第4話 竜の鎧
一心不乱に駆けていた。
小人の動きがあまりに速く、すぐに見失ったが、倒れる鬼を目印に追いすがった。
途中何度も息を切らし、膝を付いた。
その度に鬼に捕まりそうになったが、必死で逃げおおせた。
それが自分の戦いだと思った。
彼方前方の谷が燃えている。
焼けた密林は、地獄への入口に見えた。
少年は恐怖を振り払い、密林の中に踏み出した。
死ぬというのなら、既にあの時死んでいたはずだった。
谷の入口は岩で塞がれていたが、小さな隙間を見つけた。
恐る恐る覗き込むと、谷の中で鬼の大軍が蠢いていた。
まだ、戦っていたのだ。
小人はすぐに見つけられた。
彼こそが戦いの中心だったからだ。
よく見れば、赤以外の鬼が入り乱れていた。
対立していた鬼同士が手を組んだのかは知らないが、敵味方関係無く総力を上げ、たったひとりの小人に挑んでいた。
「怯むな! 行け! どんなに強かろうと必ず限界は来る! 絶えず攻め立て! 小人を休ませるな!」
偉そうな赤鬼が太鼓を叩きながら檄を飛ばす。
その背後から、見たこともない巨大な物体が運ばれてきた。
随所に竜の金細工が施されたそれは、明らかに兵器だった。
その偉容を目の当たりにした鬼達は、一斉に逃げ惑う。
一瞬にして、兵器と小人との間に道ができた。
「古代兵器か」
「フフフ! そうじゃ! 我が鬼族に伝わる至宝の一つよ! 如何に貴様が強かろうと! ヒトの身でこれに抗う術は無し!」
古の時代。ヒトが天の神々に対抗する為に産み出したと云われる伝説の兵器。
今ではその製法はおろか、運用方法すら解明されていない代物である。
勿論その威力は、伝説として語り継がれる程と云われている。
「どうじゃ!? 参ったじゃろ!?」
「ああ……、参ったな」
「カカカカカッ! そうじゃろ! そうじゃろ!」
赤鬼は満足気に笑った。
散々小人には驚かされたが、今度はこちらの番であるといった顔である。
何せ、古代兵器に対抗できるのは同じ古代兵器か、それ以上の力を持つ神器しかないとされていた。
「遺言はあるか!? 小人よ! 最期じゃ! 聞いてやらんでもない!」
赤鬼は勝ち誇った様に宣った。
しばしの沈黙、小人の首が大きく下がった。
おしまいだ。
少年は見ていられず、目を背けた。
「……眠い!」
「……は?」
よく聞き取れなかった。
それは赤鬼も同じようだった。
「眠いと言った。いや、参ったぞ。この俺をここまで疲れさせた輩は、そういない。中々やるじゃないか、お前」
言いたい事だけ言い、グノウは大きくあくびした。
ヘイジは無言で、傍にいたダイゴの頭をぶん殴った。
それどころではない局面だったが、少年は少し吹いてしまった。
「……ならば安らかに眠れィ! 小人ォオオオ!」
古代兵器の砲身に、強烈な光の束が収束していく。
そのあまりにも強い輝きに、辺りが暗くなったとさえ思えた。
小人は剣の上に立ったまま、微動だにしない。
「逃げて!」
思わず叫んだ。
鬼に見つかるなどと、考える暇もなかった。
少年の声が届いたのか、僅かに少年の方を振り向いた気がした。
そして、かすかに聞こえた。
「……アビィ。任せる」
小人は、凄まじい光の奔流の中に消えた。
消えてしまった。
少年は、たた呆然と立ち尽くしていた。
次は自分の番であると。
もう、助けてくれる者は誰もいない。
そう思うと、急に怖くなった。
体が震えて止まらない。
まるで大地さえも揺れている様に思えた。
いや、確かに大地が震えていた。
混乱する中、少年は見た。
光の中、荒れ狂う竜の姿を。
それは瞬き程の煌めきだった。
光が消え、その通り道には何もなかった。
地面は削れ、岩壁は綺麗さっぱり消し飛んでいた。
ただ一つ、小さな奇跡を除いて。
あれは、あの小人なのか。
大きさは小さいまま、竜を模した鎧兜で全身を隈無く覆うものがあった。
代わりに、剣はどこにも見当たらなかった。
竜の鎧は宙に浮かび上がり、古代兵器の方を向いた。
それを見た赤鬼が、慌てて第二射を放つ。
竜の鎧は自ら光の中に突っ込むと、そのまま古代兵器の砲身に突入し、中から爆発四散させた。
竜の鎧は無傷で宙に浮いたまま、体をのけ反らせた。
それはまるで、竜が咆哮しているような動きだった。
それからは、一方的だった。
赤鬼は軍をまとめるが、竜の鎧から放たれる光の波動と無数の光線で薙ぎ払われ、壊滅した。
竜の鎧はひとしきり暴れると、彼方へと飛び去った。
少年は後を追う。
邪魔する者は誰もいない。
竜の鎧を見失ってしばらく後、少年は川辺に辿りたついた。
諦めるつもりはなかったが、いつまでも走り続けられる訳がなかった。
火照った顔を水で拭おうとしたその時、川の中から大きな竜が湧き出てきた。
怒りに奮えるように睨む竜に怯え、少年は尻を引きずり後ずさった。
「アビィ、そういきり立つな。子供だ」
