第18話 力取り線香1/2


 今日の食堂はいつもと違い、雰囲気が悪い。

 誰もが空中を鬱陶しそうに眺め、時折手を叩いたり、自らの腕を擦ったりと、落ち着きが無かった。

 フータ達も例外ではなく、自らの左腕にゾワゾワとした違和感を感じ、右手でその場を叩く。

 そこには小さな黒い虫が潰されていた。


「鬱陶しい事、この上ないな」

「ねー、スープにも入ってるんだけど」

「作ってる最中か、出来上がってから入ったのか。この状況じゃ分からないぞ」


 現在、この町では小さなコバエが大量発生していた。毎年の事ではなく、珍しい事だそうだ。宿屋の娘であるテルシアちゃんも、このコバエの大量発生に辟易している様子。

 朝方に発生し、昼頃には死んでいるのだが、コバエの死体で床が黒く染まるほどの大量発生である。それがここ数日続いている。

 この状況をどうにかする方法は無いものかと、虫よけの香を焚いたりしたのだが、あまり効果が無かったのは、現在のこのコバエ舞う状況と、テルシアちゃんの落ち込み具合で分かる。

 

「だが、今日からはその煩わしさからもおさらばだ!」


 フータは今朝のガチャから出たカードを取り出した。


『SR 力取り線香』

『力を取る』


 触手ちゃんはそれを見て、「キュー」と不安そうな声を上げる。

 流石、慎重派淑女の触手ちゃん。「それ使っても大丈夫?」と確認をしてくる。彼女はフータのガチャはヤバイという事をしっかりと認識していた。

 しかし、当事者のフータは気楽に考えていた。己の読解力というものを過信していた。


「ヤバイ系カードは説明文を見た瞬間に分かる。テルシアちゃんにあげた『虫眼鏡』第10話参照は説明と効果が一致してたし、大した事が書かれてないのは、基本その通りの効果を発揮するんだと思う」


 そう言って『SR 力取り線香』を実体化させた。

 机の上に現れたのは、夏に良くCMの流れる、見慣れた濃い緑の渦巻き型線香。それを机の上に出現させただけで、近くを飛んでいた小さなコバエが、一斉に逃げ出した。


「おお。火をつける前から、防虫効果抜群じゃないか!」


 フータは「これは期待できる!」とテルシアちゃんを呼びに行く。彼は、あわよくば、この防虫線香を対価に、宿代を補充しようと狡い事を考えているのだ。

 先日、ビリア用の呪われたブーツを買って、財布はすっからかんのフータ達。近場のダンジョンで果物採取をする程度では、二人と一匹を賄う為の日銭程度しか稼げない。

 少しでも生活に余裕を出すための、ある物は何でも使う精神であった。

 

「本当にそんなに効果があるんですか?」

「机に置いただけで、寄ってこなくなったからさ。火を付けて焚けば、かなり効果は出るよ。だから、お願いします。これを宿代に当ててください」


 疑いの眼差しを向けるテルシアちゃん。そんな彼女にフータが、手を合わせて頭を下げる。傍から見れば、15歳の娘に、いい年のおっさんが情けなくペコペコしているように見える。 

