第19話 カ取り線香2/2
誰もが目を覚ますような悲痛な叫び。
「誰か! 厨房に来てくれ! 火が、火が回っちまう!」
それはテルシア父の悲鳴だった。
ビリアがその声に釣られ、厨房の奥を見ると、そこには厨房の床に倒れたテルシア父と、天井に立ち上る大きな炎があった。
調理途中だったテルシア父が倒れ、火にかけたままの鍋の油が発火していた。
「わあああああっ!? フータ! 火事になってる! 火事になってるぅ!」
「ふぁっ!?」
「きゃああああ!? おとーさーん!! おとーさーん!!」
一瞬でパニックになる面々。
フータは即座に、火事をどうにかしなければならないことに思い当たる。でなければ、全員焼死体になってしまう。
「ビリア! 厨房の助けに行けるか!?」
「無理無理無理! 水差しが重くて持てないのに、消化なんて無理!」
「じゃあ、早く線香の火を消してくれ!」
ビリアはおぼつかない足取りで、線香の場所に戻ろうとする。
しかし、その通路上には、多くの宿泊客が進路妨害するように倒れている。
その一人一人を踏みつけて進むビリアであったが、
「あっ!」
案の定と言うべきか。慌てて歩いたので、盛大に足を取られて、宿泊客の上に転倒する。
オッパイの下敷きにされた宿泊客は、普通なら、痛いやら柔らかいやら、色々と複雑な心境を感じるところであるが、今はそれどころではない。
すぐそこに、火の手が迫っているからだ。
「お嬢ちゃんしか頼れる奴がいないだ! 早く立ち上がってくれ!」
「頑張れビリアちゃん! 頼むから! 頼むから助けて!」
ビリアは足を内股気味に、プルプルさせながら、机を支えにして立ち上がる。
厨房から流れ込む黒煙が、食堂の天井にも漂い始め、焦げ臭い匂いが倒れている宿泊客の焦燥感を煽る。
そしてあと少しで線香にたどり着けるという場所で、ついにビリアの体からも力が抜けた。
「あああああ、動けない、私も動けないんだけどぉぉぉ!」
べたーん、とコバエまみれの床に崩れ落ちたビリアは叫ぶ。
他の宿泊客も、頼みの綱が失われたことで、最後の足掻きとばかりに助けを呼ぼうと叫んでいる。
しかし、その声に気が付き、ロビーに入ってきた者達も、『SR 力取り線香』の煙に巻かれ、崩れ落ちていることを、彼らは気が付かない。
こうして、二次被害、三次被害が拡大していく。
そして、火は厨房のコンロ辺りを炎で包み込んでいた。
「熱い! 熱い! 熱い!!」
「お父さん! お父さん!!! 誰か、誰か助けてぇぇぇぇ!」
厨房から聞こえる父の悲鳴に、娘のテルシアが泣き叫ぶ。
フータは必死に体を動かそうとするが、指先一つすら動かない。
ゴホゴホと咳き込む声が多くなり、煙は食堂中に充満し始めていた。
「誰か! 誰かぁぁ! ……お願いだから……お父さんと、お母さんを」
フータの体に、テルシアの嗚咽が直接響く。
己の浅はかな行いによって生じたこの展開に、フータは自責の念に苛まれていた。
しかし、フータはまだ諦めていなかった。
ガチャをする為に、ホームレスになるまで生きて、それでもガチャがやりたくて、こんな異世界にまで来てしまう程のガチャ狂い。それがフータだ。
ここで死んだら、一生ガチャを回せない!
フータにとって、それは死よりも怖いものだった。
そして、人間は死に物狂いになると、脳内アドレナリンが大量に分泌され、思考が加速する。フータは灰色の脳みそに血を巡らし、考えを巡らす。
助けを呼ぶしかない! だが、これだけ叫んでも誰も来ないし、来たとしてもこの煙では、ミイラ取りがミイラになる。
なら、どうする!?
この煙の効果を受け付けないような奴を助けに呼ぶ!
そんなやついねぇよ!
別の案だ。力が無くなってる。だが、喋れるってことは、顎の力はある。
顎の力で動くことは……クソ、無理だ。せめて線香が地面に落ちていれば、口に咥えて消すという手段も出来たかもしれないのに!
フータの思考は無数の案を生み出しては、砕き、それを繰り返し加速する。
「お父さん……お母さん……アンコクさん……うぅぅ、うわぁぁぁ、助けて、助けてぇ」
フータの加速された思考が、テルシアの嗚咽を拾い上げる。
その中で、フータはテルシアの言葉に飛びついた。
そうだ。
ヤツが居た!!
「テルシアちゃん! 大声でアンコクさんを呼ぶんだ! 彼しかいない!」
「でも、アンコクさんはお使いに行って」
「君が呼べば来る! 彼は君が呼び出したんだから、主人である君が呼べば、必ず現れる!」
だから、叫べ!
フータのくぐもった声を聞いたテルシアは、藁にもすがる思いで大きく息を吸った。
そして、大声で叫ぶ。
「アンコクさーん! たーすーけーてー!!」
『よんだぁ? おっと。なんだかにぎやかなことになってるね』
タイムラグなし。
テルシアちゃんの、涙でぼやける視界の向こうに、忽然と闇黒巨人は現れた。
立ち込める煙と同化してしまって、その存在はいつも以上にぼんやりしているが、確かに彼は現れたのだ。
その状況に、呆気に取られたのは一瞬。
テルシアは即座にアンコクさんへ皆の救助を求めた。
「お父さんとお母さんを助けて! みんなを早く助けて!!」
『うむうむ。分かった分かった。とりあず、まずは火を消しておこうか。それと、この線香も不思議な物だね。これも消しておこう』
闇黒巨人は床を滑る様に厨房へ入っていく。そして直に戻ってくると、線香の火も触ることなく消してしまう。
食堂に立ち込めていた煙も、まるで不思議な風が流れているかのように、スルスルと外へ向けて流れていった。
闇黒巨人がやってきたことにより、事態は瞬く間に収束したのだった。
めでたしめでたし……。
……とはならなかった。
『SR
『
~フータのメモ~
蚊じゃなくて『チカラ』を奪う線香だった。ビリアには効きが悪かったみたいだが、人間に対しては割と即効性があるように思える。
体の大きさとか、大人子供とか関係なく効果が現れるところを見ると、ビリアが特別なようだ。魔族だから、魔法抵抗値的な何かが高いのかもしれない。
どっちにしても、こいつには酷い目にあった。ルビぐらい打って欲しい。
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