第4話 思考は娯楽であり、議論は愉悦である

 「神兵長、アーレス・ドミニカ、ね」


 決して小さくはない、国務省最深部に置かれた最高司令部兼会議室。深さにして三百メートル、厚さ16センチの八色鋼ヒューイッシュによって外壁を覆われたヤシュニナの最終防衛手段が秘蔵された、まさしくヤシュニナの心臓とも言える場所。ソレイユ最高峰の八色鋼、その最上位である紫色鋼ポウペンで覆われているため、地下からの侵入は当然不可能、地下三百メートルもの深層にまで到達する攻撃などはないため、決して直接狙い打たれるということもない。


 もし、この場所が落ちればヤシュニナが地図が姿を消すだろう、と設計者が太鼓判を押すほどには頑丈なこの場所で、シドの吟麗な声が反響した。


 小さめの教室程度の広さの会議室には楕円形のテーブル、そしてヤシュニナの全十五の省庁の長官と同数の十五の席が用意されている。座るのは当然、各省庁の長官、すなわち国家の中枢にいるニンゲン達だ。


 シドの声に反応して残り十四の影が揺れ動いた。何人かは余裕の笑みを浮かべ、あるものはめんどうな、と言いたげに口を尖らせた。


 「シドちゃん、本当にリドルちゃんが見たのはアーレスで間違いないのん?」


 その中の一人、紫色の長髪ストレートの少女がシドの言葉に質問で返した。金色の瞳を持ち、背丈は小さい。髪の色と同じ色彩のプリンセスドレスを着ており、胸元にはヤシュニナには自生していない藤の花を挿している。


 年不相応にキセルを右手で弄び、どこか探るような視線を向けてくる彼女は、気品を感じさせるが、同時に幼さも抱かせる。だが、金色のその瞳は金色というにはあまりにも濃く、そして底が見えない。


 「ノタ、そりゃ言うなってなもんだろうがよぉ。あくまでって、だけの話だろうぅ?」


 その彼女の問いを制するように、粗野な口調で答えた大男がいた。大男ではあるが、その外見はのっぽと言ったほうがいいかもしれない。体は痩せ、両腕は棒きれのように細い。とにかくガリガリなその体とは裏腹に、顔は妙に肉付きがよく気味の悪い笑みを浮かべている。


 赤と黄金の趣味の悪いキュロットを履き、上には体にフィットしているトレーニングウェアを着ているというなんとも珍妙な格好の男だ。


 「アルちゃん、『情報』っていうのは正確でなきゃ、『情報』っていわないんだよん?オーケー?ま、外務長官のアルちゃんはそんくらいわかってんだろーけーどんさー」


 「ああ、そうかよ。まぁ、ボクは別にどっちでもいーさ、しばらくぶりの喧嘩をたのしめりゃーそれでいいのよ」


 しかし、その粗野かつ珍妙な格好から抱く負の印象とは裏腹に引き際の悪さや誇示とは縁遠い男だ。今だって、反論しようと思えばできたが、しなかった。ヤシュニナの外務長官、アルヴィースはその職務に見合うくらいには思慮深い。


 同時に、対面の席に座る少女、ノタ・クルセオリスはどこか不満げに「にげやがってー」と心の中でつぶやいていた。ヤシュニナの法務長官である彼女だが、その気質はどこかシドに似て、突拍子もない行動が目立つ。これまで何度も解任され、その都度三年周期でまた法務長官の席に着いている、という黒歴史と言ってもいい経歴の持ち主だ。


 そして、その二人を含めたこの場に集まった十四人を統括する国務長官であるシドは、アーレスの名前をつぶやいて以降、だんまりを決め込んだままだ。何かを考え込んでいるようにも見えるが、目を開けながら寝ているようにも見える。


 しばらくの沈黙という名の無駄な時間が過ぎ、ついに耐えられなくなったのか、席上の一人が声をあげた。


 「あの……そろそろなんか話しませんか?『アーレス・ドミニカ、ね』で会議始まって、直後に沈黙ってどこの世界にこんな無駄な時間しか流れない会議があるんすか?」


 「あるある。『坊っちゃん』とか」

 「だーれが、坊っちゃんですか、ノタさん!こっちも仕事放り出して集まってんですから、さっさと終わってさっさと帰りたいんですよ、そして嫁の胸に飛び込みたい!」


 「死ね!」「頓死しろ!」「焚書ならぬ、焚人してやろうか!」

 「うっせー、そんなんだったら結婚しろよ、年増共!」


 声を上げた男、ヴィクターのなじりが始まると、沈黙のままギスギスしていた会議室に一気に華が咲いた。喧騒はすなわち、人の心を開く鍵だ。騒がしくなれば、よほどの卑屈者か寡黙な人物でないかぎり、ノリで騒ぎ始める。