 ビリアと触手ちゃんはそれを見て、思う所はあったが、口にはしなかった。フータの情けない懇願が、自分たちの泊まる場所やご飯代に化けようとしているからだ。

 テルシアちゃんは薄っすらと細めた瞳で机の上に置かれた『SR 力取り線香』を眺め、それからそっと手に取り、クンクン、と香りを嗅ぐ。

 そして、ふっ、と表情を緩めた。


「想像していたより、良い香りがしますね」

「効果があったらで良いからさ。数日分の宿代に当てて欲しいんだ」


 テルシアの表情が緩んだところを見て、フータが攻勢をかける。

 お願いします! とおっさんフータの懇願に、テルシアちゃんは彼と手に持った線香を交互に見て、ため息を一つ吐いた。


「分かりました。フータさんとは色々・・ありますから、効果があれば、認めます。どうやって使うんですか?」

「ありがとう! 使い方は簡単。先端に火をつけるだけさ。ビリア、火」

「ちょっと! 私に対して、もう少し頼み方ってもんがあるでしょ!」


 がたり、と椅子を蹴って立ち上がるビリア。


「ビリア様。どうかこちらの線香に、火をお付け頂けませんでしょうか?」


 ニコニコ笑顔でそう行ってくるフータに、ビリアは毒気を抜かれる。


「……なんか釈然としない」


 ビリアはむすぅ、と頬を膨らませながら、指先に小さな炎を灯した。

 それを見てテルシアは、内心で『どうしてビリアさんのような優秀な魔法使いさんが居るのに、フータさんは稼ぎが少ないんだろう』と思いつつ、口には出さない。


 冒険者パーティーのメンバーには色々ある。それを詮索してはいけない。


 テルシア父の言葉をしっかりと守り、テルシアはニコニコと笑みを浮かべたまま状況を見守った。

 ビリアの炎により、線香の先端部に火が灯る。そして、白い香り高い煙が、ゆらゆらと立ち上り始めた。

 その効果は、劇的だった。


「わぁ! 本当に、コバエが落ちていく!」

「で、でしょー」


 煙が漂うと、その周りのコバエが次々と床に落ちていく。

 フータはそのあまりにも強力な効果に「人体に悪影響とか無いよな?」と少し心配になっていた。

 煙が天井に立ち上り、四方八方へ散っていく。

 ほんの数十秒で、あれだけ食堂内に居たコバエが一掃された。そして床がコバエの死骸により、薄っすらと黒くなった。

 この様子に、散々コバエにイライラを募らせ、苦しめられた冒険者達は、フータ達に拍手を送る。

 ここまでの効果となれば、テルシアも認めざるを得ない。


「……分かりました。これは良いモノですね。子分けして使えそうですし。この線香が無くなるまで分の宿代は免除しましょう。あ、でも、ご飯代は別ですし、コバエの発生が無くなったら、それまでですからね?」

「うわー! テルシアちゃんありがとう! 本当に助かるよ!」


 数日分の宿代が浮いて、子供のように素直に喜ぶフータ。

 それを困った子供を見る様に見上げる、15歳のテルシアちゃん。

 どちらが大人か、分かったもんじゃない。

 

「さて。床が汚れちゃったし、アンコクさんがお買い物から帰ってくる前に、お掃除しちゃい……ま? しょぉ?」


 テルシアが汚れた床掃除の道具を取りに、部屋の隅にある掃除道具入れへ向かおうとする。そうして一歩、足を踏み出した瞬間、彼女の体はゆっくりと傾いていった。

 テルシアはそのまま、コバエが大量に落ちている床へ、倒れていく。


「テルシアちゃん!?」


 フータの叫びと大きな音。

 食堂がざわつき、一斉に皆が二人の様子を見ようと立ち上がろうとする。

 だが、誰一人として、まともに動くことが出来なかった。


「な! なんだ! 体にちからが!」


 立ち上がりかけて、中腰の姿勢のまま、椅子から崩れ落ちる様にバタバタと地面に倒れていく宿泊客。 


 テルシアと会話をしていて、彼女にもっとも近い場所に居たフータは、彼女が床に倒れるのを防ごうと、彼女の体を手元に引き寄せていた。

 そして、そのままフータも全身から力を失い、テルシアと縺れるようにして床に転がってしまう。


「ひぅっ!?」

「あぁ、ゴメン! テルシアちゃん!」


 地面に倒れる間際、テルシアの後頭部を守るように手を回せたのは幸いだった。

 しかしその結果、不幸幸運にもフータはテルシアの正面から、覆いかぶさるように倒れてしまった。


 テルシアの、豊かなおっぱいに顔をうずめる形で。


 これが伝説のラッキースケベか!!


 フータは「ごめんねごめんね! 悪気は無いんだ!」とテルシアのオッパイに顔を埋めたまま、もごもごと叫ぶ。


「やぁんっ! フータさん、その位置でしゃべらないでください!!」

「ごめん!」


 体には全く力が入らないが、口だけは動かせるフータは、オッパイに顔を埋めたまま、どうしようかと悩んだ。

 しばらくこのままでも良いかなぁ、とも思っていたが、流石に何かしら対処をしないと、テルシアちゃんの好感度が急降下してしまうだろう。

 食堂内は、力が無くなり、動けなくなってしまった宿泊客の悲鳴や、怒号で溢れていた。


「ちょ、もぅ! 何よこれ!」


 誰もが謎の行動不能に陥っている中、ビリアだけが辛うじて動けていた。とはいえ、それは本当に辛うじて動ける程度。彼女はよろよろとおぼつかない足取りで、机を支えに立ち上がっている。

 フータはすぐに、この状況の原因が、自分のSRアイテムであることに思い至った。

 フータが今まで不思議アイテムによって酷い目にあった経験は伊達ではない。


「触手ちゃんも動ける!?」

「ギュー!」

「ダメみたいだな。ならビリア! その線香の火を消してくれ! そいつが原因だと思う!」

「はぁう♡ っもう! フータさん! その位置で喋らないでくださいって言ってますよね!」

「いや、でもテルシアちゃ」

「揺らさないで!」


 どうやらフータが喋るとテルシアちゃんが悶えてしまうようだ。生暖かい呼気をおっぱいに吹きかけられて気持ち悪いのかもしれない。

 フータの視界はテルシアちゃんの柔肌に密着し、まっ黒で何も見えない。しかし、彼女の体温と柔らかな香りが鼻腔をくすぐり、フータの鼓動は高鳴るばかりだ。


 ラッキースケベしたなら、乳首舐めるくらいやってこその、ラッキースケベだろ! と思われる読者もいるかもしれないが、所詮はフータ。この程度で済んでしまう。

 フータは大人しく、今、この幸せを嚙みしめようと、スーハースーハー、と深呼吸を繰り返すのだった。


「この線香の火を消せば良いのよね。水、水を持ってこないと」


 フータが心の内をピンクに染めている頃、ビリアは一人、頑張って線香の火を消そうとしていた。

 水の入ったコップは、残念ながらまだフータ達の机の上には置かれていない。そのため、ビリアは水を、隣の机から取ってこようとゆっくりと歩き始める。

 

