第四十九話 マンションの屋上にて
未解決の通り魔事件が四件と続き、夜の街は人が減るかというとそんなことは当然のごとく起こらない。
警察の巡回が慌ただしく増えただけで街並みに変化は起こりはしなかった。
「恐怖はあってもあくまで他人事やんね、こういうのって」
街の明かりを見渡して花菜は小さく愚痴を溢した。マンションの屋上は風が強く吹いていて、花菜と奈菜の髪を乱していた。
「鬼主を特定出来てるのに一日放置してたのは何でなん?」
前髪を押さえながら奈菜は下を覗き込んだ。コの字に建てられたマンションの屋上から見下ろす視線の先には笠沼家である505号室が見える。
「高城さんが気になること聞いとってな、少年と対峙した際にカレという別の誰かについて話してたらしいねん」
「和美は大丈夫なん、お姉ちゃん?」
「あー、ちょっと血ぃドバーッと出てもうたから気を失ってもうてたけど、治癒師の
奈菜は昨日の事を花菜から聞かされただけで、和美とは直接会ってはいなかった。花菜がそれを止めたのだ。
「一般の子をあんな風に首突っ込ませてもうたのはアンタの落ち度やからな、そこは反省しいや」
花菜にそう言われて奈菜には返す言葉も無かった。やはり手伝いを頼んだのは間違いだったのだ。
担当することになった乃木市で鬼の被害が連日続き未だ止めることも出来ていないことも重なって、奈菜は自分の不甲斐なさを嘆くことすら出来なかった。
「緑は──緑鬼は察知しにくい、って前に話したことあったやんな。それに合わせて今回はどうやら種の植え付けもあったみたいやからな。今回の連続事件を即座に止めるなんて至難の技やったやろうし、そこは仕方ないよ」
花菜は暗い表情を浮かべる奈菜の頭をポンと叩いた。幼い頃から泣いてる妹を慰める時にしてきた行為。
花菜が乃木市の守護から離れて半年。今、乃木市の守護として担当してる祓い師は巫女の奈菜を含め五人。その中でもまだ未熟な奈菜のフォロー役として二人ほど熟練の祓い師が配置されている。その五人、全てが今回の笠沼正太を昨日まで把握することが出来ずにいた。
それは緑鬼という厄介さが原因だった。
「緑鬼は興味や好奇心から生まれる鬼や。狂気染みた執念のような強い興味や好奇心から生まれたなら察知も用意やけど、大体の場合、些細な感情から静かに生まれてくるんや。だから緑鬼は他の事象より圧倒的に後手になってまう」
人を一人二人殺すほどの興味や好奇心は些細なのだろうか。哀願や怒りに比べて静かに蠢く感情なのだろうか。
奈菜は浮かぶ疑問を首を振って払った。どう問いたところで答えはわかってる。鬼にとって些細なのだろう、人一人殺す程度の感覚は些細な小事なのだろう。
「それに小鬼が発生してないところを見るに、鬼主は餌とされるどころか、鬼になりかけていってると判断できる。種の植え付け、厄介な話やで」
「それがカレに繋がるの?」
「人が鬼に成るということは、鬼が人に成るということ。変化であり同化。それをするためには鬼の力が込められた種を植え付ける必要があるねんて、お婆が言ってたわ。そして、そんなことができるのは名前がある鬼やって」
「名前がある鬼・・・・・・」
花菜の言葉を奈菜は繰り返す。それは二人の師であるお婆──
個を持たない思念の形として存在する鬼に特異として現れる、個を持った存在。
それは強大な力を持ち、鬼主の側で刹那的に発生するのではなく長い時を在り続けるモノ。
祓い師との長き戦いの歴史の中で生死を繰り返し存在し続けるモノ。
「そ、そんな──」
奈菜は恐怖に身を震わせた。師匠に長年言われてきたのだ。その脅威はただの鬼とは比べ物にならないと。ここ最近鬼と対峙してきた奈菜には、満身創痍で退治してきた奈菜にはその脅威に立ち向かえるとは思えなかった。
「で、話は戻るわけやけど正太くんを一日泳がせたのはそのカレ、名前のある鬼を誘きだそうとしたわけやね。どれほどの脅威であれど、知ってもうたからには退治せなあかんからね、ウチら」
震える奈菜とは対称的に花菜は笑みを浮かべてるように見えた。まるで出逢えることを喜んでいるようだった。
奈菜は側に立つ姉の事を遠い存在であると再認識していた。
「とはいえ、正太くんは今や殺人鬼。誘き寄せ作戦が使えるのは監視在りのせいぜい一日だけ、釣りはこの時間をもって終いってことやね」
505号室のドアが開く。黒いレインコートを羽織った小さな人影が出てくる。
空気が張りつめたような感覚が過る。
それは緊張によるものではなく──
「同じ地域では殺らんとか何とか、あの娘、高城さんが言っとったんやけどな。お構い無しにド派手に殺る気やな、あのガキ!」
緑の結界がマンションを覆い被さる様に広がった。花菜が地面を蹴り弾丸のように駆け出し空に跳躍した。一瞬遅れて奈菜も跳躍する。屋上から505号室へ。二階層分の落下。
黒いレインコートの人影から笑みの表情が垣間見えた。
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