第五十話 緑が芽生える

 二階層の落下の勢いを殺すことなく、躊躇なく笠沼正太の顔面目掛けて花菜は飛び蹴りの姿勢で突撃する。

 笠沼正太は余裕をもってそれをかわすと、花菜の飛び蹴りはその背後の505号室のドアをひしゃげさせた。


「わおっ!」


 ドガシャとドアが変形していく音に混じって笠沼正太は驚きと歓喜の声を上げる。

 反らした体勢を整える反動に合わせてレインコートから銀閃が煌めく。

 縦の一閃。

 花菜は空中で身を捻ると両手を合わせた。パンと乾いた音が鳴ると同時に光が放たれ、朱色の棍が生成されていく。

 銀閃──ナイフを叩き落とすように振り下ろされる朱棍。

 ギンッ、と鈍い音を鳴らす互いに弾き合う。

 叩き落とされた手の勢いに乗せて笠沼正太は身体を前に倒した。

 前方宙返り。着地など無視した無謀な回転は、踵落としとして花菜に襲いかかる。笠沼正太の両足が鎖骨に突き刺さり花菜は後方に吹っ飛ばされた。


「お姉ちゃんっ!?」


 一歩出遅れた奈菜がようやく五階廊下の手すりに着地する。そのまま手すりの上を低い姿勢で走りだし廊下に仰向けに倒れた笠沼正太に飛びかかった。


「二対一? 面白くなってきたなー」


 レインコートのフードの影から見える笠沼正太の口元が歪む。奈菜はその顔面に拳を叩きつけた。


「かっったぁっ!」


 まるで鉄を殴ったような異常な硬さ。殴った拳が砕けそうな痛み。

 影から見える口元。その周りは緑色に変色し始めている。

 奈菜は前に転がり体勢を整えると右手をゆらゆらと動かした。


「ほんなら、これで──」


「遅いよ、お姉さん」


 奈菜の言葉を遮る笠沼正太。状況を楽しんでるのが声に滲む。

 奈菜の足下、五階の廊下が緑色に染まる。ぴちゃん、と水の滴る音が聞こえる。天井から何かが垂れてるわけではなく、廊下は水面のように波紋を広げる。


「しまっ──」


 ざばっ、と大きな音を立て奈菜の真下から緑色の太い腕が伸びた。奈菜の腹部に拳が突き刺さり、身体を宙へと突き上げる。身体中の空気が口から漏れるような衝撃。痛みは直後に訪れる。

 腕に連なって、腕が、緑の水面から生えてくる。小鬼でも人型の巨鬼でもない、腕と腕だけが連なった異形。


「気色の悪いもん出してきたなぁ!」


 廊下に倒れていた花菜も水面から生えてきた腕の異形に絡みつかれていた。二本の腕が羽交い締めの様に絡み、踵落としで突かれた鎖骨が軋み痛む。


「ああ、ごめんね、まだ馴染んでないからさ、上手く作れないんだよね。こういうのってさ、チュートリアルが無いからさ、僕も今初めて見たし、それ」


 笠沼正太はゆっくりと立ちあがりレインコートについた埃を払った。トントン、と踵で廊下を叩くと屈伸運動を始めた。


「さてそれじゃあ、僕はこのマンションの住人を殺してくるから止めるつもりなら、頑張って」


「アホか・・・・・・そんなん行かすわけないやろ」


 水面から生えた腕の異形三本に身体を掴まれた奈菜は身動きを取れずにいた。手を動かすこともままならぬ状態で時間稼ぎするには声を発するしかなかった。


「情けない格好で何を言ってるのさ、巫女装束のお姉さん。あっちの巫女装束のお姉さんが動き出すのを待ってるんだろうけど、そう上手く行くかなー」


 花菜が腕の異形の拘束からもがいてるのを指差す笠沼正太。


「あー、僕、巫女装束って実際に見るのってこの前が初めてでさー、ナイフで刺したら血がどんな感じに装束を染めるのか気になってるんだよねー」


 笠沼正太はナイフの先端を花菜へと向けてくるくると回す。


「この前邪魔されたし、あっちのお姉さんから殺しちゃってもいいんだけど。あー、でも、お姉さん達って人を守る為に来たんだよね。じゃあ、ただ殺すのは面白くないよね、を作ってあげないと。例えば、ほら──」


 笠沼正太がナイフの切っ先を別の方向に向ける。504号室。表札に佐々木ささきと書かれている。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 男性の悲鳴が聞こえる。部屋の中で何かが倒れる音。何かが争ってるような物音。いくつかの音が聞こえた後、勢い良くドアが開かれた。


「──お隣さんが死んだよ」


 恐怖が張りついたような表情を浮かべた男性が部屋から飛び出てくると、その後ろから腕の異形が四本追いかけてきていた。男性は目を動かして廊下の異常を視認するも、最早理解の範疇には無かった。ドアを叩くように閉めるともがくように息を吸い込んだ。心臓の高鳴りが耳を打ち、痛い。一体何が起こっているのか、そう言葉にしようとした瞬間、首筋を銀閃が薙いだ。

 赤い血飛沫が視界の下から噴き出して、目の前のドアを染めていく。血塗られていくドアを見つめながら何が起こったのか理解できず佐々木という男性の死が近づいていく。

 自分の事を捕まえようとしてきた四本の腕がドアを突き破り四肢を掴んだ。そうして漸く首筋の痛みが熱を帯びて訪れる。痛みと熱さに苦痛の声を上げようにも音は形を成さなかった。

 腕の異形の勢いは止まらず男性を掴んだまま、廊下の手すりを突き破り宙へと飛び出した。そして、落下。ただ潰れる為だけの、落下。

 

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