第13話 待つはつらし、待たされるがつらし

 「――そう、ああ。わかったよ。うん、こっちはこっちでやっとくから頑張って。連中だってそう長くは潜伏はできないだろ。攻めるなら今日か、明日かな。ああ、リドルの艦隊もつい二時間前に進水式を終わらせて、出航したからな。その辺も考慮すら明日中に殴り合いの方はケリがつくだろ?……いや、ちょっとそれは……。わかったよ、なるべく生かしておくさ。ただ、キートンはちょっと無理かも。それはわかってるだろ?……オーケー、じゃぁチュートン騎士団の面々はなるべく生かしておくようにするよ。


 ま、応対すんの俺じゃねーからどうなっかわかんねーけど。クリメントもあんまり無理すんなよ?お前以外に警察長官任せられるニンゲンはヤシュニナにはいないんだからな」


 ガチャン、と通信アイテムを置き、シドは大きく深呼吸をした精神生命体である彼には必要のない行為だが、気分というものがある。なんとなく深呼吸をしたい気分だったから深呼吸をしたまでのことだった。


 いつもの執務室でいつもの椅子に腰掛けながら、シドは手持ち無沙汰を隠し得ず、万年筆をクルクル回しながら、天井のシミの数を数えた。


 いつもならば申請待ちの書類や、政策処理委員会や法案作成委員会などの多部署の政策案などがどっさりと置かれているはずだが、この日に限ってすでに在庫は尽きていた。


 時刻は昼頃、普段なら昼飯を食べる時刻だが、あいにくと弁当を持ってき忘れる、というポカをやらかしてしまい、本当にやることがなかった。


 「シド、お話が終わったのでしたら、こっちで精査に強力してくださいな。私、ご飯食べないで頭フル回転しっぱなしなんですから」


 と思った矢先、白羽の矢が彼の脳天に立った。鋭敏な矢を放ったのは毎度のようにシドの執務室で仕事をしているセナだ。彼女の手元にはここ10日間で集めた各議員の資料、とりわけキートン議員のいきがかかったヤシュニナ内の要職についているニンゲンの資料が置かれていた。


 今、彼女はその中からキートン議員を失った際にヤシュニナが被る損失を計算していた。反政権派の主要メンバーというだけあり、その人脈は広く、また手放すには惜しいパイプやコネクションを多く保有しているから、ただ切り捨て作業をすればいいとうわけでもないので、想像以上に神経をすり減らす作業だ。


 特にキートン議員と漁業関係のつながりは予想以上に太く、キートン議員に漁業州の票の多くが投じられているために、ここが空白になると残り財産目当てに他の議員らとの壮絶な票取り合戦をしなければならなくなる。これまで諦めていた選挙区で、これからは選挙戦をする必要がある、と思うとその支出に悪寒が走る。


 また、この漁業関係というのがネックだ。キートン議員が多く票をあつめた多くの理由は彼が、漁業関係の税率の引き下げを訴え、なおかつ実現してきたからに他ならない。一議員としては十分に過ぎる功績であり、票を集めるのは当然と言えた。


 豪雪国であるヤシュニナにとって漁業というのは規模こそ小さいが、商業価値は高い。単純に鮮魚の希少度もあるが、ヤシュニナ近海の極寒による厳しい気候から生き残る魚は皆身が引き締まっており、重厚な味わいから多くが高級魚として扱われることにある。


 はやい話が、魚一樽売るだけで一般人の半年分の給与に匹敵する儲けになるわけだ。当然政府は高い税率をかけるが、それはないだろ、とキートン議員は待ったをかけ、見事に税率の引き下げに成功したわけだ。


 税率の引き下げにより、漁業関係者は意欲を駆り立てられ、翌年より漁獲量は例年の1.3倍に跳ね上がった。


 そして、今ここでの問題はキートン議員の消失によって、再び税率の引き上げをするという案が出て、漁獲量が落ち込むのではないか、という危惧だ。


 まがりなりにもヤシュニナの財政の1.何パーセントかを占めている漁業の低迷は忌避すべきことだ。


 税率をあげる、というのは国家にとってはメリットになるが、国民や企業にとってのメリットとはならない。ボイコットでもされたら、と思うとゾッとしてしまう。


 そんなこんなで、作業は難航していた。本来なら大規模に行う作業だが、あいにくと戦争状況も相まって、またキートン議員がヤシュニナを裏切っている、という情報は秘匿されているため、フリーで動ける人員は今の国務省にはほとんどいない。