 それこそ、オーブンの上でダンスでも踊るかのように会議室からは国家の中枢のニンゲン達のものとは思えない叫び声や悪態、泣き声が飛び合った。


 それはもう会議の体を成していない、一方的なおっさんおばさんの飲み会の席に等しかった。バカ騒ぎ、と断じていい。


 普段、この場にいる全員が公の場では厳粛な態度でいる分、こういう閉鎖された場でははっちゃけてしまうものなのだ。こういったこともこの百二十年、十度や二十度ではない。シドらにすれば慣れ親しんだ光景だ。


 「はいはい。静粛にー。静粛にしてくんないと、頭消し飛ばすよー」


 そして決まって彼らを諌めるのが、国家元首であるシドの役割だ。一応、この場にいるニンゲンのほとんどが彼がまだ建国する前からの付き合いであるわけだし、こういった取りまとめに向いているからこそ、かつてはギルドマスターだった。


 そのシドが、普段は見せない満面の笑みと共に諌めると、彼らは徐々にさざめきあうのをやめていった。


 「さて、そんじゃぁ普段の鬱憤も晴らせたところで、早速対策会議を始めよーか。主に、三十隻の艦隊とアーレス・ドミニカについて、ね」


 会議室に静寂が戻ったのを確認して、シドは早速議題を切り出した。


 「まずは三十隻の艦隊について。じゃ、リドルよろぴくー」

 「ああ。はい、全員ちゅーもーく」


 シドに指名され、リドルは現地直送の映像を空中に映し出した。ボワン、という電子音と共に映し出されたのは、リストグラキウスの紋章である四聖教の四柱の神々の偶像、そしてその偶像を支える金色の聖杯が大きく描かれた帆をはためせる無数のガレオン船。また、後方にはガレオン船の半分ほどの大きさの帆船がいくつも見える。


 おそらくは上空から撮影したのだろう、相手の船の並びがよく見える映像だ。船列を組み、今にでもプレシアを陥落せしめんとする勢いを感じる、実に血なまぐさい映像だ。。


 「見ての通り、連中は密集隊形を作って、こちらが下手に排除できないように守りを固めている。別にこっちは攻めるつもりは毛頭ないが、邪魔であることに変わりはない。――明らかにこの布陣は『嫌がらせ』が目的だな。

 それに連中のガレオン船の側面に付けられている五門の魔導砲の射程はプレシアをカバーしている。あの密集隊形のまま、こっちをバカスカ砲撃することも余裕でできるだろうな」


 つまり、時間をかければプレシアを陥落させることもできる、と暗にリドルは示していた。ソレイユ・プロジェクトにおいて、魔導砲、というものはそれだけの価値があるもの、ということだ。


 システム側が用意した、バリスタなどの設置型飛び道具の中では最高位に位置していて、その破壊力たるや手近なレンガ造りの建物なら一撃で半壊させてしまうこともできるだろう。

 反面、その絶大な威力と引き換えに摩耗しやすく、十数回ほど撃てば砲身が熱くなりすぎて耐久値が振り切れてしまう。威力は絶大、しかし壊れやすいという両極端な兵器なのだ。


 「ま、だったら修理してしまえ、って話だ。例年もそうだが、今回もご丁寧に補給艦を大層な数持ってきてるからな。これが大体二十隻ってところか。ま、戦力にはならねーだろうから割愛するが」


 後方の中型帆船。その中には武器、食料、衣服、医療品などが豊富に詰まっている。言わずもがなリストグラキウス軍の生命線だ。これを潰せば、確実にリストグラキウス軍は終わりだろう。誰もが考える楽々戦争終結戦術だ。

 だが、それはできない。


 後方にも決して少なくはないガレオン船が配置されており、船で近づこうものならたちまち撃沈さえてしまう。


 泳ぐ、という選択肢は論外だ。海の中には高レベルの海中モンスターがうじゃうじゃおり、例えレベルで勝っていても、無限にわき続けるモンスターをさばきながら、補給船までたどり着くのは至難の技だ。


