第三話 樹下桜音己

 考え方は惜しいんだとすると、やっぱりネコってのは合ってるのか?


 桜、音、己。


「オオネコ?」


「ニ゛ャ゙ー゙ー゙ー゙」


 随分とダミ声な猫が、現れた。


 あれ、ちょっと怒ってる? あんまり触れずにいこう。多分、ネコは違うわけだな。


 ということは、考え方が惜しいってのは桜を無視したってのが惜しいってことだ。


 桜、音、己。


 どれかをまったく読まない訳か。……どれだ?


「先生、先生」


 彼女が手を挙げる。ボクの目の前、ギリギリに手を挙げる。なかなか、ウザったい。


「何? 考えてんだからちょっと待ってて」


 ヒントは、不要だ。少し馬鹿にされてる気分だ。こうなったら意地でも当ててやる。


「もういい加減めんどくさくなってきました」


 満面の笑顔で言う彼女の頭を叩きたくなったが、手もとにハリセンやスリッパが無いので、単なる暴力にしか見えなさそうなので止めた。


「なるほど、男だったら殴ってるところだ」


「あ、それです」


「は?」


「正確にはそれじゃないんですけど、ソレです」


 彼女は、僕を指さす。見事なまでに、会話のキャッチボールを無視されている。


 それって、何だ?


「だぁかぁら、オトコです」


「は? 君は男なのか?」


 今度は、何を言い出したのか?


「はい、オトコです。あ、でもそうじゃなくてですね」


 よくわからない、要約できない。何言ってんだ、この子? いやいや、しっかり考えよう。


 つまり、彼女は実は男だということか。こんな少女としか言い様のないような彼女が?


 実際、ボク自身出会ったことはないがTVじゃ男子高校生が女装して可愛くなってたりするし、ギャル男だっけそういうのもいたりするわけだから……。


 ありえなくもないのか?


 いやいや、いやいやいやいや。信じない、またまたタチの悪い冗談だろ。信じたくないぞ、ボクは。


 もしかして、それが理由で不登校なのか? ついつい女装に目覚めたから? 男を好きになってしまったから?


 ならこれから、こんな密室で二人っきりのボクはかなり危険じゃ……。あ、でもこんだけ可愛ければ……。


 いやいや、いやいやいやいや。


「先生、おーい、先生!」


「いやいや、ボクには彼女もいてだな……」


「そんなこと聞いてませんよ」


「彼女持ちとかお構い無しかよ!?」


「何言ってるんですか? 名前ですよ、な、ま、え」


「名前?」


「きのしたおとこ。桜と音で、おと。己と書いて、こ。お、と、こ。男に聞こえないように気をつけて発音してください」


 きのしたおとこ。


 ああ、なるほどね。そうか、名前か。名前のことか!


「スゴいネーミングだね」


「それは、喜びにくいコメントですね」


 変な安堵感から、思ったことを口に出してしまった。ボク自身、あまり他人に言われたくない言葉だ。


「ごめん」


「いいですよ、さっき先生の名前で遊んじゃいましたし」


 彼女はまた笑顔を作る。人懐っこい笑顔、というやつだ。好感の持てる無垢な笑顔。


「両親がまったく音に関してアレなもので、娘の私には音の才能に目覚めて欲しかったらしいんです」


 桜の樹の下で己が音で舞う子に育って欲しかったんだって、と彼女は続けた。


「夢ある名前なんだね」


「まぁ現実は、両親のハイブリッドみたいになりましたけどね」


 つまりは、彼女も音楽についてはアレらしい。


「あ、さっきも言いましたけど発音、気を付けてくださいよ。間違えたら先生だろうと誰だろうと容赦なく躊躇なく殴ります」


 握りこぶしをこれまた満面の笑みで作る樹下桜音己。


 会ってまだ間もないが、彼女なら本当に殴るのだとボクは確信した。それにしても、容赦も躊躇もしてほしいもんだ。


「なら、名前を呼ばないでおくよ樹下さん」


「安全策とは男らしくないですよ」


「そんなとこで男気を魅せようとは思わないよ」


 石橋は、叩いて渡る。


 今日は何となくこの言葉が、胸に染みる。


「それにしても、家族とか友達にはなんて呼ばれてるんだい? いちいち殴られる危機感を持ちながら君の名前を呼んでるの?」


「家族とか友達は殴りませんよ」


 ついさっき、誰だろうと容赦ないって聞いたんだけど。……あれ?


「まぁ家族は間違えませんし、友達にはネコって呼ばれてます。さっきの先生みたいに」


 と言って、また微妙な猫のマネを始める樹下桜音己。ただ手首を曲げてるだけじゃないか、それ。


「先生も呼びたかったら呼んでいいですよ、ネコって」


 ちょっとだけ猫背気味な彼女は満面の笑みで見上げながらそう言った。そういやボクは、ずっと立ちっぱなしだ。


「ただそうなったときは、私は先生のこと……」


 意味深な間があく。


 彼女の顔が少し近づいてくる。


 息を飲む。


 彼女の眼を見る、綺麗な眼だ。まつ毛が長い。肌は色白で綺麗だ。近くで見れば見るほど小顔だ。


 鼻息が顔に当たりそうで呼吸を止める。


 この子は今、何を考えてるのか。女の子はわからない、いつだってそう思う。


「ロリコンだって見てしまいますけど」


 ……なるほど。


「絶対、呼ばない!」


 からかわれてる、間違いない。

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