後編

 次の日、その次の日も、僕は特訓を続け、何度も筋肉痛に襲われても、その度に何度も痛みを乗り越え強くなった。

 

 お年寄には優しくして、またお礼を貰った。アスファルトで足には火傷を負ったし、水鉄砲の所為で夏なのに凍えた。そんなことを何度も続けて、そして鬱陶しいもう1人の僕を何度も見たある日のことだ。

 

 僕はいつもの特訓の帰り道を歩いていた。だいぶ特訓にも慣れてきて、足もだいぶ早くなった気がする。

 

 そして、森をぬけて、公園にさしかかったところで、何やらおかしなことが起きていることに気づいた。

 

 誰かが公園で蹲っている。そして、何人かのグループが、そのうずくまっている人を蹴ったり、無理矢理起き上がらせて投げ飛ばしたりしていた。最初は何かの遊びかと思ったが、それにしては様子がおかしかった。

 

 そのグループは全く手加減する様子はなく、力任せに暴力を奮っていた。グループは女子相手でも、全く関係ないようだ。

 

 その光景が、僕の目に強く焼き付き、視線を逸らすことが出来なかった。

 

 なぜ、そんなことをするんだ? 僕は、人が喧嘩をするところを、今まで見たことがなかった。それがなんだ、この惨状は。強いやつが何人も束になって、圧倒的に力の差があるやつを倒すなんて、そんなこと、する必要ないじゃないか。そんなの、悪の組織と何も変わらない。

 

 ――そうか。てことはアイツらが悪者か。

 

 つまるところそういうことだろう。悪の組織が、力のない人間をいたぶっていく。それが、この今見ている光景そのものだ。

 

 誰だかは知らないが、倒さなければ、そうじゃないと、ダメだ。僕が勇者じゃくなってしまう。

 

 僕は駆け出した。こんなのは狂ってる。早く止めなければ。リーダーのクソ野郎は誰だ、1発ぶん殴ってやる。4人組の中学生の中で、1番背の高いやつに僕は目をつけた。


「あ? なんだアイツ……ぶっ」


 力いっぱい顎をぶん殴り、全く無警戒だったからか、その背の高い中学生は昏倒し、動かなくなった。伸びてしまったようだ。そして、驚いた他の3人はこちらをぎょっとした顔で見た。

 

「先生呼んできた」


 と言うと、グループの3人は慌てて伸びた男を起こして逃げていった。


 全く、先生を呼んだくらいで逃げるとは何事だ、弱いったらありゃしない。


 やはり、悪者なんてみんなその程度のものなんだ。やったことに責任を持たず、自分の身が危険になり、やっと自らの犯した過ちを知り、その場を逃げ出す。そんな、後先考えない無責任な行動こそ、悪者の典型的な例だ。異常な人間だったとしても、そこだけは変わらないようだった。

 

 蹲っていた少女はゆっくりと顔を上げた。見てみると、前に裕二と一緒にいたあの女の子だった。

 

「怪我はない?」


 と言ってみたが、特に返事はない。痛みが酷いとか、そういう風にはあまり見えなかった。怯えているのだろうか。


「……ありがと」


 どうしたのだろうと首を傾げて見ると、少女は一言、そう呟いた。


「ああ、あんな奴ら、俺にかかれば一撃だよ。なんたって、俺は勇者だからな」


 今回の戦いでは、剣は使わなかった。この剣は然るべき時にしか抜いてはならないのだ。まだ彼らは若かった。だから、少し道を踏み外したとしても、まだ戻ってくる余地は作っておかなければならない。


「勇者……?」


「そう。俺は選ばれし勇者なんだ。だから、君を助けた。さらばだ、また会える時まで」


 勇者は颯爽と立ち去るのだ。うん、決まった。最高にかっこいい去り方だ。


 駆け足で公園を出て、そして家へ飛び込んだ。僕はそれから、家のベッドに座り、そしてベッドに潜った。風呂へ入れと言われたが、そんなのは知らない。もう少し感情が収まるまでは、風呂になんて入るもんか。

 

 今日起きた出来事を、僕は思い出してみた。あいつらは異常だ。何もかもが異常だ。あんなにも簡単に人を傷つけるなんて、馬鹿げている。それも、あんな笑いながら、嬉々として人を殴る。狂っている。人として破綻している。

 

 僕は、アイツらが許せなくて、あの女の子を守ろうとして殴った。それが表向きの気持ちだ。だか、本当は多分違う。俺はあの場から恐怖で動けなくなり、目を逸らせなくなって、何をすればいいかわからなかった。恐怖心に襲われたとき、あいつらを殴るしか止める方法がわからなかったのだ。だから殴った。


 そんなの、勇者失格だ。

 

 それにきっと、僕に一度止められたくらいじゃ、あの行為を止めることは決して出来ないだろう。また別の場所で、あの、大人になれると勘違いして早まった、醜い遊びの続きをするのだ。恐ろしい。同じ人間として、恐ろしい。そもそも、あれが本当に人間なのか、疑問に思えるほどに。

