第9話 小さな意地
生きた心地がしなかった。
今のところ、危険はない。
だが、何百匹もの鬼の中にいるのだ。
正気の沙汰ではなかった。
今のところ鬼たちは、小さな勇者グノウに従ってはいるが、ただの子供でしかないシンの事など、生きたエサ程度にしか思っていないだろう。
グノウがいなければ、自分などすぐに食われて死んでしまう。
ならばグノウに頼み、人里にでも逃がしてもらえれば良かった。
だが、シンに逃げるという選択肢は無い。
鬼に食われて死ぬ恐怖よりも、母を食われた恨みの方が強かった。
だからこそ、強くなりたかった。
仇を討つ為に。
小人グノウに、その可能性を見た。
自分のような小さな子供でも、強く大きな鬼を倒せるようになりたかった。
「そんなところでどうした? 来いよ、シン!」
「う、うん!」
小人に呼ばれ、シンは駆け寄った。
正直怖かった。
なにせ小人は、円陣を組む鬼の中心にいたのである。
鬼たちは皆大人しくしていたが、シンは恐怖でまともに見られなかった。
顔を下に向け小走りするのが精一杯だった。
シンが来ると、グノウはあごで「見ろ」と促した。
複数の鬼と女の人が並んで座禅を組んだまま、宙に浮いている。
「スゴイ! 飛んでる!」
「な? 凄いだろ! どうだ? シン! お前もやってみないか?」
「えっ!? オレが!?」
「どうだ? 興味あるだろ?」
正直、興味津々だった。
しかし、できればグノウから教わりたかった。
「……オレはグノウから教わりたい!」
「俺は駄目だ。仙人になる才能は無いんだと。なあ? ソルモン」
「ええ! ビックリするほどにね!」
小人に問われ、仙女ソルモンが浮遊しながら近づいてきた。
「そうなの?」
「そうなのよ! この人こんなに強いクセしてまともに仙気の一つも練られないのよ! この仙女ソルモン始まって以来の落第者だわ!」
「はははっ! そこまで言われると痛快だな!」
「……まぁ、彼の場合。体が小さ過ぎて仙術に必要な気が練れない訳だけど。てか聞いてよ! ボクゥ! あの男! 仙気で飛べっつってるのに剣を振った反動で空飛ぶのよ!? 物理よ!? 物理! メチャクチャだわ!!」
「そうか? 俺からしたら、気だの魔法だのを使えるお前らの方が滅茶苦茶だと思うがな」
「よく言うわよ! ホントにもう!」
そう言いながらも、ソルモンの表情は何故か誇らしそうだった。
というか、シンにはグノウの発言の方が気になった。
「グノウって魔法、使えないの!?」
「ああ、使えん。言わなかったか?」
シンは驚きを隠せなかった。
それもそのはず、この世界の人類は皆生まれながらに魔力を持ち、修得すれば魔法を使えるのが一般的だった。
勿論、シンにだって簡単な魔法ぐらいなら使えるのだ。
てっきりグノウの強さも魔法によるものだと思っていた。
魔法の中には身体強化をするものもある。
そういった魔法を駆使することで、小人であるにも拘わらず、圧倒的な力を発揮できるのだろうと。
そう考える方が自然だった。
そんな事を考えていると、背後から恐ろしい気配が襲ってきた。
グノウの相棒アーブルムである。
今回は小さな手乗りサイズの竜の姿だったが、その放たれるオーラでシンの体は吹き飛びそうになった。
明らかに怒っている。
「落ち着け、アビィ。別にバカにされた訳じゃない」
ただの質問だ、とグノウが嗜めると、竜は威圧をやめたが、今度はソルモンを睨み付けた。
「……ごめんなさい」
何故かソルモンが一方的に謝った。
先程のグノウに対する発言への詫びなのか、なんとなくそれだけでは無さそうな雰囲気だった。
竜は興味が失せたのか、再び剣の姿となった。
シンは剣と成ったアーブルムを見つめた。
聖剣の如き、美しい剣である。
人間嫌いとグノウから聞いていた。
それなのに、その嫌いな人間の子供である自分を魔法により体内に秘めて守っていたという。
初め目が覚めた時は、声が出ないほど驚いた。
なにせ竜の中にいたのである。
魔法の膜がシンの全身を被っていたので、感覚的には外界と大差なかったが、不安で堪らなかった。
実は寝ている間に自分は死んでいて、地獄に落ちたのではないのかとさえ思っていた。
竜の体内は薄暗かったが、不思議と視界ははっきりとしていた。
体内には、至るところに様々な武具が落ちていた。
それもそのほとんどが、伝説に出てくるような見た目の物ばかりだった。
その他は生物的な壁が広がるばかりで、シンは不意に心細くなっていた。
外に出たい! と、強く念じた時、急に外の様子が見える様になった。
後から聞いたら、アーブルムがシンの思考を読み取り、アーブルム自身の視覚と共有したらしいと、グノウが言っていた。
アーブルムの中にいる時点で、シンの体の主導権はアーブルムのものだと聞いた時には、それってヤバいのでは? と危機感を持ったが、後の祭りである。
「それよりどうだ? シン。仙人の修行など滅多に受けられんぞ?」
「じゃ、じゃあ、お願いします!」
シンは仙女ソルモンの前でお辞儀した。
仙女はとても綺麗な女性だった。
