第14話 泥濘の戦い

 「撃てぇ!」


 指揮官の掛け声と共に通路を一ミリの隙なく横一列に並んだヤシュニナ兵が構えたボウガンから、ミスリルの鏃が放たれる。放たれた矢は無慈悲に遅い来る同じ軍服の兵士へ突き刺さり、走らせた激痛が彼らの足を止めた。


 「突貫せよぉ!」

 「ゥラァァァァー!」


 止まった敵兵めがけてすかさず指揮官を先頭に、ヤシュニナ兵は抜刀して切りかかりに行く。きらめく銀の軌跡、そして飛び散る汚血がプレシアの通路を汚していく。いくつもの悲鳴と叫声、そして奇声と喜声が発せられ、肉片の飛び散る音とセットになってこだまする。


 サーベルを振り下ろす片方は鬼気迫る表情で、もう片方は嬉々を通り過ぎ絶頂覚えた表情で応戦する。同じ軍服、同じ国籍、しかし彼らがわかり合うことはもう二度とない。鋼と鋼が重なり合い、耳障りの悪い音を立てて争い合う。


 つい先日までは肩を並べて殺し合いをしていた連中が、次の日には肩をぶつけあって殺し合いをしているだなんて皮肉な話だ。


 彼らはどちらも決死隊。どちらも死を覚悟し、己の命を賭してでもやらねばならない、という気概のもと相手と真面目に殺し合いをしている。だが、そこには明確にやる気の意味合いで違いがあった。


 一方は信仰の虜囚となったかつての戦友をせめて楽に死なせてやろう、という明確な意志のもと、サーベルを振り下ろすが、他方は死ぬことに対しての忌避感がなく、別に死んだってどうってことない、と如実に顔に表れていた。


 戦争を真面目にはやっているだろう。しかし、どこか甘えのあるその顔を見るだけで、むかっ腹を立てないプレシア防衛兵などいようはずがない。自分は死ねば必ず天に召される、と信じて止まない兵士にの顔面に容赦なくサーベルが突き立てられ、切り裂き、なぶり殺していく。


 いつしかせめて味方の介錯は味方がしてやろう、という気概も戦う将兵の中からは薄れ、眼前の薄ら笑いを浮かべるピエロ共を殺してしまわなければならない、と戦う兵士達は考えるようになった。苦悶の表情でサーベルを振る彼らはやがて、笑みを浮かべるようになり、気分は害虫駆除のそれとほぼおなじだ。


 だが、その凄惨な戦場ですら、その後方で行われている戦闘に比べれば、児戯に等しかった。


 プレシア後方、第三砦の上空で黄金の軌跡と蒼銀の軌跡がぶつかり合う。速度は音速を超え、常人に見えるのは光の筋ばかり。時折生じる鋼同士を打ち付け合う音は軌跡よりも数歩遅れて耳に届き、彼らの立つ戦場を人外のものである、とまざまざと実感させる。


 片方は白骨の鳥頭であり、身につけているのは黒色の鎧と青白い炎をまとった妖刀だ。骨組みだけの二対の翼を羽ばたかせ、空を蹴りながら、目にも留まらぬ速さで妖刀を振り下ろす。


 もう片方は眉目秀麗、質実剛健、といった印象を抱かせるうら若き青年だ。身につける鎧はプラチナブルー、手に持つのは大小7つの宝石を埋め込んだ黄金の宝剣と勇者を思わせる風格の外見をしている。まるで児戯だな、とあざ笑いながら鳥頭の妖刀を受け流し、あまつさえ大技の隙をついて鋼の拳を腹部めがけて叩き込ませる。


 ヤシュニナの将軍であり、プレシア最高峰の武力を持つジャージャーですら、アーレスという煬人最高峰の実力の持ち主を前にしてはあまりに無力に過ぎる、と見るものは思うだろう。


 繰り出される無数の斬撃を嘲笑と共に受け流し、ジャージャーでは受けきれない重撃を叩き返す。ジャージャーの不死者アンデッドの外見も相まって、見かけ上なら正義のヒーローと悪党の天上決戦に見える。実際にそうだ。必ず勝てる試合をしているアーレスは、正義だ。