 「それに、辿り着いたところで火打ち石なんて湿気るからなー」


 リドルの説明を聞いていたヴィクターに同調するように数人の同席者が頷く。リドルは苦笑しつつもさらに話を続ける。


 「というわけで、これがこの隻の問題。だけど、この艦隊についてはあくまで問題だ。ちょっと強引かもしれないけど、こっちの魔導砲で撃ち合い合戦をして、潰しあったところで質任せの力任せでぶっ潰せばいい。――戦術なんて呼べるもんじゃないけどな。


 しかし、これはあくまで極論かつどこぞの赤旗戦法だ。俺は凡才だからな、他に有用な策があるなら聞くよ、第二の問題を説明し終わったあとにな」


 長々と話したのか、リドルはふぅー、と一息を入れる。直後、映像が空中へと消え、新たな映像が浮き上がった。


 映し出されたのは眉目秀麗、質実剛健、といった印象を抱かせるうら若い青年。肉体はほどよく鍛えられ、トップアスリートかと見まごうばかりの均整の取れた体型をしている。


 映し出された映像はどこかの戦場で撮影したのか、粉塵が立ち込める中、銀色の鎧を身にまとった青年が敵と思しきニンゲンと相対していた。


 「アーレス・ドミニカ。ここにいる人間なら知っているであろう、神聖国リストグラキウスの最高戦力、四聖神兵長の一人にしてその筆頭格。こいつの旗印の『紅の剣に貫かれる悪魔』がさっき見せた船団の中に確認されている」


 アーレス・ドミニカは第一前提としてプレイヤーではない。彼は頭の天辺から爪の先まで煬人だ。しかし、その実力は並大抵のプレイヤーなど軽く凌駕し、同時にソレイユ屈指の実力者であるリドルにも警戒されている。


 年齢は今年で59だが、その外見はどうみても20代の若者だ。リストグラキウス内では四柱の神々の恩寵を賜って永遠の若さを手に入れられた、ともてはやされ、その実力も相まって神々が転生された、などあたかも神であるかのように扱われている。


 しかし、他の国々――特にしょっちゅう戦争しているヤシュニナなど――にとっては彼の若さがその種族所以のものだということは周知の事実だ。


 アーレスの元々の種族はヒューマンだった。しかし、彼はシドやセナがそうであるようにクラスアップによってより上位の種族へと進化したのだ。彼の種族はアークヒューマンといい、その在り方はエルフに近い。寿命は通常のヒューマンが80〜90歳くらいだとすれば、軽く4倍は伸び、同時に年を取る速度もゆるやかなものになる。


 クラス補正による能力値の向上も相まって、リストグラキウスの国民がアーレスを神の転生体だ、ともてはやすのも必然といえば必然かもしれない。


 「たしか、あれって五年前だっけ?うちの将軍二人がアーレスに瞬殺されたのって……」

 「そうだな。まぁ、どっちもレベルは80にも満たないから殺されるのも当然かもしれないが」


 唐突なノタの問いに答えたのはシドだ。脳裏に描いたのはヤシュニナ軍では珍しい煬人の将軍二人。初の煬人の将軍ということで世間に注目されていた矢先の事件だったので、かなり鮮明に覚えている。どちらも優秀な人材だったから、なおさらだ。


 その時から、アーレスの名前はヤシュニナにとって警戒に値する人物として記憶された。記者会見の場で言わなかったのは英断だろう。将軍を二人も殺されたのだ、国民に動揺や混乱が生じる。


 「話を続けるぞ?アーレスのレベルはその時のデータから算出して、今は127か128といったところらしい。だがやつのパーソナルスキルを加味すれば130ぐらいには届くかもしれない。できれば二度と、五年前の轍は踏みたくないものだな」


 「そうですね。五年前、ヤシュニナうちはあわよくばプレシアを失う憂き目に立たされましたからね。あのとき、リドルさんが援軍としてプレシアに行かなければ、今頃プレシアはリストグラキウス連中の手に落ちていたでしょうからね」


 「ま、取られたら取られたで基地内の自爆スイッチ押すんだけどね」

 「あー、そうですね。一応ありましたね。ダンジョン所有権を放棄して、自然ダンジョンに戻すっていう荒業」


 そんな軽口を叩き合う面々だが、内心は穏やかではない。実際五年前、二人の将軍を殺された、という事実だけで国民はもちろん、首脳部ですら悪寒を覚えたほどだ。


 軍事国家で知られるヤシュニナはその練兵を基礎として、将軍級の兵士には相応の実力、知識、柔軟性その他諸々が要求される。例えレベルが100以下であっても簡単に殺される、ということは起こらない。この世界の仕様上、レベル差が必ずしも強さの絶対値ではないからだ。