「ぐおっ!」

「やはぁ♡ フータさん! 叫ばないで!」

「ビリアてめぇ! 俺のケツ踏むんじゃねぇ!」

「あぁ♡ ちょ! もぅ! 声の振動が」


 ビリアは動けないフータを、日ごろの恨みとばかりに、足蹴にしていた。

 ゲシゲシ、とシリを蹴られるフータが、ビリアのオッパイの上で揺れる。

 その揺れ振動がテルシアちゃんに伝わり、彼女は悶えた。


「ギュッギュー!」

「ひぃっ! す、すみません、触手ちゃん」


 しかし、皆と同じように動けない、コバエの散らばった地面に落ちている触手ちゃんから怒られ、ビリアは直にフータを蹴ることを止めた。

 やはり、ビリアにとって「語られない触手」である触手ちゃんは、逆らえない存在なのであった。

 そして、ビリアはついに隣のテーブルにたどり着き、プルプルしながらも、水の入ったコップを掴み上げ――


「あっ」


 つるん、と落とした。

 

「ぐふっ!」

「きゃぁぁ! 冷たい!」


 ビリアの手を離れたコップは、フータの後頭部を直撃し、彼の頭に水をぶちまけた。当然、フータの頭の下はテルシアちゃんのおっぱいなので、彼女もびしょ濡れだ。


「はわわわわ! テルシアちゃんごめんなさい!!」


 慌てて謝るビリア。


「ギュッギュギュギュッ!!」


 何やってんの! と激おこする触手ちゃん。動けない事に、相当なストレスを感じているようで、かなり過激な脅し文句をビリアに放つ。


「ひいいい! ほんと、本当にごめんなさい触手ちゃん! 握力が抜けてて! 何でもしますから許して!」

 

 そして触手ちゃんに脅されて、「何でもします」宣言してしまうビリア。

 フータは後頭部に加わった痛みに、目の前がチカチカと瞬く。木製コップなので割れる事は無いが、それなりの重さがあって打撃力は強烈。たん瘤くらいは出来た。


「ビリア。後でお仕置きだ」


 フータは静かに呟く。

 

「テルシアちゃんごめんね、ごめんね!」


 そんなフータの言葉はとりあえず無視して、ビリアはびしょ濡れのテルシアちゃんを心配していた。

 テルシアちゃんはニッコリと引きつった笑みを浮かべる。


「だ、大丈夫です。大丈夫ですから、早く線香の火を消してください!」

「わ、分かったわ。水、水は……あった!」


 近場の机には水が無かったため、ビリアは食堂から厨房に繋がるカウンターに置いてある水差しを取りに、ゆっくりと歩みを進める。

 しかし、進路上には多くの冒険者が倒れており、彼女の行く手を阻む。

 机を支えに、プルプルしながらビリアの歩む速度は、非常に遅い。


「おう! だ、誰だ俺を踏む奴は!」

「ご、ごめんなさい。失礼しまーす」

「はぅん! あ、そこ、イイ♡」

「……きもっ」

「あだだだだだ! 指! 指をゴリゴリふんじゃらめぇぇぇっぇえ!!」

「すみませーん」


 多くの宿泊客を傷物にして、ビリアは漸く水差しを手に入れた。

 そして、それを持ち上げようとして――


「あっ」


 ばしゃーん、と盛大に零した。

 コップですら碌に持てなかったビリアの握力では、大きな水差しを持って運ぶ事など、到底出来なかった。

 それほどまでに、皆のちからが失われていた。

 


『SR ちから取り線香』

ちからを取る』



 カードにルビが打って有れば、こんな事にはならなかったのに。

 残念ながらガチャカードにそこまでの顧客サービスは無かった。非売品なので仕方ないね。


「あわわわわわ! 水が無くなっちゃった! どうしようフータ!」

「お前のアホさ加減は良く分かった! その床に零れた水に線香を押し付ければ良いだろうが!」

「はぅぅ……フータさんの声が、刺激が、刺激がぁ……」

「きゅーぎゅぎゅーきゅー!」

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 動けない事がもどかしく、そしてビリアのポンコツっぷりにおこな触手ちゃん。

 そんな怖い触手ちゃんに怒られて、涙声で焦って動き出すビリア。

 フータの苛立ち声が、良い感じの振動としてオッパイに伝わり苦しそう気持ちよさそうなテルシアちゃん。


 フータは罪悪感でいっぱいだった。

 原因は立ち上るテルシアの体臭が、とっても雌臭かったから。

 体の力は抜けているのに、海綿体は元気なようで、フータの股間地区にフータ’sタワーの建設が着手されていた。


 だが、慌てる事は無い。この倒れ伏した状態なら、誰にもバレる事は無いからだ!


 この時までは割と余裕のあるフータであったが、次に聞こえてきた一言で、その余裕は華麗に吹き飛んだ。

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