第3話 智将ヘイジ

 黒鬼ゲンジを知らない鬼はいない。

 もし、そんな鬼がいたとしたなら、そいつは余程の世間知らずかよそ者だろう。

 それがこの地に棲まう鬼達の常識である。

 刃さえ通さぬ強靭な肉体に、太く逞しい二本の角。

 鋼さえも容易く粉砕する剛腕で巨大な鉄塊を引っ提げて戦うさまは、正に鬼神。

 勢力を二分する鬼族だが、敵であれ味方であれ、ゲンジに真っ向から挑んで敵う者などいないだろう。

 あれに対抗できる者がいるとするならば、知略により軍を統率する己の他はいまい。

 それもまた、鬼族の常識であった。

 深紅の鎧に幾つもの太鼓を担いだ壮年の赤鬼は、片方しか無い目を凝らして戦慄していた。

 信じがたい光景だった。

 あの黒鬼ゲンジが、たったひとりの小人に翻弄されていた。

 一見すると、いい勝負に見える。

 だが、長年に渡りゲンジと争ってきた自分にはわかる。

 焦っているのだ。戦い方が。あのゲンジが、全ての攻撃を尽く往なされ、徐々に消耗させられている。

 赤鬼は、驚愕せずにはいられなかった。


「オヤジ殿……!」

「わかっとる! まずは、様子見じゃア!」


 背後から声をかけてきた配下を手で制し、赤鬼は苛立ちながらも成り行きを窺っていた。

 長年の宿敵が、あんな小さな小人にコケにされる様が我慢ならなかった。

 だが一方で、戦況を見極めようとする冷静な自分もいた。

 視線を変えぬまま、口を開く。


「……ダイゴ、太鼓を準備せい。」

「え? すぐ仕掛けないんで?」

「無粋じゃのォ。お前、あそこに突っ込む度胸あるか?」

「……無理ッスね」

「そうじゃろが。あれ程の達人同士じゃ。例え矢を射こもうと、得物の結界に阻まれ届くまいて。それに下手打てば、一騎打ちを邪魔したと彼奴等が手を組み、我らを潰しにかかるやも知れん」

「あ。あり得やすね」

「慌てずとも機は熟す。我ら赤軍の、おいしいとこ取りじゃア!」

「さっすが! オヤジ殿‼」


 ダイゴはニヤリと笑い頷くと、そのまま消える様に立ち去った。

 赤鬼は再び意識を宿敵に集中した。

 徐々に動きが鋭くなる小人を前に、息が上がり始めたゲンジが動きを止めた。

 ここで勝負を決めるのか。

 消耗し切る前に、渾身の一撃を叩きこむ。

 それがゲンジの戦い方だった。

 どうやらその読みは正しかったらしく、ゲンジから闘気が立ち上っていた。

 相変わらずの愚直さだと、赤鬼は苦笑した。

 情け容赦の無い戦場では、滅多に見られない試合のような光景だった。

 普通ならば、気を高めている間に切り捨てられる。

 如何に黒鬼ゲンジといえど、ここまで気を溜められる機会などなかっただろう。

 ゲンジが雄叫びを上げた。

 痺れる程の轟音に、配下の鬼達が震え怯える。

 その辺の格下ならば、戦わずして勝負を決せられるだろう。

 今のゲンジには、それ程の迫力があった。

 そんなゲンジを、あの小人は真っ向から受けきるつもりである。

 咆哮が止むと同時に、ゲンジが消えた。

 あの巨体が霞む程の、凄まじい跳躍。

 直後、閃き、轟いた。

 正に稲妻の如き一撃だった。

 そして、ついに決着がついた。

 そこに立っていたのは、小人だった。


「円陣‼」


 沸き立った頭で的確な号令を出せたのは、年の功だった。

 背にある太鼓の音に呼応し、即座に歩兵が小人とゲンジを取り囲み盾を地面にめり込ませた。

 ヘイジは一際大柄な鬼の肩に乗り、円陣の外から小人を見下ろした。

 倒れ伏す宿敵が見える。

 渾身の一撃を打ち砕かれ、返り討ちにあった。

 自慢の鉄塊が砕け散り、痛々しく全身に突き刺さっている。

 赤鬼は一拍置き、前に出た。


「我こそは赤軍総大将ヘイジ!」

「グノウだ!」


 互いに不要な問答を省き、名乗り合った。

 緊張が、場を支配していた。

 これまで二大勢力の戦いに小人が乱入した形だったが、その一角を率いていたゲンジが倒れた今、勢力図が一変したのだ。

 当然ゲンジの配下は弔い合戦にと小人に狙いを定めるだろう。

 ヘイジが擁する赤軍も、小人を討ち取る構えである。

 これ以降の発言いかんで、今後の命運が決せられる。

 ヘイジは小人が十分にその事を理解していると踏んでいた。


「降伏せよ! さすれば命――」

「面倒だ」

「なにィイ⁉」


 降伏勧告を遮られ、ヘイジは思わず太鼓を打ち鳴らしていた。

 背後で太鼓の音が鳴り日響く。

 それはヘイジの意図する陣形が整えられたという合図だった。

 この状況で合図を出すつもりはなかった。

 敵はたったひとりの小人である。

 これだけの人数で勝てぬとあらば、鬼としてのプライドが傷付こうというものだった。

 だがしかし、小人が黒鬼ゲンジを討ち取った時点で、軍略家としての自分が合理的な策を組み立てていた。

 ヘイジが手で合図すると、円陣の隙間から矢がつがえられた。

 小人は微動だにせず、射殺す様に遥か頭上のヘイジを睨むのみ。

 

