第3話 踊れ、そして当惑しろ

 シドが半ば流れ作業で判子を押しながら、書類と格闘している最中、セナは国務省を介し、記者会見の場のセッティングを初めていた。場所は国務省一階に設けられた広めの部屋、壇上にポツンと原稿を置くための教卓サイズの台が置かれているだけの部屋だ。


 そこにやれ椅子だ、暖房器具だを国務省の国務長官付きの職員を動員して、テキパキと並べさせる。窓一つないこの部屋は光源も足りないので、新たに電灯やらを入れたりもした。


 ヤシュニナでは毎日、午前九時と午後三時、そして午後九時の三度に渡って、補佐官であるセナがこの場でいわゆる定期報告を兼ねた記者会見を行う。過去の国の職で言えば、報道官や官房長官がやる役回りと言ってもいい。


 日に六時間ごとの記者達との応対は骨の折れる仕事だ。中には下世話な話題を口にするやつもいるし、意地の悪い――それこそ、不可能ごとを口にする――記者だっている。


 一応中に何人かのサクラを潜り込ませ、こちらのペースを作ろうと心がけてはいるが、それでも意地の悪い記者もいるもので、散々苦労させられるのが日常茶飯事だ。


 しかも、今回はさらに毛色が違う。いつものように、ただ定期報告をセナがして、記者の質問に応対するのとは今回の記者会見は重要度がまるで違う。セナはわずかに痛む胃を抑えつつ、自らも椅子を縦横のズレなく並べていった。


 今日、この場で話すのが自分ではない、と知りつつも心の縛りが解けることはない。今、東の最果ての海で戦っている将軍や兵士、また要塞内の居住区に住んでいるニンゲンのことを思えば、一層その束縛は強まっていく。


 吸血種はその高い再生能力ゆえに、まずダメージを負うということはない。プレイヤーともあればさらにダメージを負うということは少ない。中でも最強種と名高い真祖にまで進化して以来、セナは戦いの中でダメージを負ったことなど数えるほどしかなかった。


 必然的に吸血種は他者への同情や愛情、あるいは憐憫といったものが消えていき、日々享楽を求めるだけの貴族然とした生き方を模索しがちになる。それはプレイヤーであっても例外ではなく、むしろより怠惰かつ愉悦に満ちた生活を送り勝ちだ。


 その中にあって、まだ各種多様な感情が残るセナにとって、戦争というのは自分の胸を締め付けてくるような苦い感覚しかわかない。


 「ま、あくまで自分の国のニンゲンにだけ、ですけどね」


 しかし、それでも彼女も国家の中枢にいるニンゲンなだけあって、立派に政治家をしていた。例えば友好国、あるいは友好国とまではいかなくとも、ある程度の付き合いがある国で多数の死者なりがでれば、ニンゲンらしさのかけらくらいは見せるだろうが、敵国への憐憫なんてものは一切合切持ち合わせてはいなかった。


 むしろ、馬鹿め、と心の中でけなすほどだ。

 セナにとって守るべきものとはすなわち国家であり、国家とはヤシュニナ一つだ。そのヤシュニナが宣戦布告もなしに攻撃される、とあらば大いに義憤の念を覚える。


 そんなこんなで、彼女は今日もサクラを数名、政府の息が掛かった新聞社から派遣してもらうのだった。



 一時間後、各報道機関への通達を終え、予定の時刻になるとわらわらとホクリン中の報道関係者が会見場に入ってきた。緊急記者会見ということもあり、各関係者の顔持ちはいつもよりも固い。事前に記者会見をする、ということは知らせてあるが、その中身まで知るニンゲンはせいぜい三割程度だろう。


 知っている面々ですら、表情は決して良好とは言えない中、知らないニンゲンは何が政府から伝えられるのか、と身構えていて余裕などはかけらもない。


 報道関係の仕事に携わって数十年、百数年という古強者もいれば、初顔もチラチラいるな、と袖口から会場内を覗くセナは集まった記者達の顔を観察しながら思った。


 ホクリンに本社、支社を置く新聞社や雑誌社のニンゲンが集まってくるのは当然のこととして、中には地方新聞社の顔ぶれもいくつかある。おそらくはたまたま首都に来ていたニンゲンが緊急記者会見の噂を聞きつけて、面白半分に参加しているのだろう。首都の面々と違って、目の色が笑っていた。