 だから今ペン回ししている暇で暇でしょうがない国家元首様に助力を求めたわけだが、とセナは遠い目でシドを見た。


 「セナちゃん、俺にそんな作業ができると思う?どこまで行っても俺は劉邦だよ?」


 「逃げないでくださいよ、いくら私が不死者アンデッドでも精神的疲労はあるんですよ?今暇な人って貴方くらいしかいないんですから、働いてください。どうせ、やることだってないんでしょ?」


 そうは言うがね、とシドは万年筆を置き、セナの手元の資料の一部を手繰り寄せる。


 「キートンのコネは半端じゃ無いんだよ。そりゃセナ一人に押し付けるのはどうかと思うけど、俺が入ったって焼け石に水だろ?そもそも、こんなんキートンをとっ捕まえた後にやればいいじゃん」


 「事後処理のための下準備ですよ。こういうのをしておかないと、後々裏方が上へ下へてんやわんやになるんです」


 へいへい、と不承不承とばかりにシドは名簿やその他の資料に目を通していく。だが、見れば見るほど目が疲れる字数量に、シドはめまいを感じた。さっさと終わらせよう、とシドは万年筆でチェックを付け始めた。


 「そういえば、今リドルは船上で紅茶でも飲んでるんですかねー」


 しばらくしてセナは視線を書類に落としながら、世間話でもするような口調でシドに話しかける。冷水を浴びせかけられた感覚を覚えたシドは咎めるような鋭い目でセナを見る。なんで、今そんなことを言うのか、疑問に思った。


 「いえ、ちょっと休憩しませんか、情報整理も含めて」

 「それでリドルをダシにするなよ。まぁ、いいけどさ」


 ちょうどいい時刻だしな、と心でつぶやき、シドは執務室の食器棚に置かれたガラス細工のポットに手を伸ばした。

 ほどよい温度で暖められた紅茶を飲みながら、二人は談笑を始める。


 「北洋艦隊は今頃、どのあたりでしょうか?」


 「そうだな……。海流に乗れば明日の早朝にはプレシアに着く距離じゃないか?新設された北洋艦隊は従来の船に比べてはるかに速い。従来のガレオン船じゃ三週間はかかる「ソールの海」の横断を一週間でできるんだからな、理論上は」


 「始めて見た時は脱帽ものでしたよ。あんな鉄塊が海に浮かぶとか、NEW《リアル》で見たことがなかったら信じられませんよ。まぁ、最後に見たのが百五十年くらい前なので、久しぶりに会った親戚を見た気分でしたけど」


 紅茶を上品にすすりながら、セナは北洋艦隊を見た感想を述べる。そうだろ、そうだろ、とそんな彼女の感想にシドは気分良さげに合いの手を入れた。巨費を投じ4年の歳月を経て、ついに完成した理想の艦隊を賞賛され、彼の感情も高ぶっているのだろう。


 その船出を拝むことができなかったのは残念だが、帰港してきたときに見に行けばいい、とセナに言われ自制しているのがやっとだ。今からでも追いかけたいほどに北洋艦隊はシドにとっての夢をてんこ盛りにしていた。


 その北洋艦隊は今、プレシアから距離100の地点にある。プレシアが本土から150キロの距離にあるため、船出からわずか四時間で50キロの距離を進んだ計算になる。


 だが、それはあくまで安全運転で航行しているためであり、本気で航行しようものなら四時間程度でプレシアまでの距離を踏破できるだろう。それほどの可能性が今、海上を我が物顔で航行している鉄鋼戦艦にはあった。


 「いい風ですな、リドル元帥」


 その船頭で一人、水平線を睨みつける長身の男に、身綺麗に軍服を着込んだ眼光のやつれた男が声をかける。見た目に反して言葉には力がこもっており、そして海の潮風を心底気持ちいい、と感じている節があった。


