第23話 エピローグ

 4月30日。ホクリンに設けられた迎賓館、紫翠宮にて戦勝パーティーが行われていた。


 集められたのはヤシュニナの各州知事や、各省庁、国民議会、財閥、大手企業のお歴々、勝利に貢献した軍人やその上司。上流階級と呼ばれるヤシュニナ社会の上層部であぐらをかいているニンゲンが一堂に会し、ワイングラス片手に談笑していた。


 絢爛豪華な紫翠宮のパーティー会場は何人ものニンゲンが入り乱れ、きな臭い話が飛ばないことはない。その重圧に耐えかねてか、シドは一人テラスでワインではなく、ヴォッカというヤシュニナの酒を飲んでいた。


 本来ならば嫌でも各財閥や大手企業のお偉いさんと友誼を結び、勝利に貢献した軍人には賛辞の一言や二言送るべき立場にあるのだが、それらをすべてセナに放り投げ、一人月光に彩られたホクリンの景色を眺めていた。


 「――1人で飲んでいて寂しくないか?」


 そんな彼に話しかけたのは、つい一昨日から帰ってきたリドルだ。手にはシドと同じヴォッカのラベルが貼られた瓶を持ち、椅子に腰掛け、透明な液体をグラスへと注いでいた。


 「お互い、今回は結構危ない橋を渡ったな」

 「リドルと違って、俺はリドルが瞬殺できた相手に手間取った感じだけどな」


 「嫌味のつもりはなかったんだがな。魔術師が近接特化の相手に閉所で戦おう、というのが間違いなんだよ」


 「結果として俺の礼装は壊れちまったよ。新しいのを造るのに何ヶ月かかることやら」


 ひどい代償を払った、と言いたげなシドをリドルは慰める。シドの魔術礼装は素材が高価なのはもちろん、きちんと機能するために緻密な魔術の設定を必要とする。平時から国務長官としての職務があるシドでは、素材を集め、魔術を設定する時間も容易には用意できない。


 いっそ、素材集めを目の前の筋肉バカリドルに頼むか、とも考えたがこれからのリストグラキウスのことを考えるとそれはちょっとリドルにとって負荷が大きすぎる、とシドは首を横に降った。


 「それはそうと、リストグラキウスはどうよ?行政とか立法とか。そっちには法務省とか経産省とかから相当人員を向けたと思うんだけど、進捗してるんだろうな?」


 「まだ統治してから3日だぞ?本当ならすぐにでも戻ってやらにゃならん仕事をほっぽり出して、わざわざ下らない戦勝パーティーに来てやったんだ。――つか軍のトップが総督とか、問題起きねーか?こう武力での制圧的な意味で」


 「別に前例がないわけじゃないからな。それにヤシュニナ最強の男が総督だ、とかした方が反乱を起こされにくいだろ?現にお前はリストグラキウスの最強の神兵長を下したわけだし」


 「おかげで街を歩こうとすると市民の皆々様方の視線が痛うございます」


 我慢しろよ、とシドはリドルをからかいながら、ここ数日の出来事を脳裏で思い返す。


 現在より三日前、4月27日にリストグラキウスはヤシュニナに降伏し、全土を併合された。神兵長のアーレスはもとより3つの熾天使召喚アミュレット、五年の歳月、万を超える兵士の命、そして主神の一柱たるプライトンという切り札を失ったリストグラキウスに抵抗する力はもうなく、ヤシュニナが提示した降伏条件にサインをせざる得なかった。


 しかし首脳部が降伏したに過ぎず、今でもリストグラキウスの辺境では反乱の芽は残っていた。今後はその討伐にも精力的乗り出さなければならない、と思うと頭痛がする、とリドルはグラス片手にため息をついた。


 「航路の確保は元より、暴動や反乱の鎮圧。可能な限り連中の社会構造を残す形でこちらのルールを当てはめないとならないから、脱毛してしまいそうだよ」


 「それを言うならこっちもさ。今回の戦争で死んだ兵士の遺族への年金はバカにならない」


 「プレシアが開放された時、残っていたのはわずか二百人ばかりだった。……残っていた兵士の20パーセントが上級将校、というのが世論の反感を買いそうだな」


 「ノブリス・オブリージュ、なんて法治国家のうちにはないんだけど、世論は弱者が死ぬなら強者も死ね、と求めるからね」


 戦争開始時、プレシアには六千人の兵士がいた。しかし、十日目の熾天使の登場で半分は消え、その後の砦内の戦闘で残った三千人も多くが戦死した。プレシアを開放しようとして突貫した北洋艦隊、補給物資を届けようとした艦隊の死者も合わせると、一万人に及ぶ死者数だ。


