六回目
暗転した意識が戻った時、そこはいつもの電車の中ではなく、真っ暗な闇の中だった。その中を、ふわふわゆっくりと落下していく感覚がある。
怖くはなかった。不思議と気分は落ち着いていた。何故ならこれは夢だからだ。僕の見ている夢。
そして僕の頭ではこれまでの出来事、そして、ずっと蓋をしていた僕の心の中が、総て一緒になって渦を巻いていた。
総ては、僕が雫の死を受け入れようとし始めた、その時から始まった。
表面的な意識は、勿論そんな事は考えていない。けれど心のどこかで、ずっとこのままではいけない、そう考え始めるようになっていた。
それを僕は認められなかった。ずっと雫との思い出に浸りたい自分、雫の死を認めたくない自分、それらが芽生え始めた心に必死で蓋をした。
雫の死を受け入れようとする心は、日増しに強まっていった。衝突する意識の中、僕は自分でも気付かないうちに緩やかに壊れ始めていた。
ずっと雫といたい心。雫の死と向き合おうとする心。その二つはぶつかり合いながら次第に溶け合っていき……。
――そして、あの歪な世界と、『彼女』が生まれたのだ。
僕は思い出していた。彼女があの服装をしていたのは、それが葦原高原で見た雫の最後の姿だったからだ。雫はずっと制服を着ていたからノースリーブを着たなら日焼けも半袖の跡がなければいけないのに、彼女の肩がすっかり焼けていたのはかつての幼い雫がそうだったからだ。
思い出の中のかつての夏から作られた世界。だから彼女はあの姿で、オーナー夫妻は記憶にあるそれと全く一緒だった。
以前考えた通行人。あれも彼女がいると言ったから現れたのではなかった。彼女にいると言われ、僕もそう思ったから、だから現れたんだ。
……思い出に浸りたい僕は、妄想の世界でずっと雫と共にある事を望んだ。一方現実を受け入れようとする僕は、雫の死を改めて実感しなければと考えた。
そして僕は彼女を生み出し、僕が彼女を殺し、それを認めたくない僕が時間を巻き戻し、そうやってこの世界が完成した。
自嘲の笑いが喉から込み上げてきた。何と滑稽なのだろう。総ては間抜けな僕の一人芝居だった。
自分にとって都合のいい妄想を作り上げては自分で否定する、その繰り返し。それに勝手に傷付き、疲れていった。
この世界にいる限り、きっとまた時間は巻き戻り、雫の代わりである彼女は僕を待ち、そして無惨に死んでいくのだろう。総ては僕の望むままに。
そう考えているうちに、闇が少しずつ晴れ辺りが光に包まれ始めた。ああ、夢から覚めるのだと僕は思った。目覚めた先もどうせ夢のようなものなのだが。
僕はどうするべきか。総てを完全に理解した今、僕の取るべき行動とは。
僕は……。
……そして気が付けば、またいつものように、僕は電車の中にいた。妄想にしては空調が心地好いなと考えて、初めに電車に乗った時はまだ車内が秋の様相だった事をふと思い出す。
あの時はまだ、辛うじて正常だったのかもしれない。いや、来もしない手紙を拠り所にしていた時点で正気とは程遠かったのであるが。
これが妄想ならば、現実の僕は一体どうしているのだろうとふと考えた。どこまでが現実でどこからが妄想だったのか僕にはもう解らない。手紙を見るどのくらい前から、僕はこのリアルで非現実的な自分の妄想に取り込まれていたのだろうか。
聞こえてくる、葦原高原への到着のアナウンス。今はそれが、いつもより機械的に聞こえる。
……僕の心は、既に決まっていた。総てを正しく理解した僕にもう迷いはなく。
歪んでしまった自分の心に決着をつける時が来たのだ。封印していた相反する二つの想い、そのどちらを選びどちらを切り捨てるか。
電車が速度を落としていく。そしてやがて完全に止まり、ホームへの扉が誘うように開け放たれる。
耳に響く蝉の合唱。巻き戻る前に感じた寂寥感を思い出す。何かが終わろうとする時、何故心はこんなにも締め付けられるのだろう。
――僕は、その場から動かなかった。
降りて、彼女に会えばまた繰り返す。ニセモノの彼女とのニセモノの一日。僕の都合で生み出され、そして死んでいく彼女。
もう終わりにしなければいけない。哀れな彼女の為にも。そして本物の雫の為にも。
彼女の笑顔を思い出す。それを記憶の中の雫と重ねる。それはとても似ていたけれど、今となっては生じる違和感を拭い切れなかった。
最後に彼女に謝ろうか、そんな考えがよぎったが僕は緩くかぶりを振った。彼女と出会ったその瞬間、きっとまた繰り返しは避けられなくなる。そして、また彼女を死なせてしまうだろう。
だから、これしかない。……これでいい。彼女を想うのならば。
やがて発車のジングルが鳴り響き、閉まり始める扉が視界の端に映る。今ならまだ間に合うぞ、そう悪あがきをする醜い僕自身の声がどこかから聞こえた気がした。
「構わない。僕は……雫と彼女が生きられなかった現実を生きる」
その声にそう口に出して返した瞬間……辺りが眩しく白く輝き、僕はそこで意識を手放した。
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