 「さて、もういいよな?」

 「っつ……。もう来たんですか……」


 そんな記者達を観察する最中、後ろからの声に一瞬セナは警戒の色を見せるが、すぐにやつれた自分の上司の姿を見て、安堵の吐息を漏らした。姿形を偽ることができるんだから、やつれる必要ないだろ、と思わなくもなかった、気分で仕事をほっぽり出す劉邦気質のバカ上司だ。今も、自分のことを責めるためにやつれた姿をしているのだろう、とセナは内心呆れていた。


 「原稿は読んだんですか?」

 「一応な。なんか予想外の質問が来たら困るけどね」

 「対応しろ、と命令します。――ああ、あとそのやつれた姿直しといてくださいね?」


 へいへい、とおよそその容姿には似合わない応答をしつつ、シドは袖口からゆっくりと姿を現した。その後姿はとても頼りない。でも、自分が尻を蹴らなきゃだめなニンゲンだなぁ、と思わせる。


 まぁ、言ってしまえばダメ人間なんだが、どこか人に助けたい、と思わせる雰囲気をまとっている。特にこういう公の場で、彼のまとう雰囲気は一気に開放される。


 軽く一礼し、壇上についたシドの姿を見て、何人かからか戸惑いの声が漏れた。あさか、シドがこの記者会見の壇上に上がるとは思っても見なかったことだ。これまで数度、壇上に登ったシドの姿を見ているニンゲンもやはり少し動揺していた。


 壇上に登ったシドは背筋を正し、その錆銀色の双眸で会見場に集まった記者を一望した。好奇心の目、そしてこれから自分が何を話すのか、とドキドキしている、あるいは身構えている多様な種族の姿は、見るだけで自分の語ろうとする報告の重要性をプレッシャーとして彼に伝わらせた。


 「――本日、太陽暦451年4月12日未明、我が国の海上要塞であるプレシアが神聖国リストグラキウスと思われる艦隊により、襲撃を受けました。神聖国リストグラキウスからの宣戦布告並びに戦争理由の説明は一切なく、現在もプレシアにおいてプレシア防衛軍が防衛戦を継続しているとのことです。


 我が国は今回のリストグラキウスの行動に強い遺憾の意を表します、とともに現リストグラキウス元首であるカザフ・ラフマン教皇に原因究明並びにリストグラキウス軍の撤兵を求める所存であります」


 やや堅苦しい口調のシドの口にした内容はまたたく間に会場にいる記者達にさらなる動揺を走らせた。あるものは何度も反目を繰り返し、事態が飲み込めていない。あるものは隣の記者と話し合い始める。また、あるものは冷静に事態を受け入れ、シドがどのように対策するのかを伺っていた。


 三者三様、十人十色だが、皆一様にシドが質問を許すと、一斉に挙手をした。これまでペンを取っていた手を一気に挙げ、我こそを指名せよ、とばかりにシドをすさまじい形相で睨んでいた。


 記者達としても、今シドが話したリストグラキウスの侵攻など事前に情報をもらっていたサクラややり手の記者以外は考えだにしないことだ。少しでも多くの情報を目の前の国家元首カモから引き出し、他社よりも情報的優位を取らなければならない。


 ジャーナリストとしても、なにより国民として、少しでも情報を多く仕入れたい、と思うのは当たり前のことで、彼らの中にはいくつかの疑念があった。その疑念はすべて、国家の法に関係するものばかりだ。例えば、


 「シド国務長官、もしリストグラキウスとの戦争が長引いた場合、我が国でも徴兵制を採用するのでしょうか?」


 質問したのは最前列に座っていたヤシュニナでは大手であるXday新聞の記者だ。雪国であるヤシュニナでは苦労しそうな樹妖精トレントで、植林用の木に人面をくっつけたような見た目をしている。


 そして、彼の投げかけた質問はシドの現政権はおろか、ヤシュニナの国内そのものがゆるぎかけない威力を内包したものだった。


 現状、ヤシュニナの軍隊というものは志願制を採用している。雪国という厳しい環境ゆえにヤシュニナの人口はそれほど多くはない。そんな状況で志願制を採用しているから、必然的にヤシュニナ軍の兵数は他国と比べて半分か、もしくは以下だろう。


