第二章 東方の獣使いと西方の獣使い

第24話 シド国務長官の日常

 おーらいおーらい、と甲高い声が響いた。

 声は窓の外からで雪の降る中でもよく元気よくはつらつとしていた。彼らの声には寒さに負けないぞ、という意志がこもっていてそれを窓越しに聞きながらヤシュニナ国務長官であるシドは送られてきた書類へサインを入れた。


 玉虫色のポニーテールの少女とも捉えられる美しい顔つくりの少年はつい先日の一件で倍増した書類の山に冷めた視線を送りながら一つ一つ丁寧に処理していった。ただサインするだけではないのが苦だな、と疲れもしない錆銀色の瞳をこすりながら彼はサインし終わった書類を横へ投げる。


 それもこれも大陸の向こうの国家を併合してしまったのが悪い。向こうから仕掛けてきた戦争で勝ったのはこしらなのだからどうしようと自分達の勝手ではあるが、さすがに海ひとつをまたいで領土を持つ、というのは想像していたよりもつらいな、とシドは乾いた笑みを浮かべた。


 先日――太陽暦451年4月27日――豪雪国ヤシュニナはリストグラキウス神聖国を併合し領土とした。豊かな穀倉地帯を得たことでこれまで南部に偏っていた農業収入が大幅に改善されるというメリットはある。

 だが同時に併合された土地の人間という毒素を取り込む結果にもなった。


 なし崩し的に得た領土で実りもあるがローリスクハイリターンとはいかないものだな、とシドは自嘲する。現在は名目上の総督であるリドルのもと少しずつ税率などを変えていき、法律も可能なかぎり従来のものを残したまま占領政策を実施しているが、地方には反乱の芽がまだ残っている。


 これからは積極外交だ、と言った結果がこれだ。

 ――だが、これでいい。

 仕事量が増えることなどわかっていた。暴動が起こる可能性があることも。今の苦労が五年後、十年後に倍以上の実りとなって還ってくればそれでいい。今は辛抱の時だ。


 そうやってすでに11回は5月に入って言い聞かせてきたな、とシドは自分の辛抱のなさに呆れていしまった。仕事の合間に外の工事の音に耳を向けてしまうのがいい証拠だ。

 我慢しろ、といくら言い聞かせても体は正直だ。今も国務省ビルの修理工事を行っている作業員達へ目移りしていた。


 「あークラブに行きたーい、シャンパンタワーしたーい!もうやだぁー」


 ついに我慢は決壊し、シドは机の上にその身を投げる。そしてバタバタと手足を上下に激しく振った。駄々をこねる赤ん坊のような光景がそこにはあった。いや、外見が外見なだけにあながち間違いでもないかもしれない。兎にも角にもシドは1人執務室の中で自業自得な苦労の末、やり場のない怒りを押さえつけられずにいた。


 だがすぐにシドは落ち着きを取り戻し、机の引き出しから一通の手紙を取り出し満面の笑みを浮かべた。ここ最近幼児退行した時はいつもこれを糧として平静を取り戻していた。

 ある意味では鎮静剤のようなものだろう。この手紙が有効期限切れになるまでは。


 きたる5月7日に向けてあと2日だ、とシドは自分の頬を叩いて再び書類へと目を落とす。


 そんな中、ふとシドはサインする手を止め、一枚の資料に視線が釘付けになった。

 書かれている内容はさほど難しいことではない。

 海上要塞プレシアを引き払うか否か、というかなり単純な話だ。


 ソレイユ内の一部のダンジョンは最初に踏破したギルドが所有することがみとめられている。一度拠点と化したダンジョンはほぼ自由に内部や外見の改修が可能で、プレシアも名義上のとはいえ、きちんとした手段で攻略されたダンジョンの一つだ。


 そしてつい先日まではヤシュニナの東における防衛拠点だった。


 だが、リストグラキウスという直近の敵対国を倒した今、あんなもの必要ない、とわめくニンゲンが国民議会に湧いている。彼らの理由としては維持費、駐留してい人件費の無駄だ、と金絡みのものが多い。


 また、先の戦争でプレシアが落とされかけたせいでその防衛能力を疑問視する声も上がっている。ヤシュニナ側の死者が一万人という近年まれに見る死者数がさらにその声を助長していた。


