第12話 貯金箱と茶器


「止めた方が良いって。可哀想じゃない」

「誰のか分からないんだから良いだろ。俺のガチャから出てきたものだ。それに恨まれたところで、宿屋暮らしの俺には実害無い。もし実力行使に出てくるなら、触手ちゃんが守ってくれる」

『キュッ!』


 フータは触手ちゃんの同意が得られたことで、手に持っていた変な造形の貯金箱を、中庭の隅で割った。

 カシャン、と音がして砕けた貯金箱の中には、結構な額の硬貨が詰まっている。

 しばらくの間は狩りに行かなくても済む程度の額が、そこにはあった。


「うおー! 当たりだ!」

「あーあ。しーらない。私、しーらない」


 フータは臨時収入に喜び、対照的にビリアは喜ぶフータを冷めた目で見ていた。

 今朝、ガチャから飛び出してきたのは貯金箱だった。


『SR 誰かの貯金箱』

『壊す事が出来る。壊すと誰かから恨みを買う』


 呪いの貯金箱ではあったが、ずっしりと重い貯金箱の誘惑に勝てなかったフータは、こうしてコソコソと中庭の隅で貯金箱を割ったのだ。そして割った破片は、先日手に入れたSRアイテムのゴミ袋に入れ、とりあえず封はせずに部屋のクローゼットへ置いておいた。


『SR ゴミ袋』

『10枚入り。封をすると、回収してくれる』


 少しばかり小金持ちになったフータは、新しい服でも見に行こうと町へ出ることにする。

 ビリアも新しい服と聞いて、少しテンションが高くなり、三人は貴重品をリュックに詰めて、宿を後にした。

 その日は一日、お店を回って久しぶりの休日を楽しんだ。


 だが、問題は帰ってきて、部屋には戻らず、そのまま食堂へ向かって夕食を食べようとした際に起きた。


「……な、なんだこれは」


 ビリアの前には、いつも通りの夕食が置かれている。

 湯気の立つスープと、パン。そしてメインとなるお肉とサラダ。デザートもだ。

 しかし、フータの前に置かれたのは、木製のおわんに盛り付けられた、残飯であった。

 野菜の皮、血の滴る骨、魚の鱗やヒレ、そして赤々とした内臓。それらがごちゃまぜにされて、盛りつけられている。


「え? やだなー、フータさん。あなたの夕食ですよ?」


 にっこりと、満面の笑みを浮かべ、テーブルの横に立ったまま、宿屋の看板娘、テルシアちゃんはフータを見下ろしている。

 

「とても美味しいですから! あ、そうだ。サービスに私が食べさせてあげますよ」


 そう言って、テルシアはフータの前にあったスプーンを取ると、残飯の山に突き刺す。

 こんもりと残飯を大量にえぐり取ったスプーンを、フータの口元に近づけた。


「はい、あーん♡」

「いや、アーンじモグアァ!?」


 声を出そうと口を開けた瞬間、スプーンが強引に突っ込まれる。

 フータの口内に、エグ味と腐卵臭と腋臭と吐しゃ物の存在がひしめきあった。

 それらはフータの味覚の許容できる範囲を大きく逸脱し、頭のてっぺんから突き抜けるような軽やかな爽快感すら感じる、絶☆頂☆感を味合わせる。

 スプーンをフータの口腔内から引き抜いたテルシアは、彼がご飯を吐き出さないよう、頭と顎をガシリと掴み、無理やり閉じさせる。

 んぐっんぐぐぐっ、ともだえ苦しむフータ。

 だが、男の全力の力を、軽々と凌駕する程のパワーで、テルシアはフータを抑え込んでいた。


「どうですか? 美味しいですか? 私が10年掛けて貯めた楽しみを奪った気分は如何ですか? 正直この場で殺してやろうかと思いますが、一応、まだ・・お客様ですし、私は宿を継がなければいけません。フータさんを惨殺して牢屋に入る気はさらさらないので、さっさと金を返して私の宿から出ていきやがれです」


 想像を絶するお味に、白目を剥いて失神するフータ。

 そんな彼の耳元で、恨み言を静かに呟いたテルシアは、ぺこりとお辞儀をして「どうぞごゆっくりー」と他の客の給仕に帰っていく。

 しかし、一歩踏み出したところで、くるりと振り返った。

 そして、にっこりと微笑んだまま、目をうっすらと開く。


「お客様じゃなくなってからは、お背中にご注意くださいね」


 ニッコォォォ、と強烈な笑みを浮かべるテルシア。

 潜めた目の奥に、邪神でもそこまではヤバくねーよ、と思わんばかりの殺気立った瞳があった。

 それを見た触手ちゃんが机の上から飛び降りて逃げ出した。

 ビリアは「ピィッ!?」と短く悲鳴をもらしてから、本当に漏らしそうになって股間を抑える。

 フータは失神中で、何も聞こえていない。


 ビリアは太ももをモジモジさせながら、失神したフータを担ぎ上げ、食堂から逃げ出した。そして中庭でフータに水をぶっかけ、口の中に水を流し込み、何度か蹴飛ばして覚醒を促す。