 だからこそ、レベルが自分より低いとはいえアーレスを軽視することができない。今この場にいる十五人、その一部はレベル150だ。皆、最低でも百年はこの世界に居座っているニンゲンだ。


 その彼らをしてアーレスは脅威になりえる。油断すればあっさり首を飛ばされる、と思うくらいには。


 「とにかく、だ。もし、アーレスが表に出てきたら魔導砲を奴にむかって

一斉掃射、もしそれで死ななかったら……ヴェーザーに殻にこもるしろ、って言っとこうぜ」


 「さんせー。ヴェーちゃんは肉弾戦へたっぴーだからね」

 「頭で戦うタイプですからね、あの蛇姉さん」


 ヴェーザーはプレシアを防衛するヤシュニナの大将軍だ。種族は龍人と呼ばれる最上位種で、レベルは124。術士系職業を習得した防衛戦の名手で、長年プレシアを守ってきた歴戦の猛者だ。


 五年前、アーレスが二人の将軍を殺された際、深手を負いながらも彼を退けた実績を持っている。


 「今のヴェーザーじゃアーレスには勝てないだろうからな。五年前でもギリギリだったのに、今『もう一度退けろ、あいつはお前より強いけどな』っていうのはちょっとひどいからな」


 シドはそう言いながらも、ひょっとしたら、と思わずにはいられなかった。ヴェーザー一人では無理であっても、武力に優れたプレイヤーなり煬人なりで攻めれば、と。


 しかし、すぐに無理だな、とその甘い考えを頭から取り払った。国務長官であるシドの頭の中にはプレシアを始め、国内の各軍事施設の責任者、実力者がすべて記憶されている。だが、プレシアにいるレベル100を超えているニンゲンはヴェーザーを始め、将軍級三人だけだ。それにどれもビルド構成が指揮官寄りで、直接の戦闘力には直結しそうにない。


 「あの、シドさん。少しいいですか?」

 「ん?どったの、キュリー」


 手を上げたのは頭を覆う兜を被った古風な赤いドレスの女性だ。紅玉色の篭手を付けており、アルヴィース並に珍妙な格好をしている。なんというか、「中世の女騎士が戦帰りで直後に街へ出ようとしたら色々あって頓珍漢な格好になってしまった」と言われたら納得してしまうような


 アンリ・キュリーという名で、この中ではけっこう若い部類に入る。57といったところだろう。ヤシュニナの財務長官であり、元はヤシュニナを含めたスコル大陸の各地を旅していた商人でもある。そして、ヴィクターと同じ煬人だ。レベルも12とかなり低い。


 「今現在のプレシアの備蓄量では戦線を維持できて二十日ほどです。無論、補給はリドル司令の方から随時送られるのでしょうが、財政の面から考えると長期化は好ましくありません。臨時予算を用意しようにも議会を通る以前に、ヤシュニナ内の銀行からの国債や他国からの借款で賄う必要が出てきます。


 来年度の予算のことも考えますと、早期決着こそがのぞましく思います。この点に関してはどうお考えになられていますか?」


 面倒な問題だな、とシドは思った。考えていなかったわけではないが、すぐに答えを求められると答えは出しにくい。放っておけば攻めている側のリストグラキウスが疲弊するだろうが、それはこちらも同じだ。


 今プレシアが置かれている状況はいわゆる籠城戦だ。籠城戦とは味方の助けが来ることを前提の作戦であり、今のヤシュニナには自由に動かせる兵力――特に海軍が少ない。


 ヤシュニナは豪雪国だ。それもほぼ年がら年中雪が降っている。必然、沿岸部の港は凍りつくし、氷が溶ける夏くらいにしか使えない。一応、東南部に不凍港は確保しているが、三十もの大船団を相手取れるだけの船数を用意することはできない。


 しかも、援軍に向かおうにも絶対にリストグラキウスは海上封鎖をしているだろうことがわかるから、少数で向かえば確実に撃沈される。


 キュリーのさっきのセリフは皮肉もいいところだろう。援軍が送れない状況でどうすんだ、とシドとリドルに聞いていた。


 「現状を踏まえるとすぐに答えは提示できない。そもそも、今回の連中の戦争の意図すらつかめない状況だ。例年通りなら長くても一週間くらいだろうから、別に援軍を送る必要はないけど、今回は果たして連中が何日、何週間居座るかわかったもんじゃない」


