湖の龍

 むかし、むかし。

 これはまだ、猫が二本足で歩いていた頃のおはなし。


 西に大きな海を臨み、東に大きな山を背負う小さな村に、とら柄が自慢のトラ吉という雄猫がおりました。

 働き者のトラ吉は、額に汗してせっせと畑を耕す毎日をおくっております。

 ある日、畑仕事を終えておうちに帰ろうかと荷物をまとめていると、むこうの畑から仲良しであるぶち猫のブチ助が顔をのぞかせました。

「おお、トラ吉どんも帰るところかい」

「そういうブチ助どんも帰るところかい」

 おおそうさ、とブチ助がしっぽを立てるので、トラ吉もしっぽを立てて、二人は並んで歩きはじめます。

 畑からおうちまでは、おひさまの沈む海がよく見えます。ですが、今日はまっくろな雨雲が、お空の向こうに広がって夕日を隠してしまっています。

「ああ、こりゃあ明日は雨だなあ。おひげが垂れてしまうから、おいら雨が嫌いなんだよなあ」

「なんでぇ、おいらも嫌いさ。自慢の毛並みがべたべたしちまう」

 立っていた二つのしっぽが、だらんと下がってしまいます。

 ため息をついた二人でしたが、ブチ助が思い出したように手を打ちました。

「雨といや、黒猫のじいさまから湖の話は聞いたかい」

「湖っていうと、お山の向こうの? またぞろ、でっかいニジマスでもつかまえたはなしかい?」

 黒猫のじいさまは、お山のキノコや山菜をよく知っている村の知恵袋で、トラ吉もブチ助もよくおっそわけをいただいておりました。

 その中には湖のニジマスも入っておりまして、ありがたいことではあるのですが、やれもっと大きなヤツがいたとかやれ抱えるには大きすぎて逃がしてやったなんて自慢話が珠に傷なのであります。

 なので、トラ吉がよだれを拭きながらも眉を寄せてみせると、ブチ助は手を振り振り、

「いやいやそうじゃねぇよ、トラ吉どん。なんとじいさまな、龍を見たんだそうだ」

 なんと、さらに素っ頓狂なことを言うではありませんか。

「龍っていうと、でっかいうなぎみたいなやつだったかい? どれぐらいでかいんだろうかねえ」

「じいさまが言うには、山よりもでかいってぇ話だったな」

「ほんとうかい? だけどにわかには信じられない話だよなあ」

「いやまあ、言われてみりゃあ、山よりでかいなら村からも見えなきゃおかしな話だよなあ」

 腕を組んで困り顔になるブチ助が、それならいい考えがあるとおひげを揺らしました。

「龍は雨の日にでてくるってぇ話だ。あのまっくろな雨雲じゃあ、どうせ明日は仕事にならんだろうし、湖までいって確かめるってぇのはどうだ?」

「なるほど、そりゃあ都合がいいなあ」

 そうしよう、そうしよう、と話がまとまれば、二人は急いでおうちに帰ると明日のためにしっかりと毛づくろいをするのでした。


 あくる日、お空が明るくなるのと一緒に、二人は湖を目指しました。

 暗いうちから雨が降り始めたので、蓑と笠ですっぽりと自慢の毛並みを隠しております。

 けれどもお山のなかほどに着くころ、前が見えないくらいに雨足が強くなったので、二人は木陰で一休みすることに。

「まいったなあ、トラ吉どん」

「なあに、海の方は雲が薄い。じきに弱まるさ」

 ぽたりぽたりと、垂れる枝から雨粒が落ちては二人の笠を優しくたたいております。

「なあ、ブチ助どん。龍っていうと、でっかいうなぎみたいなやつだろう?」

 笠にたまった雨水を落としながら、トラ吉はのんびり体を伸ばすと、

「焼いて食ったら、旨いのかねえ」

「あのな、トラ吉どん。人間の偉い学者が言うには龍ってのは神様らしいから、さすがに頭からペロリとはいかんだろ」

「そうかい、ブチ助どん? あんがいいけるかもしれんと思わんか?」

「ばか言うない、トラ吉どん。ばちが当たっちまうぞ」

「ばちはおっかねぇなあ。けど食ってみてぇなあ」

「なんでぇ。トラ吉どんがそこまで言うなら、二人でふんじばって、鍋で煮込んでやろうじゃねぇか」

「なんだ、ブチ助どんも食ってみたいんじゃないか」

「どっちかといやあ、そりゃあ食ってみてぇさ」

 顔を見合わせて、おひげの雨粒をぷるぷると払い落とすと、ちょうど雨も弱まってきました。

 はてさて、と二人は腰を上げると、ごちそうで腹をいっぱいにするために、雲の切れ間に追いつかれてはならんと、すこしだけ足を早くするのでした。


 けれども、二人がお山を越えて湖にたどり着くころには、雨はすっかり弱くなってしまっていて、あろうことか青空も雲の合間から覗き込むように。

「ブチ助どん。雨があがっていまうなあ」

「じいさまが言うには雨の日に見たってことだからなあ、トラ吉どん急いで龍を探さんと」

 がってん、と笠も蓑も脱ぎ捨てて、ほとりに駆け寄ります。

 二人はおめめをまんまるにして、湖をくまなく探しますが、山より大きいという龍の姿なんか、影も形もありません。

 そうこうしているうちに青空は広がっていきます。

「おらんなあ、ブチ助どん」

「そうだなあ、トラ吉どん」

 それはそれは残念そうに、二つのしっぽはがっくりと垂れてしまいました。

「もう、晴れてきちまったし、こうなったらしようがない」

 空を見上げたブチ助に、トラ吉はそうだなあ、と頷きます。

 ところが、大きく開いていたおめめが、湖に横たわる大きく長いものを見つけて、

「ブチ助どん、龍がおったぞ」

「なんだい、藪から棒に。山よりでかいうなぎなんか、どこにいるってんだ」

 トラ吉の真ん丸なおててが指す先に、ブチ助が目を向ければやはり同じく長くて大きなものが。

 湖を横切るように伸びきっている大きな体は、まるで玉虫の背中のような色合いで、まるで水面に沈んでいるかのように平べったい。

「ははあ、こいつは確かに山より大きいなあ」

 ブチ助がまぶたをパチクリさせて空を見上げるので、トラ吉も一緒に見上げます。

 そこには、大きな大きな七色の虹が、山と山の間に、わたし橋のようにかかっておりました。

 なんともう、心の洗われる光景でしたが、トラ吉のしっぽは下がったままです。

「どうした、トラ吉どん。でっかい龍を見つけたじゃねぇか。もそっと、おひげをピンとしてもいいんじゃあねぇか?」

「確かにその通りだと思うよ、ブチ助どん。だけどなあ」

「だけど?」

「これじゃあ、食えないじゃないか」

 トラ吉の言葉にブチ助が、確かに確かに、としっぽをゆるゆると垂らしてしまいました。

 期待が外れた腹は、抗議のためか大きく鳴いています。

 そのとき、湖のまんなかあたりで何かの跳ねる音が。なりの大きいマスのようで、その体には空の龍と同じ色をした線が彩っていました。

 二人は思わず顔を見合わせて、

「なんだ、ブチ助どん。龍もなかなかうまそうじゃあないか」

「そうさな。頭から食っちまえそうだ」

 袖をまくると、足音をたてて湖に入っていきます。

 二人がニジマスを抱えて帰ってくる頃には、雨も虹もなくなって、とっぷりと日が暮れていましたとさ。


 めでたしめでたし

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