 「クソ、通じぬか……」

 「諦めろよ、悪魔め。貴様の首は私の手のひらの上だ。いかに貴様があがこうと超えられぬ壁があると知れ!」


 天上から何言ってやがる、とジャージャーは悪態をたれる。磨き上げた自身の技が通じないことに対してもだが、必ず勝てる戦いを上から目線で語るアーレスに腹が立っていた。


 ヒーローと相対する悪役というのはこういう感情を抱いているのかもしれない。なんで自分はヒーローに勝てないんだ、と唇を噛みちぎるほどの憤怒が胸底から湧き上がってきている。


 ジャージャーは握る妖刀に力が入っていくのを感じる。湧き上がってくる憤怒の舌触りは重油でも飲んでいるようで、舌が焼け焦げそうだ。五年前もアーレスとは戦ったが、今ほどの感情の高ぶりは感じなかった。


 一体この五年でどれほどアーレスの力が上がったのか、と柄にもなく想像を走らせる。五年前もジャージャーはアーレスと戦い、ヴェーザーともう一人のレベル100以上のプレイヤー共に共闘してどうにか彼を追い返すことに成功した。その時のアーレスの絶技は筆舌に尽くしがたいものだったが、今はまるでものが違う。


 正午あたりからこうして刃を交わらせているが、技の精度や気配のすべてが別物だ。ひょっとしたら、今のアーレスならばリドルと同等の剣技を持つかもしれない、と嫌な想像が脳裏をよぎる。


 いやまさか、とすぐにその想像を払拭しようとするが、一度固定してしまったイメージは容易に拭い去ることはできない。


 振るう刀の速度は焦りから、鈍重なものへと変わっていく。自分の翼で空を飛べるのに、スキル『天軀』で空を韋駄天がごとく翔けることができるのに、アーレスの動きについていくことができない。


 幻想級の妖刀もあっさりと空を切り、その真価を発揮することはない。勝利の女神はアーレスに微笑むどころか、身体をくねらせベッドインを待っているんじゃないか、と思うほど一方的な戦いだ。


 やがて、アーレスが上段から繰り出した重撃をまともに受け止め、ジャージャーの身体が第三砦屋上へと落下する。土煙が生じ、ジャージャーの身体は大いに苦しめられる。


 自分の中の生命力HPが赤く点滅しかけているのをジャージャーは感じた。普段死を感じない分、今間近に立つ死に一抹の恐怖を覚えた。


 不死者としてこのソレイユの世界に生まれたが、中身はニンゲンであり、死によるこの世界からの強制退場は否応無しに彼に生への衝動を駆り立てた。ゲーム、ゲームと侮ることなかれ。ソレイユ・プロジェクトはフロンティアであり、この地に降り立ったプレイヤーはパイオニアだ。生半可な気持ちでソレイユ内に入ったニンゲンは一人もおらず、皆総じてなんらかの願いを求めてソレイユ内で研鑽を重ねていた。


 かくいうジャージャーもそうだ。彼も願いがあり、ソレイユの地に足を踏み入れた。成り行きで軍人などやって、レベルもガンガン上がっていまやレベル119だが、本当の願いは全然武力と関係がない。


 彼の願いは、世界一怖い幽霊屋敷のオーナーになること、なのだから。


 「ま、今じゃその夢も叶うかどうかなんざわからんがな」


 骸骨の鳥頭から息がこぼれ、彼は刀を構え直す。願いの殉教者だな、とまだ戦う意志を示しながらジャージャーは笑う。今、この場でアーレスを三時間も足止めできたことは大きい。これだけでも十分に誇っていい戦果だろう。だが、せめてあともう一太刀浴びせなければ、さっき沸いた憤怒は沸かし損もいいところだ。


 意地で戦うとかバカだろ、と彼の剣の師匠とも言えるリドルなら言うだろう。曰く、兵士が戦場で死ぬのは当然だが、くだらない理由で死ぬのはNGだそうだ。まったく、あのクソチートな師匠は辛辣なセリフを吐く。彼にとって意地だとかプライドだとかメンツだとかはどうでもいいことなのだろう。直接勝利に起因するわけじゃないしな、とか言いそうだ。


 だが、なんだろう。


 今、ここで刀を抜こうと一歩踏み込むというのは気分がいい。胸が怒りとは別に熱くなる。この高揚感はなんだろう。絶対者への反逆か、あるいは脳内でアドレナリンでも多量に分泌されているのか。


