第六十五話 ウブウブウブ
「そういえば、ここに来る途中、廊下の所で犬飼君に会ったよ。アレは打ち合わせ後の帰りだったんだね」
それで何かと恥ずかしそうにしていたのか。
きっとボクと話してる最中にも、犬飼君も二人の水着姿などを考えちゃったりしてたのだろう。
色々と考えてしまって、色々と爆発したのだろう。
ボクがうんうんと納得して頷いていると、何故だか今度は二人共に恥ずかしそうに頬を紅潮させて下を向いた。
いや、猿渡さんは元から下を向いていたのでさらに下に頭が落ちたみたいになっているのだが。少し変な姿勢なのだが、首は疲れないのだろうか?
「……知ってますよ。前にも言いましたが、廊下の声って聞こえるんですよ。しかも、あんな大声じゃ丸聞こえです」
「あの、その、ヒデちゃんの気持ちを初めてちゃんと聞いたものですから、私もネコもちょっと動揺してまして」
ちょっと、などと猿渡さんは言うがその変な姿勢から受け取る印象としては、ちょっとどころでは済みそうにない。
ボケをスルーされた時以上に赤面する樹下も、やっぱりちょっとどころではない。
少し思い出してみたが、犬飼君はこの二人を赤面させる程の事を言ったのだろうか?
えっと確か、自分の気持ちがわからなくて、二人の事は姉みたいにしか思えなくて、でも二人の事は可愛いと思う。
ん~、別に愛の告白をしたわけではないのだけどな。
「か、可愛いとか言ってたよね、イヌっち」
「う、うん、可愛いとか言ってたよね、ヒデちゃん」
本当に今ボクの目の前にいるのは今時の高校生なのだろうか?
それまでの人生を男子校と女子高とで過ごしてきた男女だって、こんなにウブな反応はしないと思うんだけど。
幼なじみでずっと三人一緒に育ってきたから、変なところが似てしまうのだろうか?
「……あの、先生。イヌっちの事、ありがとうございました」
赤面して下を向いていた樹下が顔をあげる。幼なじみ三人の中で唯一白いその頬は、まだほんのりと赤い。
「御礼を言われる程ボク自身は大した事はしてないし、大した事も言ってないよ。大体は、君の受け売りに近いからね」
この夏、家庭教師のボクがその生徒の樹下桜音己から教わった、人の想いへの応え方。それを犬飼君に伝えただけの話だ。
「あ、いえ、先程までの事だけじゃなくて。先生のおかげでイヌっちがどう答えを出してこようと、これからも三人でいれる気がします」
大した事はしていないけど、樹下の告白を最終的に促したのはボクか。
きっと、告白をしなければ犬飼君がどう答えを出そうとも三人はバラバラになっていたのかもしれない。
いや、樹下だけがどの答えだろうと離れていこうしていたのだろう。
ふと見ると、猿渡さんが樹下の右手を握っていた。何も言わずに樹下は頷いて返事をしていた。
ずっと三人で、はこれからもという確証は無いのだ。
そこに不安を感じずにはいられないのだろう。ましてや、そうなってしまう原因が猿渡さん本人の気持ちが発端であるなら。
気がします、などと曖昧な風に樹下は言ったがきっと彼女自身は決心したのだろう。
もし自分が選ばれなくても、もし自分が選ばれたとしても、もしどちらも選ばれなかったとしても、必ず三人でいるという決心を。
それがどんなに辛い事であろうとも。
「新木さんは、これからどうするんです? ネコの家庭教師、もうお終いですよね」
「当分はね、サッカーに専念するつもりなんだよ。先輩に頼み込んで、大学のサッカー部に入れてもらえたんでね。だから、暫くは家庭教師のアルバイトはお休……」
「暫くはお休み、って事は暫くすると再開するって事ですよね?」
ボクが言い終わる前に猿渡さんは食い気味に質問を被せてきた。
先程まで恥ずかしそうに赤面して下を向いていた彼女は、今は立ち上がらんとばかりに前傾姿勢になっている。手を繋いだままの樹下がそれに引っ張られそうになって驚いていた。
「今のとこ、両親の仕送りで生活してるからね。あんまり頼ってばっかじゃ申し訳ないし、体力とか復帰できたらまた再開しようとは思ってるよ」
「あ、じゃあ、その時はお願いしてもいいですか? 私、ネコとヒデちゃんと違って成績が悪いもので……」
樹下と繋いでいない方の手、右手を高らかに挙げると猿渡さんは遂には立ち上がってしまった。
相変わらず樹下とは手を繋いだままだったので、樹下はがたがたと音を立て椅子から滑り落ちた。
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