第17話 夢の代償

 自分には才能があった。

 匠の才能だ。

 戦い下手な自分は、鬼としては落ちこぼれだったが、手先が器用な事が密かな自慢だった。

 そして最近になり、自分には戦いにおける才能までもが眠っていると告げられた。

 嬉しかった。

 幼き日に夢見た理想の自分。

 最強の鬼、ゲンジの様な強い鬼に一歩でも近づけるかも知れないと思うと、胸踊る心持だった。

 それは、小さな奇跡が示してくれた夢だった。

 小さな小人グノウ。

 それは敬愛するオヤジ殿、ヘイジの敵だったが、何の縁かタクマの主となった。

 彼の導きにより師と廻り合い、試練を与えられそれまで日の目を見る事の無かった自分に弟子ができ、頼られる存在となった。

 仙術の修行と匠の棟梁としての激務はタクマの体つきを激変させる程過酷ではあったが、未だかつてなく充実した日々だった。

 もしかしたら、自分はゲンジと肩を並べられる程強くなれるかもしれない。

 次第にそんな夢を見る様になっていた。

 だが、そんな夢もただの幻となってしまった。


「親方! コイツァどうしやすかい!?」

「そりゃダメだァ。バラしてそっちの柱に組み込めェ」

「ウッス!」


 夢は、利き手と共に失くしてしまった。

 今のタクマに出来る事は、匠の棟梁として部下に指示を出す事だけである。

 幸いにも、タクマの熱心な指導の賜物か、弟子たちはタクマの指示さえあればそつなく仕事をこなせる様になっていた。

 傷口がうずく。


(なんでオラは座ってんだァ?)


 弟子たちの仕事ぶりに問題は無いが、タクマにとって完璧とは言い難かった。

 所々粗が見えるし、柱の組み方ひとつにしても、言いたい事は山ほどあった。


(まァ、いっかァ……)


 だが、最早どうでもいい事にも思えた。

 所詮今の己など、匠の知識しか取り柄の無い、足手まといである。

 いざ戦となれば、にべもなく見捨てられるだろう。

 どうせ死ぬなら、頑張ったところで意味は無い。

 タクマは空を見上げた。

 以前よりも高く見える空。

 視線を下に落とすと、虫の様な黒い影が柱から柱を飛び交っていた。


(……いや、あれは虫じゃァねェ。小人だ)


 虫だと思った黒い影は、小さな小人グノウだった。

 それを見止めると、タクマは無性に腹が立ってきた。

 タクマに夢を頂かせたのはグノウだ。

 腕を失くす前は己を見出してくれた事に感謝したが、今と成っては煽るだけ煽って絶望の淵に叩き落した憎らしい存在でしかなかった。

 怪我の後、グノウは何を言うでもなく、何故か城の修繕を手伝うようになった。

 タクマにはそれが堪らなく疎ましかった。

 何もできなくなった自分への、当てつけに思えたからだ。


「ひゃん! こわい顔!」


 女の声に言われて、タクマは己の顔が怒りに歪んでいることに気付いた。


「……師匠」


 タクマの師ソルモンは、恐る恐るといった態度でタクマの隣に腰かけた。

 タクマが怖いのではなく、男性全般を恐れるこの仙女は男特有の強面を見ると悲鳴を上げる習性がある。


「あの人が憎い?」


 ソルモンの言う「あの人」とは、グノウのことである。

 仙女ゆえに何歳かは知らないが、この見た目黒髪の美少女は、あの小人の前では生娘の如き乙女となる。


「本当に勝手よね? あの人はいつもそう。散々人をその気にさせて、そのくせいつも待ちぼうけ。いやになっちゃうわよ。ホントにもう!」


 だが、本人のいない所では結構辛辣だったりする。

 修業を付けられていた時も、かなり愚痴をこぼしていた。


「……そうっすねェ」


 タクマは気の無い返事をしたが、内心は穏やかじゃなかった。

 ソルモンの愚痴はあくまでつれない男への恋慕のそれだったが、タクマの抱く苛立ちは純然たる怒りだった。


「頼んでもいねェのに、主が城の修繕なんざどうかしてやすぜ。まるで何もしてねェオラへの当てつけに見えて仕方ねェ!」

「当てつけ? そう? あなたにはそう見えるのね」


 徐々に語気を荒くするタクマに、ソルモンは憐れむような眼差しを向けた。


「……なんですかィ? その目は……」

「いえ、可哀想だと思ってね」

(可哀想? オラが? それともグノウが?)


 タクマは尊敬する師にも苛立ちを覚えた。

 師とは言え、所詮この女はグノウの味方である。


「そんなにも追い詰められてしまったのね。ごめんなさい」

「……ごめんなさいって? アイツの為に何で師匠が謝んだよッ!?」


 憤りのあまり、タクマは立ち上がって怒鳴った。

 そこまでしてあの男を庇うのかと。


「……あの人の為? 違うわよ。

 私が謝ったのは、師としてあなたの助けになれない事よ。

 あの人を庇うつもりはないわ」


 先程とは打って変わって毅然とした師に、タクマは少したじろいだ。

 そこに「見くびらないで」と、嫌悪の貌を覗かせて。


「……すいやせん」

「まあ、あなたの言いたい事はわかるわ。

 私はあの人にぞっこんだし、惚れ込んでるし、隙あらば結婚したいし」

(あ、始まっちまった……)

「でも、庇おうなんて思わない。

 それはあの人を一番傷つける事だから。

 そんな嫌われるような真似、したくない」


 それは意外な答えだった。

 豪放磊落なあの男が、傷付く事などあるのだろうか?

 そんなタクマの思いを汲んだかの様に、ソルモンは続けた。


「あの人、意外に根は純情で繊細なのよ。

 カッコつけて表には出さないけど。

 だから、あなたにも声をかけられなくて、

 悩んだ挙句せめて城の修繕の手伝いをとでも思っているんじゃないかしら?」


 「そんなタマか?」とタクマは訝しんだ。

 だが、ソルモンは自分よりも遥かにグノウとの付き合いが長いだろうから、間違ってはいないのだろう。

 だが、だからといってグノウを許せるかといえば、それは無かった。


「そうすかね?

 あのちいせェ体でデケェ柱を担いで飛び回って、俺は強ェって見せびらかしてるようにしか思えませんぜ?」

「そうかしら?

 私には、全身を使って懸命に働いている様に見えるけど?」


 鬼の軍勢をたった一人で蹴散らす程強いのだ。

 それをたかが柱を背負ったぐらいで辛い事などある筈も無い。


「その柱一つを取っても、私達なら手で持ち上げられる。

 でも、小さなあの人は、どんなに力が強くても全身を使って持ち上げるしかない。

 もどかしいでしょうね……」


 それは、純粋な憐れみに見えた。

 愛しい相手だからとかは関係なく、か弱き者に対する純粋な。


「まあ、だからなに? って話だけどね。

 あなたもそろそろ決める事ね」

「……決めるって何を?」

「今後の身の振り方についてよ」


 そんな事は言われなくてもわかっていた。

 だが、今の自分に決められるだけの選択肢などあるのだろうか?


「はぁ。迷える弟子に、師として一つ助言をします。

 逃げる事は恥じゃない。

 それを忘れないで――」


 そう言うとソルモンの姿がふわりと消えた。

 

(……逃げる。何に?

 この現実から? 戦いから? グノウから?

 ……夢、から?)


 師がいったい何が言いたかったのかもわからず、タクマは下を見続けるしかなかった。

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