足した。


「あの、すみません、ちょっと手違いがありまして、神様に文句を…」

「かっ、かかかかか?」

「あ、私れっきとした人間なんです。一度死にましたけど。とにかく手違いがあったようで」

「人間?シビト!?の、呪い!?」

「えっ呪いっ?」


(かっ神さまっ!?私、呪われてんじゃないの!チートって呪いなの!?ドユコトーー!?)


「だ、大神官、大神官様をーー!」


 科学者(仮)が大慌てで部屋を出て行ったところで、天から声がした。


『ああーきみきみ、井守さん。ちょっと落ち着いて。ごめんごめん、先走りすぎました』


 はっと上を見ると例の胡散臭い神様が苦笑いをしながら降りてきた。


「ちょっと!イモリのバイトなんて聞いてないです!私、呪われてんですかっ!」

『うんうん、いや呪ってないから。あのね、君、今イモリなの。君の仕事はここから始まるんだよー』

「はああ!?ここからって、両生類から人間に進化しろとでも?何億年かかったら人間になると思ってるんですか!」


(イモリって両生類だよね?爬虫類じゃないよね?両生類って爬虫類より昔でしょ?3億?4億?っていうか、イモリから人間になれるの!?ダーウィンの進化論は猿からだったよね!?)


 小学生の頃に習った進化論を記憶の底から引きずり出そうと懸命に考える聖子を、神様はまあまあと宥めた。


『イモリから人間に進化されるわけないから。すぐに大神官長来るから待って。彼の言うこと聞いて手伝って欲しいんだよね』

「イモリの姿で大神官長の手伝いとか?何考えてるんですか!人助けってイモリでどうしろって言うんですか!」

『イモリの方が都合がいいんだよ。いろいろ大変なんだよね、彼。だから助けてあげてくれるかな。ある程度レベル上がったら次のフォームあげるから』

「つ、次のフォーム?イモリの次にまだあるんですか」

『そう、レベルアップしたら今度はーーあ、きたきた。じゃまた見に来るね』

「ちょ、ちょっと!レベルアップしたらって……!」


 バタバタと走る足音と共にばあん!とドアが開き、神様は空気にかき消えた。


「グラハム殿!神の使いとは本当ですか!?」

「こ、これです!この白イモリが!女性の声で我々の言葉を話します!」


 大神官長と言われた人が聖子を見下ろした。サラサラの黒髪がするりと肩から流れ落ちて聖子を覗き込む。黒髪だけど、日本人じゃない深い彫りが影を作る。ひとしきり怒っていた聖子だったが、大神官長の顔を見て目を丸くした。


(お、おお。なんかいい男だな、おい。)


 深い海のような瞳の色がキラキラ。まつげバッシバシで風を感じるほどだ。その形のいい均等な眉毛も、聖子みたいに毎朝、時間をかけて描かなくてもよさそう。ちょっと綺麗すぎて目を背けたくなるというか、ムラムラと怒りがこみ上げるというか、立ち向かえない美しさに嫉妬すらできないというか。


 理不尽な転生に怒っていても、そこは(人間の)女としてしっかり見極めた。

 

(わかった。これが美人薄命っていう人ですね。気をつけないと刺されちゃうって人なんだわ。私が目指すのは適度に美人だから、こういう人と色恋沙汰になると色々後が大変そう。あまりかかわり合わないようにしよう、っていうかイモリだし。関わるも何もないか…。せめて人間になってから考えよう)


 神様に言われた通り、この大神官長とやらの言うこと聞いて助ければ徳を積めるわけだから。頑張って次行こう、次。と無理やり自分を納得させる聖子であった。


「白イモリ…。確かに聖なる力を感じるが。人の言葉を話すというのは本当か?」


(まあイケボ。ここまでハイスペックな男には五十年の人生でもお目に掛かったことがない。ごちそうさまです)


「どうも。井守聖子と言います。」

「ほ、本当に…しゃべった…」

「ええ、人間で…したから。えっと、でもこれは仮の姿で…」

「……仮の姿…。ああ、私は大神官長のアダムと言います。イモリの…聖子様」

「いや、あの、イモリの聖子というか、井守は苗字なんですが……ややこしいので、聖子と呼んでくださって構いません」

「では、聖子様」


(うっわ。笑顔の破壊力すごっ。凶器!殺られる!)


「ええと。神様から大神官長を手伝えと言われてきました。」

「何と!…おお、神よ!感謝します。」


 アダムと名乗った大神官長は額に片手の掌を当て、もう片手は胸のあたりに置き天を仰いだ。大仰だが、神に感謝をする仕草のようだ。大神官長ともなればものすごく信心深いのだろう。聖子自身は神を信じるタイプではなく(たとえ実際に会っていたとしても、それはそれ、これはこれである)科学と現代医学を信じるので、ちょっと白けた気分にもなるが宗教は人それぞれだ。多宗教でも被害さえ加わらなければ別に構わない聖子は、もちろん文句は言わない。


 それ以上に、これからこのハイスペックな大神官長の元で働くのかと思うと、聖子はちょっとドキドキして顔を赤らめ…イモリの顔で赤く見えるのかどうかは別にして…こほん、と我に返って喉を整えた。