 シドとしても金は重要だと考える。遺族年金や今回の戦争で失った大型船、兵数を考えるとプレシア一つを放棄しても補填にはならない。それでも予算はある程度賄える。


 しかし、問題も多々発生する。

 プレシアはその立地上、スコル大陸とハティ大陸を結ぶ航路の途上にある。海上航路の防衛拠点としての存在意義はまだ多いに残されていた。


 ソールの海には多数の高レベルモンスターが出現するというのはもちろん、地図に記されていない小島などを根城にする海賊が出現しないとも限らない。すぐに商船の救助に向かうためにもやはりプレシアの存在は必要不可欠だった。


 いっそ民間に委託する、という案が連邦会議で出たが、反対多数で棄却された。国家の重要な海洋航路を民間のものにするなどありえない、というのが大方の理由だった。


 ならば、とシドら連邦会議の面々が妥協して採択し、国民議会に提出したのがプレシアの軍備縮小だ。司令官としてヴェーザーを残し、また当初の六千人規模から二千人にまで数を縮小、ヴェサリウス級をはじめとする軍船の補給基地兼海洋航路防衛拠点として活用する、という案だ。


 そしてその返答が今シドの手にある一枚の紙切れだ。


 立場上、参考人招致でもかけられない限りシド行政国民議会立法に口を出すことはできない。リストグラキウスとの戦争というイレギュラーならばともかく、普段はシドをはじめヤシュニナ政府のニンゲンが国民議会の議事堂に入ることはない。


 案の定というべきか、送られてきた返答にシドはため息をこぼした。


 併合した旧リストグラキウス領への物資援助に加え、国内では不要になった、とまだ要塞の排除を巡ってあーだこーだなど笑えない冗談だ。


 加えて来年度から国債の割合がぐんと増える、と考えればないはずの胃がキリキリと泣いて仕方がない。


 「結局、得られるものも少なかったからな」


 むしろ失ったものの方が大きい、とシドはつい数日前おとずれたリストグラキウスの穀倉地帯と国境付近を思い返した。


 南部の穀倉地帯を除いてヤシュニナには農業が可能な地域はない。だから国にとって国土の七割が穀倉地帯と言っても過言ではないリストグラキウスを手に入れられるのはかなりの実り、のはずだった。


 確かに延々と穀倉地帯は広がっていた。しかし首都から離れるに連れてだんだんと麦畑はやせ細っていき、水が行き渡っていないことがひと目でわかった。


 リストグラキウスの担当に回された農林水産次官いわく、リストグラキウスは国土の最も太陽の恵みが行き渡っている地帯に首都を築き、なおかつその反映が長く続いたため、地方の開拓や灌漑事業がおろそかになってしまった、とのことだった。


 古き良き平安時代かよ、とそれを聞いてシドはぼやいた。早急に灌漑事業を行う必要があるな、と頭にメモをした後、また彼を驚かせることが国境付近であった。


 リストグラキウスのハティ大陸方面の国境にはサフィールとグアンという二つの同規模の国家がある。この二国は常に争いあっており、ちょうど二国がよく戦争する地点がリストグラキウスの国境付近であったため、周囲は荒れに荒れていた。


 大地の魔力は枯渇し、ヤシュニナ本土に匹敵するほど太陽の恵みはない。岩肌がむき出しになり、草一つ、虫一匹いない荒涼とした大地は辺境の麦畑を見た時以上にシドを唖然とさせた。


 似たような光景はヤシュニナ東部、北部にもあるがあそこは元々太陽の恵みがない地域であり、鉱山などが多々あるからまだ救いようがあった。


 しかしリストグラキウスの国境――特にサフィール、グアンの二国と接している地帯は――全くと言っていいほど実りを感じない。

 問題が国境付近での紛争とはいえ、わざわざ壁を作る余力はヤシュニナにはない。


 何より辺境に逃げた神兵長を筆頭とする反乱勢力がサフィール、グアンの二カ国と結びつかれては一大事だ。今のリストグラキウスにリドルがいるとはいえ、常駐している軍隊はヤシュニナ軍二個大隊(約4000人)程度。対して万の勢力を有するサフィールとグアンを相手に戦争など勝負にならない。


 一応、併合と同時に両国と無期限の不可侵条約を結んではいるが、いつまで効力があるかは定かではない。

 サフィールもグアンもリストグラキウスの穀倉地帯は欲しいだろうから。


 ――というわけで色々とゴタゴタは続いている。


 さらに追い打ちをかけるようにヤシュニナの東部国境付近ではきな臭い動きを見せる国家も多い。


 シドの心労は――自業自得とはいえ――積み重なるばかりだった。


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