 世論の反感を買うのは元より、政府への糾弾の嵐は止めようがない。世論の追求を減らすために全土併合、という馬鹿な要求を出さざるを得なかったこともあり、一層気づかれが増す。


 本来ならしなくてもいいことを世論という民意の暴威は政府にしろ、と迫るのだから、まことに恐ろしいものだ。しかもその世論を新聞社などが扇動するのだから、手のつけようがない。


 これは来年から予算の三割が国債になるな、とどんぶり勘定をするシドは天を仰いだ。リドルも同じ気持ちなのか、やさぐれたおっさん張りに陰鬱な表情を浮かべていた。


 「――とりあえず色々と悩むのは明日にしよう。今日は呑もう」

 「そうだな。せっかくの無礼講。呑まずにお開きはつまらない」


 シドがグラスを出すと、リドルは意気揚々とヴォッカをグラスに注いだ。その光景は上司と部下の関係というよりも幼少期から付き合いがある友人同士、という印象を与える。


 仕事話や世間話、私事の愚痴などがとりとめなく彼らの口からこぼれ、一国の国家元首や軍最高司令ではなく私人としての、元のただのニンゲンとしての彼らの姿だった。


 「じゃぁ、セナが捉えたチュートン騎士団の面々はみんなうちに再就職か」

 「六人全員がセナのスキルで吸血種化してるからな。ハーヴェンとかいうの以外はみんないろんなとこに出向さ。ちょうど2対2対1の割合だな」


 「魔導研究所、経産省の実験炭鉱、製薬会社か。どこに行っても地獄だな。従順で後腐れない吸血種が便利だっていうのは理解できるが……」


 「どうせ連中は殺人罪と国家反逆罪のダブルパンチで処刑されるだろうからな。命の有効活用だよ。連中は生き残れ、こっちは貴重なサンプルが手に入る。Win-Winだろ?」


 シドのセリフにリドルは苦笑する。ジョークのセンスは相変わらずないようで、随分と偏った見方をする、と呆れていた。シドの言っていることを批判する気はないが、今頃死にそうな目に遭っているであろう元チュートン騎士団の面々に合掌せずにはいられなかった。


 合掌した後、ふと疑問に思ったことがあったか、リドルは口を開いた。


 「そういえばハーヴェンとかいうのはどうした?口ぶりからするとハーヴェンも吸血種にしたんだろう?」


 「セナの腰巾着……というか護衛やってる。吸血種になったことで人種だった時よりもステータスは向上してるからな。あいつからすれば使い勝手のいい盾が見つかったってな感じじゃないの?」


 なるほど、とリドルは今迎賓館でシドの代わりに各界のお偉方の相手をしているセナに視線を向けた。テラス側の壁がガラス張りだったこともあって、奔走する彼女の姿、そしてその隣で彼女を補佐する男の姿がよく見えた。


 その後も二人は談笑を続けた。中にはリドルのシドへのお小言なんかも含まれていたか、酒を飲んで気分が良くなっていたこともあってか、シドはあんまり詳しく憶えていなかった。


 やがて、酒瓶も空となりリドルとシドは迎賓館へと戻ろうとした。時間にしてわずか四十分の談笑だったが、十分に楽しい時間だった、と二人は満足していた。久しぶりに友人と気兼ねなく付き合えることは、心の充実感を生んでいた。


 だからだろう、席を立つ時、リドルは一歩踏み込んだ質問をした。


 「シド、お前の願いは叶いそうか?」


 立ち上がろうとしたシドの身体が止まった。彼の瞳の錆が濃くなった、と錯覚する何かを感じ、リドルは一歩後ずさりする。彼が踏み込んではいけない、と気づいた時にはもう手遅れでシドの表情は汚濁そのものと化し、内面が醜く歪み始めていた。