かなりエッチな服を着ているので、目のやり場に困っていた。
母が生きていたなら、みちゃダメ! と、目を覆ったに違いない。
「ほう? シンぐらいの子供なら平気なのか?」
「……ととと、当然でしょ!? やーねえ!」
仙女ソルモンは極度の男性恐怖症らしい。
それはもう、迫られると頭を丸める程である。
今は克服のため、敢えて髪を剃る事を禁じているのだが。
シンの視線がソルモンの乳尻太股をチラチラと行ったり来たりしている。
おそらくバレているだろう。
ソルモンはプルプルと震えながら手で股と胸元を隠している。
「まったく隠れていない訳だが?」
「な!? なんにょことぉ!?」
ソルモンの声がうわずった。
「そんなに恥ずかしいなら、やめればいいものを。荒療治か知らんが、これでは見ている方が恥ずかしいぞ。シンなどイケナイものを見ている心持ちだろうに」
「イッ! イケナクないもん!!」
耳まで真っ赤にして、ソルモンが沸騰した。
ケラケラと容赦なく笑うグノウに、シンはヒソヒソ声で言った。
「あの人ってグノウのこと好きなんじゃないの? ちょっとヒドくない?」
「はは! なんだ? シンももう、お年頃か?」
「ちょっと気になっただけだよ!」
「怒るな怒るな! 余計に恥になるぞ!」
とんだもらい事故である。
シンは拗ねてそっぽを向いた。
「無い無い! あれはただ、俺に依存してるだけだ! 見ろよ! 俺を!」
シンは目だけでグノウを見た。
小さな、本当に小さな後ろ姿だった。
「ここまで小さいと男として範疇外だろうよ! だから唯一の男友達が俺という訳だ!」
グノウは何でもない事の様に、笑いながら言った。
だが、その背中は、いつも以上に小さく見えた。
戦っている時のグノウは、小人である事など忘れる程に大きく見えるのに。
シンは悔しいと思った。
シンにとって、グノウは無敵のヒーローだった。
どんなに小さくても、バカにされても、圧倒的な勇気と強さで、どんな敵でもイチコロにし、笑い飛ばす。
そんな彼を男として見ていない。
そう言われて、シンは頭に血が昇った。
今なら、アーブルムが怒った理由がわかる。
「えっと、ボクゥ? おねーさんと修行、する?」
ついさっきまでグノウにからかわれ、可哀想だと思っていたが、上目遣いでいかにも女女している仙女が急に気に食わなくなった。
「ボクじゃない、シンだ! それとオレ、グノウからしか教わらない!」
「えっと……」
「仙術なんて興味ないし! 鬼と一緒に修行なんてまっぴらだ!」
気付けばそう言っていた。
オロオロする仙女も、ギロリと睨む複数の鬼の目も、どうでもよかった。
「グノウ! 何か教えてよ! 何でもいいからさ!」
シンは勢いのままに言った。
出会ってからずっと、遠慮して言えなかった言葉だ。
「……まぁ、構わんが」
少し間があったが、グノウから初めて了解を得られた。
シンは興奮を抑えるのに必死だった。
グノウが鬼に手招きした。
確かタクマとかいう大柄の鬼だったか。
今回、小人の技の実験台になるのはコイツらしい。
鬼に恨みを持つシンには、胸のすく思いである。
シンはグノウとタクマの立ち会いを、より見易いよう横から目を見張った。
「では、行くぞ!」
「ゴフッ!?」
小人が一瞬消えたかと思ったら、タクマの巨体が後ろに倒れた。
速すぎて何が起きたのかわからなかった。
「どうだ?」
「見えなかった!」
シンは興奮していた。
思わず握った拳が痛くなる程に。
「なら、次は見えるようにやるぞ」
何をどうやったのか、小人は再び消えると、タクマの大きな身体を叩き起こした。
「ヘイ!?」
「タクマ、いけるか?」
「へ? ヘイ!!」
「良し!」
赤鬼の額が青くなった気がしたが、本人は技を受ける気のようである。
鬼は嫌いだが、少しだけ気の毒にシンは思った。
「まず、相手の足を踏み!」
「ギッ!?」
小人が目にも止まらぬ速さで鬼の足をふんずける。
「続けて顎を打つ!」
「ガハッ!」
鬼が思わず痛みの走った足下を見た瞬間、小人は弾丸の如き勢いで顎をにアッパーカットを食らわせた。
頭を揺らされ、脳震とうを起こした鬼が倒れる音が響いた。
「これだけだ。簡単だろ?」
「す、スゴイ!!」
ニヤッと笑うグノウは、最高に格好よかった。
だが、シンにはとても自分にできるとは思えなかった。
確かに技自体はシンプルだが、鬼を倒すには子供の力では非力すぎる。
「子供の力でも倒せるぞ? これは、非力な小人の為の技だ」
まるでシンの心を読んだかのように、グノウが言った。
「が、ちとコツがいる。なに、俺よりも背があるんだ。すぐに鬼の顎を殴れるぞ?」
グノウはやはりイタズラっぽく笑って言った。
「でも……。オレにあんな踏み込みはできないよ……」
そんなグノウに、つい弱音を吐いてしまう自分が嫌になる。
「できるさ! お前の一歩なら、俺の数歩先を行ける!」
やはりグノウは最高だと、少年もイタズラっぽく笑った。
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