「あのー。ところで、ここどこでしょう」

「ここはファンブール国の医療部の研究室です。聖子様はちょうど冬眠から覚めたばかりで、グラハム殿が回復薬を与えたところです」

「ファ、ファンブール国?回復薬?」


 やっぱりここは異世界だった。いや分かってはいたけれども。異世界ってあるんですね、と聖子は思わず遠い目になってしまった。


「聖子様、私と神殿まで来ていただけますか」

「は、はあ」

「では、グラハム殿。聖子様は私が預かります」

「はい。何かありましたらお呼び下さい」

 

 アダムは真剣な顔で頷くと水槽を大事そうに持ち上げて研究室を出た。回廊は開け放した庭のようなところから神殿に続いているようだ。日差しが回廊の半分ほど入り込み、長い影を落としている。アーチ型の窓からブーゲンビリアのような濃いピンク色の花が咲き乱れているのが見える。


 こんなところで仕事ができるのならイモリでも良いわ、と聖子は思わずうっとりと外を眺めた。


「すみません、ちょっと揺れますができるだけ波立たないように歩きます」


 そう。

 聖子が目覚めたのはまるで南国のポストカードの中のような砂浜の水辺。

 ミニチュアのヤシの木みたいなのに結ばれたハンモック、白い砂浜がワンサイドにあって、綺麗な青い水がひたひたと砂を濡らす………という環境の小さな水槽。


(私はイモリだから、両生類なのよね。皮肉にも水で溺れ死んだのに、この体では逆に水がなければ死んでしまう。)



 聖子はふと自分の現状を考えた。50歳という中途半端な年齢でうかつにも溺死してしまった自分。息子たちにはかわいそうなことをした。父親を早くに亡くし、今度は母だ。25歳と27歳の若さで両親とも失くしちゃうなんて。ただ救いなのは、二人とも既に結婚をしたということ。下手に年老いて、苦労をかけるよりも若いうちに亡くなって惜しまれている方がいいのかもしれない。孫の顔とか見たかったけど、あの子たちならきっと幸せになってくれるだろう。


「どうしましたか?」


 はっと気がつくと、アダムが心配そうに水槽を覗き込んでいた。


「ああ、ちょっと過去世を思い出して。」

「聖子様は…過去世を覚えているのですか?」

「ハイ。子猫を助けようとして溺死しました。でも寿命じゃなかったそうで、神様が続けられなかった寿命分、ここでバイトをしろと」

「バイト?」

「そう。ここで仕事して、徳を積めばレベルアップして…次のフォームになるそうです」

「レベルアップ…」

「次に何になるのかわかりませんが、まあともかく動かないことには、このままイモリでいるのも嫌だし、仕事して徳を積んで十分になったら、次の生では人間にしてもらえるらしくて」

「なるほど。それでは私も早く人間に生まれ変われるよう、お手伝いしなければいけませんね」

「お願いします」


 アダムはうんうんと頷いて、神様から自分に課せられた使命をかみしめた。


 だいたい、イモリから歌って踊れる戦聖女ってどんなだよ。『早く人間になりたい』ってどこの妖怪だ…。半目になって子供の頃見たテレビ番組を思い出しながら聖子は神に悪態をついた。


「聖子様はご自分に授けられた力はご存知なのですか?」

「いえ。何も聞かされていないので。でも人を助ける仕事だと聞きました……丸焼きにされて薬になったりしないといいんですが」

「丸焼き!?しませんよ、そんな罰当たりな……たぶん、いくらグラハム殿でも…そんな…」


 そんな罰当たりな、と言った後からの言葉が尻窄みになって、アダムは視線を漂わせた。


(たぶん、って言いましたね⁉︎ やっぱり可能性はあったということですね⁉︎

 グラハムさんならやりかねなかったと思ってるんでしょう!)


「私の世界ではイモリの丸焼きは媚薬とか精力剤になるようで、って食べたことも見たこともありませんが…」

「聖子様の世界には魔女がいるんですね?」

「いや、いませんよ。現代医学が進んでますから。私、看護婦だったんです」

「かんごふ」

「ええと、医者のサポートをして、病人や怪我人のお世話をする人のことです」

「ほう。聖女ということでしょうか」

「いや…それも違うんですが。でも、ここでは聖女が怪我や病気を治すんですか」

「そうですね。薬草を使った治癒もありますが、命に関わる怪我や呪いは聖女たちが祈りを捧げて直します。グラハム殿は薬剤研究士で、薬草や薬になる素材の研究をしています」

「ではアダムさんは何をされるんですか?」

「私は白魔法と水魔法をよく使います。聖女を守るのが私の役目ですから」

「白魔法と水魔法…」


 聖子の子供達が昔遊んでいたゲームの世界のようだ。白魔法がどんな魔法なのか、よくわからない聖子だったが、医学が進んでいない代わりに超常現象で病や怪我を治すということは理解した。とすれば、看護婦とか医者という役付けはないのか。大神官と言うのは神殿の大まとめ役で、聖女というのは医者に近い祈祷師みたいなものか。

 だとしたら聖子はその聖女とグラハムの様な薬剤師のお手伝いさんとか、弟子とかそんな感じになるのだろうか。


 ……イモリだけど。


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