 「――願いが叶わないならオレは自殺しているだろうな」


 「無責任だな。国を作りたいって言ったのはお前だぞ?国民はどうなる?」

 「いくらでも生えてくるだろ、そんなもん。オレの願いとはいくら積んでも等価にはならないね」


 辛辣なシドの言葉は独裁者ですら言わない言葉だ。彼が今言ったセリフは戦時下の民衆が選んだ指導者の口にする言葉だ。無責任で老若男女問わず地獄へ叩き落とす殺戮者はいつも、国民のことなんて考えない。


 彼らは決して自分の手を汚すことはない。質素な生活をするでもない。危険な場所に行くでもない。話術で人々を操り、人生を破滅させ、自らは後世にも英雄として扱われるのだ。これを悪性と言わずしてなんと言おう。真の悪は善として扱われるのだ。


 「願いを放棄する、とは考えないのか?」


 「それはオレらの否定だな。オレらはPrayer願う者だぞ?願う者が願わないとか、自己否定もいいところだな。オレは今の今まで願いを叶えるために生きてきたし、お前もそうだろ?――存在意義がなきゃ人は生きていけないんだよ。支柱がないニンゲンは崩れ去る」


 「そういう意味では神は願いの受け皿として機能していたな。アレは精神の支柱であり、存在意義を与える存在だ」


 「その時代は終わった。オレ達が終わらせた。人は自らの意志で時代を踏破したんだ。神の加護がなき時代、人の時代だ。どれだけ陰惨で、憂鬱で、醜悪で、破戒的であろうと人が神から守った正道だ。


 取り戻した、なんてクソッタレな表現は死んでも使ってたまるものか。人は最初から正道を持っていたんだからな」


 興奮しているのか、酩酊しているのか、シドの語気はどんどん荒くなっていく。自分の世界に囚われた妄想癖のある男は、聞きもしないことをべらべらと垂れ流し、その言葉一つ一つがリドルの胸にグサリと刺さった。レイドボスとはいえ神を殺すのに加担した自分もまた、シドの語る神の時代を終わらせたニンゲンの1人なのだろう。


 それは誇らしいことなのか、悔やむべきことなのか、恥じるべきことなのかわからない。誰も賞賛するものがいないし、同時に非難するものもいないのだから。


 「そして、人の時代はオレの思い描く時代の足がかりだ」

 「できるのか?俺はお前に付き合うつもりだが、他はどうだ?セナは、ノタは、アルヴィースは、ロストは、ヴィクターは、ララバイはどう思うだろうな。あいつらは今のお前を知らない。いつものお前しか知らない」


 「先の領域の青写真を描けなきゃ、死ぬだけだ。あいつらの願いがどんなものなのかは知らないが、青写真を描けりゃ叶うだろうさ。願いが叶えば、生きるだろうよ。オレはPrayerだからな。あいつらの生存を


 人の道に善悪はない。善悪の二元論なんてものは所詮人が世界を認識できるように神が吹き込んだ知恵であって、本来の世界はgoodbadも存在しない。2つの価値観では決められない行為がある以上、善悪は世界を図れない。


 ならば、人の道は常に正しいのだ。どのような行為であっても、人の為すことは”正しい”。常に歩み続ければ、それは人の道となり、他の範となる。


 「ニンゲンが歩むには苦難の道になるぞ?」

 「神の時代に散々おんぶにだっこしたんだ。働けよ、少しは。――でないと、すぐに歴史は後退するぞ?」


 月光と同じくらい、青白く白々しい笑みを浮かべながら、シドはグラスを地面に叩きつけた。石畳の地面に触れ、ガラスの破片が四方八方へ飛び散った。破砕音は殊の外響かず、パリン、という僅かな音がテラスに響いた。


 静寂が流れた。月明かりだけがテラスに立つ二人のプレイヤーを照らし、彼らの道を祝福した。


 「――零落しろ堕ちろよニンゲン神様


 静寂を破って放たれたのは宣戦布告。新たな時代の支配者へ次代の挑戦者が唯一口にできる捨てセリフだった。


 少年は何事もなく、敵対者へと歩を進める。それこそが少年が自ら定めた道であり、正しい行為だった。

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