木の上からグノウの声が聞こえた。
少年は振り返り、声の出どころを探す。
「な?」
「えっ!?」
頬をつつかれ、声をあげる少年の肩に小人が乗っていた。
「いつのまに!?」
「そう怖い顔をするな。元の大きさに戻れ」
グノウがそう言うと、竜の巨体がみるみるうちに小さくなっていく。
「か、かわいい!」
思わず手を出そうとすると、小さな竜が吠えた。
「わ!」
「あまり手を出さん方がいいぞ? アビィはヒトを好まん。俺以外はな」
言ってグノウは肩からひとっ飛びで竜の背に乗った。
竜に跨がったグノウは、中々に様になっていた。
整った顔立ちの美丈夫と、白金に輝くドラゴンの組み合わせは、純粋に格好良かった。
だが、ふと気づいた。
「剣と鎧は?」
助けられた時、小人は見事な剣と鎧を持っていた。
だが今は、どこにも見当たらなかった。
「ああ。アビィ」
グノウが竜に呼び掛けると、竜は光を放ち、その姿を変えた。
するとそこには、出会った頃の姿の完全武装した小人がいた。
光輝く剣の上に、白金の鎧を纏って座している。
「すごい! 変身した!」
「よかったな、アビィ。すごいだと」
言われると、剣と鎧は竜の姿に戻り、そっぽを向いた。
グノウは「しょうがないやつだ」と言いたげに頭を掻いた。
「アビィっていうの?」
「アーブルム。俺はアビィと呼んでいる。ヒトに名を呼ばれるのは好かん様だが」
「言葉、わかるの?」
「アビィは俺より賢いからな。それ故に誇り高く、けして人語を語ることもないがな」
グノウが言うと、竜は当然と言わんばかりに首を上げた。
「さて、勇敢な少年よ」
「シン! ……って言います!」
「シン。何か俺に用があるのか?」
「助けてくれてありがとう! お礼を言いに」
「は! 礼を言われる程でもない。が、本当にそれだけか?」
グノウは見透かした様にシンを見つめた。
シンはしばし迷い、意を決した様に口を開く。
「……鬼に! 母さんが……!」
「……そうか」
涙ぐむシンの肩に乗り、小人は懐から布切れを差し出した。
「ちっちゃ! ……いいです」
好意はありがたいのだが、そのハンカチはあまりにも小さすぎて、とても役に立ちそうになかった。
「うむ! 強い子だ!」
何を勘違いしたのか、それとも励まそうとしたのか、小人はそんな言葉をかけてシンの肩から降りた。
なんとなく、シンは嬉しくなった。
「ぼくなんて全然強くないよ……。勇敢でもないし……」
「そうか? 俺を追って、百鬼の中を駆け抜けたのだろう? 腰抜けには出来ん事だ」
「知ってたの?」
「逃げてと、言ってくれただろ?」
シンは胸が熱くなった。
無意味な呼び掛けだと思っていたが、聞いてくれていたのだ。
あの危機的状況の中で。
だが、実際には何の役にも立たなかったし、そもそも助けなど必要もなかった。
常に余裕で、どんな苦難でも笑い飛ばし、必ず勝つ。
そんな小人に憧れたのだ。
「……強く、なりたい!」
緊張した面持ちでシンは声を絞り出した。
その心情を察してか、グノウもまた神妙な顔で向き直る。
「強くなってどうする?」
「鬼を……! この手で……! 仇を! 討ちたい……!」
グノウは無言のまま、竜の口に手を入れると、中からひと振りの剣を取り出し、子供の前に突き刺した。
「俺の手持ちで一番の業物だ。これなら鬼相手でも容易く切り捨てられよう」
「アビィは貸せんのでな」と言う小人に、シンは怖じけづいて首をブンブンと横に振った。
「こんなスゴい剣使えません!」
「そうか? まぁ、無理にとは言わんが」
他にも色々あると言う小人の申し出を全て固辞し、シンは別の願いを告げる。
「ぼく、いや、おれを! 弟子にしてください!」
「弟子!? 俺の!? ハハハハハハッ!! よせよせ! やめた方がいい!」
「真剣なんです!」
「フフフ……すまんすまん!」
グノウはひとしきり笑うと、厳しく顔を引き締めた。
「だがな、小僧。小人の技を得てどうする? 俺を真似たとて強くはなれんぞ」
「おれは小さいから……」
「今だけだ。そして既に、俺よりでかい」
「今すぐ! 強くなりたい! ……今だけでもいい!」
シンの悲痛な懇願に、グノウは黙り込んだ。
その眼差しは、何かを懐かしんでいるかのようだった。
「弟子を取る気は無い」
はっきりとそう断言され、シンは顔を下げた。
「が、俺も修行中の身でな。付いてくるというのなら、止める理由も無い」
シンは思わず顔を上げると、目の前で拳を突き出す小人がいた。
「ついてこれるか? シン」
破顔して、小さな拳に拳を当てた。
「小さくても、強くなれるなら!」
「強いチビは無理だ。勝てるチビになればいい」
いたずら小僧のように微笑む小人の軽口が、妙にシンの心に刺さった。
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