「全軍で来い。俺を討ちたくばな」

「カァアッ‼」


 直後、一斉に矢が放たれた。

 全方位からの一斉射撃。

 だが、その全てが尽く味方の盾に跳ね返されていた。

 しかし、歩兵部隊は矢を放ちつつ、じりじりと円陣を狭めていった。

 この戦法ならば、小人を逃がすことなく捕えられる筈だった。

 小人が空高く跳躍した。

 逃すまいと、幾つもの矢が追従する。

 小人は剣を担いだまま、飛び交う矢を踏み渡り、遥か上空へと昇りつめた。

 そして、剣を振り上げた反動で一直線にヘイジの首目掛けて飛来した。


「オオオオオオオオオ‼」


 驚き、慌てふためくヘイジだが、その動揺とは裏腹に、勢いよく地面に飛び降りた。

 着地と同時に配下の盾を受け取り、小人の第二撃を防ぎ自らは歩兵の中に身を潜めた。

 太鼓の音が鳴り響く。


「見事な指揮だ」

「やかましい! 人をコケにしおってからに!」


 憤慨しつつも、ヘイジは次なる策に移っていた。


「小人よ! 望み通り全軍で相手しよう! 我が軍略、とくと味わうが良かろう!」


 ヘイジは武装した獏に跨ると、自らを囮に後退した。


「フ。愉しませてくれる!」


 言って小人は剣をぶん回し、車輪の様にして敵軍の中を駆け抜けた。

 重装歩兵は追い切れず、それ以外は一瞬で蹴散らされた。

 凄まじい突破力である。


「ややや! 息つく暇もありゃせんわい!」


 想像以上の追撃速度に、流石のヘイジも舌を巻いた。

 驚きを通り越して、最早呆れるばかりである。

 ハッキリ言って、ヘイジを含め赤軍にゲンジより強い戦士はいない。

 つまり、単身であの小人を倒せる者はいないということだ。

 ならば、何としてでも逃げきり策に嵌めるしか勝機は無い。

 癪だが、ヘイジはどこか期待していた。

 最強の宿敵をも超える傑物に、己の策がどこまで通用するのかと。

 平原にて太鼓を打つ。騎兵隊が小人を阻む。

 すぐに打ち倒されるが、仕方ない。

 密林にて太鼓を打つ。幾つもの罠が小人を遮る。

 その尽くを、踏破されるが、それで良い。

 足止めが無ければ、とっくに追い付かれていただろう。

 太鼓が聞こえた。あと少しだ。

 無事に誘導地点に辿り着きさえすれば、勝てる。

 これで勝てねば……と、不安がよぎる前に到着した。

 そこは、岸壁に囲まれた谷底だった。

 逃げ場など無く、至る所に罠や兵を配置してある。


「我が地獄巡り、如何であったか?」

「あれが地獄か? ふむ。楽しい地獄だったぞ」

「ハッ! よう言うわい‼ 大口叩けるのも今の内よ‼」


 ヘイジが一際大きく太鼓を鳴らした。

 谷全体から幾つもの太鼓が木霊する。

 それ即ち、太鼓の数だけ伏兵が潜んでいることを示していた。

 太鼓が鳴り終わると、小人の背後から轟音が鳴り響いた。

 岩雪崩が、元来た道を塞いだのだ。


「念の入った歓迎だな」

「フン! これらは皆、ゲンジに用意していたもんじゃい!」

「……そうか。それは悪い事をした」


 小人が何を思ったのか、そんな事はどうでもいい。

 とにかく、その態度が気に喰わなかった。


「これで終いじゃ。小人よ。もう一度だけ、問う。我が軍門に下る気は無いか?」

「断る」

「じゃろうの」


 わかり切った答えを確認し、ヘイジは太鼓を鳴らし続けた。

 岸壁から巨大な鉄球が飛んで来た。

 大砲である。

 避けるのは容易い。

 だが、着弾と同時に炸裂した。

 流石の小人も大きく跳躍し、剣を盾に吹き飛ばされた。


「これよりは、真の地獄を味わうが良い」


 ヘイジは太鼓を鳴らしつつ、抜け道を通じて高台に退避していた。

 ダイゴに迎えられ、ヘイジは椅子に腰かけた。

 その間、容赦なく砲撃が小人を襲う。


「良い眺めじゃわい!」

「流石はオヤジ殿! あのチビ公、ピョンピョン跳び跳ねてやがらァ!」

「差し詰め、針地獄といったとこかいのォ! そりゃそりゃ! 次は火炎地獄じゃア!」


 ダイゴが先程とは違うテンポで太鼓を叩くと、各高台から大量の液体が流れ出てきた。

 直後、大量の火矢が放たれ、谷の内側が炎で満たされた。


「油勿体ねー。こりゃしばらく天ぷら食えねーな」

「ハン! 残党狩りが済めば、幾らでも食わせちゃるわい!」


 ヘイジは既に勝った気でいた。

 あの炎の中を生きている筈がない。

 ならば考えるべきは、ゲンジの配下をどう後始末するかだけだった。

 炎が鎮火してゆく。

 全て、焼き尽くしたのだ。

 あの生意気な小人も、宿敵を奪われた屈辱も。

 死体を確認するまでもない。

 あの小ささだ。消し炭すらも残るまい。

 ただ、あの見事な剣が戦利品として欲しかった。

 そう思いながら、岸壁を滑り降りた。

 焦げた臭気が漂う中、辺りを見渡す。

 すると、目的の剣を発見した。


「な! なにィイイイイ⁉」


 ヘイジは流石に己が目を疑った。

 光り輝く剣の上。

 小人は無傷のまま、傲岸不遜に座していた。

 

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