「ぐへぁ!? な、なんだなんだ!? 大きな川が! ばーちゃんが!!」

「フータのバカ! だから止めた方が良いって言ったのに!!」


 ビリアに説明を受けたフータは青ざめる。

 まさか、あの貯金箱によって、宿屋の看板娘であるテルシアちゃんから恨みを買うとは思わなかったからだ。

 

「どうしてそんな身近な人物なんだよ! 貯金箱持ってる奴なんて、他にいるだろう!」

「どーするのよ! お金返しただけで許してくれるような状況じゃないわよ! あれ絶対殺すマンだって! 絶対殺すウーマン! ヤバいって!」

『キュキューゥ』


 触手ちゃんですら『あれはヤバイ』と怖がっている。

 つまり、フータ達がテルシアちゃんの魔の手から逃れられることは、ほぼ無いと言っていいだろう。


「くそ……これもSRガチャの呪いなのか?」


 フータは苦虫を噛みつぶしたような表情で呟いた。


『SR 誰かの貯金箱』

『壊す事が出来る。壊すと誰かから恨みを買う』


「恨みのレベルが高すぎる……」


 クレジットカードサイズのガチャカードの説明文を見ながら、フータは思考を巡らす。

 どうにかして、テルシアちゃんのご機嫌を取らない限り、そう遠くない未来に、フータはこの異世界からサヨナラすることになってしまう。


 まだ始まってそれ程経っていないのに、こんなところで終わってしまっては、10万文字の募集要項をクリアできない!

 頑張れフータ! 作者の為にも妙案を思いついてくれ!


「ねぇフータ。フータのガチャで良い物出して何とかできないの?」

「あれはランダムだから、狙って出せる物じゃないし、そもそも一日一つしか出せないし……てか、お前、俺のこと、名前で呼んで」

「っ!? 間違えただけよ! あんたなんかおっさんで十分! しね!」

「いや、本当に死にそうなんだけどな。ちなみに俺が死んだら、お前はどうなるんだ? 向こうに帰れるのか?」

「……ど、どうなるんだろう。所有者死亡の場合、魔剣は回収されるんだけど。私も、ちゃんと回収して、……くれるわよね?」

「知らん。もしかしたら、置き去りかもな」

『キュー』

「え、触手ちゃんも元の世界に帰る? ふーん。ビリアは付属品だし、置き去りかもな」

「なんでよ!? 一人でこんなところに放置なんて絶対嫌! どうにかしなさいよ!」


 どうにか、と言われフータは考える。

 実は、先日出たSSRアイテムを使えば、簡単に解決しそうな案件ではあった。というよりも、今回の貯金箱を割ったのも、手元にあるSSRアイテムの効果を見て、もし誰かから恨みを買ったとしても、それを挽回する手段があったからなのだ。