 

「怖い」


 悪意というものを甘く見ていた。僕は、悪意とは、ドロドロとした雰囲気を醸し出し、明らかな悪いことをすることだと思い込んでいた。

 

 でも、そうじゃないんだ。あの4人組を見てわかった。

 

 あいつらは純粋に楽しそうに、キラキラとした目で人を殴っている。人が海に行って釣りをするみたいに、これが僕の趣味だと言わんばかりに殴るのだ。

 

 僕はそいつらを見て、踏み込んではいけない一線を超えてしまった気がした。いや、実際に超えてしまったのた。

 

 勇者として、戦っていかないといけないんだ、ああいう恐ろしい奴らと。


 もう後戻りは出来ない。これから僕は戦いの地に身を投げることになる。覚悟を決めなければ。


「調子はどうだい?」


 無邪気なもう1人の僕の声は、今回ばかりは不気味に思えた。





「よっ」


「裕二……どうしたんだよ急に」


 珍しく、裕二が家に来た。最後に遊んだのはいつ頃だっただろうか。わざわざ誘いに来るのは久しぶりだった。


「今日は丁度部活がオフになったからな。だから、久しぶりにお前と遊びに行こうかと思った。何時まで空いてる?」


 皮肉のつもりだろうか。夏休みに予定なんか入っていない。夏期講習にも行っていないし、旅行さえも計画していない。強いていえば、勇者としての特訓ぐらいだ。


「裕二、僕が暇だって分かって言ってるだろ」


「バレたか。まあ、そんなことはいいだろ? 行こうぜ、隣の駅に面白い場所があるんだ」


 一瞬、不敵な笑みを浮かべた裕二だったが、僕はそれを気に留めなかった。


 裕二は小学校の頃、よく僕と遊んでいた。放課後、裕二の通っているサッカークラブの友達と共にサッカーをしたり、バスケをしたり、ドッチボールをして遊んでいた。


 中学校へ上がると、裕二はサッカー部に入り、そして僕は部活に入らなかった。その後は放課後も時間が合わず、土日も一日中部活があったので、すぐに接点がなくなり、いつの間にか前までの親近感は、どこかへ消えてしまった。


 だが、こうして遊びに呼ぶところを見ると、まだ裕二と友達ではあるんだなあ思った。


 電車に乗り、3分程すると次の駅へと着く。


 僕の最寄り駅と違って、ここは栄えている。栄えていると言っても、高層ビルが立ち並ぶ、空気の汚い魔窟というわけではない。川の近くに少々工場があるものの、他は大きめの商店街があるくらいの一般的な、どこにでもあるような街並みだ。


「なあ、裕二、どこまで行くんだ?」


「もうすぐだ。そこの公園を曲がれば見えてくる」


 商店街を抜けると少し開けて、公園が見える。その公演を曲がった先には、酒屋が1軒立っているだけだ。こんなところ何が面白いというのだ。

 

 公園には既に何人か人がいた。その人たちと目が合うと、裕二は手を振った。どうやら裕二の友達のようだ。


「よし、ここがそうだ」


 何が面白いんだろうか。こんなところ、わざわざ電車にお金を掛けなくとも、近所にだってあるじゃないか。ついに、コイツらも頭がおかしくなったのではないだろうか。


「よし、みんな集まったな。例のものを買ってこい」


 裕二はそう言って、ベンチへ偉そうに座り、1人に金を持たせて自販機へと飲み物を買いに行かせた。


 そして、僕の目の前を通る時、何故かこっちを睨んできて、舌打ちをした。


 見たことある人だ。こいつは……そうだ。僕があの時ぶん殴った野郎だ。その首元にある大きなほくろを、僕はよく覚えている。


 そして、他のやつを見て見てもやはり見覚えがあった。そうだ。あの時の4人組だ。


 そして、あの4人組がいるということは、目的は限られてくる。


「お前、何するつもりだよ」


「まあ、そう焦るなよ。中二病のクソが」


 明らかに、裕二の態度が変わった。目つきも鋭くなり、偉そうだ。以前無邪気に遊んでいた裕二の、影も形もなかった。


「買ってきたぜー!」


 そう言って、ほくろの野郎が持ってきたのは一升の日本酒だった。よく見て見たらあそこにある自販機は、どれもお酒を売っていた。年齢確認用の機能は、全く使い物にならない。こいつらは、こんなものを買うためだけにここに集まったのか。犯罪をするために、集まったのか。


