お山の鬼

 むかし、むかし。

 これはまだ、猫が二本足で歩いていた頃のおはなし。


 西に大きな海を臨み、東に大きな山を背負う小さな村に、とら柄が自慢のトラ吉という雄猫がおりました。

 働き者のトラ吉は、額に汗してせっせと畑を耕す毎日をおくっております。

 今日も朝からクワをふるっておりましたが、お日様がてっぺんに差し掛かったので、さてお昼にしようかと草むらに座り込んだ時でした。

「トラ吉どん。トラ吉どんも今から昼飯かい?」

 声をかけてきたのは、仲良しなぶち猫のブチ助です。

「なんだい、ブチ助どん。畑の方はいいのかい」

「ああ、おいらもちょうどお昼休みさ」

 耳を大きく立てて弁当包みを見せると、ブチ助はトラ吉の隣に腰を下ろしました。

 包みをひらけば握り飯がいくつか並んでおり、香りはたたなくてもお米の甘い香りが鼻をくすぐるようで、二人はひくひくとおひげを揺らします。

 いくつかを口に放り込んで腹を小均すと、ブチ助が知っているかい、と声をひそめました。

「黒猫のじいさまが、お山で鬼を見たんだと」

 思いもしなかった言葉に、トラ吉は思わず顔を洗います。

 黒猫のじいさまは、お山のキノコや山菜をよく知っている村の知恵袋で、トラ吉もブチ助もよくおっそわけをいただいておりました。

 だから、お山のことは村で一番詳しいはずですので、

「じいさまがいきなり鬼だなんて。降って湧くようなものでもありゃせんだろうに」

「それが降って湧いたんだろうさ。しかも二匹もいたって話でな」

 二匹も? と、トラ吉は驚いてまたまた顔を洗ってしまいました。

 鬼なんておっかないものが、しかも二匹もいるなんて、はてさて今晩の厠はよく冷えるだろうなあ、などと眉を困らせます。

「トラ吉どん」

「なんだい、ブチ助どん」

「恥を忍んで言うんだがね、このままじゃ、おっかなくておちおち厠にも行けやしねぇ。どうだい、ここはひとつ、鬼の正体を見物に行ってみないかい」

「なんだ、ブチ助どんもかい。おいらもおっかなくて、厠をどうするか考えていたところさ。確かに一目見たなら、怖さも紛れるかもしれんね」

 人間のお偉い物書きが言うには、鬼が食うのは人間なのだそうで、猫のおいらたちは食われやしないだろう、とブチ助はおひげを揺らします。

 そうしよう、そうしようと、話がまとまれば、二人は残った握り飯を放り込んで立ち上がるのでした。


 お山に入った二人は、昼だというのに薄暗いけもの道をすすみます。

「それでブチ助どん。じいさまが見た鬼ってのは、どんな風体なんだい?」

「それがトラ吉どん。じいさま、逃げるのに夢中で碌々覚えてねぇらしい。馬鹿みたいにでかいことと、一本角と二本角だったってことだけさ」

「なるほどなあ。それで、鬼はどこにでるんだい?」

「じいさまは、お猿のお岩で後ろから声を掛けられたらしいぞ」

「へえ。あの、猿がしっぽを立ててるように見えるってお岩かい? おいらは見たことないけど、けっこう上のほうにあるんじゃあなかったかい?」

 トラ吉の問いに、ブチ助はおいらもじいさまから聞いただけだからなあ、ぴんと立てた耳を揺らします。

 けれども見えないお日様の代わりにでもなるかのような明るい声で、

「なに、じいさまが鬼にあったのは夕暮れ時。おいらたちが着くころにはちょうどいい塩梅さ」

 確かに確かに、とトラ吉は頷いて、けもの道をすすみます。

 倒れた木に道をふさがれ、転がる岩に驚かされ、気の立ったマムシに追い回されながら、二人はようやっと、お猿のお岩に辿り着きました。

 お岩は杉林の開けたところにあって、しっぽのような天への突き出し越しに、広がる海を臨むことができます。お日様はもはや海に飛び込む寸前で、目の届くいろいろな物を朱色に染めておりました。