 天上に立つアーレスを見据え、ジャージャーはスキルを一つ一つ発動させていく。


 これまで発動していたスキルに加え『限界突破』、『韋駄天』、『現反転』、『千里眼』、『赤兎』、『神聖剣』、『壊殻』、その他4つの計11のスキルを発動させたジャージャーは自分の身体にかつてないほどの力の本流が流れ込んでいくのを感じた。


 自分のステータスの限界値を超え、ジャージャーは懇親の力で天を翔ける。スキル、『天軀』を駆使し、一瞬でアーレスの前に姿を現したジャージャーの太刀がアーレスへと襲いかかる。


 ジャージャーの職業はアサシンの上位職である、サムライだ。サムライ系列の職業は刀を装備している時、ステータス値に補正がかかる。加えてスキルによる補正も相まって、今ジャージャーが振った太刀はアーレスの眼にすら見えなかった。


 一瞬、空間がねじれた。アーレスとジャージャーの間数ミリを中心にして、空間がねじれた。


 時間が止まった、と錯覚し、次の瞬間紅い液体がジャージャーの視界を覆う。ついで飛んできたのは二本の白く柔らかくも隆々しい物体。思わず口に入ってしまうかも、思うくらい近くを横切ると、眼下の海上へ可愛らしい音を立てて落ちていった。


 やった、と歓喜の情がジャージャーの身体を満たしていく。不死者として表情など表せないはずなのに、自然と頬がゆるんだ。アーレスにダメージを与えたこともそうだが、二本も指を切り落としたというのが何よりの戦果だ。


 歴戦の猛者に傷をつけた、龍の腕を切った、というだけで賞賛される世界だ。まして五年前にプレシアを陥落寸前にまで追い込み、将軍二人を惨殺した悪逆なる狂信者に癒えぬ傷を与えた、となれば死しても英雄扱いされるだろう。


 だからか、ジャージャーは気づくことができなかった。


 いつのまにか、アーレスが握っているものは身の丈ほどもある巨大な黄金の大剣へと変わっていることに、そしてその表情は梅干しを連想させるほどに歪み、りんごも顔負けなほど赤くなっているのことに。


 護拳まで分厚い刀身で飲み込んだアーレスが握る大剣はさきほどまで彼が使っていた黄金の宝剣の真なる姿だ。最上位アイテムである神話級ミソロジーの性能を持つリストグラキウス最奥の宝であり、アーレスのみが帯剣を許されている神が創りし聖なる剣だ。


 その一撃はただ力任せに振っただけで、ジャージャーの身体を数キロ先まで吹き飛ばした。轟っと突風が遅れて吹き荒れ、水面は四方八方へ荒波を形勢する。いわんや小砦の屋上はただの剣圧で吹き飛んでしまった。


 ギリギリその一撃を耐えきったジャージャーは、真の力を開放したアーレスの神話級武器に身の毛がよだつ思いになった。五年前、アーレスはあんな大剣を使うことはなかった。だから、ヴェーザーと自分、そしてもう一人で連携することでどうにか押し出すことができた。


 負けたな、と彼の脳裏で悪魔がささやく。五年前に勝てたのは自分含め三人のレベル100以上のプレイヤーが協力し、なおかつリドルがアーレスの率いていた精鋭部隊を相手取ってくれていたからだ。


 今、リドルはいない。五年前ですでに辛勝だったのに、あの時以上の力を携え、加えて協力な神話級武器を装備したアーレスに勝てるわけがない。リドルでもいなければ無理だ。


 「神を信じぬ愚か者よ。その使徒たる私の指を、二本も……。貴様の髪の毛一本から爪の垢、数多臓器すべてを差し出したとて爪の間の汚れ一粉にも劣るわ。


 ……だが、私は慈悲深いのでな。貴様のわずかな抵抗に、敬意を評してやろう。来い、


 絶望を隠し得ず、天ばかりを見るジャージャーに対し、アーレスは言葉とは裏腹に無感情に振る舞う。彼の呼びかけに答え、彼の背後に二体の神々しくもおぞましい天使が姿をあらわす。


 空間転移か、あるいは高速移動か。どちらにせよ、死にゆく俺にはどうやってすぐに現れたのかはどうでもいいな、とジャージャーは握っていた妖刀から手を離した。


 「殺せ」


 ポタシウムとクロリーネ、二体の熾天使の正面に複雑な魔法陣が出現する。そしてまばゆい光と共に二体の放った光の一撃は……

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