 裕二はその栓を開けて、日本酒を少し口に含み、飲み込んだ。


「お前、これ飲めや。そうしたら許してやるよ」


 コップに並々と注がれた日本酒。そして、そのコップをニヤニヤとしながら僕の目の前に置いた。多分、こんな量飲んだらただじゃすまない。


「お前、散々やってくれたからな。吐くまで飲め。そうしたら手だけは出さないでやるよ」


「飲めばいいだけだな」


「ああ、そしたら晴れて俺たちの仲間入りだ」


 そう言われて、僕はコップを持ち。口まで近づけた。


 裕二は期待の目でこちらを見つめている。結局、こいつは僕の友達ではなかった。


 まさか、裕二がこんなやつになっていたとは思わなかった。言動が全く違ったし、体格も前とは違う。もう、こいつは成長していたのだ。


 対して僕はなんだ。何にもせずに遊んでいて、勇者だ何だとはしゃぎ回って、馬鹿みたいだ。僕は散々人に馬鹿だ馬鹿だと言っていたが、結局馬鹿なのは僕の方じゃないか。


 くそ、あんなもう1人の僕とかいう馬鹿みたいな野郎に付き合うんじゃなかった。僕はその所為で、こんなにも道を逸れてしまったのだから。


 これを飲めば全てが終わり、僕は新しい世界へと足を踏み入れる。1歩、大人になれる。大人というものはかっこいい。だから、早く大人になりたい。もし、これを飲むだけで大人になれるのなら……。

 

 ――その時、あの少女の声が響き渡り、俺は思いとどまった。


 ありがとうと、一言言われただけの人だが、勇者は助けた人の顔なんて忘れない。僕はしっかりとその顔を覚えている。


 あの少女を守った僕は、紛れもなく勇者だった。僕はあの時強かったんだ。


 だから、今までやってきたこと全てを否定するのなら、今この場をめちゃくちゃにした後でも遅くは無いはずだ。


 そこで突然胸の下あたりからふつふつと湧き上がる、熱い何かを感じた。それはマグマのように上へ上へと昇り、頭まで到達すると、大きく破裂した。衝動的に、僕はコップを思いっきり投げ飛ばし、裕二の鼻に当てた。裕二の鼻からはダラダラと血が流れている。


「クソ野郎が……殺す」


 その声を聞いて、寒気がした。この世の憎悪を全て詰め込んだような声だ。だが関係ない。俺は奴らに突撃し、1発殴った。最後まで、僕は僕らしくあろう。


 だが、反撃するのもそれまでで、すぐさま数に押され羽交い締めにされた。

 

 そして、裕二に顔面を思い切り殴られ、大きな鐘が鳴ったように、痛みが響いた。そして、裕二につられて他の奴らも俺を殴った。俺が倒れると蹴り飛ばし、また起き上がらせては殴った。


 何度殴られるのだろうか、いつまで蹴られるのだろうか、とにかく長い間、僕はあいつらにやりたい放題やられた。顔は火傷したように熱く、腹から何かがせり上がってきた。地獄だった。

 

 そして、痛みで動けなくなった僕に、先程買っていた日本酒を無理やり口に入れた。ドクドクと喉へ注がれる酒。その数瞬後に襲ってくる吐き気で、僕は嘔吐した。


「へっ。結局お前はそんなもんだよ。いつまでも気持ち悪いことばっかりしやがって。酔いが覚めたら幻覚もなくなって冴えるんじゃねーの? 知らないけど。じゃーな。1人で帰ってろ」


 痛みはあるが、まだ立ち上がれないほどではない。意識は朦朧とするが、ふらつくだけ。まだ立てば戦える。だが、やる気が起きなかった。


 先程の威勢は、何故か微塵にも感じず、ただ何もせず寝っ転がっていたいと、そんなことしか思わなかった。


 そして、急に襲ってきた眠気に、僕の意識は遠くなっていった。






 電車内で、ドアの近くに寄っ掛かり、俯いていた。


 何とか意識を取り戻した僕は、まだアルコールの残っている体で、フラフラと駅へとたどり着き、電車に乗ることが出来た。


 部活帰りの高校生が、くっせーと言いながら僕から離れていった。僕の近くの椅子は空いていて、誰も座ろうとしない。誰も、僕が酒を飲んだとは思っていないだろう。だから、得体の知れない臭いに、皆が離れていくのだ。


 惨めだ。あんな卑怯なヤツらが、僕よりも大人だったなんて。結局、僕は何にでもなれる力なんて、持っていなかったのだ。


 当たり前だ、幻覚の中から聞こえた幻聴なんて、信じて何になる? 全く、救えない。


 そもそも、何が何にでもなれるだ。何にでもなれるなら、今頃この世界は勇者で溢れるはずだ。何になるか選べないから、悪者が生まれるのだろう。サラリーマンで溢れかえるのだろう。僕はそれに気づくのが遅すぎた。


 僕は人生の敗北者だ。最早、僕に残されているのは、何にだってなれる、約束された輝かしい未来なんてものではない。ただ、長く退屈な、鬱屈とした余生を送るだけだ。棺桶に片足を突っ込んでいる、いつか来る死を恐れるだけの人生が待っている。


 無性に悲しくなって、足を組んで偉そうに新聞を広げているサラリーマンの顔面を、俺は蹴飛ばして駅を駆け出した。


 中学2年。僕は終わった。



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