 「クズネツォフ将軍、風は気持ちいいがそれだけで心が晴れるものでもないよ。今なお、苦しんでいる友軍を思えば、なおさらさ」


 「お気持ち痛いほど理解できます」

 「しかし、毎時二十キロも進めないとはどういうことだ。調整が必要だとはいえ、これでは並のガレオン船を使う方がまだマシだ」


 申し訳ありません、とクズネツォフ将軍は深々と謝意を示した。オールドチェレパーカという亀人種の上位種であり、プレイヤーの一人でもあるクズネツォフ将軍だが、その在り方は隠居した老人のそれであり、物腰柔らかな男、という印象を与える。


 「急ピッチで最終調整を行いましたもので、まだ『炉』を最大稼働するには懸念が残る、と技術スタッフが申しておりまして。無論、こちらもすぐにでも最大稼働できるよう鋭意務めております」


 「『精霊炉』か。ヤシュニナの魔導技術の粋とも言える技術だが、やはりそうすべてうまくいくわけもないか」


 「私は技術将校でないためくわしくはわかりませんが、確かに凄まじいもののように見えました。なんと言いますか、神の心臓を見た、とでも言いましょうか」


 神の心臓とは言い得て妙だな、とリドルは鼻で笑う。自分も始めて炉を見た時、彼と同じ感想を抱いた。まして、この鉄塊の名前を考えれば、その例えは間違ってはいないだろう。


 ヤシュニナ北洋艦隊旗艦、ヴェサリウス級一番艦ヴェサリウス。そして他四隻の同型艦が左右の脇を固めている。全身を八色鋼ヒューイッシュの二番目にもろい金属である、橙色鋼オレンジで覆っており、その防御能力はプレシアの小砦の防壁よりも高い。


 橙色というが、外見上は銀色の鉄塊であり、またその見た目は旧ローマ海軍の戦艦を五回りほど大型化したものになっている。ソレイユのファンタジーな世界観には不釣り合いな代物に見えるが、実を言えばそこまで珍しい、というわけでもない。


 船に鉄を使うというのはかつて中国を征した元の大型船ですでに実践されており、さほど近代の技術というわけではない。しかし、そんな現実世界の歴史など知らないソレイユのニンゲンからすれば鉄の船が水に浮かぶ、というのは異様な光景に見えただろう。


 ヴェサリウスは『精霊炉』と呼ばれる魔導技術によって艦内の機能を維持している。簡潔に言えばニンゲンが体内で魔力を精製することの魔術的応用の技術なのだが、如何せん調整には細心の注意を必要とし出航した今でも調整は続けられている。


 機関部の問題だけクリアできれば優秀な軍艦なんだがな、とリドルは愚痴をこぼしたくなる。


 「クズネツォフ将軍、今の目算ではどれくらいの時間でプレシアに到達する?」

 「正確とまでは行きませんが、炉の調整も踏まえて明日の正午には……」

 「遅いな……。明日の払暁までには到着できるようにしろ。いや……深夜でもかまわん」


 無茶な要求をしている、とわからないリドルではない。元々急ピッチで仕上げた代物であり、調整が難航していることはわかっている。しかし、それをわかってクズネツォフ将軍はただ一言、了解しました、と言い、決して無理ですとは言わなかった。


 その対応にリドルはこころにズキリと感じるものがあった。後悔はないが、申し訳なく思わないほど鬼というわけでもない。


 「ああ、それはそうと、リドル元帥」

 「なんだ?紅茶でも淹れてくれるのか?だったら、船内で飲もう。ここはさすがに潮風がきつい」


 「はは、紅茶はあいにくありませんが、いい豆を使ったコーヒーならありますよ?――と、そんなことではなく、船内の観光でもいたしませんか?プレシアまではまだ時間もかかります。この鉄船の特徴知らねば、プレシアに到着せどただ砲を撃つだけの木偶の坊と変わり有りますまい」


 まったくこの男は、とリドルは鼻で笑う。まったくいい部下を持ったものだ、と自らの幸運に喜ぶしかない。こうやって冗談交じりに有益な提案をしてくれる部下がいるだけで、ぐっと背負う問題の量が軽くなるものだ。


 リドルはクズネツォフ将軍の提案に乗り、船内へと足を踏み入れていく。かくして、プレシアへの岐路を進む北洋艦隊はなんの障害もなく、その道を進んでいく。されど、その到着を待てるほど終着点は穏やかではなかった。

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