 「無論、こちらでもなんとかやりくりはします。ですが、推定どれくらいの期間戦争をするのか、計画立てしていただかなければこちらも困ってしまいます。まぁ、『クリスマス』までには終わるさ、とか言わないだけマシではあるのですけどね」


 「言ってくれるよ。じゃぁ、どんぶり勘定でわるいけど、推定二週間としてくれ。リストグラキウスの国力を考えれば、俺らに海上戦を挑んだ場合その程度が限界なはずだ」


 「わかりました。ですが、万が一その期間を超えてもなおリストグラキウスが戦争を続けた場合、どうなさいますか?」


 一瞬、シドは言いよどんだ。キュリーの兜の間からわずかに見えた瞳は半端な答えは許さない、と明確に告げている。口に出したら絶対にやれよ、と真摯に彼女は告げていた。


 「……その時は本気でリストグラキウスを焼くさ」

 「本土をですか?」

 「ああ、そうだ。連中の本土を奇襲する。うちの魔導師大隊シタルミートでな」


 ヤシュニナ最大の機動力をもつ魔導師大隊。運用する権限は国務長官以外有していないまさに秘蔵部隊だ。戦時において、敵司令部を迅速に撃滅し、指揮系統を麻痺させることを目的とした部隊であり、滅多に使うことがない奥の手だ。


 それを使う、というシドのセリフは少なからずキュリーを納得させるものだった。


 「わかりました。シドさんのお覚悟、なるほど理解しました。では、万が一の時はそのように」


 キュリーは軽く会釈をすると、以後言葉を発することはなかった。


 その後、リドルの方から現在の戦況、被害報告などが報告された。戦況は予想通りの膠着状態、被害報告も壁の一部にヒビが入り、重傷者が数十人程度でまだ死者はは出ていない。喜ばしいことだが、まだアーレスが表舞台に出ていない、というのはさらなる懸念を議場の全員に抱かせた。


 「よし、他に何かあるか?」

 「あ、じゃぁ経済産業長官の自分から」


 「なんだよ、ヴィクター」

 「国内各企業への武器受注が増えると思いますが、その際の株価、国内生産への対応などは……?」


 「うちはちっこい政府って感じだからな。ま、自由生産方式に任せるよ。あ、そうだ。念のため各企業には資金投資しとけ」

 「それ、袖の下になりません?政府が援助するって結構グレーですよ?」


 「ま、そうだけど。でも、戦時下の資金給与はないことじゃないだろ?前線を維持するため、とか言っときゃ平気平気」


 そうかなー、とヴィクターは思ったがこれ以上は藪蛇だろう、と思って口出しはしなかった。それにいっときでも戦時景気になれば、国内の産業は少なからず発展する。現状のヤシュニナは別に不況というわけではないが、経済成長率が上がることは経済産業長官として悪くはないな、と打算した結果でもあった。


 まぁ、武器を持ってけるか、っていう問題はあるけど、とは決して言わない。武器はストックがあればあるほどいい。いつ戦争になるかもわからない世界だ。武器がたくさんあれば、戦時下で国家総動員だ、勤労動員だ、とかしなくても済む。


 「あ、そーだシドちゃん。国民議会って明日だよね?シドちゃん大嫌い派閥はどーすんの?絶対、難癖とかインボー論とか持ってくるよ?」

 「こっちが真摯な態度で接していれば納得してくれるよ」

 「うわー、すげー棒だなー」


 ノタの質問をスルーしつつ、シドは改めて会議室の面々へと視線を送った。今この場にいるニンゲンはどれも決して短くはない付き合いだ。だからこそ、軽口も叩けるし、気兼ねなく意見も言い合える。


 戦争とは頭の優秀さと実行する手足の連携が重要なのは言うまでもない。目的遂行のため、頭と手足の考えがバラバラでは右手で相手を殴ろうとした瞬間、左手が自分の鼻っ柱を折るかもしれない。


 その点、ヤシュニナは素晴らしい、とシドは心の中で自国を賞賛した。自分がそうあれ、と望んで創った軍隊だとはいえ、正直その練度は彼の想像の上をいく。プレイヤーだよりの個の武力ではなく、集による武力はどこの世界でも有用だ、と改めて思うほどだ。


