第12話 私心を捨て、されど願望は捨てず

 その日、すなわち4月23日にシドの元に2つの訃報が知らされた。どちらも彼の心筋を悩ませることに関してはつつがなく、思いっきり自分の始めてを2つとも奪われるかのような苦しみをシドは味わっていた。


 朝、まだ日も昇らぬときに自宅でぐーすか寝ていたと思えばいきなりメッセージウィンドウが開き、重たいまぶたを開けようとした矢先、また別のメッセージウィンドウが開いたのだから、驚かずにはいられなかった。寝起きとしては最悪であり、また肉体を持たない精神生命体といえど疲労はたまるんだなぁ、と久しぶりに思い出すきっかけとなった。


 そのメッセージウィンドウは一つはホッケウラにいるリドルから、もう一つは警察庁長官のクリメントからだった。


 順番にメッセージに目を通していくに連れ、シドはないはずの胃がキリキリといたんでいくのを感じた。まさか寝起きでここまで不調をきたす情報をぶつけられるとは思わなかった、と自分のスキルが暴走して様々な形態へ彼の姿を変えていった。


 やがて――というか十分くらいで――落ち着きを取り戻し、いつもの可憐な容姿に戻ったシドはあらためてメッセージの内容を飲み込んでいった。


 まず、リドルから知らされたのは、アーレスによるプレシアへの攻撃が始まったこと。未明、まだ陽も登らぬ時刻に突然アーレスが突貫を仕掛けてきたそうだ。同時に第一、第二砦にリストグラキウス軍が上陸。報告にあった熾天使のスキルの影響でシンパと化した元ヤシュニナ兵とともに回廊へなだれ込んだ、とのことだった。


 焦りを覚えるのは言わずもがな、そして同時にリドルの出航を早めるべきだな、と思った。プレシアが元はダンジョンでいかなる方法を用いても破戒できないとはいえ、四方の小砦をつなぐドアは後付けで作られたものであり、突破は容易だ。第一、第二砦側はいざしらず、アーレス側は確実に落ちただろう。


 内部にどれだけ兵士が残っているのかはわからないが、大砦、第三、第四砦のニンゲンが全員いると仮定すれば三千人くらいだろうか?アーレスを止めるにはやや心もとない。


 そしてクリメントから知らされたのは、ヴィーゴル議員以下五名の反政権派議員が昨晩の内に自宅で暗殺された、ということだった。同時に送られてきた被害者リストには先日セナの報告にあがった議員らの名前がずらりと並ぶ。そしてただ一人なかった、キートンの名。バカでもわかる程度にはキートンが首謀者だということが見て取れた。


 だが、その理由はやはりわからなかった。


 そもそも、議員になっている時点で元々この国に在住していたことは明らかであり、一体なんの理由があって自分の故郷を害さんと思うのか、シドには理解できなかった。


 敵対しているにしろ何にしろ、その根底には国家をよりより方向へ導こう、という精神があるからこそ、これまでシドやヴィーゴル議員は互いの頬をつねりながらも、同じチームで球投げ遊び戦争ができた。


 だというのに、なぜ。


 絶叫したい気分を押さえつけ、シドはキートンの真意を探ろうとする。ヤシュニナ国民議会の重鎮であるキュースリー議員が選んだほどの逸材であれば、他国に協力することが国家滅亡につながるかもしれない、というのはわかっているはずだ。まさか、悪辣非道な売国奴、というわけでもないだろう。


 「クソ、わからん。やっぱりわかんねーわ。なーんで、裏切るんだよ、キートン君!」


 シドはまくらを蹴り飛ばし、ベッドの上で地団駄を踏む。挙句、ボスボスと彼の拳は壁にめり込むほど何度も何度も突き出された。素に戻っていることと容姿も相まって、駄々をこねている子供にしか見えない構図だった。


 彼がああまで荒ぶるのはやはりキュースリー議員への信頼が大きい。敵対している議員を信頼というのもどうかと思うが、付き合いの短い味方よりも付き合いの長い敵の方が色々と気心知れた仲、というのは珍しくもないことだ。少なくとも、シドはキュースリー議員の考えをある程度察せられるくらいには彼をよく知っていたし、キュースリー議員にしたってシドのにおわす雰囲気から何かを感じる程度の嗅覚はあった。


 キュースリー議員のすぐれたところは政治手腕ではなく、人事もしくは人を見る目にあった。一見無能と思われる人物の意外な側面を見抜いたり、伸ばしたりする教師のような男だ、とシドは常々思っていた。


 その最たる例がヴィーゴル議員であり、またシドの政敵でもあった。だからか、キートン議員のことも国家安寧につくすニンゲンだとばかり思っていた。ヴィーゴル議員が私兵を雇って自分を殺そうとしているのでは、という憶測を聞いたとき以上の驚きが彼の心の中でツァーリ・ボンバとなって炸裂していた。