 美しい光景に、二人はひと時息を呑んでおりましたが、はてさて、目当ての鬼は姿も声もありません。

 いくら待っても気配もないものだから、しびれを切らしたブチ助が踵を返します。

「これじゃらちがあかねぇよ。もう日も暮れる、トラ吉どん。今日は引き揚げねえか」

「そうだなあ。残念だけどもそうするしかしようがない」

 トラ吉も、ブチ助にならって振り返って帰り道につこうとしました。

 そこで気が付きました。

 黒々とした、大きな影が行く手に伸びていることに。

「ブチ助どん」

「どうしたトラ吉どん。そんな小さな声で」

「じいさまは、後ろから声を掛けられたんだったよなあ」

 陰にはぴょっこりと、見間違いようもなく立派な角が生えているではありませんか

 一本角と、二本角、そして二本角がもう一匹。

 ぶるぶると震えるトラ吉が見る先に、ブチ助も気が付いたらしく、

「じいさま、話がちがうじゃあねぇか。鬼は三匹だ」

「待ってくれ、ブチ助どん」

 一目散に逃げ出してしまいました。

 置いていかれてはたまらないと、トラ吉も駆け出します。

 しかし、走っても走っても、鬼は追いかけてきます。

 一本角はいつのまにか消えていますが、二本角の二匹はしつこいことしつこいこと。

 二人が必死に曲がり角の藪に飛び込んだところで、ようやく諦めてくれたようでした。


 トラ吉とブチ助は藪の中、ぶるぶると震えながら、抱き合います。

 しばらくして、周りに誰の気配もないことがわかると、二人は汗を拭ってしっぽをたらしました。

「肝が冷えたなあ、ブチ助どん」

「あやうく褌を汚すところだったぜ、トラ吉どん」

 確かに確かに、とトラ吉が頷くと、しかしなあ、とブチ助が首をひねります。

「おかしな話だ。なんだって、鬼は三匹だったんだ?」

「どこがおかしいんだい。じいさまが見たとき、もう一匹は隠れていたんだろうさ」

「いやさ、おいらたちが帰るまでに、鬼どころかなにかいる様子もなかっただろうに」

 言われてみればと、トラ吉はひげを揺らします。

「なあ、トラ吉どん。もう一遍お猿のお岩に戻ってはみねぇか?」

「そりゃあ、このまま帰ったんじゃ夢見が悪いなんてもんじゃあない」

 そうしよう、そうしようと、二人はもう空が青みがかる中、お猿のお岩へと戻ることに決めました。


 お猿のお岩は日暮れの朱に染まって、変わらず尻尾を立てておりました。

 不思議なことに鬼の姿は微塵もなくて、二人はてくてくとお猿によじ登るとしっぽを一撫でします。

「ブチ助どん。やっぱり鬼なんかおらんのじゃないだろうか」

「だけどなトラ吉どん。それじゃあいったい、おいらたちが見た三匹はなんだったんだ」

 そう言われると、ふうむと考えこんで顔を洗うしかなくて、だからといって不可思議が解かれるわけでもなく、自然と海の方へと目が向けられていきました。

 お猿のお岩から眺める夕暮れは、家々の立ち姿を深めるように影になったところから夜の線を浮き立たせ、迫る宵闇に負けじと灯る明りの群れが、藍の色の下でせめぎ合っているよう。

 それはもう美しく、トラ吉はひそかにお気に入りの場所にしようと心に決めるほどでした。

 けれどもさすがに陽が沈み切ってしまっては、けもの道に難儀するだろうからぼちぼち帰りのこともかんがえんと、と振り返ります。

 すれば、後ろからそそぐ夕日が、トラ吉の影を大きく大きく引き伸ばしておりました。

 まるで、噂に聞く虎のような巨体に、ピンと立派に立てられた両のお耳。

 はて、なにやら見覚えがあるなと、首をかしげてまじまじ見つめると、

「ははあ、なるほど」

「どうしたトラ吉どん。鬼でも見つかったのかい」

「そうさな。ちょうど、三匹見つかったぁさ」

 トラ吉の影と並ぶように、ブチ助とお岩の影が長く長く伸びておりました。

 ブチ助は、トラ吉と変わらず大きな虎のようで、お耳がピンと。

 お猿のお岩は、丸まる大きく、天に突き出したしっぽがひょっこりと。

 トラ吉とブチ助の耳は、まるで鬼の二本角のように。

 お岩のしっぽは、まるで鬼の一本角のようでした。

「なるほどなあ。だからじいさまが見た鬼は二匹で、おいらたちは三匹ってぇ寸法か」

 感心しきりのブチ助がしっぽを揺らしていましたが、空を見上げれば、すでに宵は迫っております。

「鬼の正体もわかったことだし、そろそろ、帰らねぇと日が暮れちまう」

 心配げなブチ助どん。

 ですが、トラ吉は少し考えた後で、お猿のお岩に腰を下ろします。

「なあブチ助どん。せっかくだから、鬼退治もやってしまわんか?」

「鬼退治? ああ、なるほど。そいつはいい土産話になりそうだ」

 合点のいったブチ助もお岩によじ登り、トラ吉の隣に腰を下ろします。

 そのまま二人は、とっぷりと日が暮れて夜に溶けて消えてなくなるまで、じっと自分たちの影を見つめ続けましたとさ。


 めでたしめでたし

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