 反面、ひとりひとりの戦闘力は高く、また平均的なレベルも他国とくらべかなり高い。ヤシュニナ周辺の国家と一対一で戦争をすれば、十中八九ヤシュニナが勝利するだろう。

 軍事大国と呼ばれるだけあり、内包している武力はソレイユ内でも五本の指に入ることは間違いないだろう。


 また、プレイヤー、煬人のどちらにも適応されるレベルシステムは純粋な実力を示す指数としては優秀だ。

 このレベルは上限が150まであり、ヤシュニナ兵士の平均レベルは35だ。ちなみにヤシュニナ周辺の国家は20かそこらだろう。


 煬人ならばこのレベル45というのはそこそこの高さだし、プレイヤー間でも戦闘職でないのなら、レベルとしてはまぁまぁな部類に入る。ただ、やはり第一線にいるプレイヤーと比べると見劣りはしてしまうが。


 例えば、シド、セナ、リドルなどの古参プレイヤーは上限のレベルは150だ。それでもその中にははっきりとした優劣があり、シドが例え五十人いてもリドル相手には十分保てばいいほうだろう。


 無論、リドルのプレイヤースキルに依るものだ。つまり、レベルが強さの前提となる基準ではないということだ。事実、レバルが低くてもプレイヤースキル次第で勝利することは十分に可能だし、レベルの優劣が戦力の決定的差というわけではない。


 それに、ソレイユ・プロジェクトではレベル100からレベルをあげようとすると、特殊な条件が課せられる。極めて難易度の高い条件を一つずつクリアしていくことで、レベル150という極みに到達できるのだ。必然的にレベル150は猛者揃いになるし、特殊条件をクリアできなければいつまで経ってもレベルは100のままだ。


 そして、ここで問題になるのがヤシュニナ兵の平均レベルである45だ。この数値は練兵に掛けた時間と国内で散発するモンスター討伐や大規模ダンジョンの攻略などで得た実戦経験が土台となって成り立っている数値だ。


 しかし、もしもだ。

 リストグラキウスとの戦争が長期化した場合、この数値は言うまでもなく変動するだろう。


 戦争が長期化すれば兵士の数が少なくなるのは自明だ。無論、大抵の戦争では必ず余裕をもたせ従軍率をどうにか操作するのだが、それすらも厳しくなった場合、国の取る手法は「国」が創られた頃から変わらず、国民を兵士として徴用することにほかならない。


 兵士というのは一朝一夕でなれる代物ではない。精神を削るような練兵、そして実践を経て生き残ったニンゲンを兵士と呼ぶのだ。しかも、例え二等兵であろうと、ある程度は戦術知識を叩き込まれる。


 言うなれば、軍隊というのは軍隊生物のようなものだ。イワシのように完成された統率を持ち合わせ、正確無比なまでに同種の行動を取る組織だ。


 しかし、穴埋めのための徴兵制はどうだろう?


 常に兵士を求めている現場に、後方はすぐに援軍を送りたいだろう。だから、まだ戦術知識はおろか練度すら低い新兵を送るのだ。それも即席カップラーメンと言わんばかりの数ヶ月程度の練兵しかされていないペーペーをだ。


 さらに徴兵制による生産人口の低下という社会問題も懸念の一つだ。ヤシュニナは基本男女雇用機会均等法を採用しており、社会参画をしている男女の比率はほぼ半々だ。また軍隊でも女性の比率は20%を超えている。


 つまり男女平等に徴用するわけだから、働き盛りの20代〜40代が次の日オフィスに行ったら消えている、なんて現象が起こるのだ。企業としては指を何本か切られるようなものだし、国民に不安を与えかねない。


 記者が懸念事項としてあげるのも納得がいく。

 ゆえにシドが返した答えはシンプルだ。


 「その件に関しては未だ審議の議題として上がってはおらず、お答えしかねます」


 まごうことなき30点の回答だった。国民に徴兵制を実施するのかしないのかをはっきりと言わず、言葉を濁している。シドも口にしながら、「あー支持率落ちたなー」と心の中で泣き寝入りを始めていた。


 これがセナだったら、「徴兵制の実施は最終手段であり、また我が国の兵士は完膚なきまでにリストグラキウスの狂信者共を撃滅するでしょう」と蛮勇演説を樺山資紀並にかますに違いない。政府として毅然とした態度で邪智暴虐なる白い悪魔に立ち向かう、黒馬の騎士を演じるのが目に見えるようだ。