 とりあえずだ、とシドは考え事をやめ、リドルとクリメントの双方にそれぞれ指示を出す。アーレスには日の出とともに出せる船すべてを率いての出航、クリメントには最重要参考人として、キートン議員とチュートン騎士団の面々の指名手配だ。今の情勢を踏まえればこれが最良だろう。


 忙しくなるな、とメッセージを飛ばした後シドはのそのそと芋虫のように絨毯をはいながら、窓の外へ視線を向けた。


 外はまだ陽は昇らず、月光がかわりにホクリンを照らしていた。その光は冷たいが、同時に普段何もしない、なんら恵みをもたらさない太陽に比べて慈愛に満ちているように思えた。


 月光は夜の旅路を照らす、旅路の天使だ。月光がなければ人は闇夜を渡ることはできず、また救いを求める相手すら失う。だからか、為政者としてシドは月光を神聖視していた。


 国家というものは伸ばせる手の範囲までしか安全を確かめる術を持たない脆弱な存在だ。いきなり暗闇から狂犬が飛び出してくるかも、と常にビクビクして過ごさなければならない。だからこそ、月光は国家にとって必要だ。


 月光は敵と味方を明確化し、手をどこに向かって振り回せばいいか、明確に教えてくれる。まさに国家の守護神でありアイオロス、ヘイムダルの角笛にして群衆の主と言っていい存在だ。


 しかし、常に自分達の道標となるとは限らない。今もそうだ。ただこちらを見下ろすばかりで何もしてくれない。せめて誰が敵かくらい教えてくれてもいいじゃないか、と言いたくなる。


 いや、期待のしすぎは破滅への片道切符か、とシドは思い改める。今の、目の前の平和を守れるように努力するべきだろう。なんとしてもリストグラキウスのアホどもを撃滅し、こっちが受けた傷を倍々にして返してやる、と彼の心の中で醜悪で下卑た感情が湧き上がった。


 「とはいえ、まずは目下の課題だよな。チュートン騎士団、ついでにキートン」


 今更寝れるほど脳みそもぼやけていないし、対策を考えようとシドは寝室を出て、応接室へと意気揚々とかけていった。


 応接室はまだ夜ということもあり、暖炉の火はおろか燭台一つ置いてすらいない。普段なら彼が起きる頃にはハウスキーパー兼召使いの誰かが用意しておいてくれる分、薄暗い応接室というのは新鮮だった。


 どかりと置かれた大きめのソファーに身を沈めながら、シドは魔術で暖炉に火をつける。あとは薪をくべるだけで一気にその場は明るくなった。パチパチと小刻みに音を発しながら燃える暖炉を前にして、シドはこれまでの情報をまとめた分厚い報告書片手に思案を始める。


 まず第一に気がかりなのはプレシアに突如として現れた二体の熾天使だ。あの二体がどういった経緯で顕現したのか、それを知る必要がある。幸いというべきか、通信が回復したのとほぼ同時に送られてきた映像のおかげでどんな熾天使が召喚されたのかは知ることができた。


 クロリーネとポタシウム。その二体の天使の召喚法となると限られてくる。散々思案した結果、いきついたのはやはり生贄サクリファイスだった。一番可能性が高く、また準レイドボスに匹敵する熾天使を召喚するには妥当な案だ。


 だが、ただのサクリファイスでは説明がつかない。映像を見る限り身投げした二人のリストグラキウス指揮官が召喚に関与しているのは明々白々だが、レベルとかで考えても召喚に見合う力量があるとは思えない。なにか、技量、実力に見合う何かがあるのか、とシドは頭の中の引き出しを総動員して関係がありそうな情報を探った。


 あ、まさか。

 そしてとある仮説が浮かぶ。


 もう一度シドは映像を巻き戻し、再生する。淡々と再生される映像のなか、胸に抱いている灰色のアミュレットが気になった。彼らが死ぬ時に抱いているアミュレット、これは四聖教の信徒ならば誰もが持っている代物だ。何度か現物を見る機会があり、よく憶えている。


 形としては四柱の神々をなぞらえた無骨なデザインの四角形だ。さほど大きいわけでもなく、また特徴らしい特徴もない。強いて言うなら、裏側に十大天使のいずれかが彫ってあることくらいだろうか。


 しかし、今目の前にあるアミュレットのデザインはすこし違った。映像自体の解像度も相まって、ズームすればそのデザインははっきりと見て取ることができた。


 かすかに見えたアミュレットには赤い宝石が付いていて、それはリストグラキウスという宗教国家においてありえないことだった。


 農業国であるリストグラキウスは良くも悪くも質素であり、半ば原子共産主義的な思想形態を持っている。どこぞの独裁者のように農業だけをしてろ、というわけではないが、贅沢や調度品というのは認められるわけもない。