 フータは出てくるアイテムが、良い物ばかりでなく、ちょっと癖のあるアイテムであることを察していた。

 だからこそ、ヤバそうなアイテムを使う前には、ちゃんと保険を用意していたのである。


 ただ、その保険ですらも、色々面倒な効果がある、というのが問題であった。


「一応、回避する方法はある。ただなぁ……」

「あるならさっさと使いなさいよ! そうしないと」


 ビリアはそう言いかけて、背中に物凄い嫌な予感を感じ、体を硬直させた。

 フータの頭の上に居た触手ちゃんが全身を震わせ、フータの背中に隠れる。

 鈍感なフータでさえ、はっきり分かる程の殺気が、中庭の入り口からこちらに向けられていた。


「て、テルシアちゃん?」

「んふふ、フータさん。私、我慢できませんでしたー♡」


 いつも通り、ニコニコ優しそうな笑みを浮かべるテルシアちゃん。

 だが、その手には、バカでかい鉈のような包丁が握られていた。今まさに、食堂の厨房から持ってきたかのように、包丁から血が滴り落ちている。


 テルシアちゃんは後ろ手で、中庭に続く扉を閉める。

 宿の中庭は建物の中央にあり、四方を建物で囲まれた小さなものだ。

 中央に井戸があり、地面はわずかな日光によって育った、丈の短い芝生が生えている。身を隠す場所も無いし、出口はテルシアちゃんの後ろにある一か所だけ。


 ビリアは恐怖で体を震わせながら、背負っていたリュックを体の前に持ってきて、鎧代わりにしようとしている。

 触手ちゃんは既に戦略的撤退を決めたようで、フータの背中から姿を消し、壁面を昇って屋根へと逃げ始めていた。


「助けて! ヘルプ! 店長! 娘さんがご乱心です!」


 フータは恥も外聞も無く、大声を出して助けを求めた。

 しかし――


「ざんねーん。夕食に睡眠薬を盛ったので、皆さん今頃ぐっすりですよー」

「何してくれちゃってんのこの娘!? 貯金箱割られたくらいでやることが」


 助けが来る確立は無かった。

 しかもフータは大変な失言をしてしまった。


 フータも言葉を発してから、自分が失言をしていたことを、察した。

 いや、自分で察する前に、分からせられた。

 目の前で両手をだらりと垂れ下げ、首をコテン、と傾けたテルシアちゃんに。


「ワ ラ レ タ ク ラ イ デ?」


 有無を言わせぬ、恐ろしく冷たい言葉。

 隣にいたビリアが、ぺたんと尻もちをついた。

 ビリアは「あわわわわ」などと漫画のような悲鳴をあげ、次いで漂ってくるのはのは仄かなアンモニア臭。

 フータも自分の股間が、じんわりと暖かくなってしまう。


 目の前のテルシアちゃんに至っては、邪神でもご召喚なさったのかと見紛う程、その身に黒いオーラを纏わせていた。

 良く見れば、黒いオーラは無数の人の顔の集まりのようにも見え、それらがフータに向かって手招きしている。


「フータさん。返してください。私の結婚準備金。それと、死んで?」


 口調はいつも通りのテルシアちゃん。

 だが、その背後に佇むのは、実体化を始めたナニカ。それはテルシアちゃんの身長を優に超えた、まっ黒な顔の無い巨人。

 恨みの塊。怨念の塊。邪神の降臨。

 そのどれでも当てはまりそうな程、禍々しい存在。

 

「キュゥ」


 ここまで耐えたビリアがついに失神した。

 フータは歯をガチガチと鳴らしながら、恐る恐るしゃがみ込み、手探りでリュックを探す。

 ビリアのおしっこでしっとり濡れてしまったリュックの中から、これまたおしっこでしっとり濡れた段ボールを取り出し、その中からお目当ての物を探り出した。

 

「わわわわ、わかった。そ、それとこ、ここここ、これもテルシアちゃんに、あげます。だから、ゆ、ゆゆゆ許してください」


 フータに選択肢は無かった。

 自分の死が、数歩先にある状況で、選んでいる暇は無かった。


 フータは段ボールの中から、布に包まれた一つのお椀を取り出す。それを恭しく、テルシアに差し出した。


 先日、ガチャから出てきたSSRのアイテム。

 フータでも知る、某野望ゲームにおいて、家臣の忠誠度を高める為のアイテムとして存在したそれは、この世界においても同じような効果を持っていた。

 ただし、良い点ばかりでは無く、大きなデメリットも存在していたが……命の掛かったこの場面では、どうする事も出来なかった。


 フータが差し出したSSRアイテム。

 それは――


『SSR 茶器』

『お茶が美味しくなる。与えると自分に対する好感度が跳ね上がる。没収すると殺される』


 フータが震える手で差し出した茶器を、テルシアは手に取る。

 その瞬間、まるでパンパンに膨らんだ風船が弾ける様にして、テルシアの後ろに佇んでいた闇黒の巨人が、綺麗さっぱりはじけ飛んだ。


『えっ!? マジで!? ここまで来たのに!?』

 

 はじけ飛ぶ瞬間、闇黒の巨人がびっくりしたような気がしたが、きっと気のせいだろう。

 茶器を受け取ったテルシアは、プルプル震えているフータをじっと見下ろす。

 そしてしばらくした後、茶器を大事そうに胸に抱えてから、そっと地面に置いた。


「フータさん。顔を上げてください」

「ひゃい!」


 フータは涙目になりながら、ゆっくりと顔を上げる。

 だが、すぐに目の前が真っ暗になった。


「ふむっ!?」


 口を塞がれた。

 優しく頬に触れるのは誰かの両手。

 額をさらさらとした髪がくすぐる。

 甘い香りが鼻腔を満たす。

 唇には暖かなぬくもり。


 唇をこじ開けて侵入してくるコレはなんだ!?

 

 自分に何が起きたか分からないフータは、身を固めたまま、ただただされるがまま、テルシアちゃんからのディープ過ぎる熱烈なキスを受けるのだった。

 

「――んぁ♡」

 

 長く熱い接吻を終えたテルシアちゃんが、漸くフータの唇から離れる。

 二人の間に、透明な体液の糸がつつぅ、と掛かった。

 頬を染め、照れくさそうにモジモジするテルシアちゃん。

 先ほど、中庭に邪神を降臨させたご本人様とは思えない姿に、フータの思考は追いついていかない。

 だが、テルシアはフータの回復を待ってはくれなかった。

 

「私の、初めてですから……責任とって、ください」


 そう言うと、テルシアちゃんは茶器を胸元に抱えて去っていく。途中、しっかりと持ってきた包丁を回収して。

 取り残されたフータは、しばらくその場から動けず、こそこそと戻ってきた触手ちゃんに頬をツンツンされて、漸く我に返った。

 それから、自分のズボンがぐっしょりな事。

 隣でアヘ顔晒して失禁しているビリアの事。

 さらに、先ほどのテルシアちゃんの事を順に考え――


「やっぱり、SR以上確定ガチャを選んだのは間違いだったかも」




 そう、後悔をするのだった。




『SR 誰かの貯金箱』

『壊す事が出来る。壊すと誰かから恨みを買う』


『SSR 茶器』

『お茶が美味しくなる。与えると自分に対する好感度が跳ね上がる。没収すると殺される』


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