 質問した記者はセナのそういった人間性を知っていたからか、眼前のシドの応答にちょっと残念だな、と思ったのか、失笑してみせた。他の記者からも少しだが嘲笑の類が漏れ出た。

 だが、続けざまにシドは付け加えた。


 「なぜならば、軍隊とは国民の皆様の平和と安心を守らねばならない存在であり、ましてその軍の統率者たる政府が、国民の皆様の生活を脅かす害意であってはならないからです。ゆえに、議題としては上がっておりません」


 若干詭弁が混ざってはいるが、記者らの目の色が変わった。なるほど、強気な態度をする、と思ったニンゲンもいれば、また随分と詭弁を、呆れたニンゲンもいた。さらに政治家っぽくない戯言を、とバカにしているニンゲンもいた。まぁ、大半が嘲笑を隠す程度には嘲笑した。


 「シド国務長官、現在確認されているリストグラキウス側の兵力はどれほどのものでしょうか?」


 そして続けざまに別の記者から質問の声があがった。手を挙げたのは紫色の肌に、頭部に二本の角、という典型的な大鬼オーガの記者だ。年はまだ若く、セナから事前にもらった要注意記者リストにも顔がない。新人の記者だろう、と思ってシドはゆっくりと赤い舌に言葉を乗せた。


 「申し訳ありませんが、軍規につきお答えすることはできません。いえ、それでは不誠実でしょうね。一つ申しておきますと、万が一にでもプレシアが抜かれることはない程度の兵力でしょうか?」

 「では、例年の侵攻と大差はない、と?」


 ふむ、とここでシドは一瞬だが、沈黙した。今の記者の質問に答えないことは簡単だ。もしくは、ええ、と短く答えてしまえばいい。だが、それではこの記者会見での答弁の記事を新聞とかで知った国民が、そして何より国内反政府勢力に「シド政権は例年のリストグラキウスの侵攻と同規模の軍に慌てているぞ」と認知されかねない。


 メンツは非常に重要だし、メンツなくして国家運営はできない。なにか不祥事が起こったらすぐに謝罪、では外側からも内側からも舐められる。舐めた態度を取られ、国民に被害が及ぶようなことが起こればさらに大変だ。だからこそ、政府というものは常に何者に対しても毅然とした態度で望み、へりくだる相手、無視する相手を見極めなければならない。


 それは政治家個人も同じで、今シドが少しでも消極的な発言をすれば、アドヴァンテージを記者側に取られるという最悪な結果になる。もし、その未来を見越しているのだとすれば眼前の大鬼はやり手だな、とシドは脳内で大鬼の記者を要注意リスト候補に入れた。


 「……例年の侵攻との大差は問題ではありません。例年ならば、リストグラキウスが侵攻するのは4月ではなく、8月です。はっきり申せば異常事態であるわけです。あらゆる可能性を模索するべきでしょう」


 論点のすり替えも甚だしいな、と心のなかで自嘲した。無理やり論点をすり替え、あたかも自分が相手よりも優れている、と見せる。ストローマン論法だったかな、とシドはかなり昔に読んだ答弁の参考書を思い返した。


 そして相手が反論してこないように素早く、「次の方はいませんか?」と別の記者に挙手をうながした。


 「では……」

 「はい、最奥の方」

 「シド国務長官、現在政府ではどのような戦争の構図を抱いていらっしゃるのでしょうか?」


 質問してきたのは人種の記者、だが耳がとがっているから長命種エルフかもしれない。見た目はかなり若いから、多分エルフだろう、と思いシドは舌の上で言葉を咀嚼した。


 ここで「実はまだ無計画なんですー」なんて言えるはずもないから、とりあえずでまかせでもなんでもいいから、言っておく。


 「申し訳ありません、軍規につきお答えすることはできません」


 そう、自分でも脱帽ものの逃げ口上を!