 だから、宝石類などが使われているリストグラキウスの品は基本的に高価なマジックアイテム、として他国には見られている。二人の指揮官が付けているアミュレットもそういったたぐいのものだろう。


 そして、さらに重要なのはあのアミュレットが使、という仮説があるからだ。

 ――そうなると、この前リドルに投げた報告書の信憑性も上がるな、とシドはうすく目を閉じ、暗闇をあおぐ。


 この際、熾天使まで現れたのだ。大元が出てこない、などありえない。それこそ、なんの理由もなく蛇口から血が出てくることなんてないのだから。


 今回のリストグラキウスの侵攻はきっとそれなりの年月を掛けていたのだろう、とシドは思った。五年前に達成していたであろうプレシアの陥落を実現させるために五年前から始まった計画、だと。


 その間、毎度戦争を仕掛けてきた国家が音沙汰ないのを不安に思わせぬように敢えてちょっかいをかけ続けた。正気であれば決してしない国民を無駄に海の魔物の餌にしながら、虎視眈々と熾天使の召喚やヤシュニナへの進行計画を立ててきたわけだ。


 おかげで、リストグラキウスが普段は戦争しない時期に信仰してきた理由や、宣戦布告もなしに開戦したのかも、説明ができた。彼らにとっては主上の言葉こそが『正義』であり、いかなる約定もそれに勝ることはないのだから。


 長年戦争をしているが、宗教国家とは厄介なものだな、と改めてシドは感じていた。いくらこっちが道理に基づいた会話、理性に基づく会話をしようと、主上の教えに反するの一言でつっぱねられてしまう。結局いつも会話はできず、原始的な肉体言語でのコミュニケーションしかできなかった。


 その結果、連中は神の正当性を盾にしてクソッタレな侵略を開始した。


 ……今頃プレシアの兵士は死にものぐるいで二正面作戦を強いられているんだろうな、と一人嘆息する。


 アーレスはきっと単機でもプレシアを落とす。逃げようにも二体の熾天使が逃亡者を殺すだろう。難攻不落の要塞が一転してマグマで徐々に地面が削られる牢獄とは笑えない話だ。


 それにこちらもさっさとカタをつける必要があるしな。決意を改めて固めて、シドは不敵に笑う。不謹慎極まりなく、また為政者としては落第点だろうが、今の状況にシドは少しだけワクワクしていた。俯瞰して現状を見れば、国の最前線基地は窮地にあり、首都内には敵の味方が入り込んでいる、というディスアドバンテージな状況で、そこに悦を見出すなどマゾヒスト以外の何者でもない。


 別に自分はマゾヒストではないんだがなぁ、と思いつつも久しぶりの騒乱はシドという一世紀半を生きた男には甘露な蜜に他ならない。


 いわば祭りだ。

 例え脱毛しようと、楽しまなければ損だし、これを楽しめずして軍事国家の為政者などやってられない。


 相手がどんな計画を立てているか、今実行しているか、その断片は掴んだ。あとは協議し、より鮮明化するだけ、というわかりやすい構図がシドの気持ちを高揚させていく。


 普段から暗く、底のない、反射しない眼球がこの時ばかりは輝いていた。リドルやセナ、その他彼を知る多くですら見たことはない、本当に興奮を、愉悦を、甘美を感じている時だけに見せる、無邪気で子供っぽい表情は、ただ一人のときに表に現れる。


 内側からあふれる底が見えない狂気は、彼の心からの願望を具現化したものだった。国家なんざどうでもいい。国家とは守るべき対象ではない。真に叶えたい願望と国民は決して釣り合わないのだから、当然だった。


 「リドル、セナ、アルヴィース、ノタ、ロスト、紫雲、ララバイ、ゲーデ、綺刃……」


 不意に口にしたのは百年以上前から付き合いがある仲間の名前、そんな彼らですら今はどうでもいい、死んでしまってもいい、と思ってしまえた。きっと何年の歳月を彼と一緒に送ろうと、死んでほしくないと思うことはないのだろう。


 シド、という男は為政者として格を備えつつも、どこかでネジが飛んでいた。ひょっとしたらはじめからネジがなかったのかもしれない。他者と自分を明確に分けており、他者と付き合うときはいつも仮面を、形を変えた「彼」を演じている。無邪気な彼が素なのは間違いないが、それは一側面に過ぎず、本性とは縁遠いものだった。


 誰もいない、ただ暖炉の薪の音だけが響く応接室でシドは願う。もっと、もっと状況をかき乱してくれ、と。もっと、もっと、


 「苦しんでくれよ、オレ」


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