 加えて、兵士一人にそれなりの戦術的知識があり、ある程度は考える頭がある。まぁ、頭がよくなりすぎるのも問題だが。


 反面、今敵対しているリストグラキウスははっきり言ってカスだ。それこそ、昔読んだ騎士物語を大砲だの、要塞だのが普及した時代にまだ演じているのか、と疑いたくなる。


 狂信者、と言っても差し支えない。


 十字軍かあるいは太平天国の乱か。とにかく戦略性というものがない。それに個の英雄を必要以上に重宝する嫌いがある。アーレスのような神兵長がいい例だ。アレが死んだらほんとどうするつもりなんだよ、とリストグラキウスの首脳部に作文用紙百枚くらいの厚みで送りたくなる。


 加えて数に任せたゴリ押し。昔映像で見た共産主義の軍隊かよ、とも言いたくなる。もし仮に連中が銃砲を聖歌でも唄いながら撃ちまくってきたらプレシアの寿命が縮む。


 あるいはアーレスを人間大砲よろしくプレシア内に撃ち込まれても。

 そんな最低の予想をしつつ、シドは深呼吸をした。


 「さて、俺の友人諸君。現状、我らが祖国そして国民はいわれなき暴力によって攻め込まれている。宗教とかいう下らなくも愛おしい暴力を正当化する手段によってだ。


 彼らはその宗教の色でどうやら名画に塗りたくるつもりらしい。名画の価値もわからない美的センスのないような奴らだ。おそらく連中の信じている神様っていうのはよほど美人がお嫌いらしい。


 俺は無神論者じゃない。必要な時は神様にだってすがるさ。だが、それは連中の信じてる神様じゃない。俺の、俺だけが信じているどマイナーな神様だ。つまり、連中の神様に日頃私共を見たくださり感謝いたします、と頭を垂れる必要はないわけだ。


 まして美的センスもない、トイレの糞を見てアレはいいものだ、とか言いそうな神様なんざ知るかボケ。蹂躙し、嬲り、辱め、犯し、肉便器にされるのがさぞお似合いだろうよ。


 ――諸君、絶対に勝てる戦争ベッドタイムの始まりだ。夜が明けても、楽しもうじゃないか」


 「――長い」


 「ああ、長いな。そして言い回しがアホみたいだ」

 「うるさいよ、そんなん俺がいっちゃんわかってんの!――はい、もうおしまい!各自自分の持ち場に戻ってくれ!」


 ひでー、とブーイングの雨あられがシドに飛ぶ。うるせー、とシドは返すと、会議室のスイッチの一つを押した。


 直後リドル以外の全員の体が青みがかったものへと変わり、次の瞬間フェードアウトした。会議室の椅子と各員の執務室の椅子はそれぞれ立体投影機能を内蔵していて、こういった風に離れていてもノーラグで会話することが可能だ。また、移動時の襲撃を避ける、という防犯上の都合でもある。


 とまぁ、そんなしょうもない説明はさておき、会議室内には元から国務省にいたシドとリドルだけが残った。


 「シド、お前言わなくてよかったのか?」

 「何をだよ」

 「バーカ、何か心当たりがあっただろ。あれだけ神様、神様連呼するんだ。過度すぎる」


 リドルはゆっくりと立ち上がると腰の剣に手をかけた。もし、リドルが剣を抜こうものなら間合いなど関係なくシドの首は宙を舞う。その危機的状況であってもシドは冷や汗ひとつかくことなく、厳しい眼差しで睨むリドルへその錆銀の瞳を向けた。


 どこまでも暗く、何を見ているのかわからない眼だ。出会った頃、レベル15の時からそうだった。150年以上経った今はより一層その錆が濃くなっている。


 「……万が一、いや億が一の可能性だ。前例がないことじゃないが、考えづらいんだよ」

 「それ、フラグだぞ?絶対現実になる」

 「嫌なことを言うなよ。――まぁ、でもリドルには一応言っとくか。あくまで可能性だけど」


 シドはそう言って、虚空からひと束にまとめられたA4紙を取り出した。投げ渡されたリドルはその中身を見て、途端に顔色を変えた。


 「おい、シd」

 「もし、ソレが本当なら、その時はプレシアは墜ちる。落日だ。ひょっとしたらアーレスが出てきたのもソレが原因かもな。あとリストグラキウスの侵攻も……」


 それが宗教の運命さだめなのかもな、とシドは一人心地る。眼を瞑ると聞こえるようだ。螺旋階段を登っている、と錯覚している連中の蹄鉄の音が。


 気づいたときにはもう遅い。

 あとはもう永遠の従僕として自分の手足を折っていくだけだ。


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