 早い話、不用意なことを喋れば不信任案を出されかねない。沈黙は金雄弁は銀という言葉の通り、ここは沈黙するのが一番だ。変な憶測の二三は飛ぶだろうが、そんな憶測にまで気を使っていたら、発狂してしまう。


 その後も記者らによる質問は続いた。そのほとんどが答えにくいものばかりであり、向こうがこっちの失言を狙っていることが見て取れた。責めはしないが、いやらしい連中だな、とシドは心の中で嘆息しながら、どうにかその苦行とも思える時間をなんとか乗り切ってみせた。


 排他妖精の体は実体がないため、体は疲れないはずなのだが袖口に下がった瞬間、ドサリとシドは腰から崩れ落ちた。


 「あー、もーやー。何十年やってるけど、やっぱつかれるわー。ほんとさー、記者のレベルってなんで落ちないの?百年前の方がノウハウがなかったからやりやすかったまであるぜー?」


 「そりゃ、よかったですね。でも、このあともまだまだ仕事があるんです。現状のプレシアでの戦況確認、明日の国民議会での説明なんかも含めてね。ちゃーんと、原稿は用意してあるんで、気兼ねなく職務を実行してくださいね?」


 愚痴るシド。そんな彼に対し、セナは冷ややかな笑みを浮かべたまま、その数倍は冷たい突き放すようなセリフを吐きかける。そして、セナに呼応するかのように控えていた職員がシドを立たせると、強制収容さながらに彼のことをまた執務室までえっちらおっちら運んでいった。


 その様子を見ながら、影で控えていたリドルにセナは話しかけた。


 「リドル、実際問題貴方から見て、今回のリストグラキウスの侵攻はどのような意図があるのでしょうか?」


 記者会見では意図がわからない、と言ったし実際今もリストグラキウスの侵攻の意図はわからない。とにかく、時期が例年と合わないし、セナの中にあるリストグラキウスという国家は宗教理念を厳守する厳格な国家体制だったはずだ。


 例え教皇であっても、規則を破ればあっという間に魔女裁判にかけられる、という狂信者の集まり、それがセナを含め多くのヤシュニナ国民が抱くリストグラキウスのイメージだ。


 そんな国家が教義で禁じられている時期に侵攻を開始するなど、正気の沙汰ではない。それこそ彼らが信仰している神の一柱でも現れない限りは不可能だ。


 「例年通りならば、『異教徒共に聖なる四柱の教えをうんたらかんたら』で終わるのだがな。それでも宣戦布告くらいはするだろうが。――とにかく、異例のことばかりだ。今、ここで俺が見解を示しても余計な先入観を生むだけじゃないか?」


 「逃げないでくださいよ。こっちは必死に悩んでいるんですから。貴方の話でも、そして実際にプレシアから送られた情報でもリストグラキウスの船数は三十隻。一隻につき四百人は軽く乗れるガレオン船が三十で、一万二千人ですよ?国民全員が神兵みたいな国であっても、数がどうにかしています」


 次々とセナの口から出てくる疑問にリドルは肩をすくめて、わからない、と言うばかりだ。


 リドルはヤシュニナ軍最高司令官ではあるが、しかしだからと言って卓越した戦術眼があるわけではない。一応、職務を全うするためにある程度は戦術や戦略の基礎を勉強こそしたが、それをいざすぐさま使えるか、と言われれば答えはNOだ。戦術、戦略勝負では彼は同格、格下には勝てても、決して格上には勝てない。


 そんなことはセナも理解している。だが、不安という毒は彼女の理解という壁を容易に溶かしていった。今なにをすべきか、何を聞くべきか、その優先順位の基準がバラバラに砕け散って、とりあえず不安を解消するために手近な武官から甘い言葉をかけてもらおうとして、焦っている。


 リドルには今のセナがそんなふうに見えた。


 平時なら、ここまで取り乱すこともなかっただろう。しかし、それもこれもシドが悪い。彼が一週間も仕事を放棄したせいで、溜まりに溜まった彼女のストレスはリストグラキウスの突然の侵攻という訃報によって決壊した。


 「(まぁ、俺がいきなりプレシアから帰ってきたのもあるのだろうがな)」とリドルは口には出さないが、自分にも負い目があるな、とも思った。


 それに、彼やプレシアの指揮官が見たのは三十隻の大艦隊だけではない。さらにもう一つ、シドやセナといった政府上層部がひた隠しにしていた事実があった。おそらく、あの場で口にすればよりいっそうの動揺が国内に走るであろう情報があった。


 「(明らか、俺らを潰すつもりでいやがる)」

 最初、ソレを見たとき、リドルは思った。勝てないことはない。だが、少なくはない被害が出ることは明白だ。


 ヤシュニナ最強と呼ばれる最強のプレイヤーにそんな悪寒を抱かせる存在が、あの軍にはいた。


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